四


 獅堂と椎名は各々の自機でもある、フューチャーXXのリーダー機。そして、滝沢が、XXを改良した偵察型戦闘機EXに乗り込んで、オデッセイを飛び立った。
 万が一に備え、青雲と白虎のメンバーに待機命令が下りていた。
 青雲とは、今はリーダーとなった相原が率いる若き精鋭チームであり、白虎とは、名波率いるエリートチームである。
 後方支援として、北條と大和にもまた、待機が任じられていた。
 が、彼等は、何の目的で――獅堂や椎名たちが、この悪天候の中オホーツク海にまで飛び、何を想定して援護を命じられたのか、そこまでは知らされていない。
 嵐と楓の件は、防衛庁内でのトップシークレット扱いとなっている。
 二人に関する調査と情報収集は、基本的には獅堂と、椎名、そして鷹宮を中心とした特務室プロジェクトチームの仕事となっているからだ。
 でも今は――鷹宮は、もういない。
 獅堂は、平行飛行している、滝沢のEXを横目で見つめる。
『じきに、目標ポイントに到着します』
 ヘルメットのヘッドフォン越しに、その滝沢の、緊張した声が届いた。
『獅堂、滝沢、高度を下げるぞ』
 前方を行く椎名の声も届く。
 その椎名も、もう直、退艦が決っている。
――― 1年か、
 獅堂は、視線を、灰色の空に向けながらそう思った。色んな事が、変ってしまったな、と思う。それは寂しくもあるが――仕方のないことだ。
 もう、あれから、1年が経つのだから。
 世界最速のマッハを誇るフューチャー機、それが、重い雲間を切り裂き、じょじょに高度を下げていく。
 獅堂は、意識を操縦桿に集中させた。
『台風が、現場海域に接近している』
 オデッセイのオペレーションルームから、指揮を取っている右京の声が届いた。
『高波が発生している。あまり高度を下げるな、現場の状況しだいでは、椎名の判断で帰艦しろ』
「了解」
「了解」
 獅堂と椎名が同時に答える。
 雲を抜けると、地上は豪雨に包まれていた。強風と、重たく垂れた雲間に光る雷。
『……最悪のフライトだな』
 独り言のような、椎名の呟きが聞こえてきた。
 ジェット・エンジンであれば、まともにアプローチすることすら難しかっただろう。しかしこの程度の強風なら、フューチャーであれば、通常飛行は充分に可能だ。
「あれか」
 獅堂は呟いた。トリガーを握る自分の掌に、うっすらと汗が滲んでいた。
 眼下の海面。北海道沖、オホーツク海上空である。
 真っ白な流氷が、雨と高波にさらされてうねっている。
 黒ずんだ液体のような海の色。
 昨日、この近海をフライトした時、あれほど穏やかだった海は、今は生き物のように荒れ狂い、容赦なく波を押し上げ、天に飛沫を撒き散らしている。
 その――黒い水面の奥に、仄かに光る発光体。
 半径十メートル前後の、巨大なブルーの光の球。
「滝沢、大丈夫か」
『これ以上、近づけません!』
 悲鳴にも似た滝沢の声が弾ける。
 獅堂は少し不安になった。
 まだ――フライト経験の浅い滝沢に、単独飛行で、この天候はきつすぎる。
 速度を考え、各自フューチャーで発艦したが、やはり三人乗りの偵察機を使えばよかったのかもしれない。
「椎名さん、自分が行きます。滝沢、採取したデータを転送するから、お前は高度を保って、上空で待機していろ」
 獅堂は、ゆっくりと旋回し、自機の高度を慎重に下げた。
 いくら最新鋭のフューチャーとはいえ、横殴りの高波に飲み込まれたらひとたまりもない。
 光を呑んだ海面上空に極力近づき、空気中に発散された成分を採取、残留エネルギーを観測する。その間にも、機体に取り付けてある赤外線多重カメラ、電子探知機が自動的に作動している。
 滝沢には、絶対に無理なテクニックを要する作業。
『待てっ獅堂!』
 椎名の声。
 その、異常に緊張した声音に、獅堂は、操縦桿を持つ手を止めていた。
『後方上空――正体不明機、』
 通信が、そこで途絶えた。
 獅堂はヘッドフォンの位置を直した、が、聞こえてくるのは、耳ざわりなノイズだけである。
「……椎名さん?――椎名さん!」
 叫んでみても、返事はない。
 正体不明機――?
