act  11
 ――彷徨――




                                     
vvvvvvvvvvvvv

               十四


「これが、最終調査結果か」
 右京はそう呟き、ディスプレイの画面をオフにした。
「なるほどな」
 肱付きのチェアに深く身を沈め、両手の指を、胸の前で組み合わす。
「隆也・ガードナーの過去は、徹底的に洗いました」
 降矢は答えた。「何一つ、疑問の余地はありません。彼は実在するし、すべての記録は不特定多数の証言によって裏付けされています」
 昼間というのに、照明を落とした右京の自室は薄暗く、僅かな光がその顔に影を落としていた。
「ただし、マフィア時代の記録は、レオナルド・ガウディが徹底的に消去している。正直お手上げですよ。しかも、彼は心理療法で、隆也の過去からその当時の記憶を消そうとまでしている」
「……コロンビア、マフィアか」
「どうも、犯罪の匂いがしますね。ひょっとして、隆也は、相当やばいことに手を染めていたのかもしれない」
「…………」
「そこの所を追求しますか、上手くいけば、レオナルドガウディの動きを封じることができるかもしれませんよ」
「…………」
 右京は、テーブルの上に並べられた隆也・ガードナーの写真を見た。
 最新の――鷹宮から送られてきた、メディカルセンター内での写真。
 白髪に近い金色の髪。ブルーの瞳。ひとつひとつの顔の造りは、確かに間違いなくあの日、ジュネーブで見たあの男のそのものだ。
 右京は、無言で、他の写真に目を移す。
 もう一枚、これは施設時代の集合写真だろう。
 雑多なスタイルの少年少女に混じって、暗い表情で一番隅に映っている少年。まだ、染める前の髪の色は薄い茶色で、眼の色は黒かった。
「不思議ですね」
 その写真に眼を止め、降矢が漏らした。
「素顔の写真はこれ一枚だけですが、むしろ青い目をしたこの男の方が、真宮楓と印象が近い」
「印象……だな」
 右京は呟いた。
「は?」
「パーツは同じでも、印象が違う。印象が同じでも、パーツが違う」
 降矢は無言で眉をひそめる。何が言いたいのか、判らないとでも言うように。
「隆也の子供時代の写真は、これ以外に手に入らなかったのか」
「残念ながら」
 降矢は首を振った。
「…………」
 かすかに眉をひそめ、右京は静かに立ち上がった。
「さすがはNAVIだな、……犯罪行為に一抹の証拠も残さないというわけか」
「犯罪……ですか」
 少し意外そうに降矢は呟く。
「じゃあ、やはりあなたも、隆也が犯罪を犯していた、と思われるので」
「……後は鷹宮と滝沢の報告待ちだな。答えを出すのは、それからだろう」
 そう言って振り返る、厳しく、他人を寄せ付けない瞳。
 降矢は思わず聞いていた。
「隆也・ガードナーが真宮楓だという答えですか、あなたが求めているのは」
 右京はそれには答えずに、窓の外に視線を転じる。
「ペンタゴンが動いています」
 降矢は苦い口調で言った。
「我々の調査の先には、必ず別の組織の手がまわっている。まるで正確に我々が彼らの後をトレースしているように」
「知っている」
「ヨハネ博士も、また別に動いている節がある。例の青い光事件の首謀者も彼であることが…非公式ではありますが、認定されています」
「知っている」
 しばらく黙り、やがて降矢は諦めたように嘆息した。
 右京の真意が、どうしても読めない。ペンタゴンが動いている。となれば、情報は間違いなく防衛庁の上層部にも行っている。
 特務室だけで処理できるレベルでは、――もうないのだ。この事件は。
 また、争いが起きるのか。
 降矢は暗い目で空を見上げた。
 人は――所詮、一年前と何も変わってはいないのか。


