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 パソコン画面を閉じたレオナルド・ガウディは、ふっと微かな溜息を漏らした。
「なるほど、ね」
 防衛庁の、いや右京奏の調査能力を、甘く見ていたらしい。
 たった数日しかもたなかった――全ての情熱を注ぎ込み、何年もかけて用意していたことが。
「……嵐……悪いな、この様だ」
 呟いたレオは、胸ポケットからシガレットケースを取りだし、火を点してから、深く吸いこんだ。
「さて……」
 どう、動くか。
 どうやって、この局面を乗り切るべきか。
「レオ……」
 背後から、低い、囁くような声がした。
 レオは、シガーを灰皿に押しつけ、もみ消した。
 この可愛い恋人は、匂いにひどく敏感なのだ。
「何をしている、リュウ」
 眉をしかめ、少し厳しい口調でレオは言った。
「もうここへ、来てはいけないと言ったはずだ、どうしてそれが判らない」
 隆也を隠しているブロックには、厳重に見張りをつけている。が、隆也は、いつの間にかそのガードを突破して、ラボの中に入り込んでいる。
「俺……」
 隆也は苦しげに呟いて、頼りない足取りで近寄ってきた。
 レオは立ち上がり、今にも倒れそうな身体を抱き支える。
 そして、ああ――まただ、と思っていた。
 また、隆也の、催眠暗示が崩れかけている。だから、こんなに、精神が不安体になっているのだろう。
 何度かけてもかけても、隆也の意思の、底にある何かがそれを頑なに拒否している。
 いや――、というより。
 最初、もう何年も前に、この男がかけられたある暗示が――まだ、完全に解けてはいないからだろう。
 それを、隆也自身が乗り越えないかぎり、結局は、同じことだ。このままでは、やがて、彼の人格そのものが崩壊してしまう。
―――どうすればいい……。
 レオナルドは、苦い思いを噛み締めながら、痩せた男の身体を抱き締めた。
 どうすれば、お前を救ってやれるんだ。
 どうすれば。
 こんなに――愛しているのに。
「……苦しいのか、リュウ」
 感情を押さえて、レオは囁く。
 隆也は頷き、背中にすっと腕を回してくる。
「辛くて、……死にそうだ……」
「薬は飲んだか?」
 何度も頷く。精神安定剤。今となっては、それに殆んど効果がないことは、レオもよく知っている。
「助けてくれ、……楽にしてくれ」
「言ったはずだよ」
 僅かな胸の痛み、それを押し殺して、レオは冷たく言った。
「もう、君にあんなことはしない。それが君のためなんだ」
 乗り切るしかない……自分の意志の力で、過去の辛い体験から。
 もう、催眠療法のようなやり方で、誤魔化す事は危険すぎる。
 背中にまわされた腕に、抗うような強さがこもった。
「……助けてくれ…………」
 振り絞るような声だった。
 レオは、自分の心臓もまた、きつく絞られるような気持ちだった。
「どうすればいい?どうすれば救われる?……答えてくれ、教えてくれ。レオは俺に、何でも教えてくれたじゃないか……」
「リュウ……」
「俺は一体何者なんだ?俺は真宮楓じゃない、そうなんだろ。なのに最近毎晩のように、……毎晩だ、俺自身が楓になる夢を見る」
「………」
「毎朝目覚めるたびに、辛くて死にそうな、最低な気分だ。もう……限界だ」
「………」
「……限界なんだ……レオ……」
「それじゃあ」
 レオはそう言って、視線を窓の外に広がるオフィス街に転じた。
 心の中で、もう――とっくに判っていたはずの答えを思い、苦笑する。
 そして思った。
 今の窮地は、何かの結末に向けての暗示のようなものかもしれない。
 最後の切り札はあっけなく破られた。
 でも、それでよかったのかもしれない。今はただ、見てみたい。その先にあるものを――。その先に待っているものを。
「明日、君の曖昧な記憶を徹底的に削除してもらおう。もう二度と、昔のことなど思い出さずにすむように」
「………」
「彼女のこともだ、リュウ。獅堂藍という存在そのものを、君の記憶から削除しよう」
「………」
 隆也は、意表を衝かれたような目を上げる。
「……明日の午後だ、隆也」
「……明日」
「それまで、自由にしてかまわないよ。……君の自由にしてごらん、リュウ」
 それだけ言って、レオは、隆也の額に口づけた。
 友人としての、親愛を込めて。
 隆也はうなだれたまま、静かに部屋を出て行く。
 その気配を、レオは静かな気持ちで見送ってから、内線用の電話を取った。
「僕だ。隆也から眼を離さないでくれ、ああ、今夜中にも、彼は日本へ行くだろう、万が一ということもある。ガードを頼む」
 そして電話を切り、妙にふっきれた思いで立ち上がった。
「スリーピング・ビューティー、眠り姫」
 レオは呟いた。
 こんな散々な役回りをさせられているにもかかわらず、何故か不思議におかしかった。限界が近づいているのは、むしろこっちだ。
 自分では救えない。それは最初から判っていた。
 そして――この結末を、もう一人の首謀者が望んでいた事も。
「僕の負けだよ、獅堂さん」
 レオは苦笑した。
「お姫様は、王子様のキスがないと目覚めない。獅堂さん、早く彼の魔法を解いてやってくれ」














