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「よく来てくださいましたね」
 そう言って差し出された白い手を、鷹宮は立ったままで握り締めた。
 午後の陽射しが、緩やかに窓から差し込んでくる。
 レオナルド・ガウディは微笑して、鷹宮にソファに座るよう、促した。
「決心されたんですね」
「ええ」
 ソファに腰を下ろした鷹宮は頷いた。
 NAVIの事務所に設けられたレオのプライベートルーム。
 もう、この部屋に足を踏み入れるのは何度目になるだろう。ソファにゆったりと背を預け、鷹宮は静かな気持ちで対面に座る男を見つめた。
「本当は少し前に決めていました。見届けるまでは……と、思っていたものですから」
「そうですか」
 微笑してレオは黙り、視線を窓の外に向ける。
「あなたは、断るものだと思っていましたよ」
「最初は、確かに」
 鷹宮は苦笑した。
「でも今は違います。私は生きたい」
 対面のレオが、わずかに眼をすがめている。
「生きたい……生きて、若い向こう見ずな世代が創り出す未来を、見てみたい」
「………」
「今は、心からそう思っています」
 鷹宮が口を閉ざすと、レオは綺麗な歯を見せて、すっくと立ち上がった。
「いつにしましょう。適正検査は全て終えている。あなたの身体を思えば、一日も早い方がいいのですが」
「では、明日にでも」
 少し驚いた風に、レオの端正な顔が振り返る。
「待たれないのですか」
 鷹宮はそれには答えなかった。
「……それが、あなたなりの、」
 やがてレオは、苦く笑ってそう言った。
「決別の仕方というわけですか」
「…………」
 大きな窓に、オフィス街特有の情景が映し出されている。
 いつもの日常。穏やかな午後。なんでもない景色にこそ、真の美しさがあるのだと、鷹宮はふと思っていた。
「ヨハネ博士の遺体が、ようやく発見されたそうですね」
 レオの言葉に、鷹宮は頷いた。
「もう、あの事件から一月近くたっていますからね。欧州連合も執念で探し出したのでしょう」
「あの男は、」
 そう続けるレオの眼が、わずかに笑いを含んでいる。どこか、さぐるような眼差しになる。
「北朝鮮に新型艦ごと亡命を試みていたそうですね。トップクラスの軍事機密が、あの船には隠されていたということですが」
「………」
「それは、今、あなたの身体を蝕んでいる……まったく新しいタイプの生物兵器のことではないですか」
「………」
「いえ、一民間人の僕が、軍人であるあなたにそれを聞いたところで、何も答えてはもらえないことは判っていますよ」
 レオは苦笑して肩をすくめる。
「目撃者も、事情を知っている者も、シュトラウス号の生存者の中にはいませんでした」
 鷹宮は低く言った。
 レオが、わずかに眉を上げる。
「あなたが確認したいのはそれだけでしょう?レオナルド会長。ご安心ください。真宮楓本人が生存していたという証拠を、防衛庁も、欧州連合も、何一つ掴んでいません」
「………」
「表向きはね」
 自分で言った言葉に、鷹宮は思わず失笑していた。
「うちに、滝沢という若いのがいましてね」
「……ええ」
 レオが、不思議そうな顔になる。
「強がっている癖に、妙にロマンチストな男なんです、彼はずっと、……ベクターと在来種の……長い、そして絶望的な確執が、獅堂さんと楓君、この二人を結びつける事でなんとかなると……そんな莫迦なことを考えていたんですが」
「なるほど」
 レオが、わずかに表情を緩める。
「……でも、結局」
 鷹宮は笑いを消して、自分の膝に視線を落とした。
「いい大人がみんなして、彼の思想に染まってしまったような気がしますね。いや……僕らだけじゃない、もっと……たくさんの人たちが」
「…………」
「若い彼には、最初から、ストレートに物が見えていたのかもしれない」
 なんだかおかしいな。
 しばらく黙った後、レオはそう言って、慈愛のこもった眼差しを鷹宮に向けた。
「私たちは、いつも最後に残される。確か前も、こうやって二人でお話しをしましたね」
「損な役回りです」
「今回は、お互いに」
 二人は視線だけで、静かに笑った。
 鷹宮は、組んでいた脚を解いた。
「隆也君は、どうしてますか」
「順調に回復しています」
「それはなによりです」
 レオは、少しだけ眉をひそませる。
「お会いになりたいのなら、……ここへ呼びますが」 
 レオの言葉に、鷹宮は首を左右に振って立ち上がった。
「ひとつだけ、お聞きしたくて」
 額に落ちた髪を指先で払いながら、鷹宮は言った。
「あなたが仕掛けた魔法のキーワード。その答えをまだ聞いていませんでした。それを聞かないと、なんだか安眠できそうもない」
「キーワードは」
 レオは笑った。どこか別の所を見ているような、優しい目をしていた。
「"楓"です」



                四



 病室は静まり返っていた。
 白い、眩しいくらいの陽射しが、室内のあちこちに光りの欠片を巻いている。
 静謐なまでの静けさの中、真っ白なベットの上に仰臥している人。
 下半身を白い掛け布団に覆われ、上半身は薄い白のガウンに包まれている。
 鷹宮はその傍に歩み寄り、しばらく無言で、動かない顔を見つめ続けた。
「獅堂さん……」
 微動だにしない睫、眉、雪のように白い肌。
「獅堂さん、私の……獅堂さん」
 穏やかに呼びかける。
 決して返事をしない唇を見つめ続ける。
 鷹宮は膝を付き、獅堂の力ない腕をとった。少し細くなった指が、無反応に掌に収まる。
「随分あなたを苦しめてしまいましたね。でも、もうこれで最後です。さようなら、今、生きているあなたを見るのは、本当にこれで最後になります」
 しばらく眼を閉じ、込み上げてくる何かに耐えて、鷹宮は掌に抱いた暖かな指先にくちづけた。
「さようなら……」




































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