act  12 混沌の果て
 




                                     
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               七

 全身に淀んだけだるい疲れ。
 それを、降り注ぐ熱い湯で一気に洗い流すと、鷹宮篤志はシャワールームを出た。
 もう、体力的に、限界に近いところまで来ているのが自分でも判る。実際、このまま、倒れこみたいような気持だった。
―――いや、まだ。
 まだ、自分の役目は終ってはない。
「鷹宮さん、大丈夫ですか」
 仮住まいのホテルだった。
 髪を拭いながら、脱衣所を出ると、すでに身支度を済ませた滝沢が慌てて立ち上がる。
 それを制し、鷹宮は少ない荷を取上げた。
「急ぎましょう、約束の時間に間に合わなくなる」
「もう少し休んでも……」
「大丈夫です」
 上着を羽織っていると、背後から躊躇ったような声がした。
「……今、連絡があって、……獅堂さん、パイロットの資格を剥奪されたって聞きました」
「そうらしいですね」
 鷹宮は静かに答える。
 今朝早く、本庁から桐谷准将が派遣され、獅堂と共にジュネーブへ向かった。それは鷹宮も承知している。
 隆也・ガードナーの確保。
 それが彼らの任務で、獅堂の単独行動により失敗に終わったことも、すでに降矢から連絡を受けていた。
 右京奏が、軍事上重大な秘密を報告することなく保持していたことを――もう、防衛庁本部はつかんでいる。
 鷹宮は、疲れの滲んだため息を漏らした。
 右京も、降矢も、いずれは処分されるだろう。
 むろん、自分もなんらかの処分を受けることにはなる。
 しかしそれは、もう、どうでもいいことだ。
「獅堂さん、隆也……さんを、逃がしたって……」
「……莫迦な人だ」
 鷹宮は呟いた。
「鷹宮さん!」
 さすがにたまりかねたように、滝沢が非難めいた声をあげる。
「前から聞こうと思っていました。鷹宮さん、最近獅堂さんにきつすぎます。一体、なんだって、」
「時間がありません」
 鷹宮は通信機を腕に装着しながら言った。
「室長が解任されれば、私たちのしていることも意味がなくなる。。明日にはオデッセイに戻って、報告を済ませてしまいましょう」
 そうだ。もう……。
 急ぎ足で室内を後にしながら、鷹宮は空を睨んだ。
 時間が、ない。


                  八


「もっと、驚くと思ってたがな」
 桐谷は煙草の煙を吐き出した。
「その程度は、予想済みってところか、右京」
 右京はそれには答えず、無言で座っていたチェアから立ち上がる。
 桐谷はもう一度煙草を深く吸い込んで、それから、テーブルの灰皿でもみ消した。
「優生保護省から資料の提供を受けたがな、真宮楓のクローン生成に至る研究の過程は詳細で正確だ。いったいどうやって、敗戦後の中国政府から、あんなしろもんを持ち出せたのか……弟の次はクローンだ。またあの天才集団に、いっぱいくわされたらしい」
「中国政府の反応は」
 初めて右京が口を開く。
「無論、否定だ。ただし、姜が単独でやった可能性は認めている」
「…………」
「レオは、いずれ、どこかが強行手段に出ることを、最初から予想していたんだろう」
「切り札ですね、これが、最後の」
 右京は静かに言った。
「クローンねぇ……、なんとも、そこまで話しが飛躍してくるとな」
 桐谷は呆れたように嘆息しながら、短髪に指を絡める。
「どっちにしても、うちは徹底的に調査するつもりだがな。お前はどうする」
「………あなたの、口添えで」
 右京の口調は静かなままだった。
「もうしばらく、この艦に滞在したい、あなたが本庁に戻られている間、私に指揮権を戻してください」
「…………」
 桐谷の目が、呆れたように見開かれる。
「な、なんつー……無茶なことを」
「お礼はなんでもしますよ、桐谷さん」
「…………痛いところを……」
 桐谷は破顔し、口元に笑みを残しながら、ぼりぼりと頭を掻いた。
「かけ引き上手だねぇ、奏ちゃん。俺の要求は高くつくと言いたいとこだが」
 はぁっ、と男は溜息を吐いた。
「お前の亭主に撃ち殺されるのはゴメンだからな、ま、できるだけやってはみるがよ」
 そして、桐谷は少しだけ真面目な眼になった。
「今度ばかりは、お前の考えが読めないぜ、右京。真宮楓を庇いたい気持ちは判る。が、所詮我々には無理な話だ」
「………」
「鷹宮と降矢……それから、新人の若い坊やが見えないな」
「…………」
 右京が答えないので、桐谷は肩をすくめ、応接椅子にどすん、と座った。
「防衛庁で一、二を争う切れ者二人、それから、使いようによっちゃ、そいつらより役に立つ天才の坊や。三人を手玉にとって一体何を企んでるのかね、奏ちゃんは」
 右京の表情は変わらない。
 桐谷は目から笑いを消し、眉をひそめて美貌の従姉妹を見守った。
 痩せたな……と、思った。
 以前もそうだったが、ここ最近の痩せ方はひどい。
 蓮見とも会っていないようだし、夫婦仲が悪くでもなっているのだろうか……。
 まぁ、今は、それどころではないだろうが。
「一体何を……待ってる?」
 どうせ答えてはもらえない、と思いつつ聞くと、初めて右京が、薄く笑ったように見えた。
「何故、獅堂を同行させました?」
「………」
 ふいをつかれ、桐谷は黙る。それから僅かに苦笑した。
「獅堂がいれば、穏便に逮捕できると思ったんだよ」
「そうですか」
「そうだよ」
「多分、あなたと同じです」
「なんだと……?」
 右京は、天空の夕焼けに眼を向けた。
 赤い夕日が、二人の指揮官を照らし出し、静かに沈んでいこうとしている。
 右京は呟いた。
「あなたと同じものを待っている……混沌の果ての、救いを」


