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                  十一



「楓、心配したよ」
 屋上に、滝沢と共に駆けつけてきたのはレオだった。
 その楓、という呼び方に、なんだかあからさまなわざとらしさを感じて、獅堂は少しむっとする。
「スイートハニー、全く君は、いつもいつもフラフラ、フラフラ、頼むから僕の身にもなってくれ」
「悪いな、レオ」
 楓は、多分、辟易しながらその抱擁を受けている。
「こんな心配も、今日で最後にさせて欲しいものだけどね」
 そう言って、レオは横目で獅堂を見ると、挑発めいた笑みを浮かべた。
 獅堂は初めて、このクールな美貌を持つアメリカ人に、身近な親しみを覚えていた。
 レオは楓から身体を離し、その肩を心配そうに抱き寄せる。
「旅支度はすんだかい?ハニー、ドクターの診断は、どうだった?」
「そのことなんだけどな、レオ」
 その腕を引き離しつつ、楓は一瞬獅堂を見て、それから、言った。
「俺は、日本へは戻らないよ」
「楓……?」
「ここに、残ろうかと思ってる」
「…………」
 レオが、静かに眉をひそめる。
 獅堂は黙って、楓の次の言葉を待った。
 不思議なほど、驚きは何もなかった。
「俺、……ここでSPBの治療を手伝いたいんだ。嵐と、それからNAVIの仲間と……鷹宮さんを」
 少し顔を上げ、楓は笑った。
 わずかだが、きれいな八重歯が口元から見えた。
「一日でも早く目覚めさせてあげたい。だから俺は、ここに残る」
「……いや、それは」
 当惑しているのは、むしろレオの方だった。
 困ったように獅堂を見る。
「そりゃ、僕は嬉しいよ。君の頭脳はどんな分野にだって役に立つ。でも、獅堂さんは」
「自分なら、構いませんよ」
 獅堂は言った。
「こいつの言う通りだと思う。それは、自分の願いでもあります。早くみんなを、治してあげてください」
 獅堂さん、と滝沢が小声で責める声がする。
「なに、かっこつけてんですか」
「いや……」
 肘で小突かれ、逆に獅堂は戸惑った。
 それは自然な感情で、別に、かっこつけてるわけでも、無理しているわけでもない。
 やがて、レオは静かに苦笑した。
「OK、獅堂さん、じゃ、楓はしばらくお借りします。一日でも早く、嵐と鷹宮さんをSPBから出すことを約束しますよ。そうでなきゃ、君たち二人に本当のハッピーエンドはこない、そういうことなんですね」
「よろしくお願いします」
 獅堂は深く頭を下げた。

 まいったな。
 頷きながら、レオは……わずかばかりの苦い思いを噛みしめていた。
 もう、二人は離れていても大丈夫だ。
 心で――繋がってるって、そういうことなんだな。


「いくぞ、滝沢」
 獅堂は歩き出した。滝沢が慌てて追いすがってくる。
 背後から、感嘆したような声が聞こえた。
「獅堂さん、男っすねぇ」
「なんなんだ、それは」
 言いながら、獅堂は青空を見上げていた。
 鷹宮さん、自分は、生きていくよ。頑張るよ。
 あなたが目覚めた時、胸をはって。
 これが、自分たちが作った世界ですって、そう言えるように。
 だからもう、あなたのことは振り返らない。まっすぐに、未来を見つめて生きていく。
 生きていくから――。


























 獅堂藍 様







 これは、私の人生で、おそらく最初で最後に書くラブレターです。なのにもう、何を書くべきか判らなくなっています。




 あなたもすでにご承知だと思います。隆也・ガードナーは、間違いなく、一年前、地上を去っていった楓君です。弟でも、複製体でもない。正真正銘、あなたが愛した真宮楓君なのです。
 獅堂さん、あなたはおそらく、最初に彼と出会ってしまった時から、そのことに気づいていたのではないでしょうか。優しいあなたは、私を思いやって、楓君を、無意識に否定し続けていたのでしょうね。


