六
「俺は、……それでも、やっぱ、サイテーです。ただ、逃げていただけだから」
背後で、苦笑が混じったような滝沢の声がした。
風が、少しだけ冷たくなっていた。
獅堂は無言で顔を上げる。
「……俺、恐かったんです……正直言うと、自分の造ったもんが……戦争で、人殺しの道具として使われるのが、ただ恐かった」
「…………」
「それで、逃げたんす……フューチャーの開発チームから」
「そっか、」
獅堂は、言葉をとぎれさせ、そして、思い出していた。
かつて――オデッセイで、嵐が言っていた言葉。
僕らが作り出した武器が、戦場で沢山の人を殺している。……この罪は――本当に許される時がくるのだろうか、と。
罪の重さを意識しながら、それでも逃げず、嵐は、新型戦闘機の開発に携わっていた。楓もまた、中国で――戦争の道具を作り続けていた。
二人はその時、どんな思いを抱いていたのだろう。
確かな志を持つ嵐はともかく、楓は――あれほど繊細で、そして心優しい男だったのに。
獅堂が黙っていると、滝沢は静かな口調で続けた。
「獅堂さんがなんと言おうと、あの時代、わずかな人たちをのぞいて、殆んどの人が逃げていたんだと思います。……人という種が滅亡するかもしれないという、冗談みたいな現実から」
「…………」
「台湾有事の時、……俺らは、一体何をしたんでしょう?あの闘いで何を学んで、何を身につけたんでしょう?あの奇跡を、ただの偶然としか捉えられない傲慢さって――なんなんでしょう?」
「…………」
「結局俺たちは、何も、身につけてないんです、何もね」
少し苛立ったような声だった。
「だから、自分たちを超える力を持つ存在を畏怖し、排除しようとしたんです。閉じ込めて、封印しようとしたんです。それは――種の生存本能のようなものだから、仕方ないのかもしれませんけど、でも」
「人間だよ、真宮も……嵐も、」
獅堂は呟いた。
ただの、どこにでもいる――ごくごく普通の人間なんだ。あの2人は…
「そうです、人間なんです」
肩にかけられた男の手に、力がはいっている。
「獅堂さん、俺は、……人はもっと強くならなきゃ駄目なんだと思う。あの2人の、異種の力を受け入れられるくらい強くならなきゃ、」
「………」
―――強く……なる。
獅堂は、滝沢の言葉の意味を、胸の中で繰り返した。
「だから、俺、嵐さんと楓さんには、あのまま地上に残ってもらいたかった。――彼らを追放してしまった俺ら人類に……この先、進歩なんてあるわけないから」
「…………」
「共存を受け入れることが、本当の進化だと思うから」
―――嵐の……おやじさんが説いた学説か。
と、獅堂は思った。
共存的進化論。
異種の者どうしが共存し、互いに影響を受け合うことで――細胞レベルで、人が少しずつ進化していくという学説。
「お前……だから、あの二人にこだわってたのか」
「…………そうっす」
どこか、寂しげな声だった。
そう言った滝沢が、再び車椅子を押して歩き始める。
「……あの二人の存在を、人が受け入れられるような世の中になれば、それが、……人類が次のステージにシフトする、本当の第一歩だと思ってたんです、俺」
声に、悔しさが滲んでいる。
やがて滝沢は、ふっと疲れたように息を吐いた。
「ただ、今度ばかりは俺も反省しましたよ。俺、獅堂さんのことを、ベクターと人類の掛け橋みたいなもんだと思ってたから、」
そんな気はなかったけど、利用してたのかもしれません。
そう言って、微かに笑う気配。
「獅堂さんには、獅堂さんの人生があるのにね――気づいてましたか、さっきから楓さんのこと……前みたいに、楓って呼んでないし」
「………」
獅堂は、それには答えなかった。
もう、二度とその名では呼ばないつもりだった。
忘れたいとか、未練を断ち切るとか、――そんな理由ではなく、他の人と生きると決めた心のけじめとして。
夢の中で――暗示のように、獅堂さん、と呼んでくれたかつての恋人。
その面影が、ふとよぎって、儚く消える。
二人を……受け入れられる、世界。
今の時点では、それは理想だ。でも、―――でも不可能なことじゃない。だとしたら――。もし、いつの日か、楓が帰って来られるのなら。
「…………」
獅堂は首を振った。
――……もう、過ぎたことだ。
答えは、とっくに出ているような気がした。でも、それを上手く言葉に出来なかった。
七
「これが、今朝、千歳から転送されてきた、問題の音声データです」
降矢龍一は、そう言って、パソコンのキーボードを叩いた。
「どうも最近のNAVIの動きは、おかしな点が多くて」
骨太の指が、器用にキーボードの上を踊っている。
背後に立ったままの右京は、無言でそれを見つめていた。
オデッセイ内にある、特務室内、狭い部屋の中には、右京と降矢の二人だけだった。
「NAVIに関しては、本庁でも密かにマークしていたんです。獅堂と鷹宮が入院しているメディカルセンターにも、情報提供者を潜入させています」
「……それで?」
右京は腕を組んだまま、眉を寄せる。
事故の報告のため、本庁に出向いていた降矢龍一が、緊急に報告したいことがあると言って戻って来たのが、一時間前のことだった。
部屋に、2人しかいないのは、男がそれを望んだからだ。
降矢の表情は、最初から異様に緊張していた。
