act  10
 ――邂逅――




                                     
vvvvvvvvvvvvv

                一

                
 「まったく……油断もすきもあったものじゃないな」
 背後で、枝を踏みしめる音がして、すこし愉快そうな声がした。
 獅堂は、はっとして振り返った。
 目の前の幻想に囚われすぎて、周囲のことが、頭の中から消えてしまっていた。
 獅堂の背後――黄薔薇の木陰に、寄り添うように立っていたのは、獅堂もよく知っている美貌の男だ。
「今日だけは、ここに出てくるなと言ったはずだよ。リュウ」
 レオナルド・ガウディー。
 NAVI王国とも言える、この広大な施設の創設主で、ベクターの中では、すでにカリスマとなった男。痩せぎすの長身をもてあますようにして、腕を組み、皮肉な微笑を浮かべている。
 ライトグレーの細身のスーツが、スリムな長身にフィットしていた。
―――リュウ…?
 獅堂は、強張った首で、再度――楓と相似した男を振り返る。
「だって、俺、ここが好きだからさ」
 かつての恋人と、同じ声がそれに答えた。
 そして男は、獅堂を一瞥もせずに、歩き出す。まっすぐに――レオのいる方をめがけて。
 すれ違いざま、ふわり、と柔らかな風が、獅堂を包んだような気がした。
 リュウと呼ばれた男は、ひょい、とレオの前に立ち、少しの間、眼を合わしてから、その腰に腕を回した。
「ハニー」
 甘えた、子供のような声だった。
 レオは、男の頬に愛しげに唇を寄せ、腰を抱いて、引き寄せる。
 はっきりとは見えなかったが、そのまま――数秒、キスを交わしている気配がした。
「…………」
 獅堂は、――ただ、ぼんやりと、そんな二人の男同士の世界を見つめていた。
 そして、思った。
 違う。
 こいつは――違う、楓じゃない。
 楓は――死んで生まれ変わったとしても、こんな真似ができるような男じゃない。
「紹介します。獅堂さん」
 やがてレオは微笑して顔を上げ、片手で、傍らの男の肩を抱きながら言った。
 同じように獅堂に視線を向けた――楓と同じ顔をした男は、二三度瞬きし、何処か楽しそうな目になって笑う。
 深海の、宝石のような瞳だった。
―――楓……じゃない、絶対に違う。
 獅堂は、自分に言い聞かせた。
―――……でも、だとしたら、こいつは一体、誰なんだ?
「彼の名は、リュウ。本名は降るに也と書いて、隆也・ガードナー。アメリカ国籍を持つジャパニーズで、目下、僕の大切なパートナーです」
「………」
 濃い、深いブルーの瞳。
 それを除けば、肌の色、顔の作りや骨格は完全な黄色人のそれ。
 ハーフというより、ただ、目だけが東洋人ではない――そんな感じがした。
 獅堂の、その疑念に気づいたのか、レオはおかしそうに、くすっと笑った。
「カラーコンタクトですよ、獅堂さん。彼は血筋で言えば、生粋の日本人だから」
「……コンタクト……?」
「リュウは似過ぎているのでね、……日本では、犯罪者として指名手配されている、ある男に」
「…………」
 それが誰のことを指すのか、聞くまでもなかった。
 確かに似ている。
 いや、外見の特徴ではない。
 逆に特徴は、まるで違う。髪型、髪色、眼の色に、服装。楓とは似ても似つかない。
 が、喋り方の癖。笑った時の唇の感じ。姿勢。特徴ではなく――全身から滲み出ている、雰囲気のようなものが――そっくりだ。
「なんて顔してるんですか、獅堂さん」
 突然レオが、溜まりかねたように吹き出した。
「ははぁ、そうか、あなたはまだ、私が右京さんにお送りした報告書に眼を通していないのですね。送ったのが先ほどだったから、行き違いという奴かな」
―――報告書……?
「隠せるものなら、隠しておきたかったんですがね。まぁ、僕も迂闊だった。先日、ひょんなことから右京さんに、彼の存在を知られてしまいまして」
―――室長……が?
 判らない。
 これは、どういうことだろう。
 獅堂はただ、二人を交互に見ながら、立ち尽くす。
「改めて紹介しますよ。獅堂さん。彼が日本にいた時の名前は、喜屋武 隆也、――楓の、実の弟です」