 私が彼を初めて見たのも、あなたと同じ場所でした。
 すでに右京さんから、その存在は知らされていましたが、自分の目で確かめた時、私も一目で確信しました。
 獅堂さん、人の認識は、特徴で決るのではないのですよ。
 例えあなたが髪を染めようと、カラーコンタクトをしようと、それがあなたなら、私は一目で、どこにいてもそれがあなたと見抜くでしょう。
 あなたの持つ、独特の雰囲気。癖、喋り方、姿勢、それさえ変わらなければ、どんなに外見が変わっていても、すぐに本人であると識別できるものなのです。
 隆也君の持つ雰囲気は、紛れも無く真宮楓その人のものでした。
 どんなに外見を変えても変えようの無いもの。過去、楓君をよく知っている者なら、多分すぐにそれとわかるのではないでしょうか。
 だから、逆に滝沢君には分らなかったのですね。彼は、特徴でしか楓君を認識していませんから。



 彼が本当に真宮楓なら。
 私のすべきことはひとつだけでした。
 あなたと楓君を再び一緒にしてあげること。
 それが、もうあなたを守れなくなった私が、最後に、あなたにしてあげられることだと思いました。





 そのために、私はなんとしても、真宮楓君に、彼自身を認識させなければならないと思いました。
 楓君をあのままそっとしておいてあげる――というのも、彼にとっては、ひとつのベターな選択肢ではありました。あなたもそう思ったはずです。記憶を失っているのなら、今が幸せなら、それでいいと。
 でも、私の考えは違いました。おそらく、右京さんも。
 楓君の居場所は、確かに今の世界にはないのかもしれない。
 でも、逃げて、逃げて、逃げた先に、一体何があるのでしょう。
 いつか、楓君自身が彼の運命に立ち向かわなければならない時がくる。それを乗り越えて、未来へ踏み出さなければらない時がくる。
 残念な事に、立ち向かった先に、安穏とした平和が待っている保証はありません。破れて、また一年前と同じことになるのかもしれない。でも、やってみなければ、その先に何が見えてくるのかは、誰にもわからないことでしょう?
 あなたが、無謀にも民間航空機でシュトラウスにつっこんでいったように、です。



 これはあなたへの想いとは別の問題として。
 隆也・ガードナーが真宮楓なら――調査課特務室としては、どうしても確かめなければならないことがありました。
 真宮嵐君の所在です。
 私は最初から、メディカルセンターのラボにその秘密があると思っていました。
 あのラボには、数年前から、巨額の費用をかけたコンピューター機器が大量に導入されており、何か大掛かりなプロジェクトが組まれていることは明らかでしたから。
 我々はまず、正攻法として、楓君に事情を聞ければと思いました。が、ご存知のとおり、彼は自身の認識さえできない状態でした。
 
 楓君は、かつて、姜劉青によって、その深層意識に絶対的な服従関係をすり込まれています。
 レオナルド会長は、地上に戻った楓君に催眠療法を施し、彼の記憶から、苦痛の過去と姜劉青の暗示を取り除こうとしたのです。
 過去の――記憶ごとすりかえたのが、レオナルド会長の独断だったのか、楓君自らの希望だったのか、それはわかりません。が、楓君も、それを望んだのではないかと私は思っています。
 理由は想像するしかありませんが、彼は、おそらく――もう二度と、あなたに会わない覚悟を現実にしたかったのではないでしょうか。彼のためではなく、あなたの……おそらく、楓君が信じたあなたの幸せのために。
 彼のそういう性格は、獅堂さん、あなたが一番よくご存知でしょうね。

 一度暗示にかけられた人間は、二度目もかかりやすいといいますが、楓君の場合、最初の催眠暗示がよほど強烈だったようです。
 時折、過去の忌わしい記憶が蘇って、楓君はひどく苦しんでいたといいます。
 あの青い光の事件で、あなたと私を嵐の海から救ったのは、NAVIの探索機でしたが、むろんあれは楓君一人で操縦していたものです。
 彼は――、信じられないことに戦闘ステージが展開されている空へ、管制塔の制止を振り切って、たった一人で突入していったそうです。 
 そう、おそらくあの刹那だけ、彼の記憶は強烈な催眠暗示から解き放たれていたのです。
 あれだけは、さしものレオナルド会長も、今でも全く理解できない現象だと言っておられました。


 あの事件を機に、楓君の存在が、姜劉青――ヨハネ・アルヒデド博士の知るところとなってしまったため、レオナルド会長は、楓君の催眠暗示をより強くすることを決意されました。幾重にも暗示をかけ、楓君自身が二度と暴走しないようにしたのです。
 ただ、レオナルド会長は――ここが、彼のひどくロマンティックで、心優しいところなのですが、ひとつの救いを、そこに仕掛けていたのですよ。