act13   






                 一


―――季節って……
 何時の間にか巡るもんなんだな。
 頬に掠め、肩に落ちて来たものを、獅堂はそっと指先でつまみあげた。
 枯れ果てた薄い木の葉。
 いつかの春、この道を歩いて、楓の待っている部屋へと急いだことを、ふと思い出していた。
 桜がきれいで、あんまりきれいで――
 柄ではないと思いながら、楓と一緒に見てみたい、と思ったりした。
 獅堂は、桜の木々が列を成す土手を降り始めた。
 吐く息は白く、指先がすぐにかじかむ。
 もう二月も中旬だというのに、今にも白いものが落ちてきそうな空だった。
 獅堂はゆっくりと歩き続けた。
 この先にあるのは、楓と一緒に暮らしていたマンションだ。
 部屋はまだ空家で、依然防衛庁が管理しているという。
 右京から許可を得て、獅堂は、今、その部屋に向かっている。
 どこへいくあてもない休暇――というよりは、謹慎期間。
 楓の部屋には、先日、自分の荷物を取りに戻って、―――まだ、整理半ばのまま放置してあるから、今日中に全てを済ませてしまうつもりだった。
―――あいつ……今、何やってんのかな。
 ふと、隆也のことを思い出していた。
 桐谷とレオの会話が本当なら、ひとまず、逃げ回らなくてもいいのだろう。
 つかの間かもしれないが、きっと、安らいでいるはずだ。
―――よかったな……。
 まだレオのそばにいるのだろう。あいつが――大切だと言っていた場所に。
 そして、ずっと会っていない鷹宮のことを考える。
「…………」
 あんな莫迦な真似をして今、多分。
 獅堂は歩きながら、自然に眉を曇らせていた。
 多分、鷹宮が、きっと誰よりも心を痛めている。
 だから、今日で全てを整理して、
 楓のことは――もう、これで、本当に終わりにするんだ……。
 ふと、甘い柔らかな香りがした。
 一瞬桜の香かと思ったが、それは錯覚のようにすぐに消えていった。
 獅堂は眼をすがめる。
 まだ遠すぎる春、遠くて……遠すぎて、永遠に届かないような気がする。
 向こう側から、同じようにこちらに近づいてくる人影があった。
 獅堂はそれに気づき、顔を上げた。
―――……。
 まるで、デジャブのような一瞬。
「…………」
 細いシルエットの長身。
 白金の髪に、朝の陽の光が映えていた。
 薄茶色のサングラス。黒皮のジャケットとデニムのズボン。
 獅堂に気づいて、サングラスを下げる――漆黒の瞳。
―――あの森で、本当は。
 男はわずかに目をすがめる。
 とても不思議そうな、なのに懐かしそうな顔になる。
―――自分が、楓を見つけたんだろうか。
 獅堂は足を止めたまま、自分の傍に近寄ってくる男を見つめ続けていた。
 もう何年も前、偶然楓を、黒の森で見つけた時のように。
―――楓が、自分を見つけてくれたんだろうか……。


 













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