vvvvvvvvvvvvv

                  二


「だから、俺に運転させろって」
「駄目だ」
 獅堂はにべもなく言った。
「だって、獅堂さんの運転つまんねーよ。スピードないし」
「言っとくが、日本にはスピード制限ってもんが」
「それくらい知ってるよ」
 助手席でそう言って、隆也はふてくされたように顔を背けた。
「で、どこ連れてってくれるって」
「えーと」
「おいおい……まさか決める前から迷ってんじゃないだろうな」
「うるさいな、説明しても判らないと思っただけだよ」
 獅堂はそう言って、ハンドルを右に切って、高速道路の料金所に向かった。
 久々の運転だから、ちょっと切り過ぎて、慌てて軌道修正をする。
 その間中、隆也は不審に満ちた視線を向けている。
「……なんか怪しいな、お前の運転」
「う、うるさいな、これでもお前よりマシなんだよ」
―――っと。
 言ってから、獅堂は自分の間違いに気づいた。
 隣にいるのは、楓じゃない。
 あの――普段のクールさからは想像できない、荒れた運転をする男ではないのだ。
―――いや、楓の複製体なら。
 獅堂は横目で、助手席の隆也を見た。
 隆也は、どこか楽しそうな目で、窓の外を見つめている。
(――獅堂さんさ、兄貴の好きだった場所とか、知ってない?)
 つい数時間前、唐突に現れてそう言った男は、今、当然のように獅堂の運転する車の助手席におさまっている。
 レオの了解は得てるんだろうか。
 こんな無防備に―― 一人でうろうろして大丈夫なんだろうか。
 獅堂の心配をよそに、呑気そのものの隆也は、膝に乗せた手の指を、ラジオから流れる音楽にあわせて動かしている。
 楓と同じ細胞から作られた男。
 楓の複製。―――まだ、信じられない。まだ、弟と言われた時の方が納得できる。
 そもそもこいつは、自分が複製だと認識しているのだろうか。
「……何?さっきから、見てるけど」
「………別に」
 そうではないような気がした。
 過去の記憶をいじったとかどうとか言っていた。
 詳細はわからないが、おそらく本人も、自身が隆也・ガードナーだと思い込んでいるのだろう。
 だとしたら、それは、獅堂の口から言うべきことでも聞くべきことでもない。 
 隆也は、それ以上何も言わず、カーラジオから流れてくるポップスに合わせ、軽くリズムを取っている。
 獅堂はアクセルを踏み込み、スピードを上げた。
 そして、ふと思い出していた。
 このルートを、いつだったか、楓の運転する車で通ったことがあったことを。
 が、今、獅堂が乗っているのはその当時の車ではない。
「なぁ」
 獅堂は前を見たままで言った。
「んー」
「なんだって、今になって、兄貴の足跡なんかたどってんだ。お前」
「…………」
 窓の外に流れる景色を見つめたまま、隆也は少しの間無言だった。
「……ま、色々ね」
「なんだよ、意味深だな」
「いいじゃん、少なくとも、獅堂さんには、これっぽっちも関係ない理由だから」
「…………ああそうですか」
 ブレーキを踏み込んでやろうかと思っていた。
 まぁ、100キロ以上出している車で、そんな真似をすれば、獅堂も命はないだろうが。
「じゃ、自分は単なる案内人か」
「いや、単なる運転手」
「………………」
 もう何も言うまい、こいつには……、獅堂は自分に言い聞かせ、ハンドルを握りなおす。全く、口の悪さは本人以上だ。
「なんだよ、獅堂さん、軽にまで抜かされてるぜ」
「うるさいな」
「あ、また」
 あのなー。獅堂は苛々して、隣の男を横目で睨む。
「言っとくがこの車はレンタカー。慣れてないだけなんだよ」
「次のパーキングで俺が代わるって、大丈夫、俺ここまでだって、飛行機操縦して来たんだから」
「……ふうん…って、マジ?!お前」
「レオの専用機、あれくらいなら簡単だよ。それにどの国の領空もあいつの名前でアプローチできるし」
「操縦免許、持ってんのか」
「…………ああ……どうだったかな」
 曖昧に逸らされる言葉。
 多分、持っているはずはない。
 隆也の経歴や年齢を考えた時、そんな免許を取る時間などないはずだからだ。
「……お前……」
 一体、何者なんだ。
 その言葉を、獅堂は喉元で呑込んだ。
 やはり、楓の複製体なのか。だから知能の高さも同じだというのだろうか。
 楓なら――。
 戦闘機レベルの飛行機でも、おそらくなんなく操縦する。あの男もまた、操縦免許なんてものは持ってもいないはずだった。
―――いや……。
 獅堂は思い直して首を振った。
 こいつは、違う。
 どんなに似ていても、同じ細胞から作られたものだとしても、こいつは。
 楓じゃない。