 今、ここに記したことは、なにもかも後日会長から教えてもらったことです。無論、当時の私たちには、真相は何も判らなかった。
 とにかく、動かない証拠を掴むため、私たちは隆也・ガードナーの過去を徹底的に調査しました。
 結果は惨敗でした。なにひとつ矛盾も、齟齬もない。完璧な過去が用意されていました。レオナルド会長の――見事としかいいようのない手腕でした。
 が、完璧な理論にも、たったひとつの、そして防ぎようのない穴がある。
 それがDNA鑑定です。
 無論、本人に無許可ではできません、が、いくら当人が拒否しようと、それは、隆也君の髪の毛一本で簡単に照合できるものなのです。実際、私は彼の毛髪を入手し、それは警視庁を通じて鑑定している最中でした。
 が、その結果が出る前に、レオナルド会長は次の手を、……彼にとっては、最後のカードを切ってきました。
 つまり――隆也・ガードナーが、真宮楓のクローンであるという主張です。



 人のクローンは、ご存知のとおり、技術的には可能な手法です。
 しかし生体実験、臓器移植の手段として悪用され、国際的に問題となったため、国連に優生保護局が設立され、クローンと認定された者の人権が最大限守られるよう、あらゆる法律が用意されることになりました。
 レオナルド会長が、その設立と法整備に奔走されたのはご存知ですね。彼は――、それを最終手段として、なんとしてでも楓君を守れるように、事前に色々伏線を用意していたのです。
 中国共和党時代、実際、姜劉青は、クローン研究をしていたそうです。
 その事実を、レオナルド会長は最大限に利用して、あの、おおがかりな仕掛を作り上げた。
 その件には――後述しますが、嵐君も関わっていたのですよ。



 結局我々は、正攻法から嵐君の居所を探すのをあきらめざるを得ませんでした。
 そしてその時思いついたのが、一体どういう手段を使って楓君が――確かに一度大気圏外に消えた二人が、再びレオナルド会長の元に戻ってきたか、ということでした。

 なんらかの、連絡を――楓君か嵐君が、レオナルド会長にあててしていたはずなのです。それもおそらく、まだ地上にいる間に。
 もうお分かりでしょう。
 一年前のあの日、私たちが二人に助けられて沖縄の海岸に下ろされた時。チャンスは、あの時しかなかったはずなのです。
 嵐君の姿が、―――ほんの五分か十分程度でしたが、あなたと楓君が言葉を交わしている間に消えていますね。
 海岸沿いに、閉鎖された化学工場があったのをご記憶ではないですか。
 嵐君は、そこに行っていたのです。そしてわずかな間に、使われていないコンピューターを復旧させて、NAVIに連絡をとっていたのです。
 あの工場にあったコンピューターは、ハードを全て削除されて、中古品としてそっくりそのまま別の会社に譲り渡されていました。
 我々はそれをすべて買い上げ、古いデータを復旧して、嵐君が――レオナルド会長にあてて送信したメールを確認しました。
 それによると、いったん大気圏外に出た二人は、その三日後に南極に降り立つことになっていました。NASAの探査衛星が放ったカプセルが、その日に地上に降りてくる――おそらく、そのタイミングと軌道に合わせて。
 後は、NAVIが、彼らが地上に降りた痕跡を全て消し去ったのだと思います。それが、答えでした。
 楓君と、嵐君は、地上に戻っていたのです。もう、一年近く前からずっと。
 嵐君はともかく、楓君があなたの所へ戻ってこれなかったのは……。
 前述した通り、色々な意味があると思います。彼自身が決めて、決心したことだったのだと思います。
 ただ、それが彼の翻意ではなく、あなたのことを思ってのことだったというのは、私が説明するまでもないでしょう。
 彼はあの嵐の空に、自分の危険も省みずにとびこんでいきました。
 青い光は、彼を誘い出すための罠でした。その場に行くことが――それがどんなに危険なことか、知らないわけではないでしょうに。

 楓君は、今でも、いえ、記憶を消し去った後ですら、やはり獅堂さん、あなたのことが好きで、それもひどく、気の毒なくらいに。
 申し訳ないのですが、あの温室での会話は、私の病室に届くようになっていました。
 あなたたち二人の会話を聞いて、私は胸が痛くなるような感動を覚えました。
 獅堂さん、あなたには、楓君が絶対に必要なのだと。そして、楓君にもあなたが。
 そう確信しました。


