五


 シャトル・バスを待つ間、滝沢に誘われるままに、獅堂は空港内の喫茶店に入った。
 本当は、すぐにでもタクシーを拾うつもりだったが、滝沢が、ピース・ライナーを降りた時から、何か言いたそうな素振りを見せていることに気がついたからだ。
 この軽薄そうな青年は、時々妙に深刻な表情を見せる時がある。
 そんな時――たいてい、嵐と楓の話になることを、獅堂はよく知っていた。
「楓さんのこと……」
 案の定、注文したコーヒーが目の前に置かれるや否や、滝沢はそう切り出してきた。
「もう、忘れちゃったわけじゃないですよね」
「………」
 獅堂は無言でコーヒーを口に運んだ。
 滝沢も同じようにコーヒーに口をつけ、慌ててカップを置くと、スティックシュガーを入れ始める。
「待っててあげてるんですよね、だから、巨人担当、引き受けたんですよね」
「忘れるとか、……待つとか、そういう感情とは、少し違うんだ、自分は」
 獅堂は呟いた。
 滝沢に言うというより、自分に言っているような気がした。
「あいつにとって、一番いい選択はなんだろうって、今でもそう思ってる。自分の傍にいることが、そうでなかったことも知っている。……だから、そういう意味で、別れたことに悔いはない」
 もう、滝沢は、あの事件の全てをデータとして知っているはずだ。
 鷹宮に変わって、特務室の"光の巨人"担当となったのだから。
 その滝沢が、どこか不安そうな目の色になる。
「じゃあ、……楓さんが帰って来るのを、待ってるわけじゃないんですか」
「待ってる……っていうのは、ちょっと違うかもしれないな」 
 そう言って獅堂は苦笑した。
 帰らない方が――戻らない方が、間違いなく楓のためのような――そんな気がするから。
 それに、どんな奇跡が起ころうと、もう――あの二人は、二度と地上には戻ってこないだろう。あの日から、すでに一年以上が過ぎている。二人の肉体に秘められた能力を獅堂が知る術もないが、常識で考えれば、絶望的な予測しか、そこにはない。
 プロジェクトの人数も、当初に比べれば随分減った。多分――誰もが、彼等が二度と現れないことを、薄々察しているに違いない。
「帰ってこない人を待つのは……辛いことですよね」
 滝沢は少しだけ眉をしかめて、泣いているような笑みを浮かべた。
「でも、俺は……待っていてあげて欲しいと、思ってますよ」
 獅堂は、視線だけあげて、少年の面立ちを色濃く残した男を見る。
「俺、あの二人を………人類の救世主、ヒーローだと信じてましたから」
「実際、そうだったと思うよ、自分も」
「…………」
 そして、その救世主の末路が、畏怖され、戦争の道具として利用されることだった――それがどうしようもない現実で、今の人類が置かれたレベルなのだろう。
「……俺、ずっと仕事もせずにぶらぶらしてて……本当は、自衛隊なんて、頭の悪い奴が入るとこだと思ってたんだけど」
「……そんなに、嵐のことが気になるか」
「……はい」
 滝沢は、オデッセイに上がってきた時からずっと、真宮嵐、真宮楓に興味を持っていることを隠そうとしなかった。
 当時、二人の話題は防衛庁内ではタブーのような状態になっていたにも関わらず、だ。
「オヤジが政府筋に顔利く人で、人事に強引に首つっこんでもらいました。……卑怯なやり方だとは思ったけど、NAVIに入るか防衛庁に入るか、あの二人が消えた真相を知るのは、それしかないと思ったから」
「NAVIの方が、お前の性にあってると思うがな」
「……嵐さんが……台湾有事の時、言ってたから」
 滝沢はうつむき、コーヒーカップを子供がするように指先で弄んだ。
「自分は、自分のできることを精一杯やってるだけだって、精一杯生きてりゃ、それで十分なんだって……俺、今でもその意味、上手く理解できないでいる」
「…………」
 獅堂は、あの――最後の日、姜劉青の城で聞いた、嵐の言葉を思い出していた。
―――人が生きるのに……それ以上の意味なんて、ない……。
 なんとなく、獅堂には、嵐が言いたかった意味が判る。
 けれど、それは、滝沢が――これからの人生の中で、自分で掴んでいくことだろうとも思う。
「……俺、それを知りたいと思ってる、だから嵐さんと同じ道を選んだのかもしれないっす」
 滝沢はそう言って、どこか寂しげに微笑した。
「……嵐さんと、楓さん。彼らが、この地上を捨てるまでの顛末を知って……、それ、確かに仕方ないことだと思うし、獅堂さんもそう思ってるみたいだけど」
「…………」
「よく判んないけど、何かが、違ってると思うんです。上手く言えないですけど、俺の……いや、俺ら人のしていることの、何かが」
―――何か……?
 獅堂は、眉を微かに寄せる。
「……それさえ理解できれば、こんな危険な仕事、いつだってやめますよ、俺」
 だって、デートもまともにできないし。
 そう言って、すこしいたずらっぽく、滝沢は笑った。
 獅堂は不思議な感慨を込めて、男の真摯な瞳を見返した。
 滝沢は一瞬眼を伏せ、それからすぐに、まっすぐに顔を上げた。
「俺はね、獅堂さんと楓さんの関係が、キーワードだと思ってるんです。だから、俺、信じてます、光はきっと現れる。楓さんは絶対に帰ってくるって」


