act  12
 




                                     
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「なるほど、あなたが引導を渡しにきたわけですか」
 右京は苦笑を浮かべてそう言った。
「右京の後任が、俺ってのが、笑えるがな」
 桐谷徹は微かに眉を寄せ、それでも笑うことなく、唇を厳しく引き締めた。
 オデッセイ。
 司令室で、防衛庁本部から派遣されて来た新たな特務室室長の、その厳しい眼を、右京は黙って見つめ返した。
 桐谷の背後には、どこか冷めた目をした降矢が静かに控えている。
 彼が、全てを本庁調査課に報告し――そして、桐谷が派遣された。
 ペンタゴンが動き出した。降矢にしてみれば、それがぎりぎりの判断だったのだろう。
「防衛庁中枢部の連中の頭脳を」
 桐谷はあるかなきかの笑みを浮かべて、自分の頭を軽く小突いた。
「甘くみちゃいけねえ、右京、彼らはやると決めたら、どんな口実をつけてでもやる」
「そうでしょうね」
 右京が静かに答えると、強面の男は、ぼりぼりと頭を掻いた。
「今回ばかりは、お前の考えが分らんよ。右京。隠そうとしても隠せないことくらい、分ってただろ、オイ」
 答えの代わりに、右京は無言で目をすがめる。
 桐谷はあきらめたように嘆息した。
「……じゃ、獅堂二尉を呼んでもらおうか」