                 二


「……弟、」
 獅堂は、それでもまだ信じられずに、呆然と呟いた。
―――弟……?
 レオが、少し困ったような微笑を浮かべ、その横に立つ少年――青年、とでも言うべきか、に視線を向ける。リュウは、軽くあくびをし、短い髪に指を絡めている。
「つかさ、それって、そんな深刻に発表するようなこと?」
 まるで、他人のことを言っているような、無気力な声だった。
「弟……」
 獅堂は繰り返す。どうしても、すぐにその意味が頭に入ってこなかった。
 弟。
 楓に、――嵐以外の弟が……いた?
「以前、僕は楓と一緒に暮らしていた。ご存知ですよね、獅堂さん」
 レオは、獅堂の困惑を楽しんでいるのか、どこか嬉しそうな声で言った。
 それは、多分ホームステイのことを言っているのだろう。妙に紛らわしい言い方だが。
「その時、楓に、……沖縄で、生き別れたままになった弟がいることを、教えてもらったんですよ。獅堂さんは、聞いておられませんでしたか?」
「……いや」
 実際、本当に初耳だった。
 初耳というか、晴天の霹靂のような話だった。
「データとしても、お聞きではありませんか?あなたの所属する日本軍から」
「…………」
 獅堂が黙ったままでいると、レオは、まるで挑発でもするように相好を崩した。
「あなたは……その、どちらからも、本当の意味で信頼されていなかったということなのかな。楓の母親は、離婚、再婚を繰り返した薄幸の女性でね、……楓も、リュウも、それは悲惨な、哀しい子供時代を過ごしている。それくらいご存知だと思ってましたよ」
 義理の父親とのいきさつと、そして母親のことは知っていた。
 が、弟のことは―――。
 レオは静かに笑った。そして、白い指で、額に落ちた髪をかきあげる。
「防衛庁も、ERUも、楓が消息を絶った後、実は、血眼になって、リュウの行方を探していたんです。リュウは、楓の唯一の血族だ。……最も、正確な血縁関係は兄弟ではないけれど」
 リュウ――隆也が、退屈そうに爪をいじりだす。まるで子供のような仕草だった。
 正式には兄弟ではない――。
 獅堂は、ただ、眉を寄せる。
 楓が、人口受精で生まれたことは知っていた。詳細は判らないが、それは、そういう意味なのだろう。
 レオは目をすがめ、傍らの隆也の肩を抱いて、まるで抱擁でもするかのように引き寄せた。
「……リュウは、あなた方のことは、みんな知っている。獅堂さんのことも、嵐のことも、二人が地上を棄てたいきさつも、みんな……です。楓のことは、全て僕が、一からリュウに教え込んだ」
「俺、兄貴の身代わりだからさ、」
 ようやく顔を上げた隆也は、平然とした口調で言った。
「ノーノー、リュウ、それは違うと言っただろう」
「いいよ、俺、レオ好みの男になりたいんだ、顔だけじゃなくて、何もかも」
 信頼しきった声と、笑顔。
 獅堂は、ふと、胸が痛くなるのを感じていた。
 自分でも理由の判らない胸苦しさで、思わず視線を逸らしていた。
「あなた方軍人が楓に何をしたのか、私はみんな知っています」
 冷たい声が頭上から響いた。
 レオから感じられる、冷ややかな怒りの一端が、明らかに自分に向けられたものであることを、その時ようやく獅堂は知った。
「あなたは、防衛庁の一員として、ずっと楓の捜索に携わっていた……でも、どうして?」
 どうして?
 獅堂は自分に自問する。
 仕事、任務、決して獅堂が望んでそのチームに所属していたわけではない。でもどこかで待っていた、楓が帰ってきてくれる日を。もう一度――抱きしめあえる時を。
 が……その一方で。
「防衛庁が何のために楓を探そうとしているのか、獅堂さん、あなたはそれを考えたことがありますか?」
「………」
