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七
晴天だった。
風は心地よく、獅堂の髪をすくい上げ、頬をなでる。
緑と、そして甘い草木の香りに満ちた屋上の庭園。
四角いコンクリートの上に、人工的に作られたオアシスは、以前、一度のぞいた時よりも、一層緑が鮮やかに眼に映えた。視力が元に戻ったせいもあるのだろう。
その時もそうだったが、見渡す限り人の気配はないようだ。
庭園の中央に、大きなガラス貼りの温室がある。
―――ああ、ここか。
目的の場所に向かって足を進めながら、獅堂は周辺を見回した。緑は日差しに活き活きと生え、風は葉をそよがせているのに、ここは――まるで時が止まったかのような静寂に包まれている。
―――……もらって来いって、言われてもなー。
花は確かにいくらでもありそうだが、どれも野の花とは違う優雅さがあった。はっきり言えば高そうなのである。
ことわろうにも、何処にも、管理する者の気配はない。
空が、驚くほど近く見えた。フェンスの先、僅かに離れた場所に、メタリックシルバーの外壁を持つ巨大な建物がある。
鏡のように光り輝く外壁で、窓一つない異様な建築物。
―――病院って感じじゃないけど……なんだろう。
そう思いながら、銀細工で縁取られたアーケードをくぐり、獅堂は温室の扉を開けた。
軋んだような音と共に、甘い香りが溢れ出す。
淡い白の一群と、赤の一群、色とりどりの花が、規則正しく咲き誇っている。甘い、むせるような香り。
「…………すごいな、」
思ったより涼しかった。
天を仰ぐと、天窓が殆んど開放されて、外気が流れ込んでいる。
獅堂は奥に向かって歩き始めた。これは――花壇なんて単純なものではない、まるで植物園の巨大温室である。
「め、迷路だな、まるで」
入り組んだ細い通路。生い茂る草木と、視界を覆う迷彩色で、ともすれば方向感覚がなくなりそうだ。
元来た通路を振り返りながら、獅堂はふと思っていた。
そういえば、なんだって、今さら花なんだ?
―――鷹宮さん、今日には退院するかもしれないのに。
「…………」
最後に見た、妙に寂しげな笑い方が、いきなり脳裏に蘇る。
―――もしかして、
退院……できるわけじゃないのか?
するつもりなんて最初からないのか?
足が止まる。不安がふくれあがり、そのままきびすを返そうとした時だった。
温室の中央に、そこだけ閉じられた天窓の下、日の光が落ちている場所があった。
「…………?」
ふと、視線を止めていた。
理由はなかった。
その光の集中している場所を目指し、――ただ、無意識に足が動く。まるで何かに導かれるように。
「……誰?」
茂みの陰から声がした。
その、深みのある掠れた低音に、獅堂は、心臓が凍りくのを感じていた。
光の中で、ゆっくりと人影が立ち上がる。
銀褐色の短い髪。
白いシャツに、黒皮のパンツ。耳にいくつもぶら下がったピアスが揺れて、鋭い光を放っている。
深海のように深い、ネイビーブルーの瞳。
―――違う。
獅堂は自分に言い聞かせる。目の色が違う。楓じゃない。
楓のはずがない。
でも。
立った時の姿勢も、眉も、瞳の形も、顎から肩にかけてのラインも。
薄い胸も、細い腰も。
何も、かも。
「……か………」
閉じ込めていた言葉が、口から、自然に溢れ出そうになっていた。
男の目が、不思議そうに揺れている。
冷たい表情を固めたまま、ただ、獅堂を見つめている。
―――楓……じゃ、ない……?
ふいに、すうっと男は笑った。
そして、まるで子供のようにふざけた仕草で、片手を上げた。
「よう」
その声。
「……なんだよ、まるで幽霊でも見たような顔してるぜ」
笑い方、しゃべり方の、ちょっとした癖。
夢?
これは――夢の続きなのか?
迷宮 〜終〜
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