act12  混沌の果て




                  一



「遅れました」
 獅堂はそう言って、室内に足を踏み入れると敬礼した。
 オデッセイ。
 オペレーションクルー室の奥に設けられた、特務室。
 ここへ呼ばれたのは何日ぶりだろう。
 休暇を終えた今朝、ピースライナーに乗り込む直前、いきなり鳴った腕時計式通信機。
 右京に呼び出され、隊服すら身につける時間も許されず、仕方なく私服のまま特務室に向かった。
 あげた腕を降ろしながら、獅堂は自然に眉をしかめていた。今日になってもまだ、身体のあちこちに痛みの余韻が滲んでいるような気がする。
 鷹宮は――どうしているだろう。
 ふと、そんなことを思ってしまっていた。
 会って、もう一度話し合いたかった。しかし今は、距離を置いた方がいいのかもしれない。
 多分、今の自分以上に、鷹宮の方が傷ついているはずだからだ。
「遅いぞ、獅堂」
 聞きなれない声がした。聞きなれないのに、懐かしい声。
 獅堂は、右京の背後――、窓辺に立ったまま、シルエットになった男に初めて気づいた。
 常人離れの長身に、がっしりとした体躯。
 白い軍服、鍔付きの帽子を片手に持ち、視線だけでこちらを見る厳しくて強面の顔。
「桐谷……准将?」
「おう、相変わらず鈍い女だな、今ごろ気づいたのかよ、オイ」
 獅堂は驚きを呑んで、再度敬礼した。
 現在、防衛局の国際危機管理対策部にいるはずの男――桐谷徹が、何故、今、オデッセイにいるのだろうか。
 懐かしさとは別に、胸を刺すような嫌な予感がする。
「おいおい、なんだ、妙に女っぽくなっちまったなぁ、お前も」
 桐谷は低い声で言い、上から下まで、無遠慮に獅堂を見まわした。
 声は冗談混じりでも、初めて見るような、表情の読めない眼をしている。
「獅堂、お前は桐谷さんに同行して、ジュネーブまで飛べ」
 静かな口調でそう言ったのは、傍らに立っていた右京だった。
「ジュネーブ、ですか」
 獅堂は眉を寄せたまま、右京を見た。行き先の検討は、むろんつく。
 しかし――何故、自分が?
「防衛庁は、隆也・ガードナーの身柄を確保する方針を固めた」
 桐谷の声は厳しかった。
「国際緊急措置法、第六条、国際紛争を引き起こすおそれがある人物が、逃亡及び亡命する恐れがある場合は、当該所属国家は、当人の身柄を権限無くして拘束することができる」
 何を、言っている?
 獅堂はただ、桐谷を睨んだ。
 意味は判る、が、それは絶対に理解できない。
 なぜなら、あの男の所属は日本ではなく――。
「隆也・ガードナーをめぐって、すでにペンタゴンとEURがそれぞれ独自に動きはじめている。これ以上奴を放置しておくのは、危険なんだよ、獅堂」
「彼は」
 獅堂は言葉につまりながら、言った。
 あいつは、あそこが自分の居場所だと言った。
「一、民間人です。真宮楓ではない」
 あそこに、大切なものがあると言った。
「例え、一民間人でもな、危険であることには変わりはない」
 それにな。桐谷はそう続けて苦く笑った。
「本庁の連中は、隆也・ガードナーは間違いなく真宮楓だと睨んでいる。不自然な過去、あの容貌、レオの異常なガードぶり、で、嵐の海にお前を助けに飛び込んだあの事件」
「……あれは、」
「お前だって判ってるんだろう?いくら兄弟とはいえ、不自然な点が多すぎる。マフィア時代の経歴は怪しいぜ。今、警視庁が裏をとっているがな。ああいうタイミングで、瓜二つの兄弟が現れるなんて、そもそも、都合のよすぎる偶然だとは思わないか?」
 それはそうだ。でも。
「それにな、もう真宮楓をめぐる動きは、光の力だけが理由じゃない」
 桐谷の口元が、厳しく引き締まった。
「EURは、今、内部紛争でゆれている。新体制になったヨーロッパには、もうヨハネのような危険因子は邪魔なんだよ。ヨハネ潰しの生きた証拠として、彼らは真宮楓を確保しようとしている」
「逆に、それを阻止しようとして、真宮楓を確保しようという動きもある」
 言葉を繋いだのは降矢だった。
 初めて獅堂は、その部屋に降矢もいたことに気がついた。
「ヨハネの思惑は、また別にあるようだ。彼は真宮楓に異常な執着を持っている。それから……警視庁は」
 そこで、桐谷が奪うように後を続けた。
「一年前の事件でな、真宮は防衛庁のメインコンピューターにハッキングして、衛星監視システムをダウンさせた。その罪は消えちゃいないんだよ。隆也・ガードナーが真宮楓かどうかなんて、DNA検査で簡単に証明できる。証明できしだい、警視庁は、即、あの男を逮捕するだろう」
「…………」
「……その前に、我々が、真宮楓を確保する必要がある、わかるだろ」
「…………」
 自分の無力さを、その言葉の残酷な意味を。
 ただ獅堂はどうしようもない思いで感じていた。
 大きな力が動き出している。もう、どうしようもないことなのか。あいつは真宮楓なのか?いや、そうであっても、あいつは――。
 あいつの居場所は、あそこなんだ。
「どうした、喜ばないのか?お前の恋人が戻って来たかもしれないんだぜ」
 からかうような指揮官の声。
「……喜べるとでも、思うんですか」
 うつむいたままの獅堂が答えると、男がぼりぼりと髪を掻く気配がした。
「獅堂、お前の役目は、隆也を屋上のヘリポートまで誘導することだ。隆也がお前に心を許していることは、鷹宮から報告を受けている。我々は穏健に彼の身柄を拘束したい。正面からぶつかれば、レオも私設警察を動員して対抗しようとするだろう。民間人を巻き込むことだけはしたくないんだよ」
「…………」
「理解しろ、獅堂、俺たちは何も、あの男をひどい目に合わせようっていうんじゃない。身柄を確保するのはあの男の安全のためだ。今はな、それが一番いい方法なんだ」
 きっぱりと言い切る桐谷の声は自信に溢れていた。
 獅堂は何も言えないまま、ただ自分の足元を見つめ続けていた。







 













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