二


「納得できませんよ」
 滝沢は、頬を膨らまして、脱いだ上着を、投げるようにラックにしまいこんだ。
 オデッセイの、パイロット専用シャワールーム。
 フライトを終えたパイロットたちが、身体に染み付いた疲れを洗い落とす場所である。
 その更衣室で、滝沢はやりきれない怒りを、一緒にいた椎名にぶつけていた。
「獅堂さんは薄情だ。あの人が待たないで、一体誰が、楓さんを待っててあげるって言うんです」
「お前は…」
 椎名は苦笑し、滝沢の頭を拳で叩いた。
 軽くだが、滝沢は大げさに顔をしかめる。
「いってぇ」
「獅堂の気持ちなんて、考えたことないだろ」
「考えてますよ。だってまだ、あの人は」
「それ以上、言うな」
 椎名は、自分も上着を脱ぎ、丁寧にたたんでラックに入れた。
「確かに、あいつはまだ過去を忘れてはいない。でもな」
「でもなんすか」
 即座に返ってくるふてくされた声。椎名は再度、その頭をごん、と叩いた。
「真宮楓が帰ってくる可能性なんて、最初からないんだよ」
「室長にも言われましたよ。今朝、同じことを」
 滝沢は、憮然とした顔で呟きながら、やはり大げさに叩かれた頭をさすった。
「どうして大人の思考って、皆似たような結論にまとまっちゃうのかな、室長だけは他の人とは違うと思ってたのに、がっかりだよ」
「真宮楓が、……万が一帰ってきたとして、それで幸せになれるわけじゃない」
 椎名は苦い口調で言った。
「――……また、同じことの繰り返しだ」
「人類には、まだ、あの巨大な力を受け入れることが出来ない、ってわけですか」
 冷めた口調で、滝沢が答える。その目が、少しだけ真剣になっている。
 椎名は静かに頷いた。
「真宮兄弟にもそれは判っていたと思う。だからあいつらは、地上を捨てたんだ。例え、万が一宇宙空間で――いまだ、二人が生き延びていたとしても、もう……戻ってはこない、来れないだろ」
―――いや……。
 椎名は自分の言った言葉の滑稽さに、苦笑して首を振る。
 そもそも、宇宙空間で二人がいまだに生存していると思うこと自体、夢物語なのかもしれない。
 真宮兄弟は死んだ。彼らが、この地上で生存していた全ての証は、遺伝子レベルで抹消された。
 もう――可能性は、ない。
 滝沢は少しの間黙り、そして、乱暴にシャツを脱ぎ捨てた。
「ああ、やだやだ、頭の悪い人と話すのは、これだから嫌なんだ」
「なんだって?」
 滝沢はロッカーを乱暴に開けると、バスタオルを取り出して、椎名に投げた。
「俺に言わせれば、正体不明の青い光が現れたことが、なによりの証拠なんだ。どうして青い光だったんです?赤い光ではなくて」
「それは……」
 自然現象ではない以上、何かの意思を持って、あの場所に導かれたもの。
「嵐さんと楓さんは人間なんだ、椎名さん。彼を受け入れることのできない僕たち人類って、何なんですか?」
「お前の理想は判る、でも」
「理想なんかじゃない、そんなんじゃないです」
 滝沢は首を振った。
「ああ、もう、上手く説明できないな。頭ではちゃんと、見えているのに!」
 苛々と、ざんばらに伸びた茶髪を、かきむしる。
 椎名は、目の前でわめいている年若い青年を、唖然としたまま見下ろした。
「異質な力と共存できない人類に、未来なんかない。僕はそう思ってます。だから僕は――絶対、どんな手段を使ってでも、あの二人を地上に呼び戻す」
「…………」
 椎名は無言で滝沢を見つめた。
 まっすぐな熱意と、そして、諦める事を知らない理想。
 かつて、椎名にもそんな時期があった。まだ若くて、自分の腕に、思いもよらない障害が起こるとは――夢にも思っていなかった頃。
 椎名は軽くため息をつき、滝沢の背中を軽く叩いた。
「無理だよ」
 そして、自身に自問した。
 自分たちに、何ができる?
 人類の意思という、目に見えない巨大な集合体が――あの二人の力を拒んでいる限り、何が。
「早くシャワーを浴びちまえ、今日の探査結果の報告、任せたからな」
 椎名は滝沢に背を向けた。
「判ってないのは、あんたたちだよ……」
 椎名の背中を見送りながら、滝沢は呟いた。
「真宮楓を呼び戻す方法なんて、子供でも判る簡単なことじゃないか。それがあの青い光なのに……」 


