act  9
 ――迷宮――




                                     
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                 二


「しつっこいなぁ、判ってますよ」
 滝沢は舌打ちして、煩げに椎名から背を向けた。
「いや、お前は判ってない」
 椎名も負けずに追いすがる。
 日に日に生意気になる後輩の襟首をひっぱり、自分の方に引き寄せた。
 まだ子供のように幼げな顔をした男は、あからさまに不快気な顔になる。
 その顔に向かい、噛み付くように椎名は言った。
「明日、どうしても自分が同行できないから、お前一人に任せるんだ。いいか、絶対にだな」
「獅堂さんをガードしてりゃいいんでしょ」
「そういうことだ」
 口を開こうとした椎名に代わり、そう答えたのは、背後から現れた室長――右京だった。
 さすがに、椎名は、ぎょっとして滝沢を放し、姿勢を正す。
 右京の背後には、特務室副長、降矢龍一のスーツ姿も見えた。
「遅れて、悪い」
 そう言って、右京は、早足で室内に入ってきた。降矢も、目礼しながら、その後を追うようにして入ってくる。
 いつものことだが、怖いほど冷たい横顔を持つ二人。椎名は、パイロットの中では一番彼等の近くにいるが、それでも、取り付くしまさえない態度には、時々閉口してしまう。
 オデッセイの特務室内。
 入室してきた二人の姿を見て、さすがの滝沢も緊張したのか、ぴしっと背筋を正していた。
「どうだ、滝沢、名波二佐の特訓は」
 会議机に座り、早速パソコンを開いた降矢が、表情の読めない顔で滝沢に声を掛けた。
「ずいぶん厳しくしごかれたそうじゃないか」
「は、はぁ」
 滝沢はごもごもと口ごもるばかりである。
 椎名の進言により、この一ヶ月、滝沢の身柄は「チーム・白虎」預りとなっていた。
 あまりにも頼りないフライト技術を鍛え直すため――という名目だが、実際は、あの時の行動に対する懲罰の意味も含んでいる。
「ま、せいぜい可愛がってもらうんだな」
 苦笑して、降矢は視線をパソコンに戻した。
 こういう態度が、どこか前と違っているな……と、椎名は思う。
 降矢龍一。
 本庁防衛局調査課所属で、入庁依頼、諜報活動一筋の男。生え抜き中の生え抜きだと言われている、凄腕の諜報員である。
 噂だが、台湾有事の前後には、北京に潜伏し、諜報活動を行っていたという話もある。
 以前であれば、隊員と仕事以外の会話を交わすなど、有り得なかった。それが――変った。理由までは椎名にも判らない。
「降矢、始めてくれ、声紋の照合結果はどうだった」
 正面のデスクに着席した右京が、静かな口調でそう言った。
 ここ数日、――いや、例の青い光事件以来、収集されるメンバーは、常にこの三人。椎名、滝沢、そして降矢だけになっていた。
 もう、獅堂の顔はそこにはない。
 椎名は、その理由を――あの日、NAVIの病院で起きた出来事が原因だと思っている。
 NAVIのメディカルセンターで、まるで――幻影のように見た、真宮楓と、印象が酷似した男の姿。
 我に返った椎名が即座に温室の中に踏み込んだが、中はもぬけの殻だった。本当に――見たのが一人ではなかったら、幻影か白昼夢としか言いようのない事件だった。
 あの日、目撃した人物のことは、右京から厳重な緘口令が敷かれている。
 だからこの件が、防衛庁内でどのような扱いになっているのか、正直、椎名には何もわからない。
「分析した結果、声紋については、ほぼ8割の確率で、真宮楓と同一のものであろう、との結論が出ました」
 冷静な声が、即座に上司の質問に答える。
 声紋の一致。
 その意味を――知っている椎名は、握った拳に汗が滲むのを感じていた。
―――では……。
 では、本当に――真宮楓が?
 あの戦闘海域で、獅堂と鷹宮を救い出したのか?
「じゃあ……」
 滝沢が、眉を震わせながら、小さくうめいた。
「じゃあ、……本当に……僕らが見た、あの人は」
 その眼には、動揺と感動の色が見え隠れしている。
「早合点するな、滝沢、確率は所詮、80パーセントでしかない」
「でも」
「100パーセントの答えを探すのが、我々の仕事だ」
 冷淡な声で、右京は続けた。
「問題は、それがあの事件と、どう関係しているか、ということですね」
 言葉を繋いだのは降矢だった。
―――あの、事件……。
 椎名は、無言で眉を寄せる。
 日本領空、オホーツク海域で戦闘機同士がぶつかり合ったあの事件は、現在、防衛局調査課――つまり、降矢の元課で、極秘裏に調査されているらしい。
 いくら否定しようとも、戦闘機の残骸が海底から引揚げられれば、関与した国は特定できるだろう。
 国際問題に発展することだけは、なんとしても避けたいという思惑と、そして、相手をしのぐより強力な力を得たいという組織間の確執――駆け引き。
 それは、椎名などには計りようがない。
「NAVIが関与したと見るのは、早計でしょうが、一応、疑ってかかる必要はありますね」
 戦闘海域に、強引に侵入した民間航空機。
 現在、日本政府は、NAVIに厳重抗議を行っている。そして、領空侵犯を犯した挙句、攻撃まで仕掛けてきた戦闘機との関係を調査している。当夜のNAVIの行動が、あまりに、不自然だったからだろう。
「これはオフレコですが、あの件に関して、レオナルド会長はあるひとつの可能性を示唆しています。……で、上も今、そこに注目しているんですが」
 降矢が続けた。
「……ヨハネ・アルヒデドが、EURを脱退したということだろう」