 動揺を抑え、ヘッドアップディスプレイを目視する。
 この事態を、想定していないわけではなかった。真宮兄弟の行方は、今や、世界各国の最大の関心事だ。情報が漏れてしまえば、この海域に、どの国の戦闘機が飛来しても不思議はない。
―――しかし、早すぎる。光が観測されて、まだ30分も経っていないが……。
 混乱しつつも、獅堂は、ディスプレイに映るマークを確認した。
 ディスプレイには、接近する機体を示すマークはない。いや、味方機を示すマークさえない……?
「椎名さん、滝沢、応答してくれ!」
 獅堂はリップマイクを引き寄せ、声を張り上げた。頭上にいるはずの二機からは、応答がない。
―――妨害電波だ。
 すぐに、状況が理解できた。
 即座に計器類をチェックする。レーダーも、通信回線も使い物にならなくなっている。
 おそらく椎名機も、そしてEXの滝沢も、それぞれパニックに陥っているはずだ。
―――滝沢……
 椎名なら、乗り切れるハプニング。しかし――滝沢はどうだろうか。
 頼れるものは、目視しかない。獅堂は、ゆっくりと機体を上昇させた。
 黒ずんだ空に、急速に形を変えて接近してくる飛行体が――すぐに視野に入ってきた。目視できるものだけで、五機。
 この距離で、機体の形までは確認できないが、椎名が最後に叫んだ言葉からみて、同僚機とは考えにくかった。
 五機は旋回しながら、フォーメーションを整えていく。前後左右から、獅堂たち三機を取り囲む態勢は、明らかな攻撃意図を意味していた。
―――しまった。
 獅堂は唇をきつく噛む。
 じわっと滲んだ冷や汗が、額に浮かぶのが自分でも判った。
 ここで先制攻撃など、無論できない。それが、航空自衛隊、いや、日本の自衛隊の鉄則だからである。取るべき手段はひとつ――この海域をいったん離脱して、応援部隊とともに態勢を整え、侵犯機を千歳に緊急着陸させるしかない。
 修羅場に慣れた、自分と椎名だけなら、離脱して――振り切って、切り抜けられる。
 世界最速で空を飛ぶ戦闘機。それがフューチャーだからである。
 でも、滝沢には無理だろう。相手は五機だ。おそらく、一機だけ逃げ切れずに取り残される。
―――どう、すべきか。
 獅堂は迷うような気持ちで考えた。
 正体不明機の目的はなんだろう。たんなる偵察なら、離脱は容易だが、このフォーメーションが脅しではなく、本気で攻撃してくるためのものだったら――。
 滝沢のEXを誘導しようとすれば、その間に、正体不明機が離脱困難なポイントまで接近してくる。
 今、獅堂たちの三機は、海面ぎりぎりの低空を超低速で飛び続けている。もし、ここで戦闘ステージに突入したら。
 互いに前方、後方をカバーし合わなければ、再び上昇することすら難しい状況になり、三機とも、撃墜される。
 いや、それ以前に。
 八方塞がりの状況に、獅堂は軽く舌打した。
 滝沢が、まず、やられる。


               五


「椎名、獅堂、滝沢、三名の交信が途絶えました」
 オペレーターの緊迫した声が、オペレーションルームに響き渡った。
「現場海域に、異常電波発生、レーダー補足も不可能です」
「発信源は」
 降矢隆一は、ヘッドフォンに耳を当てながら、画面に釘付けになっている若い女性オペレーターに声を掛けた。
「例の、海中の青い発光体周辺が、その発信源かと思われます」
