act  9
 ――迷宮――




                                     
vvvvvvvvvvvvv

                五

                
「結局、真相は闇の中ですよ」
 ちょっとわざとらしいくらい気取った手付きで、サングラスを掛けなおしながら、滝沢は呟いた。
「ふーん」
 似合わない……。
 獅堂は頬杖を付き、ようやくまともなフライトができるうようになった後輩を横目で見る。
 五人乗りの民間機のコックピットに、獅堂は滝沢と共に座っていた。
 操縦席には滝沢が座り、まだ操縦許可の下りない獅堂は、副操縦席に座っている。乗客は無論いない。この飛行機で、もしかしたら復路は、鷹宮を乗せて帰ることになるのかもしれない
 先日電話した時、そろそろ日本に戻れそうです、――鷹宮はそう言ってくれたし、こうして滝沢がスイスまで同行する理由を、降矢もこう言って説明してくれたからだ。
 今日の検査結果しだいでは、退院できるかもしれないと。
 獅堂は退屈なフライトにうんざりしていた。
 フューチャーで飛べば、ジュネーブまではものの数分もかからないというのに。
―――軍用機の乗り入れは、遠慮していただきたい。
 と、NAVI側から正式に申し入れがあったらしい。
 別に……いいだろ、と獅堂は思った。
 こう言ってはなんだが、最新鋭の軍用機も真っ青な、各種航空機を、NAVIは何機も所有している。
 これは感謝すべきなのだろうが、嵐の海で、獅堂と鷹宮が救助されたのも、ハイレベルな性能を持つ航空機のおかげだったと聞いている。
「なぁ、そろそろ近づいてんじゃないのか」
「大丈夫ですって、聞いてます?人の話」
「聞いてるよ、だから管制塔と回線開けよ」
「まだいいんですってば」
 滝沢はサングラスを少し下げて、むっとした目を向けて来た。
「気にならないですか、……あの夜、どうしていきなり、戦闘機が現れて、執拗に獅堂さんを狙ったのか」
「別に、」
「名波さんも、相原さんも、獅堂さんが撃墜された周辺から、敵機を引き離そうと必死だったんです、スカイキャリアも、ディスカバリーもそうです。なのに……まるで、救出するのを妨げるように、奴ら、あの周辺をなかなか離れようとしなかった」
「……お前の説は何度も聞いたよ……自分を追い詰めて、」
―――楓を……おびきよせるため、か。
 そんな莫迦な真似を――本気で企む奴がいるとしたら、それは。
 獅堂は目をすがめた。滝沢が、どこへ話しをもっていきたいかは、判っているつもりだった。
「……姜、劉青、か」
「……まだ、生きていますからね、奴は。……降矢さんは、組織の後ろ盾のない男に何ができるって楽観してましたけど、マジで危険な存在になった気がしますよ、俺的には」
「…………」
「気をつけた方がいいですよ、獅堂さん、……俺の勘、外れッぱなしだけど、俺が劉青だったら、間違いなく、獅堂さんを狙うような気がするから」
「……ま、気をつけてみるよ」
 それを言うと、安心したのか、ようやく滝沢は、流暢な英語で管制塔と交信を取り始めた。
 正直、獅堂にはよく判らない。
 あの事件を起こしたのが姜劉青なら。
 自分は、楓をおびきだすための道具にされた――というより、むしろ、真実、憎悪されていたような気がする。
 あの城で、楓が、獅堂ではなく劉青を撃った時。
 あの時の――男の、絶望と驚愕に満ちた目を、軋むような悲しみの声を、獅堂はまだ忘れてはいない。
 あの男は、楓が自分を裏切るとは――おそらく、これっぽっちも想像してはいなかったのだろう。
 ある意味、本当に愛していたのだ、そんな気がする。
 だから、楓も、最後まで劉青に手が出せなかったのではないだろうか。
 