 右京が、わずかに目をすがめて呟いた。
 ヨハネ・アルヒデド博士。
 椎名は、はっと眉を上げていた。
 実際に椎名がその男に会ったことはない。が、データとして、その男の情報は、嫌というほど知っている。
「ほ……ご存知でしたか」
 長髪美髯の男は、少し意外そうな目になった。
「ヨハネ博士は、重傷の放射能障害に苦しんでいたようですね。崩壊した城から、微量の放射能が自然界に流れ出し……怪我のため、逃げ遅れた博士が被爆した。それが、EURの説明で」
 そこで咳払いをして、男はいったん言葉を切った。
「病のために、第一線を退いた、というのが表向きの理由です。が……実際のところ、博士は、行方をくらましている可能性が強い」
「……行方不明ってわけですか」
 眉を寄せながら、不思議そうに滝沢が問いかえす。
「そんな可愛いものじゃない、地下にもぐり、テロリスト集団を結成した可能性が高いってことだよ」
 吐き捨てるように、降矢は答えた。
「……邪魔になれば組織に切り捨てられる。頭のいい男だから、それを敏感に察していたんだろうが。いずれにせよ、博士の周囲には、在来種への不満を膨らませた、危険なベクターが集結している……ある意味、NAVIと似ているっちゃ、似てますがね」
 その問いかけは右京になされたものなのか、が、右京は無言のままだった。
「ま、所詮はテロ集団だ。今となっては、畏れるに足らない相手ですよ、ベクターのカリスマだか何だか知らないが、組織の後ろ盾をなくしちゃあね」
 降矢はそう言って、上司から目を逸らした。
「……いずれにしても」
 その右京が、ようやく静かな表情で顔を上げた。
「関与したのがヨハネ博士だろうが、EURだろうが、あの事件は我々には手出しできない。トップレベルの駆け引きでしか、決着はつかないだろう。問題は――結果として、そのたくらみが成功したのか、否かにある」
 通信システムが時折放つノイズだけが、静まり返った室内に響いている。
「ま、調べますよ、それが我々の仕事だ」
 重苦しい雰囲気の中、降矢が、そう言って肩をすくめた。
「声紋は一致した。そして我々は、恐ろしいほど似た男を目撃した。共通点は、どちらもNAVIだ。とりあえず今は、レオナルド会長の、公式な回答を待つしかない」
「あの……ひとつ、聞きたいんですが」
 口を挟んだのは滝沢だった。
「一体、防衛庁の上の連中は、……このことをどう考えてるんですか、どういう方向にもってこうとしてるんですか」
 何かを思いつめたような口調だった。
「それは、今の時点で考える必要のないことだ」
 が、右京の返答は素っ気無い。そのまま顔さえ上げようともしない。
 滝沢の横顔に、さっと不満の色が滲むのが、隣に立つ椎名にも判った。
「だったら俺は降りますよ!」
「おい、滝沢」
「あんた……真宮さんの同類だろ?それをなんだよ、自分が点数稼ぎしたいだけか、真宮さん捕まえて、それで、あんただけが、高見の見物か」
「滝沢!」
 椎名は、その襟首を掴み上げる。
「……だったら、辞めろ」
 あまりにも冷淡な声がしたのは、その時だった。
 椎名でさえ、さすがに凍りつくような言い方だった。
「お前は何のためにここにいる。我々の仕事は、真宮兄弟が、地上に戻っているか否か、それを確認することだけだ」
「………………」
「それができないなら、構わない、出て行け」
 それだけ言うと、右京はすっと立ち上がった。
 うつむいた――滝沢の肩が震えている。
「降矢、後は頼む。私は今から、本庁に行く」
「気をつけて」
 足音が遠ざかる。扉が閉まり、はっと溜息をついたのは、意外にも降矢だった。
「あんな言い方しか、ないのかねぇ」
「俺、辞めますよ」
 滝沢が、軋るような声で呟いた。
「もう辞めます、あんな人の下でなんか、働けない」
「好きにしろよ、ただ、言っとくが、やめちまったら、出来ることなんて何もないぜ」
 ぱたん、と降矢はパソコンを閉じた。
「情報隠匿がばれたら、ここにいる全員の首が飛ぶ騒ぎになるだろうけどな……正直、俺には、あの女の頭の中が見えないよ」
 まるでひとり言のようにそれだけ言うと、男は肘をつき、どこか所在ない表情になる。
 しばらくの間をあけて、素っ頓狂な声をあげたのは、滝沢だった。
「あ、あの……じゃあ、もしかして、」
―――そうか……。
 椎名には、ようやく右京の真意が判りかけたような気がしていた。
 台湾有事の時と、そして一年前と同じだ。
 右京は――庇おうとしている。ぎりぎりまで、救おうとしている。
 ならば自分も、自分に出来ることを、するしかない。
「あの……降矢さん」
 頭の隅に引っかかっていたことを、椎名は、躊躇しながら口にした。
「この件を、鷹宮は……?」
 NAVIのメディカルセンターに入院したままの、鷹宮は知っているのだろうか?
 獅堂と生きていくと決めた男は――。
 今の獅堂なら真宮楓を支えられると――、どこか寂しげに言っていた男は。
「鷹宮の所属は、今現在、防衛局調査課、オデッセイ付特務室だ」
 降矢は、少しだけ眉を寄せながら、そう言った。
「屋上で見かけた男のことは、すでに俺の口から伝えてある。いや、むしろメディカルセンターの内部調査は、鷹宮に担当させるのが上策だろう」
「降矢さん、それは」
 思わず、息を呑む椎名に、
「鷹宮には、引き続き巨人担当として、今回の調査に当たってもらうつもりだ」
 男は右京の口真似をして、ひょい、と肩をすくせてみせた。
「――それが、鬼室長のご意向みたいだよ」






















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