「……なるほど」
 降矢は呟き、背後に立つ指揮官をちらっと見た。
―――判断の、ミスだな。
 そう思った。
 再任間もない女指揮官は、何を考えているのか、この異変に、眉ひとつ動かしてはいない。
「どうします、獅堂と椎名だけならともかく、素人が一人混じってますからね」
 だから、滝沢をチームに加えるのは反対だったんだ。
 そう思いながら、降矢は背後の人に声を掛けた。
 天才だかなんだかしらないが、国防に関してド素人のベクターに、何ができるというのだろう。
 この女にしても――所詮は警官あがりの素人だ。特殊能力を持ってるらしいが、所詮は――人口的に作られた天才で。
 しかも女だ。
 いざとなれば、あれこれ口実を弄して逃げ出すに決まっている。
 台湾有事最後の日、オデッセイから全乗員を撤退させた時のように。
「白虎と青雲を出しますか、それとも、千歳に応援を頼みます?まぁ、空自のエースが二人もいて、恥の上塗りには変わりないですがね」
 その時、正面のディスプレイが瞬き、緊急回線音が響いた。
 降矢は急いで回線を開いた。
『こちら、北部航空方面隊司令部第三航空団、オデッセイ警戒管制団に向け、緊急連絡』
「なんだ」
 型どおりのあいさつに、苛立ちを押さえながら、降矢は答える。
 第三航空団―――三沢基地。日本各地に配備されたアラート基地のひとつである。オデッセイと同じく、24時間体制で領空侵犯機の対応に当たっている。
 オデッセイは、全てのアラート基地の頂点に位置し、万が一、各基地が領空侵犯機を見失ったら、即座にオデッセイに連絡が入る仕組みになっていた。
 鳴り響いた緊急回線音は、まさにそれを意味していたが、なんだってこんな時に……と、降矢は舌打でもしたいような気持ちだった。
『つい先ほど、レーダー・サイトからスクランブル発令。ポイント4550の防空識別圏を、国籍不明機、5機が突破』
―――ポイント4550?
 愕然として、降矢は、小さく呟いた。
 獅堂たち三人が消息を断った海域に極めて高い。一直線に繋がる空路だ。 
『当基地ではアラート部隊を発進させましたが、超低空飛行でレーダー網を突破され、振り切られました。現在飛行ポイントを捜索中、何かあれば、指示願います』
 オペレーターが、すぐにポイントを映像にしてディスプレイに転送する。
「例の……青い光が出現した場所に向かっていると、見るべきでしょうね」
 降矢はその位置を確認し、舌打しながら、いまだ沈黙を守っている右京に聞いた。
「……最悪のシナリオですよ、どうしましょう」
「室長、NAVIのレオ会長から、緊急飛行許可の要求が入っています!」
 その声に被さるように、再びオペレーターの声が響いた。
「青い光が発生した現場海域に、探索機を向かわせたそうです、許可しますか」
―――はぁ?
 思わず降矢の口から声が漏れた。――全く、どこで情報を得ているのか、最近のNAVIの動きは予測がつかない。
「領空域飛行許可は認める。機種と所属を各基地管制隊に連絡して、スクランブル対象から解除。ただし、現場は戦闘ステージに突入するおそれがある」
 が、きっばりとした口調で、初めて口を開いたのは右京だった。 
 降矢は唖然として、開いた口を閉じることさえ忘れていた。
―――な、何を考えてるんだ、この女?
