act  11
 ――彷徨――




                                     
vvvvvvvvvvvvv

               九


 無機質な室内に、獅堂は一人で取り残されていた。
 鷹宮が出ていって、そろそろ二十分が経とうとしている。
 待つ覚悟も、追う覚悟もできないまま、ただ――座り続けていた獅堂は、ようやくのろのろと立ち上がった。
―――駄目だ。
 今の自分には、何を聞いても冷静な判断ができそうもない。考えが……乱れて、まとまらない。
 何故、鷹宮があんな風に態度を一変させてしまったのか。それが職務上の立場なのか、降矢から、そういう指示が出ているのか………。
 それすら、もう、獅堂には判らない。
 そして、SPB。
 どうするかは、鷹宮が決めることだ。最終的には、獅堂は鷹宮の意見を尊重するつもりでいる。しかし。
―――SPBに入れば、もう、自分は……鷹宮さんに、
 直に触れ、語り、心を通わすことはもうできない。何年先になるか判らない再会。そして、確実にその時、生きた鷹宮に会えるという保証はなにもない。
「…………」
 獅堂は、険しい気持のまま研究室を出た。
 考えても仕方ない。いずれにせよ、それは自分勝手な感慨だ。答えは……鷹宮にしか出せないのだから。
 そして、思った。
 鷹宮が、もし何かの誤解を抱いて、あんなに態度を硬くしているのだとすれば、それは話し合えば絶対に解決できるはずだ。
 自分は鷹宮の手をとった。それを今になって翻すつもりはない。絶対に最後まで支えると決めたのだから。
 部屋を出ると、時間帯のせいか、廊下には非常灯だけが仄かに点っていた。
 わっ……暗っ……と、少し慌てて、廊下を端まで歩き、確かこのあたりに、エレベーターが、と思ったが――しかし、突き当たりには、冷たい壁が立ちふさがっている。
(余計な場所をうろうろしたら、今度こそ射殺しますよ。)
 とは、先ほどレオにも釘をさされたばかりだった。
―――あれ………?
 ま、迷ったかな……。
 と、思った時。
「なにやってんだよ、こんなとこで」
 背後で突然声がした。