                  六

                
「鷹宮さんに、僕が謝ってたって言っといてくださいね」
 別れ際、シャトル・バス乗り場まで一緒に歩きながら、滝沢はそう言って肩をすくめた。
「謝るって……?」 
「鷹宮さんの個人情報、総務のネットに無断アクセスして検索しちゃった。右京さんと降矢さんにバレちゃって、大目玉」
 と言いながらぺろっと舌を出す滝沢は、おそらく少しも悪びれていない。
 こういう無神経な無邪気さが、獅堂が滝沢を苦手としているところなのである。
「なんだって、そんな馬鹿な真似をしたんだ」
 個人情報――?思わず眉をしかめながらそう言うと、
「だって、気になるじゃないですか。鷹宮さんって、オデッセイに呼ばれた経歴からして超変り種でしょう?」
「別に……普通だろ」
 自分と同じ、航空自衛隊から選ばれて入艦した。
「違いますって。獅堂さんって本当に鈍いなぁ、それでも鷹宮さんの元恋人ですか?」
 あえて否定するのも馬鹿馬鹿しいので、獅堂は滝沢の次の言葉を待つ。
「全く候補にも上がっていなかった鷹宮さんを推薦したのは、元総理大臣で……ほら、亡くなられた、右京室長のお父さんなんですよ」
「…………」
 それは、全くの初耳だった。
 鷹宮とは、基本的に自分の身上は一切話そうとしない男だ。
「最初の仕事が、要撃戦闘機のテストパイロットでしょう?いくら鷹宮さんが優秀でも、出身はレスキューパイロットですからね。ちょっと意外な人事だとは思いませんか?」
「……ま、そう言われれば、確かに」
 有り得ない人事だと、そう言えば当時もひそかに噂されていた。
「まぁ、結局、人事の線からは、何も出てこなかったんですけど」
「お前さ、だからって個人情報のぞくか?普通」
 滝沢の話に引き込まれかけていた獅堂は、我にかえって少し厳しい口調で言った。
 いくら無邪気でもそれだけは許せない。犯罪と同じである。
「だって、関係あるかもしれないって思ったんですよ、……楓さんや嵐さんのことと、何か」
 むきになって言い返す滝沢の目が、また少し真剣になる。
 が、それはすぐに苦笑に変わった。
「でも、室長と鷹宮さんの接点調べてたら、結構意外なことが判っちゃっいました」
「じゃ、もう行くから」
 獅堂は背を向けかけた。
 これ以上、話を聞けば、獅堂自身が不正アクセスをしたも同然だ。仲間の秘密を、こんな形で知りたくはない。
 が、滝沢はしつこく言葉を繋ぐ。
「鷹宮さんのお父さん、元北海道消防、ハイパーレスキュー隊のエリートで、あっちじゃ有名なレスキュー隊員だったみたいです」
「だから、もういいって」
「知ってた方が、いいかもしれないですよ。……鷹宮さんのこと、理解したいと思うなら」
「…………?」
 そこで、言葉を切り、滝沢は少し、暗い顔つきになった。
 言おうかどうか逡巡している表情が、見て取れる。
 しかし獅堂が何か言いかける前に、男はふっきれたように顔をあげた。
「それが、オデッセイに推薦されたこととどう関係しているのか判りませんけど」
「…………」
「……昔、右京室長が水難事故に遭われて、鷹宮さんのお父さん、……室長を救うために、亡くなられたみたいですね」
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