……楓、生きてるか?
もうお前は、完全体だかなんだか知らないが、そんな特別な男じゃないよ。
どこにでもいる、ただの、一人の人間だ。
罪はさ……消えないけど、それって消すもんじゃない。背負って生きてくことが大事なんだよ。
一人で、傷つかなくてもいいし、苦しまなくてもいいよ。
これからは、自分が一緒に背負ってやるから。
おい、楓、聞いてんのか。人が真剣に話してんのに、返事くらいしろよ。
ま、……いっか、
もういいよな。お前も、自分も、少しだけ休んでも。
なぁ、楓。
自分はさ、やっと手に入れたような気がするんだ、
この、束の間みたいな永遠の時間を……
act15 愛する人へ
一
――"現在、ポイント22667地点。海上に人影はありません"
ヘッドフォンから、鷹宮の声が響いた。
「こちら椎名、了解」
椎名は自機を右旋回に転じた。
苦い思いで、その視線を眼下の青い海に転じる。
朝日が、波間に反射してきらきらと輝いている。こんな状況なのに、それは、嫌味なほど綺麗な海だった。
―――もう少し……範囲を広げて、捜索する必要があるのかもしれない。
絶望的な思いが、否応無しに椎名の胸を掠める。
獅堂と、そして隆也・ガードナーというアメリカ国籍を持つ日本人。
二人がこの海上で消息を絶ってから、もう十五時間が経過しようとしていた。
一夜明けた現場海域は、見るも無残なありさまだった。
撃沈したシュトラウス号の断片と、そして死亡した乗組員の遺骸。
それらの回収と後始末の一切は、ドイツの駆逐艦隊が行うことになっていた。
日本政府に許可されたのは、"事故"に巻き込まれた隊員の捜索を行うことのみ。ただ、それも、青桐、遥泉をはじめとする、国連事務局の助力なしには到底認められなかったろう。
ドイツ空軍の到着により、オデッセイの要撃戦闘部隊が、現場海域に突入する空路を塞がれる形になった。それが致命的だった。
夜通し捜索しているが、いまだ、獅堂も、そして真宮楓も発見されてはいない。
―――獅堂………。
澄み切った青い空に視線を移しながら、椎名はもの苦しい胸の痛みと共に考えていた。
獅堂、お前は本当によくやったよ。戦闘機も使わずに、たった一人で、自分の力で。
もう大丈夫だ。今のお前なら十分真宮楓を支えていける。もう、誰も二人を引き裂いたりしない。今ならお前たちは、二人で幸せに生きていけるんだ。
―――獅堂、
椎名は操縦桿をきつく握り締めた。
死んじまったら、なんにもならない、誰も救われないじゃないか……。
視界の端に、鷹宮を乗せたディスカバリーが、静かに上昇していくのが見えた。乗っているのは、鷹宮だけではない。右京も、そして降矢も同乗している。
その向こうには北條、大和のみかづきチームが、機体を銀色に煌かせて低空飛行を続けている。
椎名の位置からは目視できないが、レオナルド会長も専用探査機で、滝沢もスカイキャリアで、同じように二人の捜索に当たっているはずだ。
チーム白虎、雷神の面々は、この近辺の海岸を、車で回っている。
―――獅堂、みんなお前を探している。みんな、お前を待ってるんだぞ。
――"こちら名波!"
チーム白虎、名波リーダーの声が、ヘッドフォンに弾けた。
その興奮した口調に、椎名の――おそらくこの通信を傍受した全員の、背筋が固まった。
二
緊急着陸モードで着地したフューチャーを飛び降り、椎名はヘルメットを脱ぎ捨てて走った。
すでに海岸には、何人かの人影があった。
名波、北條、大和、相原、ロバート、真田、明神、そして滝沢。
椎名の背後から、鷹宮が、降矢が、右京が、そしてレオナルド・ガウディが駆けてくる。
「獅堂は、」
荒い息を吐きながら、殆ど叫ぶように椎名は聞いた。
誰も、何も答えなかった。
椎名は顔を上げ、その――人の輪の中心にあるものを見た。
渇いた髪が、風に煽られて揺れていた。
閉じられた瞳に、黒い睫がきれいな影を作っている。
赤みを失った頬と唇。それはまるで、陶器で作られた人形のようにも見えた。
―――獅堂……。
その腕に、被さるようにして眼を閉じているもうひとつの横顔。
色素の薄い髪に、透き通るような薄い肌。長い睫。
珊瑚よりきれいな唇には、微かな微笑さえ浮かんでいるような気がした。
眠っているように見えた。
今にも、眼をこすり、起き出してきそうにも見えた。
互いの身体を守るように重なる二人の、その手だけがしっかりと繋がっている。
まるで、一枚の絵画のように。
そうだよな。
椎名は、自分が泣いていることにも気がつかなかった。
そうだよな。こんないい顔して眠ってる二人を、誰も起こせやしないよな。
もう、誰も。
お前たち二人を。
鷹宮も、名波も、レオも、滝沢も、誰も何も言わなかった。
ただ、黙って、撃たれたように、この世の果てにある美しいものを見守り続けていた。
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