「現場海域への接近については、千歳基地の指示を仰ぐよう伝えろ。千歳へは状況に応じてこちらから指示する。降矢、青雲、白虎に発進命令を出せ」
「了解しました」
 気を取り直し、降矢はヘッドフォンを付け直した。
 そう、これが俺の仕事だ。なにが起ころうと、全ての責任は、この女が取ればいい。
 そう割り切りながら、降矢は待機所の回線を開く。
 右京は続けた。
「それから防衛庁長官に、大至急、緊急回線を」
 発進命令を出し終えた降矢は、さすがに、ぎょっとして顔を上げていた。
「室長、まさか、攻撃の許可を取る気じゃないですよね」
「それがどうした」
「どうしたって……」
 降矢は、ますます困惑した。
「まだ、現場では、なんら危機的状況は起きてないんですよ、早すぎますよ、相手は、ただの偵察隊でしょう」
 右京は振り返らずに答えた。
「接近しているのは、ほぼ間違いなく、EURの戦闘機だ。相手が攻撃に移ったら、ただちに三機が攻撃態勢を取れるよう、許可を得ておく必要がある」
「しかし、……現場への回線は途絶えてます、危機的状況かどうかなんて、誰も判断できないでしょう。青雲か、白虎の報告を待つべきです」
「現場での攻撃はパイロットの判断で決まる。攻撃許可は、あくまで形式だ」
「………」
「椎名も獅堂も実戦を経験している、私の指示がなくとも、的確な判断ができるだろう」
 ブラフだ、と降矢は即時に判断した。
 この女は――今だ起こらない危機的状況を、確実に起こりうるものとして、長官に報告するつもりなのだ。
 縦割り社会の自衛隊、所詮は男社会である。誰もが、新任の女指揮官の失敗を、手ぐすねを引いて待っている。
 防衛庁長官に、戦闘機の攻撃許可命令を得るというのは――実のところ、後日、間違っていましたと謝ってすむような問題ではない。なぜなら、国家の緊急事態であるこの許可命令は、必ずマスコミに公表しなければならないからである。
 騒ぎだけ起こして、それが指揮官の勘違い、早合点だと判れば――ただではすまない。間違いなく、引責問題に発展する。
「……知りませんでしたよ、意外に愚直な方ですね、あなたも」
 降矢は、苦い思いで呟いた。
 この場合、頭のいい指揮官が取るべき方法はひとつだ。
 現場のパイロットに、全ての判断と――責任を託すのである。
 そうすれば、国防の鉄則に背いて攻撃したことは、あくまでパイロット個人の責任となる。
「高い確率で、現場は戦闘ステージになる。別に誤まったことをしているわけではない」
「……どえらい自信ですね。言っときますが、まだ国籍不明機が確認されて、現場のパイロットと音信不通になってるだけですよ」
「…………」
「これが外れたら、あなたも私もクビですがね」
 降矢は、さすがに皮肉さえ出ないままに呟いた。
「私に従えないなら、退室してもらって結構だ」
 右京の声は、冷静なままだった。
「形式上の許可がなければ、防衛のための攻撃すら許されない、それが日本の自衛隊の現実だ。実際に攻撃されてから長官に許可を得る――そんな、くだらないルールを忠実に守って、大切なパイロットをむざむざ潰すわけにはいかないだろう」


               六


 どこかで、子供が、泣いているような気がした。
―――おかしいな、寝かしつけたばかりなのに………。
 夢うつつで、椎名理沙は薄目を開けた。
 すぐに視界に映る、すやすやと規則正しい寝息を立てる薄桃色の肌。柔らかな、甘い匂い。
「…………」
 目を細め、半身を起こすと、そっと、幼子の額に浮かんだ汗の粒をぬぐってやる。
 そして、ふと不安にかられた。
 確かに、子供の泣き声を聞いた。
 静まり返った昼下がりの官舎。時計の響く音、そして冷蔵庫のモーター音以外、部屋の中は異様に静まり返っている。
 夢………?
