act  11
 ――彷徨――




                                     
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               十二


 獅堂がオデッセイに戻ってから、十日が経とうとしていた。
 要撃戦闘チームに復帰した獅堂は、アラートシフトから外され、規定の演習飛行を繰り返すことだけが当面の仕事となった。
 パイロットは、一日操縦を休むとそのカンを取り戻すのに、三日かかる。二日休むと、その倍。一ヶ月ともなると……通常の感覚は中々戻らない。
「それにしても、さすが獅堂リーダーですね」
 駐機場の傍にある待機所。
 フライトを控えたパイロットたちが、一時の休息を求める場所である。コーヒーサーバーにはいつもたっぷりのコーヒーが沸かされていて、セルフサービスで飲み放題になっている。
 使い捨てのカップにコーヒーを注ぎ入れながら、大和閃の背中がそう言った。
「なにがだよ」
 北條と共にテーブルに付いていた獅堂は、自分のコーヒーに口をつけながら、後輩の背中に目を向ける。
「この数日で、ロスが完全になくなってるじゃないっすか。いつだって、アラートに戻れますよ」
 振り返った大和は、にこやかに笑っている。二児の父だが、気の毒なほど童顔で、笑うとますます子供じみて見える。
「たいして戻りたい仕事じゃないけどな」
 獅堂は呟き、嘆息した。
「気がついてますか?最近、少しずつですけどスクランブルの回数が減っている」
 隣で、そう囁いたのは北條だった。
「ああ」
 それには獅堂も気づいていた。
 帰艦して以来、どこか以前より、艦内の空気が和らいでいる。
「例の青い光事件をきっかけに、EURでは大掛かりな組織変更がなされたらしいですよ」
「そうだってな」
 新聞、ニュースで少しばかり聞き知った情報。
 と、そこに、こういったニュースに耳ざとい大和が喜々として割って入る。
「新しいトップは、どうやら親米派だって噂ですよ。どうも、ヨーロッパの内部では新体制をめぐってもめているみたいで」
 獅堂は眉をしかめて、とりあえずコーヒーを飲み干す。
 まぁ、正直、それ以上の話になるとついていけない。
「新体制が上手く軌道に乗れば、米欧の確執も、緩和されるかもしれないですね、NAVIも表舞台から姿を消したし、これからは時代もいい風に」
「閃さん、そろそろ時間っすよ」
 そう言って、のっそりと北條が立ち上がった。
 午後のアラート待機の時間が迫っていた。
「行くぞ、永井」
「うっす」
 隅の方から、獅堂に変って入間から召集された若いパイロットが立ち上がる。
 こいつも成長したな……。
 獅堂は、北條の端正な横顔を見ながら眼を細めた。
 あの事件で、北條も大和も、対人戦を経験した。
 同胞の命を奪う引き金を引いた。それが――その経験が、二人の表情をどこか以前より引き締めさせているのかもしれない。
 特に大和は、要撃戦闘チームのリーダーとして、申し分のない実力、素質を持っている。現に獅堂が入院していた頃、大和はずっと新生みかづきのリーダーだった。
「じゃ、行ってきます」
「獅堂さん、早く戻って来てくださいよ」
 口々にそう言いながら、こちらを振り返る二人に、獅堂は軽く右手を上げた。
 そして、ああ、そうか……、と思っていた。
 みんな、少しずつ成長している。少しずつ変っている。
 嬉しいはずなのに、それが妙に寂しいのは――。
 自分が、いずれこの翼を失うことが、そう言う時期が、誰にも絶対に来ると言うことが、やっと――見えてきて、受け入れることができたからなのかもしれない。
 多分……今なら。
 殻になったカップを見つめながら、獅堂は苦く微笑した。
 今なら、楓のために、自分は職を棄てるだろう。今ならもう判るから、それが形ではなく心の問題だということが。
 心の翼を失うことがなければ、飛行機なんて乗れなくても――空を失うことはないんだ。それを畏れる必要はないんだ。
 多分、蓮見さんは……上手く言えないけど、そういうことを判ってたんだろうな。と獅堂は思った。だからあの人は、潔く仕事を棄てた。そして――右京さんは地上に残って。
―――楓は、行ってしまった……。


              十三


「じゃあ、僕が操縦して現地まで飛びますから」
「頼みます」
 廊下の向こうから聞こえてくる声に、獅堂は足を止め、顔を上げた。
 フライトスーツと防衛庁指定の制服を着た者しかいないオデッセイ内で、指揮官以外で唯一スーツの着用が許されるセクション。
 そこには、ダークグレーのシングルスーツにぴったりと身を包んだ鷹宮と、そしてライトブルーのシャツにネクタイを締めた滝沢の姿があった。
「…………」
 獅堂は黙って立ったまま、長身の男に目礼した。
 鷹宮が帰国したのは、数日ほど前のことだ。
 今は地上とオデッセイを再々行き来しているらしい。
 実際――らしい、ということしか獅堂には判らない。誰も鷹宮の処遇のことを正確に知る者はいないし、帰国した鷹宮と、二人で話す機会もないたらだ。
 帰国したということは、人口冬眠治療を拒否したということなのか――それすらも判らない。
「獅堂さん」
 獅堂に気がついた滝沢が足を止める。鷹宮もいったんは獅堂の方を見たが、すぐにその視線を下げて、滝沢に向き直る。
「では、データはすぐに降矢さんに転送してください」
 鷹宮はそれだけを滝沢に言い、手にしていた書類ケースを素っ気無く閉じた。
 そのまま、何事もないように歩き出す。
 すれ違いざま、獅堂は一応目礼する。鷹宮も軽く首を傾けてそれに応じるが、反応はそれだけで、そのまま足早に通り過ぎて行った。
「…………」
―――鷹宮さん……。
 いっそのこと振り返って、その腕を取りたかったが、滝沢の目の前だから、そうもいかない。
 鷹宮の、何一つ感情のこもらない無機質な眼の色が怖かった。
 痩せた頬と、とぎすまされた顎のラインが、彼の表情そのものをきつく見せているのかもしれない。
「……獅堂さん」
 背後から、少しためらいがちな声がした。滝沢の声である。
「鷹宮さんは、今からジュネーブです。レオナルド会長との約束の時間が迫ってるから急いでるんですよ」
「……そうか」
 何のために行くんだ、とは獅堂は聞かない。滝沢が決してそれに答えないのは知っているし、自分もまた、滝沢が聞きたいことに答えるつもりはないからだ。
 滝沢が――鷹宮と獅堂のことを気にしているのは知っている。
 今、鷹宮が全身で獅堂を拒否していることは、敏感な者なら、誰でも察しがつくだろう。
 単に怒っているという感じでもない。自分の中に、獅堂が入り込むのを冷たく閉ざしているような――そんな感じだ。
「じゃあ、」
 沈黙に耐えかねたのか、気まずそうに頭を下げ、滝沢が通り過ぎて行こうとした。
「おい」
 獅堂は言った。滝沢が立ち止まる。
「鷹宮さんが無理しないように、」
―――今は……
「お前、ちゃんと気をつけてやれよ」
 それだけが、鷹宮の体調のことだけが気がかりだった。






 













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