「あの海域で戦闘に巻き込まれるおそれがあるのに、それでも探索機を強行突破させた。……レオナルド会長の真意は、どこにあったと思います?」
「……レオナルド会長にとっても、青い光というのは、非常な関心ごとだから、だろう」
「確かにそうです。そして結局、その探索機が、鷹宮と獅堂を救出した……皮肉なものですがね」
降矢はそう言い、初めて顔を上げて苦笑した。
「フューチャー各機、ディスカバリー、スカイキャリア……空自が誇る最新鋭の航空機は、完全に敵機に足止めされていた。―――もし、偶然探索機があの2人の上空を通過しなければ」
そして男は、探るような目で右京を見上げてきた。
「レスキューのプロでさえ断念した救出を、よく素人の探索機パイロットが成し得たと……そうは思いませんか?」
右京は横目で降矢を見る。
「素人ではないからだろう」
「……探索機は、最新型のフューチャー仕様で、救難ジャイロのような形態をしていたそうです。NAVIの連中は、探索のための通常航空機だと主張してますがね、端から、救難機を飛ばした疑いもある」
「……それで?」
右京は冷めた声で言った。
降矢龍一。
この男が、本庁電波部から、自分を監視するために派遣されたことはよく知っていた。なのに、先日の事件の折、明らかな虚偽内容で、防衛庁長官に攻撃許可を得たことを――。
この男は、まだどこにも報告してはいないらしい。
「しかも鷹宮と獅堂は、ただちにスイスにあるNAVI本拠地まで輸送されている。どうしてでしょう。確かにあそこの医療スタッフと施設は世界一だ。最新のフューチャーなら、数分分もあれば到着する――しかし、千歳基地は眼と鼻の先だったんですよ」
幸い、千歳基地の管制塔に、通信記録が残っていました。
降矢は続けた。
「管制官が現場海域への侵入を止めたにも係わらず、それを振り切っています。短いですが、探索機のパイロットの肉声を――聞いてください」
スクリーンの画面が切り替わり、ノイズと共に、聞き取りにくい英語が流れた。
「当日は、とにかく電波がいたるところで不安定でしたからね」
降矢が言い添えた。
管制官が、忙しい声で、旋回して退避するよう指示している。
それに対するパイロットの応答はない。
しかし、最後に一言。
"ノー、オーバー"
短く、簡潔な――低音。
右京は顔を上げた。その声に――間違いなく聞き覚えがあった。
八
夕焼けが、眼に沁みる程鮮明だった。
獅堂は、包帯の取れたばかりの両目に、その瞼に、そっと指先で触れてみた。
(――視力が完全に戻るまでは、もう少しかかりますね。)
そう言って微笑んでくれた、日系三世だという長身の医者。
一世代目のベクターで、死のウィルスにいったん犯されたものの、奇跡的に生き残った一人だという。
(――眼底に異常はないようです。念のため、一ヶ月後に予約を取って、もう一度診せにきて下さいね。)
そして、唐突に退院が決まった。
もう、病院側から連絡がいっているらしく、明日には、オデッセイから、迎えが来るという。
仕事には戻れる。しかし、しばらくはパイロットして勤務することは無理だろう。
「…………」
獅堂は、病室の窓のカーテンを閉めた。
包帯が取れてから、初めて、自分がいる場所が何処なのか正確に理解できていた。
NAVIのメディカルセンター。
獅堂の部屋は、その最上階で、いわゆるVIP専用ルームだった。
むろん個室で、一般病棟とは完全に隔離されている。清潔に磨き上げられた真っ白な壁、サンルーフ付きの中庭が、各個室のプライベートポーチとして備え付けられている。
病室、というより、ホテルのスィート並の豪華さ。
二十四時間体勢でスタッフが配備され、世界中から、どんな時間帯でも患者を受け入れているという。
金さえあれば。
「……つか、誰が、ここの金払うんだ?」
言っては悪いが、ものすごく高そうな気がする。
まさか、自分の給料からじゃないよな、そんな恐いことを考えながら、ひとり言を呟いてしまっていた。
身の丈に合わない豪華さに、眼が見えるようになってからというもの、居心地が悪くてしょうがない。
―――これも、レオ様の恩恵って、わけか……。
獅堂は、苦い気持ちで、金髪碧眼の美青年の顔を思い出していた。
多分、レオは、彼らしい皮肉をこめて、軍から来た二人を特別丁寧にもてなしているに違いない。
この病院の敷地内には、巨大な研究施設が隣接されており、レオは二日に一度は、その研究所に立ち寄っているという。
で、ついでのように、時々獅堂のいる病棟にも現れる、が、皮肉に満ちた冷たい眼は、暗に獅堂のことを責めているようにしか思えなかった。
多分――原因は、楓のことだろう。
「…………」
溜息を吐き、獅堂は立ち上がって、ベッドの端に引っ掛けていた上着を取った。
今朝、懇意になった看護士が教えてくれた。
ナースセンターを挟んだ病室に、ICUから出た鷹宮が移ってきたらしい。
鷹宮が、一時非常に危険な状況だったことも、その時に全て聞いた。
「…………」
扉を開けて、廊下に出る。
静かな廊下。明度を落とした照明が、ゆるやかに足元に陰を作っている。
―――自分が、傍にいる。
今まであの人がそうしてくれてきたように、これからは自分が。
鷹宮さんを、支えるんだ。
獅堂は鷹宮の病室に向かって歩き始めた。