 獅堂さん。
 レオナルド会長は、楓君に催眠暗示をかける際、ひとつだけキーワードを用意しておいたんです。
 それは、たった一言。
 その言葉は、魔法を解く鍵のように、楓君の封印された記憶を解いてくれるはずだったのです。
 それは、あなたの声です。言葉です。
 あなたが、たった一言。愛情を込めて彼の名前を呼べば、それが、彼の心のある感情に触れることができたなら、楓君は、すぐにでもあなたの楓君に戻れていたのですよ。
 随分時間がかかったと、レオナルド会長もこぼしていました。
 私はむしろ、それが不器用なあなたらしくて、微笑ましく思いました。



 私はあなたに、嫌われようと思いました。
 優しいあなたが、決して自分の決めたことを覆したりしないのは判っていましたから。
 随分ひどいこともしたと思います。けれどあなたは、一度も私を責めようとはしなかった。

 でも、たった一夜、私は自分に課した自制を忘れたことがある。
 あなたを、身体ごと、心ごと欲しいと思った夜がある。理性もなにもかも、踏みにじろうとした夜がある。
 それがいつのことか、もう言う必要はないでしょうね。
 でも、そんな情事の後ですら、あなたは私をいたわり、私を抱きしめようとした。
 私は、自分の負けを悟りました。
 あなたは、私などに決して汚されたりはしない。
 その透明な、永遠の翼は、もう、私の手の届かない確かな強さを持っているのだと、その時ようやく、私は気づきました。



 私は明日、SPBに入ります。
 でもそれは、逃げるのでもなければ、死ぬためでもない。生きるためです。
 生きて、あなたが創る未来を、この目で確かめるために、そのためにしばらく眠るだけなのです。
 お別れも言えなかったことを恨まないでください。
 最後まで、私は私のスタイルを崩したくはなかった。きれいに、あなたの前から消えたかった。私のエゴです。許してください。
 同封したのは、嵐君が、最後にレオナルド会長にあてたメッセージです。復元したものをプリントアウトしました。いつか、あなたの手で、楓君に渡してあげてください。




 なんだか少し、眠くなってきたようです。
 こんな風に自然に眠りに落ちることも、今日でしばらく感じることはないと思うと不思議な気分です。


 さようなら、獅堂さん。
 私はどこにいても、あなたの幸せを祈っています。












                        鷹宮 篤志
















 レオ

 ごめん。とても急いでいる。
 緊急に、君の力を借りたいんだ。
 僕と楓は、今から光の力で地球圏外へ脱出する。悪いが、今の状況を説明している暇はなさそうだ。
 僕はもうじき死ぬだろう。HBHの末期症状だ。どう考えても助からない。
 光の力を巡って、今、世界で争いが起きようとしているのは知っているよね。僕たちは地上を去る。そうすれば、一時でも戦争は回避できる。
 理解してくれ、楓を守るには、もうそれしか方法がない。
 楓はもう、この地上では平穏に生きてはいけない。とても残念なことだけど。
 
 ただ、僕と違って、楓にはまだ、これから何年も生き続けられる健康な身体がある。待っている人もいる。僕は、獅堂さんに楓をどうしても返さなきゃならない。
 お願いだ、レオ。
 僕たちが宇宙空間でどれだけ生存できるのかは判らない。
 が、今から三日後の正午丁度、僕たちは南極点のポイント54432に戻ってくる。その時刻にNASAの探査衛星のカプセルが回収される。軌道は君が計算してくれ。
 その後のことは、君の援護と頓挫した例の計画だけが頼りだ。
 もともとは、ペンタゴンから楓を守るために、ずっと二人で準備していた計画だ。楓は拒否したが、いまとなってはそれしか方法がない。なんとか――楓を、この地上で生きていけるようにしてやってほしい、君と、そしてNAVIの力で。


 僕は、獅堂さんに、なんといって謝ったらいいのか判らない。
 ただ、今は……いつか二人が、元に戻れるように、それだけを祈っている。


 楓、君は幸せにならなきゃ駄目だ。
 僕は、本当に君が好きだった。大好きだった。
 最初から、君の幸せが、僕の幸せだったんだよ。


 さようなら、楓。
 君と出遭えて、本当に良かった。











                        真宮 嵐

 
























愛する人へ 終





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