 今、こうしているのは、現実なのか、夢なのか、ふいにその見境がつかなくなる。
 遊びつかれた子供を布団に寝かしつけ、歌を歌いながら添い寝してやったのは……どのくらい前だったのだろう。
 突然、耳障りなブザーが響いた。
 理沙は、弾かれたように立ち上がった。
 官舎が隣接している入間基地から、官舎中に響き渡る大きな音。長く、五秒感覚で、二回、三回、四回、
 自分の身体が、どんどん冷たくなって、目眩のような感覚が起こる。
―――五回、六回。
 そこで、ブザーが止まる。
 六回。
 理沙は、もう一度、そのブザーの回数を頭の中で反芻した。
 一回、二回、三回……。
 確かに、六回。
 オデッセイのパイロットが、墜落事故に巻き込まれたという、合図。
 航空自衛隊パイロット専用の官舎に、理沙は夫と共に住んでいた。基地に在駐している夫を持つ、妻子だけが主に生活している空間。
 基地のパイロットが、万が一危難に巻き込まれた時、基地内には警報にも似たブザーが鳴らされる。その回数で、どの基地で事故が起きたかわかるようになっている。
 そして――。
 理沙は、早鐘のように鳴り響く心臓を押さえながら、乾いた唇を強く噛んだ。
 そして、誰かの部屋の電話が鳴る。
 部屋の主の、墜落――確実な死を告げる電話が。
―――大丈夫……。
 理沙は自分に言い聞かせた。
 今日、あの人は、フライトは午前中だけだと言っていた。大丈夫、大丈夫。
 足元で、子供は、すこやかな――規則正しい寝息を立てている。
(――もう直だな。お前らとずっと一緒にいられるのも。)
 そう言って、この子を抱き上げ、頬を寄せてくれた夫。あれはもう、二週間以上も前になる。
 理沙は知っている。
 夫のフライトスーツの胸ポケット。事故に備えた射出脱出後の交通費――エマージェンシーマネーと呼ばれるお金と一緒に、自分と子供を映した一枚の写真が、いつも収められていることを。
(――空にいて、地上のことを考えるようになったら、パイロットしては終わりだよ。)
 退艦の理由を、そう言って説明してくれた夫の笑顔。でも知っている。断腸の思いでそれを決断したことを、人知れず悩み、苦しんでいた事を。
 あの人は、空にいるのが一番輝いていられる人。判っている――。
 判っていて、それでも次の瞬間泣き出してしまっていた。押さえていたものが一気に吹き出して、止まらなかった。
 昔から、死と隣あわせのミッションを苦にもしない人だった。安い命だとののしったこともあった。その頃から、優しい面差しと、暗い影をまとった横顔に惹かれていたのかもしれない。
 いつだって、不安にならない夜はない。
 会える度に、見送る度に、これが最後になるのではないかとの焦燥に、いつも駆られる。
 電話のベルが、鳴った。
 一瞬、それが隣のものであればいいと思った。
「――…………」
 悪夢を見ているような思いで、理沙はふらふらとリビングに向かって歩き出した。
 受話器に手をかけると、冷たさが骨まで沁みた気がした。
 耳に当てたそれから、事務的な声が流れ出す。
『奥さん、誠に残念ですが――』
 視界が揺れる、ぐるぐると回る。理沙は両手で耳塞いで悲鳴を上げた。上げて――。
 子供の泣き声。
 泣いている、どこで……?どうして?私は……。
「…………っ」
 唐突な覚醒だった。
 汗が、全身を濡らしている。
―――夢…? 
 理沙は、吐き気さえ催しながら、敷布団の上から半身を起こした。
 外からは、公園で遊ぶ子供たちの歓声、そして、隣で寝ている愛し子の泣き声。部屋は嘘のように薄暗く、窓から差し込む夕闇が、長い影を作っている。
 今のが……夢……?
 ふいに、火がついたように泣き出す子供。手足をばたつかせ、必死で母親を探している。
「ああ、よしよし。泣かないで」
 理沙は慌てて、ようやく現実に立ち返っていた。
「ごめんね、ごめんね」
 泣きやもうとしない子供を抱きながら、今しがた見た悪夢を、背筋が凍るような思いで振り返る。
―――どうして……あんな不吉な夢を……。
 時計を見上げる。
 午後、五時十五分。
 恭介の身に、何か起きたのでなければいいけれど……。 
 理沙は、微かに眉をしかめた。
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