 その一方で、楓が戻ってこなければいいと――思っていたことも事実だった。戻れば、楓は――多分。
 獅堂が黙っていると、レオは薄らと微笑した。
「彼らは楓を捕らえる。所詮、同じことの繰り返しだ」
「………」
「所詮あなたは軍人だ、獅堂さん。上官の命令で、なんだってできる人だ」
 レオの声が厳しくなった。
「あなたは楓を侮辱した。あなたはある意味、姜劉青より汚い人間だ、最も卑怯なやり方で大切なものを傷つけたのだから」
 違う。
 それは違うと、獅堂は、思った。
 握り締めた拳が震えるほどの激情が、刹那に走って、消えていく。
―――でも……。
 獅堂は、無言で視線を逸らした。
 何も、言えない。
 あの日――自らの意思で、楓の手を離してしまった自分には。
 この二人に、何もいう資格はない。
 レオは、厳しい眼をにわかに緩めると、まるで恋人でも見るような優しい目で――抱いている男を見下ろした。
「どうだい、リュウ、獅堂さんを見た感想は、下手をすれば、君の姉さんになっていたかもしれない女性だよ」
 それまで――ずっと無関心な顔で二人の会話を聞いていた隆也は、ひょい、と肩をすくめてみせた。
 こういう仕草は、楓と似ても似つかない。
「写真で見た時も思ったけど、兄貴って趣味悪いんじゃねーの」
「…………」
「つか、マジで女?この人。なんで、男みたいな喋り方なわけ?」
 それに……、と言いさして、いぶかしげな目を、獅堂の胸元にぶつけてくる。
 一瞬の間の後、その視線の意味を悟り、獅堂は、さすがにむっとして眉をしかめた。
「……言っとくが自分も、お前なんかお断りだ」
「は?」
「お前は真宮とは全然違う、あいつは、お前みたいな、ちゃらちゃらしたな男じゃない」
 リュウと呼ばれている男は、露骨に不機嫌そうな顔になった。
「なんだよ、逆ギレかよ、大人のくせに辛抱たりねーな、更年期障害じゃねえの?オバサン」
 ぶっ、と吹き出したのは、レオだった。
「…………」
―――なんなんだ?こいつは。
 獅堂は、さすがに、あきれて声もなかった。
 この――顔だけが楓と同じで、でも輪をかけてクソ生意気な、――ふざけたガキは。
「これで納得されましたか、鷹宮さん」
 まだ、笑いを唇に滲ませたまま、レオが、ふいに大きな声でそう言った。
 獅堂は、はっとして顔を上げた。
―――鷹宮……さん?
「とりあえずはね」
 入り込んだ木々の陰に、一際背の高い鷹宮の姿があった。
 上着こそ着てはいないが、すでに病人の装いを棄て、ネクタイまで締めている。
 ちらっと横目で獅堂を見て、あとは――まるで表情を変えないまま、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
 獅堂は――ただ、呆然とした。
 どうして?
 どうして――鷹宮が、今、ここに?
「ご期待は見事に外れましたね。……よくこの時間、リュウがここにいると、お調べになったものだ」
「あなたも、こうなるのが判っていて、この邂逅を許したのではないですか、ミスターレオナルド」
 鷹宮は静かに答える。
 レオは、息を吐くように苦笑した。
「……確かに僕も、あなた方と思惑は同じです。獅堂さんを使って証明したかった。この少年が、楓ではないことを」
 その言葉の意味を理解し、獅堂は、強張った目で、鷹宮を見上げた。
―――では。
 では、最初から――鷹宮は。
「あなたも、残酷なテストをする人だ」
 レオは、低く呟いた。
「恋人になったばかりの女性に、することだとは思えませんね」
 鷹宮はそれには答えず、ただ、静かに微笑した。


















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