                 九


「よくやった」 
 鷹宮は顔を上げた。
 右京の穏やかな表情が、静かに自分を見上げていた。
「この短期間で、よく、ここまで突き止めてくれた、ありがとう」
 立ち上がった右京の、暖かな手が、腕を叩いてくれる。
いたわるように、もう――休め、とでも言うように。
 鷹宮はようやく、自分の肩の力が抜けて行くのを感じていた。
 その日。
 桐谷が防衛庁に帰還するのを待っての招集だったため、時間は深夜を回っていた。
 今日一日、本庁への報告と抗弁に奔走した右京。
 そして鷹宮とは別ルートで、地上に降りていた降矢。
 殆ど睡眠をとらず、廃棄コンピューターと格闘していた滝沢。
 三人の顔には疲れと、そしてある種の充足感が浮き出し、全員にとって、今日が正念場だったことが――調査を終え、戻ってきた鷹宮にもすぐ判った。
「降矢」
 右京は振返った。
 鷹宮の背後にいた降矢、滝沢が身を引き締める気配がした。
「この調査結果を、至急レオナルド会長へ送ってやれ」
「はい」
 短く頷き、すぐに降矢はきびきびとした足取りで部屋を出て行く。
「レオナルド会長は、どう動くでしょうか」
 滝沢が不安げに呟いた。
「どうかな」
 右京は穏やかな表情のまま、窓の外に眼を向けている。
 その態度に焦れたのか、滝沢がためらいがちに口を開いた。
「室長、僕らはこれからどう動けばいいんですか、や……やっぱり防衛庁は真宮さんを」
「これは、降矢も承知しているが」
 右京は振り返った。
「この件は、本庁へは報告しない」
「えっ……」
「降矢を含め、お前たち二人だけで調査に当たらせたのはそのためだ。そして、この瞬間から、お前たちは、今までのことは全て忘れろ」
「…………」
「後のことは、心配するな」
 鷹宮は右京を見た。
 初めて会った時から、厳しい……けれど無限の優しさを秘めている人だとは思っていた。
 一年前もそうだった。ぎりぎりまで、右京は救おうとした、庇おうとした。そして、今も――
「獅堂さんには……?」
 静かな口調で鷹宮は聞いた。
 右京の澄んだ目に、初めて見るような憐憫の色が浮かんだような気がした。
 そのまま右京は、視線を天空の夜に向ける。
「……獅堂はもう、とっくにそれを知っている。そうだろう、鷹宮」


                十


 足元がおぼつかない、不安で、心がちぎれてしまいそうだ。
 レオが自分を探しているのは知っている。ここから、自分を連れ出そうとしていることも。
―――嫌だ……。
 隆也はふらつく体を壁で支えながら、薄暗い廊下を前へと進んだ。
 俺は、行かない、どこにも行かない。
 いつもの部屋。そのIDを入力する。しかし、扉は開かない。
 隆也は眉をしかめた。ナンバーが変更されている。レオがやったのだ。もうここへ、二度と自分を入れないつもりだ。
 しかし、指は自然に、暗号を解除していた。どうして自分にこんな芸当ができるのか判らないままに。
 扉が開いた。
 ほとんど駆け込むように、隆也は冷気を放つカプセルにすがりついた。
「……いつになれば許される?どうすれば終わりが来る?」
 自然に唇から零れる言葉。
 それは自分の言葉なのか。それとも夢の中で自分を支配する男の言葉なのか。
「……いつになったらこの苦しみから解放される?教えてくれ、答えてくれ」
 両眼が熱くなり、涙が頬を伝ってカプセルの表面に落ちた。
 その透明なケースの中、静かに眼を閉じ、眠っている者。
 隆也は呟いた。
「答えてくれ……嵐………」




 













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