act  11
 ――彷徨――




                                     
vvvvvvvvvvvvv

               十七


 窓辺に立ち、背を向けたまま、鷹宮は一言も喋ろうとはしなかった。
「鷹宮さん……」
「…………」
 しばらく返事を待っていた獅堂は、あきらめて立ち上がった。
 ライナーの出発時間が迫っている。窓の外――地上を遥か離れた天空に、夜の帳がおりつつある。
 あれほど優しかった鷹宮が、何故ふいに心を閉ざしてしまったのか、それは獅堂には判らない。
 ただ、病気やSPBのことだけでなく、隆也・ガードナーの一件が、鷹宮を追いつめていることだけは間違いないような気がした。
―――鷹宮さん……。
 もう、楽になって欲しかった。
 もう、余計なことで、その病んだ身体を疲労させたくはないのに――。
「鷹宮さん、SPBの件ですが」
「………」
 鷹宮は答えない。
 その横顔は、話し掛けられるのでさえ、拒否しているかのように見えた。
「……今日は、帰ります」
 無理に笑顔を浮かべ、獅堂は言った。
「自分は明後日にはオデッセイに戻ります。また、会えた時に、話をさせてください」
 背を向けて、出て行こうとした時、背後の人が動く気配がした。
 振り返るより先に、腕を背後から掴まれていた。
「鷹宮さん……?」
 あまりにも突然、覆い被さるように迫って来た男は無言だった。
 くちづけすらなく、獅堂はそのまま床に押し倒された。奪うように剥ぎ取られる隊服の上着。
「た……鷹宮さんっ?」
 わけが分らない。天井の照明が、鷹宮の顔を影で覆い隠している。
「ようやくわかりましたよ」
 どこか、笑っているような声がした。
―――鷹宮さん……?
「どうすればあなたを、永遠に縛りつけておけるか。数ヶ月か一年か、いずれにしても、私はあなたの前から消えるんだ」
「ちょ……」
 シャツの下に手が入り込んでくる。
 獅堂は、さすがに仰天して抗おうとした。
「ちょっと待ってください、一体、なんの」
 その腕をつかまれ、ねじるようにして頭の上にあげさせられる。
 手首がちぎれるかと思うほど、それは獰猛な力だった。
 余りの痛みに、獅堂は悲鳴をあげていた。
「避妊はしませんよ、最もそんなもの、ここには携帯していませんが」
―――…………。
 その意味は、しばらくしてから理解できた。
「何があっても、私は絶対にあなたを、楓君には返さない」
 男の声が恐いものを含んでいる。
―――それは……でも、
 動顛したまま、逸らしてしまった獅堂の視界に、注射痕で蒼ずんだ鷹宮の腕が映る。
 はっと、獅堂は我に返った。
 今は――こんなことをしている場合じゃなくて。
「待って……た、鷹宮さん」
 鷹宮の手は、獅堂の下肢を覆う衣服を剥ぎ取ろうとしている。
 信じられないほど暴力的に。
「鷹宮さん、……だめですっ、お願い」
 こんなことをしたら、鷹宮さんの、身体が――。
 それはもう、声としては届かなかった。


              
 時間の感覚はとっくになくなっていた。
 獅堂は何度も、気が遠くなり、そしてまた引き戻される。
―――獅堂さん……。
 夢と現実の狭間の中で、獅堂は鷹宮の声を聞いたような気がした。
―――獅堂さん、……私の、獅堂さん、
 優しい声、淡いくちづけ。
 ああ、これ、夢だな。
 朦朧となりながら、獅堂は思った。
 こんな優しい声で、前、確かに、
 鷹宮が自分を呼んでくれたことが、あったような気がしたから……。