                 十五


―――人と人が出あうことの……意味ってなんだろう。
 オデッセイ内に貸与されている一フロアの狭い自室。
 備えつけの簡易ベッドに仰向けになったまま、獅堂はぼんやりと天井を見上げていた。
「……暇だな……」
 思わず、ぽつり、と呟いていた。
 明日から二日、獅堂には有給が与えられていた。
 少し前なら二日もまとめて休めることなど有り得なかった。まだ、国内の病院で検査を受けなければならない眼のことを、おそらく右京が気遣ってくれたのだろうが……。
 ピースライナーの発着時間まで、オデッセイに留まるしかないのだが、することはなにもない。いや、地上に降りたとしても、どう時間を潰していいか判らない。
 楓が……いた頃だったら。
 休みが取れたら、あれをしてやろう、ここに連れてってやろう、と予定は目一杯つまっていて、休みのたびに、むしろ疲れるくらいだったのに……。
「…………」
 椎名の実家――倖田先輩に、会いにいくのもいいかもしれない。写真でしか見たことのない子供の顔も、見てみたい。
 出遭ったこと……か。
 獅堂は、仰向けのまま、目を閉じた。
 不思議なくらい、このことが頭から離れてくれない。
 出会ったこと――。
 楓と自分が出会って、わずかな、けれど、これ以上ないくらい楽しい時間を共に過ごしたあの一時。
 鷹宮と楓を比べるつもりは毛頭ない。が、――あれほど激しく誰を愛した時間は、もう、二度と、自分の人生に訪れないような気がする。
 激しくて、楽しくて、辛くて、幸せで――あの時間に、一体なんの意味があったのだろう。
―――椎名さんは……倖田先輩と、出遭って……、
 家庭を持ち、子供を得た。自分の遺伝子を後世に残し、自分の命を未来に繋いだ。
 それが意味なのだろうか。
 そういう形でしか、男と女は出遭った意味を量ることはできないのだろうか。
 自分と楓には、形として残すことは何もできなかった。望んでも――楓がそれを頑なに拒否していから。それに、あの当時の自分には、妊娠など考えられないことだった。
―――それでも……いいと、思ってたんだ、自分は……。
 それでもいいと思っていた。心さえ繋がっていれば。
 少なくとも獅堂は安心していた。不安に思うことは何もなかった。だから、楓の感じていた危うさが理解できなかった。
 今なら判る、獅堂にも――当時の楓が感じていた孤独と不安が。
 心ほど、あやうく移ろいやすいものはない。
 その一時一つに溶けて、もう何もいらないと思うくらい感じあった気持ちと気持ちが、その絶頂を終えた瞬間から、また別々に流れていく。
 流れて、求め、そしてまた離れては彷徨い、求め合う。そんなに不確かであやういもの。それが心というものだった。
「…………」
 そんな、儚い繋がりを求めて、それでも。
 半身を起こし、獅堂はベットから飛び降りた。
 それでも。
 自分は鷹宮の支えになると、決めた。
 刹那の繋がりに、何も残らない気持ちの中に、本当の永遠があると、それでも自分は。
―――自分は、信じたいよ、楓……。
 楓との出会いと別れは、それを自分に教えてくれたのだと。
 だから二度と。
―――二度と自分から、この手を離したりはしないんだ……。


                 十六


「獅堂さん」
 ロックを開けて顔を出した鷹宮の顔が、一瞬戸惑ったように獅堂には見えた。
 オデッセイ内の、二人用の仮眠室である。
 鷹宮が仕事で常駐する場合、大抵彼は、ここで寝泊りをする。
 いるのかどうか、自信はなかったが、折りよく鷹宮は、その部屋で休息を取っていたようだった。
「少し……いいですか」
 一瞬戸惑った後、明らかに迷惑そうな目になった男から視線を逸らし、獅堂は小さく呟いた。
「どうぞ」
 わずかな間があり、鷹宮がそう言って、扉を大きく開いてくれる。
 すれちがい様、長袖のシャツから、微かな刺激臭がした。
 視線の端に、肱までまくった鷹宮の白い腕が見える。
 獅堂は眉をひそめた。
 血管が透けて見えるほど透き通った肌に、青黒い無数の点が滲んでいる。
 おそらく、インターフェロンを皮下注射した痕だろう。
「……ああ、注射はね、自分でやってるんですよ」
 獅堂の視線に気づいたのか、そう言って鷹宮はすぐにシャツを下ろした。
 味気ないほど無機質な部屋には、殆ど荷物らしい荷物はない。簡素なベッドと、着替えのスーツが、壁に掛かっているだけである。
「何の用でしょうか、獅堂二尉は、休暇中だと聞いていますが」
 ベットに腰掛け、獅堂には備えつけの椅子を勧めてから、鷹宮は静かに口を開いた。
 冷たい、という感じでもない。
 どこか、他人行儀な丁寧さの含まれた声だった。ある意味、冷たくされた方が、マシなような――そんな口調だった。
「……休暇は、明日からで」
「…………」
「今夜の、連絡便で、地上に降ります」
「……それで?」
 さすがに辛くなって、その刹那うつむいていた。それでも、手のひらを握り締めて、顔を上げた。
「お願いがあって」
「はい」
「もう」
 獅堂は深く息を吸った。
「もう、真宮の弟の件に、あなたが係わるのはやめてもらえませんか」
 鷹宮が眼を細める。
 透明で、そして表情の読めない眼。
 やはり、獅堂は目を逸らしてしまっていた。
「じ、自分には判りません。あいつは真宮じゃないし、今、それなりに幸せに暮らしてる。それを……疑って、調査して、それに何の意味かあるのか」
「私一人、止めたところで、組織としての動きは止まりませんよ」
 冷ややかな声が返ってくる。
「それは……それは知っています。でも」
 獅堂は、うつむいたままで、言葉を続けた。
「……自分は、あなたには係わって欲しくないんだ」
「判りませんね、言っている意味が」
「あ、あなたが係われば、自分も無関係ではいられなくなるからです。それにあなたの身体は、」
「では獅堂さんは、気にならないとでも言うんですか」
 鷹宮は立ち上がった。その刹那、冷静な仮面に初めてひびが入ったようだった。声が――目が、少しだけ苛立っている。
「彼が楓君その人だったらどうするんです。あなたがあれほど愛した相手が、目の前にいるかもしれないんですよ」
「自分には何もできない」
 獅堂は顔をあげ、それだけは、きっぱりと言いきった。
 それだけは、最初から判っていた。
 あの屋上のオアシスで、初めてあの男と出合った最初から。
「あいつを支えることも、助けてやることもできない」
 だって、自分は。
「自分が支えたいのは、今」
「………」
「鷹宮さんだけなんだ」
 そう、決めたんだ。決めたんだから――。






 













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