何故、救うのか
何故、救われないのか
act3 鷹宮篤志
一
「……驚いたな、いつの間に」
何度か瞬きを繰り返し、鷹宮篤志は呟いた。
すっかり見慣れてしまったモノトーンの病室。
その風景を遮る、がっしりとした体躯の男。
小さな簡易チェアに腰掛けたままの男は、ゆっくりと頷いてから苦笑した。
「よく寝てたからな、しばらく寝顔をみさせてもらってたよ」
「いやだな、起こしてくれればよかったのに」
鷹宮も苦笑し、身体を起こそうとして、眉をしかめる。
二の腕から伸びた幾筋もの管に、今更のように気がついていた。
「いい、起きなくていい」
そう言って、椎名恭介は優しい眼になって立ち上がった。そして、ずれた掛布を掛け直してくれた。
「……随分いい顔してたよ、お前、何かいい夢でも見てたのか」
「随分……長い夢でしたけどね」
再び仰臥した鷹宮は、視線を宙に向けたまま、唇だけ動かして微笑した。
「最近、やたら昔のことを夢に見るんです。けっこうどうでもいいことまで、人は記憶しているものなんですねぇ」
「昔……か」
椎名は、ふっと眉をしかめた。
鷹宮のそれは、辛すぎる過去のはずだ。それを、椎名はよく知っている。その当時の夢であれば、鷹宮の顔に、今もうっすらと滲み出ている、悟りきったような穏やかさは何なのだろう。
椎名の疑問を感じとったのか、鷹宮は、静かに微笑した。
「……なんだか、このまま」
締め切った窓に風が吹きつけ、静かだった病室を、わずかに揺らした気がした。
「ようやく、楽になれる。そんな気がしたものですから」
二
駅構内の階段を下りながら、獅堂は滝沢が最後に言った言葉を反芻していた。
(――俺は、信じてます、光はきっと現れる。楓さんは、絶対に帰ってくるって)
楓が……帰ってくる……。
有り得ない。
それはもう――夢物語の領域だ。
獅堂は苦笑して首を振った。
楓は帰らない。
あくまで、人というカテゴリーで考えると、彼ら二人の兄弟がたどった末路は、悲劇以外のなにものでもない。
地上を捨てた瞬間から、人間の肉体としての二人は死んだのだ。
今――仮にどんな形で生き続けていようとも、人としての楓と嵐は死んだ。そう思うしかない。もう、二度と、帰ってはこない。
あの掌のぬくもりも、笑顔も、少し冷めた横顔も。
二度と、この手には戻らない。
「…………」
獅堂はふと、足を止めた。
階段の途中から見下ろす光景。
目の前には、休日の町並みが広がっている。
街路脇の、針葉樹に見覚えがあった。
いつかの夜、少し前かがみの姿勢で、その木の下に立っていた楓。
獅堂の姿を認めて、顔を上げ、すっと細めた綺麗な瞳。
あの夜は、確か椎名の結婚祝の帰りだった。この場所で待ち合わせて、夜の街を、肩を並べて二人で歩いた。
(―――お前さ……こんなものもらって、俺が本気で喜ぶとでも思ってるわけ?)
椎名から託された花を、捨てるに捨てられず手渡した時、思いっきり不機嫌そうにそう言って、それでも受け取ってくれたこと。
あの夜口づけた、唇の冷たさと、頬の熱さ。
まだ、覚えている。
まだ、忘れられない。
いや、忘れることなんて、
獅堂は眼を閉じた。
―――できないよ……楓。