                  十八


 青白い明け方の光が、静かに窓から射し込んでいた。
 獅堂は、身体中に澱んだ重い痛みとともに薄目を開けた。
「…………」
 痛みとやるせなさの記憶が、ゆっくりと蘇ってくる。
 あまりに暴力じみて、そして一方的な行為だった。開放されても、意識も身体もぼーっとなって、起き上がることもできなかった。
―――寝ちゃったのか……自分。
 それでも眠れたんだから、大したものだと自分でもあきれる。
 ベッドの上。半身を起こすと、裸の肩から、柔らかな毛布が滑り落ちた。
「…………」
 獅堂は顔を上げた。薄闇の中、窓際に立つ、微動だにしない背があった。
 獅堂が起きた気配に気づいて、そして、静かに退出を待っている背中。
「…………」
 夕べの行為、というよりその前に交わした会話を思い出し、獅堂は無言で視線を伏せた。
 身体は重く、節々が痺れるように痛い。
 一片の労わりも、愛情も、昨夜の鷹宮の腕にはなかった。
 獅堂にはこんな愛され方は初めてで、実際、辛さのあまり泣き出してしまいそうだった。
 どうしようもなく、むなしく、そして淋しい。
 ひりつくような手首には、紅い痣がくっきりと残っている。が、その痛みは、同時に―――
「…………」
 獅堂は、ようやく気がついた。
 いま、自分より傷ついている人が、ここにいることを。
「……鷹宮さん」
 獅堂は言った。
 不思議なほど静かな気持ちになっていた。
 ただ、 男の、背中の広さが哀しいと思った。
 動こうとしない背中。
 動くことを拒否している心。
 獅堂は歩み寄り、その肩に、肩甲骨に、そっと触れ、それから腰に腕を回して抱きしめた。一瞬、固まった身体が微かに動いたような気がした。
「自分は、待ちますから」
「………」
「鷹宮さんが、SPBから目覚めて出てくる時まで、自分は気持ちを変えずに待っていますから」
 鷹宮は何も言わない。
「その……まぁ、ばあさんになってる可能性は、大ですけど」
「…………」
「自分が言いたかったのはそれだけです。ただあなたに、一分でも一秒でも長く生きていて欲しい」
 獅堂はゆっくりと腕を解き、鷹宮から身体を離した。
 人の気持ちは変わる――楓はそれを憂い、逆にそれが希望だと滝沢は言った。
 でも、変わらないものがある。変えられないものがある。
 それは、きっと、
 獅堂はまっすぐに前を見て歩き出した。
―――自分の、意志の力で決められるんだ。


                 十九


 隆也はゆっくりと目を開けた。
 薄闇に包まれた部屋。
 ベッドサイドテーブルの淡いランプだけが、仄かに室内を照らし出している。
「………」
 隣で、微かな寝息を立てて眠っている端正な横顔をそっと見下ろす。
 光を弾く白金の髪。白い陶器のような肌。
 しかし、決してレオは本気で眠ってはいない。
 隆也はそれを知っているし、レオも、それを承知で眼を閉じてくれているような気がした。
 それでも足音を忍ばせて、隆也は静かにベットを降りた。
「……レオ……」
 呟いて、自己嫌悪で吐き気がした。
 判らない。
 誰よりも信頼していて、誰よりも好きなのに。
(―――リュウ、君は心の病気なんだ)
(―――昔、君はひどい目にあった……それを、心がどうしても忘れられないんだよ)
―――ひどい目か……。
 それが、男とのセックスだというなら、一体、自分の過去に、何があったというのだろう。
「…………」
 部屋の扉に手を掛けながら、隆也は、自分がひどく惨めな気分にとりつかれているのに気がついていた。
 昨夜、レオの部屋に、初めて自ら足を運んだ。
 なのに――結局は、何も変らなかった。
 レオは求めずに、ただ頭を撫でてくれた。それでいいんだよ、とでも言うかのように。
 普段通り優しかった。怒っているわけでも、疎まれているわけでもない。
 それなのに、こんなにもむなしくて、ただ淋しい。
 恩返しがしたいだけだった。
 レオが心底で求めているものに、応じたいと思っただけだった。
 なのに――結局は、自分も、そして、地獄から救い出してくれた優しいアメリカ人も、両方傷つけてしまったような気がする。
 そして、気がつけば、隆也はいつもの場所へ向かっている。
 むろんそのラボの――"彼"のいる一角は、何重ものプロテクターで厳重にガードされている。
 しかし、隆也は自然に、そのガードを解く方法を身につけていた。頭が勝手に判断し、指が動く。
 そして――多分レオは、それを知っていて何も言わない。
 軽い空気の抜ける音がし、冷たい空気が隆也を包んだ。
 氷のような冷気を放つ透明なカプセル。
 歩みより、そっと指先でそれに触れる。
 隆也は眼を閉じた。心が――あんなにもざわめいていたものが、静かに、まるで海の底に沈んでいくように穏やかに落ち着いていく。
「……獅堂さんに会ったよ」
 返事のない、冷たい横顔に声をかける。
「やっぱ、俺たちって似てんなのかな、……最初は妙な女だと思ったけどさ、……ああいうのも、悪くないよな」
―――俺は、ここにいるよ……。
 カプセルに頬を寄せ、隆也はそう呟いた。
 どこにも行かない、お前のそばに、ずっといる。
 ずっと、いるから。




 













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