                 十


 でも知らなかったな。
 そう言って、数歩先を歩く隆也は振り返ると、少しおかしそうに口元を緩めた。
「なにを」
 そのからかうような生意気な表情にむっとして、獅堂は憮然、とそれに応える。
「パイロットって、方向音痴でもなれるんだ」
(――パイロットって、方向音痴でもなれるんだ)
 同じ声。同じ響き。同じセリフ。
「……………」
 獅堂はわずかに眉をひそめ、眼を逸らした。
 非常灯だけが灯った廊下。結局、偶然鉢合わせた隆也に、病棟まで送ってもらうことになってしまった。
「なんだ、妙に元気ないね、鷹宮さんと喧嘩でもした?」
「……別に……」
「悪いなー、俺が魅力的だから……ま、恋人としちゃ、ショックな現場だったよな」
 隆也は、楽しそうにくすくすと笑っている。
 その無邪気な表情に、先ほどまでの――蒼ざめて憔悴していた影は微塵もない。
―――ま、いいか……。
 獅堂は少しほっとして、先を行く男の背中を見た。
 そして、また、心音が高鳴るのを感じて視線を伏せた。
 不思議だった。正面から顔を見るより、こうやって背中を見る方が――恐いくらい楓を思い出す。いや、思い出すというより、楓の後をついて歩いているような錯覚さえ覚えてしまう。
 ひとつひとつの特徴は確かに違う。眼の色、髪の色、服装、でも――どうしても楓と重なる印象、身体の線、腕の形、指の形。
「それにしても、迷うかなぁ普通、建物の中で、いい年した大人の人が」
 ふいに、男の背が楽しそうに呟いた。
 獅堂ははっとして、我に返る。
 いけない――自分は、今、何を考えていたんだろう。
「う、うるさいな、お前こそ、なんだってこんな時間まで」
―――残ってたんだ、
 と、言いかけて獅堂は口をつぐんだ。
 よく見れば、隆也の髪は、わずかに湿り気を帯びている。そういえば、着ている服も数時間前とは違う。
「……もしかして」
 先ほどのレオの言葉と照らし合わせて、ふと思った。
「お前、ここに……住んでるのか」
「ああ、レオに聞いた?」
「…………」
 獅堂は、口を開けたまま、言葉を失った。
 住んでいる?
 こんな――窓ひとつない研究施設に。
「最上階にホテルみたいな部屋があってさ、そこが、俺たちの愛の巣ってわけ」
 隆也は楽しそうに笑って、肩をすくめた。
「……まさかと思うが、ここから、お前」
 自分の眉が、曇っていくのを感じながら、獅堂は聞いた。先ほど、レオは確かこう言っていたのではないだろうか。
(―――閉じ込めている僕が悪いんだ。)
「……出られないとかじゃ、ないだろうな」
「……出られないっていうか、自主的に隠れてんだよ」
 少し、不機嫌気な声が返ってくる。
「なんで」
「なんでって、そんなことどうでもいいだろ」
「よくないだろ、そんなのおかしい、不自然じゃないか!」
「……うっさいなぁ、あんた」
 心底煩げに舌打ちされる。
 獅堂は、憤ったまま、視線を下げた。その憤りとは別に、心臓が嫌な風に高鳴っている。
―――どういうことだろう。
 もしかして、本当は、この男は。
「……つか、覚えてないんだよ」
「…………は?」
 天を見上げた男は、面倒そうに濡れた髪をかきあげた。
「……俺、……って、そんなこといったら、また妙な疑いもたれそうだけど。……過去の記憶、レオにいじってもらってるんだ」
「…………」
 記憶を?
「……なんの、ために……?」
「しらねー……つか、それ知ってたら、意味ないっしょ」
 振り返り、男はふざけたような目色になる。
「俺、昔やばい組織にいたみたいでさ。……肩に刺青とかして、薬中だったらしいんだ。多分、その頃の記憶、消してもらってるんだと思う」
「………でも……そんなの」
 不自然じゃないか。
「SFじゃあるまいし、人の記憶なんて、そんなに簡単に」
 言いながら、獅堂は、唇が強張るのを感じた。
 そんな理由で、いや、そもそも記憶とは、そんなに簡単に消してしまえるものなのだろうか。
「……よく知らねぇよ、時々精神科医の先生に、催眠療法とかで楽にしてもらうんだ。……あまり想像したくもないけど、多分、なんか、犯罪でもやってんじゃないのかな、俺」
「……犯罪?」
「人殺しとか」
「…………」
 ふざけた言い方だったが、その目は少しも笑ってはいなかった。
「組織の連中が、今でも俺、探してるかもしれないからさ、……だから、俺、ここから出ちゃいけないんだ」
「…………」
 本当の話だろうか。
 それとも――作り話だろうか。
「肩、みせてもらっても、いいか」
「…………」
 隆也は、横目で獅堂を見て、それから、ふざけたように鼻を鳴らした。
「やーらしい女」
「ばっ、……そんなんじゃない、ただ、自分は」
「俺、違うよ」
 冷ややかな声だった。
「兄貴のことは、なんとなく覚えてるし、……ここにきて、レオから色々聞かされたけど」
「…………」
「……時々、自分が本当にそうだったらいいな、と思うこともあるけどさ」
「……なんで」
「だって、レオは、俺通して兄貴しか見てないから」
「…………」
「お前もそうだろ?……ここにいる連中は、みんなそうだ」
 ひどく寂しげな声だった。
「でも、俺は楓じゃないんだ……いくらなりたくても、他人にはなれない」
「…………」
 獅堂には、もう何も聞く事ができなかった。
 エレベーターを降りて、そこで別れるのかと思ったら、意外にも隆也は、病棟まで案内してくれた。
「ここ真っ直ぐ行って、エレベーター乗ったら、鷹宮さんの部屋だから」
 じゃあな、獅堂さん。
 そう言って、隆也は獅堂の肩を叩いた。
「待ってくれ」
 咄嗟に言っていた。
「お前……」
「なに?」
 何を言おうとしたのだろう。獅堂にも判らなかった。
「今、幸せなのか?」
「………」
 しかし、一瞬躊躇してから、隆也は笑った。きれいな八重歯が唇の端から零れる。
「それなりにね」
「………」
「レオは俺を大切にしてくれるよ。あいつが俺を必要としてくれるから……俺、ここにいられるのかもしれない」
「………」
「ここには、俺の大切なものがある」
 その笑顔が、少し哀しそうに見えた。
 何故だか胸が痛くなって、獅堂は視線を下げていた。
「俺は、ここを離れたくないんだ、獅堂さん。ここが俺の居場所だから」


                   十一


 病棟の一角にある滝沢の部屋を覗くと、滝沢はすでに就寝していた。規則正しく上下する布団を見て、獅堂はほっと息をつき、扉を閉める。
 気まずい別れ方をしたから、ひょっとして傷つけてしまったかと思っていた。
 まぁ――傷ついたまま寝てしまったのかもしれないが。
 そのまま、ため息をついて、鷹宮の病室へ戻った。真っ暗な部屋、まだ、部屋の主は戻っていない。
 電気を点けようとしたが、思い直してそのままベッドに仰向けに寝転んだ。
―――鷹宮さんは……。
 どうするつもりなのだろう。
―――自分は……。
 どうしてほしいのだろう。
 判らない。
 そして、隆也。
「…………」
 獅堂は目をすがめて、身体の向きを横に変える。
 なんのためにレオは、あの男の過去を操作したのだろう。本当はなんの理由で、あのラボに閉じ込めているのだろう。
 隆也の説明は、どこか現実味を欠いている。
 話せば話すほど、彼自身が、自分の存在に不安を感じているのが、よく判る。
―――まさか……な。
 何度もゆらめくようによぎる疑念を、獅堂は首を振って否定した。
 そんなことはない。
 あってはならない。
 あの男は楓ではない。似ているのは印象だけで、中身はまるで別人じゃないか。
 獅堂は自分に言い聞かす。
 それで。
 それで、いいんだ。





 













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