                 三


「ここって……」
 隆也は低く呟いた。
 高地だけあって、吹き付ける風は平地よりやや冷たく、過ぎた季節の名残を含んでいる。
 もう随分前から空き地になっていたのだろう。
 足元一面、草は伸び、手入れされていない寂しさと、力強い野生の息吹が、匂立つように2人を包みこんでいた。
「……うん、もともとは、軍の……基地だったんだけどさ」
 懐かしさで、獅堂は胸がいっぱいになっていた。
 桜庭基地。
 米軍への委譲密約、地域住民の猛烈な反対運動、挙句の防衛庁長官辞任―――そんなごたごたを経て、ここから防衛庁が完全に撤退したのは知っていた。
 今は、国有地として立ち入り自由になっている。
 残っているのは、がらんどうになった建物の残骸だけ。そこだけは、バリケードが張りめぐらされ、立ち入りできないようにされている。
 傍に立つ男の存在も忘れ、獅堂は記憶の赴くままに足を進めた。
「おい、待てよ」
 その場所はすぐに見つかった。
 木立の中、そこだけぽっかりと、昼寝におあつらえ向きに開いた場所。
(―――言っとくけど、のぞいてたわけじゃないから)
 茂みの中から、そう言って物憂げに身体を起こした男。
 その声までもが、本当に聞こえてくるようだった。
(それ、なんの本だよ)
(獅堂さんには、説明も理解もできない本)
「…………」
(ここで空見てて気がついた。空ってさ、海に似てる、当たり前だよな、海は空の色を映してるんだから)
(えっ、あ、そうなのか、だから海は青いのか)
(……………………帰ってくれ、頼むから)
 二人で交わした会話の数々。
 今となっては、もう二度と――手の届かない、幸せだった時間。
「空が曇れば、海も曇って」
 獅堂は小さく呟いた。どこかから、楓の声が聞こえてくるような気がした。
「空が晴れれば、海も鮮やかな青になる」
 いつだったか、二人で空を見上げながら、楓が言った言葉だった。
 不思議だった。これまで――その言葉を意識して記憶していたわけではないのに、今、口にすると、詰まることなくすらすらと出てくる。
「詩人じゃん、顔に似合わず」
 からかうような声がする。楓と同じ、が、楓のものでは決してない声。
「……詩人なのは、お前の兄貴」
「うそだろー、マジ?」
 そう言いつつ、隆也の横顔は、いつになく真面目なものに見えた。
 ただじっと、蒼く翳る空を見上げている。
「……そんなものかな……」
 やがて、不思議なくらい素直な横顔がそう呟く。
「……そんなもんだろ」
 獅堂にも、それしか言えなかった。
 言葉は、何もいらない気がした。
 言葉よりも雄弁に、この景色が楓の好きだった世界を、この――自分の存在意義を求めている男に、伝えてくれるような気がした。
 一際強い風が、二人の身体を包み込む。
 隆也はいつまでも、その場を動こうとしなかった。
 獅堂は黙って待ち続ける。
 頭上を、山の向こうから発進された戦闘機が、爆音をたてて通り過ぎていった。
 隆也が何か言ったような気がした。しかし、それは獅堂の耳には届かなかった。