                三


「支えというのは、あれですか」
 鷹宮が、――近づいてくる。獅堂は身を硬くした。
「破談になった婚約者の代わりに、あなたが私と結婚して、死に水をとってくれるということですか」
「……そういう、意味じゃないです」
「では、どういう意味ですか」
 大きな影に覆われた時、体格の差を改めて感じた。肩も、胸も、腕も大きい。
 本気になれば簡単にねじふせられてしまうだろう。――初めて、この腕に抱かれた時が、そうだったように。
「一緒に……生きたいっていう意味です」
 うつむいたままで、獅堂は小さく呟いた。
「一緒に……いたいって意味です」
「…………」
 鷹宮の、冷たい指が頬に触れた。
 顔立ちも身体も、まるで西洋貴族のようにスマートなのに、指だけが……そのイメージを裏切って、ひどく無骨で、男らしい。
 戦いつづけてきた男の指……。
 獅堂はふと、目をすがめた。自分は――もしかして、ずっと、この指を見つめていたのかもしれないと、そんなことを思っていた。
 顎を捕らえられ、そのまま顔を引き寄せられる。
 逆光で、鷹宮の表情は読めないまま、影に覆われた顔が、唇が、寄せられる。
 けれど、やはりそこで――鷹宮の動きは止まった。
「……今日のあなたは、本当にどうかしていますよ」
 溜息のような声がして、身体が離れ、広い背中が向けられた。
「そんなあなたをからかっても、面白くもなんともない」
「鷹宮さん、自分は」
「安い同情ならお断りです。言っておきますが、病気になったのはあなたのせいじゃない、あれは職務上の事故で、あなた個人とはなんの関係もない」
 突き放すような声だった。
「だから嫌だったんだ、聞けば必ず、そんなおせっかいを言われそうな気がしてましたよ、椎名さんも余計なことを」
「鷹宮さん、」
 ようやく鷹宮が一息ついた。
 その背中に、言い過ぎたことを悔いるような色が滲む。
「……あなたの無理も優しさも、かえって残酷なだけだとは思いませんか」
 溜息と共に、憔悴した声がする。獅堂は激しく首を振った。
「無理じゃない、そんなんじゃないんです」
「ては、あなたは」
 鷹宮は、少し苛立ったように振り返った。
「楓君を忘れられないまま、私の傍にいるつもりですか」
「………」
「それとも、忘れることができるとでも言うんですか」
 忘れる――?
「……それは」
 獅堂はうつむき、そのまま自分に自問した。
 もう待たない、それは確かに、きっぱりと決めた。
 でも、忘れることができるだろうか。いや、忘れることなんて。
「……できない、いや、忘れるつもりは……ないんです」
 顔を上げ、迷いながらもそう言った。
 忘れない、でも、だからといって過去に縛られる必要もない。
 過去は過去として、思い出として、見つめていたい。今、ここにいる場所から。
「自分は、あいつのことを、多分一生忘れない……。ずっと大切に、思っていきます。自分にとっては……本当に大事な」
「…………」
「……宝物みたいな、思い出だから」
 出会った日から、別れの日まで、楓の表情のひとつひとつ、交し合った笑顔のひとつひとつが鮮やかに蘇る。
 多分、自分の人生で―― 一番楽しく、そして激しく誰かを愛した日々。
「……そんな自分を――」
 これで、いいんだな、楓。
 言葉を繋ぎながら、獅堂は自分に言い聞かせていた。
―――お前も、自分の判断を……納得してくれるよな。
「鷹宮さんなら、受け入れてくれると……思ってます」
「……あなたは、一度私を拒否したのに」
「知ってます。自分の気持ちは、でもあの時と変わっていない」
「…………」
「じ……自分は多分、……今でも鷹宮さんが好きなんです……その……それが恋愛感情かといえば、すいません、今は……まだ、確かに自信がないんですが」
 さすがに紅潮して、獅堂はわずかに口調を濁した。
 嘘はつきたくない、でも、どう言えば、今の気持ちを上手く伝える事ができるのだろうか。
「ただ、今は傍にいたいんです。それは嘘じゃないし、……鷹宮さんが望むなら」
「…………」
「こ、恋人にだって、なれるんじゃないかと思います」
「…………」
「……す、すぐは無理で……時間は、ちょっと必要ですけど」
 鷹宮は振り返った。
 いつも喜怒哀楽を感じさせない顔が本気で戸惑い、それを隠そうともしていなかった。
「馬鹿な、ことを…」
 鷹宮は低く呟き、少し苦しげに眼を逸らした。
「私は……そんなに心の広い人間じゃありませんよ」
「鷹宮さん……」
「未来のあるあなたに、私のような人間はかえって足手まといです。それに、もう――」
 うつむいた横顔。
 鷹宮さん、獅堂は思った。
 この人を、今、自分のこの腕で、抱きしめて支えてあげたい。
「もう、私には、何もない……」
―――獅堂、翼は永遠じゃない。
 椎名の声が、どこかで聞こえたような気がした。
「私には、もう、……あなたを助けてあげることが……できない」
 獅堂は一歩、踏み出した
 鷹宮の背中。広くて――なのに、抱えきれない孤独を背負った背中。
 椎名の言葉を借りれば、それはきっと、翼を失ってしまった背中。
「……鷹宮さん、」
 その時。
 聞きなれた電子音が、右腕に装着している通信機から響いた。
 鷹宮は弾かれたように顔を上げ、獅堂は我に返って、回線を開き、応答した。
 電子音の種類で判る。相手は、即座の応答を欲している。
「こちら獅堂」
「獅堂さんっ、また、青い光が現れたんです!」
 興奮気味の滝沢の声は、鷹宮の耳にも入っているはずだった。
「なんだと……?」
「今度は日本領海内ですよ。現在、海中に青い光が残存したままになっているそうです。すぐに現場に飛べって、室長が」
「判った、すぐにそっちに行く」
 答えながら、頭の中は混乱していた。
 青い光が――また?
 レオナルド会長が分析したとおり、あれが、人為的に作られたイリュージョンなら、何のために、一体誰が――何の目的で……。
 迷いを振り切り、獅堂は顔を上げた。
 とにかく現場に飛ばなくてはならない。今、自分にできることは、それだけだ。
「鷹宮さん、行きます」
 獅堂は背筋を正し、敬礼してから、男に背を向けた。
「獅堂さん」
「はい?」
 場違いに優しい声だった、獅堂は戸惑ったまま振り返る。
 振り返って仰ぎ見た男は、不思議なくらい、優しい微笑を浮かべていた。
「あの……なんでしょう」
「いえ、呼んでみただけです」
「……は?」
 微かに首を傾け、からかうような笑みを浮かべる鷹宮。
 しかし、その目は笑ってはいない。
「気をつけて、何か、光の出現に――意思を持った人為的な匂いを感じます」
 やがて唇からも笑みを消し、鷹宮はそれだけ言って背を向けた。
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