 
                 六



 また少し――。
 痩せたのかもしれない。
 病室の窓辺で、腕を支えに立つ鷹宮を見て、獅堂はそう思った。
「眼は、もう…?」
 静かな声で、眼差しで見つめられる。綺麗すぎて印象は冷たいけれど、でも、ひどく優しい瞳。
「ええ、自分で視力検査したら、もう全然元通りで」
「そんなことは聞いてませんよ、今日、検査してもらったんでしょう」
「あ、はい、自己診断とおりでした」
 獅堂は、わざと威勢良く答える。
 自分でも、態度がぎこちないのは判っていた。
 三週間ぶりに会って、会えば、どうなるか判らないでもないのに―――いや、判るからこそ、言葉で適当に間を繕っているのかもしれない。
 窓辺には、淡く色づいた薔薇が数本、繊細なガラスの花瓶に活けられていた。
「屋上の温室から、持ってきてもらったんですよ」
 背を向けた鷹宮は、そう獅堂に説明した。
「あそこの薔薇は見事です。……今が盛りだ。時間があったら、行ってみてごらんなさい」
 今も鷹宮は、静かな指先で、白桃色の花欠をなぞっている。オフホワイトのガウンから伸びた腕が、眉をひそめてしまうほど白かった。
 獅堂は、息苦しくなって、視線をそらす。
「えーと、鷹宮さんはいつ退院ですか、そろそろ帰れるって言ってましたけど」
 わざと明るくそう言って、獅堂は部屋の中を見回した。
 オデッセイと同じで、一部の隙もなく片付けられた部屋。が、室内の調度品は以前来た時と同じままで、特に退院の支度をしている風でもない。
「…………あの」
 もしかして、まだ、当分ここに留まる予定なのだろうか。
 一体いつまで。
 ここへ鷹宮が運びこまれてから、かれこれ二ヶ月が過ぎているというのに。
「結果しだいなんですよ」
 鷹宮の声がした。
「ああ、そっか、じゃあまだなんですか」
 検査の結果――
 そう言いかけて顔を上げた獅堂は、また言葉を失った。
 まだ――鷹宮が自分を見つめている。
 背を壁に預けるようにして、指先で顎を支えて。
「…あ、あのぅ……ええと、ですね」
 どう、リアクションしていいか判らず、髪に手をあて、そのままうつむいてしまっていた。
 このまま自分から、歩み寄って、その腕を取ればいいのだろうか。
 そうしたいような気もするけど――なんとなくできないのは、またなし崩しに、ああいうことになってしまうのが、少し怖いからかもしれない。
 そう思っている間に、気がつけば、大きな影に覆われていた。 
「た……鷹宮さん、あの……ですね。今日は、あんまり、時間なくて…」
「大丈夫ですよ」
「でも……下で、滝沢も待ってますし」
 あいつ、絶対に時間はかって待ってますから。
 そう言いたいのに、声がうわずって出てこない。
 抱き締められて、耳に、首すじに、冷たい唇が、何度も触れた。
 困惑して顔を背けても、すぐに強い力で引き寄せられる。
「た……鷹宮さん、」
 上着が脱がされて、床に落ちた。そのままベッドに押し倒される。
 鷹宮にしては、それは少し性急で、抵抗を拒むような荒々しさがあった。
―――こんなことしてる場合じゃ……マジで、ないような……。
 下で待つ滝沢のことを考えると、本気でまずいな、と思うのだが、それでも、鷹宮の気持ちを思うと、拒めない。
 この一ヶ月、たった一人で取り残されていた男のことを思うと――。
 ま、いっか、後で適当に言い訳しとこう。
 と思って、力を抜いて、目を閉じた時、
 鷹宮は、唐突に動きを止めた。
「…………」
 薄目をあげると、見下ろしいてる男の目が、優しげな苦笑を浮かべている。
「……身体、がちがちになってますよ」
「えっ……」
 そうなのだろうか。
 獅堂はぎょっとして半身を起こす。
 今日は、さすがに、そこまで緊張していたわけではないのだが。
 鷹宮は先に起き上がり、そして、床に落ちていた獅堂の上着を拾ってくれた。
「今日は許してあげます……続きは今夜かな」
 そして、いたずらっぽく囁かれる。
「は、はぁ」
 赤面したまま、何と答えていいのか判らなかった。
 上から見下ろしている優しい目、――愛しくて、でも、まだ少しだけ照れくさい。
 うつむいたまま、もじもじしていると、鷹宮は、ふいに静かな微笑を浮かべた。
「お願いしてもいいですか、獅堂さん」
「はい……?」
 その、場違いに寂しげな笑顔が気にはなったが、それを口にする前に、鷹宮は背を向け、窓辺の花瓶に視線を向けていた。
「薔薇は綺麗ですけどね。……それだけだと、どこか寂しい」
「……はぁ」
 そんなものだろうか。
 もう、十分、という気もしないではない。
「看護士さんに聞くと、温室のものなら、自由に取っていいそうです。獅堂さん、活花の腕の見せどころですよ」
 獅堂はげほげほと咳き込んだ。
「……い、意地悪言わないでくださいよ」
 が、鷹宮は笑わない。そのまま、腕時計に視線を落とす。
「温室の場所は、判りますか?」
「…………」
―――温室?
 もしかして、屋上の……ことだろうか。
「屋上の温室で、……花をいくつか、もらってきてくれませんか。」























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