                四


「お前の飛行機、どこに置いて来たんだよ」
 帰りの車の中で、ふと気づいて獅堂は聞いた。
「百里の傍にある空港だけど」
「…………な」
 なんつー……無防備な。
 そう思ったが、それを今、あれこれ言っても仕方がない。
「じゃ、そこまで、このまま送るよ、少し時間は遅くなるけど」
「うん……」
「早く帰った方がいいんじゃないか?どうせレオに黙って出てきたんだろ」
 こんな風に二人で会ってるなんてレオが知ったら、どう考えても、ただではすまないような気がする。
「あいつは、何でもお見通しだから」
 助手席で、どこか疲れたように、シートに背を預けていた隆也は、そう言って軽く肩をすくめた。
「多分、知ってるよ」
「へぇ……―――はっ?」
「気づかなかった?軍の人のくせに意外に無防備なんだ、俺たち、ずーっとNAVIの連中につけられてるよ」
「………………」
「……ま、気にしなくていいよ、敵意があってついてきてるわけじゃないから、多分」
 それはそうだろう。
 嫌な気はしたが、それも、隆也の立場を思えば無理はない。
 むしろ、獅堂は、自分の緊張が抜けていくのを感じていた。
 外気が冷たいせいか、窓がうっすらと曇っている。隆也はそれを指で触り、そして言った。
「……なぁ、帰る前に、もう一箇所」
「なんだよ」
「兄貴の部屋が見たい」
「悪い……」
 獅堂は嘆息した。
 丁度――ショートカットのために、高速の別の出口を目指して車線を変えたばかりだった。
「だったら頼むから最初に言えよ!お前と今朝会った場所!部屋はあのすぐそばにあったんだよ!」
「うん、知ってた」
 隆也は初めて可笑しそうに笑い、小さく舌を出した。


                五


「ガードは抜かりなくついています。ま、大丈夫でしょう」
 イヤホンを外した降矢がそう言ったので、右京は、わずかに肩の力を抜いた。
「……ま、驚きではありますがね、NAVIが防衛庁に、まさか渦中の人物のガードを依頼してくるなんて」
 呆れたような口調で言い、降矢は苦く眉を寄せる。
「隆也・ガードナーには、優生保護省と、NAVIがついているんだ、……まぁ、うちとしても、複製体審査が終わるまでは手が出せない。それをいいことに、相変わらず嫌味な連中ですよ」
 右京はそれには答えず、今、ここにはいない鷹宮のことをふと思う。
 今朝、NAVIの専用小型機で、密かに来日した男のことは、――そして彼が、どこに向かったかということは、鷹宮も全て承知していることだった。
「降矢、滝沢に……頃合を見て、獅堂を呼び戻すように伝えてくれ」
「了解」
 降矢は即座に、オペレーションクルー室にいる滝沢豹に指示を送る。
「…………」
 この邂逅の先に何が待っているのだろう。
 右京は目をすがめて、窓の外の青空に目を向けた。
 獅堂は――また、怒るかな、と苦いような気持ちで思っていた。
 今は、彼女の動きもまた、全て監視されているのだから。
「ヨハネ博士が行方不明……?」
 ふいに聞こえた降矢の声に、右京は、眉をしかめて顔を上げた。
「何の話だ」
「……いえ、今、あちらにもぐらせている者から、連絡がありまして」
 パソコン画面に目を向けたまま、そう答える降矢の声も、わずかに動揺しているのが判る。
 あちら、というのはヨーロッパ連合、通称EURのことである。
 そして、もぐらせている――というのは、降矢が独自に使っている諜報員のことだろう。
 元諜報員上がりの降矢には、そういった情報提供者が、各国にいる。彼らの素性は、右京も知らないし、おそらく、防衛庁の幹部連中も把握しきっていないだろう。
 それが、降矢の能力であり、凄腕諜報員と呼ばれている所以なのだ。
「先週から、一切連絡が取れない状況になっているようですね」
 降矢は、手元のコンピュータで、送られてきた情報を確認しながら言葉を繋いだ。
「……取れない……とは」
 胸騒ぎを感じ、右京は優秀な部下の背後に立つ。
「これは……未確認情報ですが、彼は、亡命に失敗して、政治犯収容所に軟禁されていたらしい」
 降矢は眉を寄せながら画面を展開させた。
「北朝鮮に亡命する予定だったということです。閉じ込められていた収容所を脱出した……どうやら、その線が可能態としては高いようです」
「…………」
 右京は、ただ眉を寄せた。
 公式発表はまだだが、ヨハネ博士はEURの代表職を罷免になっている。
 防衛庁でも警戒を強めている最中だった。何しろヨハネ・アルヒデドは、超がつくほどの危険人物なのだ。
「彼の脱出を手助けした人物がいるということです。……今、データが転送される。ご覧になりますか」
 右京は黙って頷いた。
 青い光に絡んだオホーツク海の一件は、ヨハネ・アルヒデド――別名、姜劉青の企てたものであることは、すでに周知の事実となっていた。
 姜劉青。
 かつて、中国主席に台湾侵攻を決意させ、世に言う台湾有事を引き起こした男。
 その本名は、ヨハネ・アルヒデド。
 ロシア貴族の末裔である。
 ヨーロッパ連合直属の科学者集団のリーダーであり、ドイツ改憲党の実質的な幹部でもあった。今は――それらの身分を全て剥奪されたらしい。
 彼が企てた、自衛隊と戦闘まで巻き起こす騒ぎになった暴挙――その目的は言うまでも無い。行方をくらましている真宮楓を獲得するためのものである。
「……皮肉だな」
 データが転送されるのを待ちながら、右京は思わず呟いた。
 その事件が、結果としては、ヨハネが、権力の座を追われるきっかけとなってしまった。
 そもそも、一年前、真宮兄弟を拉致し、アメリカ合衆国との危機が一時的に高まった当時から、煙たがられていた――という噂もあった。今回の事件は、ヨハネ潰しのいい口実になったのだろう。
「彼です――画像がひどいな。この一年、常にヨハネ博士の影の側近として、動いていたと言われている男です」
 映し出された画像を見て、右京は珍しく低い声をあげていた。
「……ご存知で」
 降矢は、わずかに眉を上げる。
「……雰囲気は別人だがな」
 髭に覆われ、別人のように鋭くなった眼光を見ながら、右京は苦い思いで呟いた。
「どうやら、別れた私の夫のようだ、驚いたな、ドイツに……まだ、とどまっていたのか」
「………………………………は?」
 降矢が凍りついている。
「で、この男は、」
 わずかな感慨を振り切り、右京は平常通りの声で言った。
「……ヨハネ博士と共に、この男の姿も、消えています」
「…………」
「ヨハネ博士の傍には、妄信的な強行派ベクターが揃っていた……彼らもまた、ヨハネと共に姿を消していたとしたら、少々やっかいなことになりますね」
 このタイミングで。
 右京は、目をすがめ、唇に指を当てた。
 姜劉青が、再び動き出している。
 それが、何か、ひどく危険な暗示のように思えていた。
「ヨハネは、一年前の事件以来、精神に異常をきたしている、との情報もありますからね……実際のところは、どこまで警戒していいのやら」
 降矢の口調はどこか暗かった。
 実際、ヨハネ・アルヒデドに関する黒い噂は、いくらでも流れてきた。
 おそらく、意図的に流された情報だろうと、右京は見なしている。ヨーロッパの闇を握る男を――アメリカ合衆国の訴追から護るための。
「……病で、まともに動けないとの話もあったな」
 右京は呟く。
「HBHを発症した、という噂ですね」
 一番信憑性があったのは、彼が――例のウィルス、HBHを発症し、実質半年、表舞台から姿を消していた……ということだった。
 が、それもあくまで噂にすぎない。
「あの男の存在は、ヨーロッパの闇そのものですからね。向こうも隠そうと必死だ。中々まともな情報が入りません」
 降矢は苛立たしげに舌打した。
「どちらにしても、危険な兆候ですよ」
「本庁の連中にも伝えてやれ、それから」
 右京はしばらく、黙考した。
―――レオナルド会長に、連絡しておいた方がいいかもしれない。













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