act  11
 ――彷徨――




                                     
vvvvvvvvvvvvv

               五


「まったく、あなた方は……」
 警護員の輪を抜けて現れたレオは、意外にも笑っていた。
「どこまで僕を困らせたら気がすむんですか。不法侵入者として、お二人をこの場で射殺することも出来るんですよ」
 宝石のような綺麗な眼は、しかし少しも笑ってはいない。
 鷹宮の背中が、すっと獅堂の前に入り込んだ。そして言う。
「そこまでして、隠しておきたい秘密があるというわけですか、このラボには」
「そう……何しろ、ゲノム解析は莫大な利益を生む金の卵ですからね。どの研究施設でも、部外者の侵入には相当ナーバスになってます。……当たり前の反応ですよ」
 意味深な笑みを浮かべたまま、レオは鷹宮と、そして獅堂を交互に見る。
「レオ……俺のせいなんだ」
 呟くように言ったのは隆也だった。
 獅堂は隆也を見た。
 まだ、色の褪せた弱々しい横顔。レオの背後に隠れるようにして、それでも、口調はしっかりとしている。
「……俺が、不用意だった。うっかり、扉を開けたままにしていたから」
 さすがに、獅堂は驚いていた。
 やはり、隆也は庇おうとしている。鷹宮と、そして自分を。
 何故だろう、あんなひどい目に合わされかけたというのに。
 屋上で憎まれ口を叩いていた時とは、まるべ別人のように憔悴した横顔。それが、鷹宮が口にしたことの証なのか、それとも恋人に失敗を見られたことへの畏怖からなのか、それは獅堂には判断できない。
「いいんだよ、リュウ。もともとあれは、君のために作った庭だ」
 レオは隆也の肩を抱き、庇うように引き寄せた。
「閉じ込めてばかりいた僕が悪い。可愛い小鳥さん、でも、もうしばらくは我慢しておくれ」
 歯が浮くんじゃないか、と思ったが、レオの顔は真剣そのものだった。
 そして、ふいに冷たい視線を、獅堂と、そして鷹宮に向ける。
「どちらにしても、いずれ鷹宮さんにはここへ入ってもらうつもりでした。丁度いいタイミングだった……のかな」
「人口冬眠治療ですか。ようやく、その裏を見せていただけるというわけだ」
 それには答えず、レオは薄く笑っただけだった。


                六


「あの、新種ウィルスに、我々同士の命が次々に奪われはじめてから」
―――僕たちは、このプロジェクトを、本格的にスタートさせました。
 そう言いながら、レオは、手元のパソコンのキーを叩いた。
 薄暗い室内に、白いスクリーンが浮き上がっている。レオのパソコンと連動して、そこに、ぼんやりと画面が滲む。
 獅堂と、そして鷹宮は、レオに案内された部屋――そこがどういう種類の部屋なのかわからないが、長方形の会議机と、簡易チェア。それらがずらっと並ぶ会議室のような部屋で、椅子に座ったまま、目の前のスクリーンを見上げていた。
 最初に流れ出したのは、クラッシックなメロディだった。
 そこに、英語の音声が被さる。洗練された、柔らかな女性の声だ。
 白衣を着た、作り物のような完璧な美貌の女性が画面に現れ、英語で何かを説明している。背景はこの――ラボだろうか。病室。白衣とマスクをつけた医師たちが忙しなく患者に向かう様が映し出されている。
 と、レオが操作してくれたのか、いきなり日本語音声が流れ始めた。
「動物の中で、ある種のものは、冬眠というシステムを、体内の機能として備えているのね。クマ、リス……カエル、蛇なんかもそうだったかしら?ねぇ、レオ」
 ちょっと吹き出しそうになったが、画面に、そこで唐突に現れたのは、キャメルのスーツに身を包んだレオナルドガウディだった。
「オーケー、その通りさ、キャシー」
「その間の数ヶ月、冬眠中の動物は、心肺機能、消化器官、生きていくためのあらゆる機能が、極端に低下するのよね。細胞レベルで、全てがスローに、低代謝になるのだったかしら」
「その通りさ。ベイビー、だから食事もいらないし、心臓なんかもほんのちょっぴり動けばいい」
「でもどうやって?クマやリスのような体質を、本当に人間が真似ることができるの?」
「冬眠はね、その動物がもつ特殊なホルモンによって行われるんだよ、ダーリン、僕らは、そのホルモンを分析し、抽出することに成功したんだ」
「リスクはないの?どういうやり方で、それを人の体に移すの?」
 画面が変る。
 研究室――のようなところである。
 口髭を生やしたブルーの瞳の医師が、何かを説明している。そして、白い綺麗な腕に注射針が押し当てられる場面になる。
「簡単だろう?」
「ええ、本当にそうなのね」
「あとは、コンピューターを使って、脳波を計画的に冬眠状態に誘導させるだけさ」
「これで、本当に病の進行も防げるの」
「そうだよ、ハニー、進行を遅らせつつ、しかも治療を続けることが可能なんだ。君が王子様のキスで目覚めた朝、君の身体は元通りの健康体さ」
 画面が切り替わり、銀色の――半透明の、棺のようなカプセルが映し出される。
 そこに、先ほどまで説明していた女性が、白衣のまま滑り込んで横たわる。
「こちらは、スポンサー向けのレセプションフィルムです」
 レオの静かな――ここにいる本人の肉声がそれに被さり、そこで音声は途切れ、再びスクリーンが灰色に翳った。
 室内に照明が灯り、ようやく明るみの中に出てきたレオの――端正な横顔には、フィルムの中のふざけた表情はみじんもない。
「……まだ、実用にはほど遠い……しかも、莫大な金を食う研究です。ゆえに、こうして病んだ富豪から寄付を募る必要がある……ま、これも共生というものなのでしょうね。我々の目的は、肥太った在来種の老人を生かすことではなく、若く才能溢れるベクターを、一人でも多く後世に残すことにあるのですから」
 獅堂は黙ったまま、眉をひそめていた。
 この映像は、人口冬眠治療の説明なのだ。
 人口冬眠という名前を聞いた時、それが、一種の冷凍保存のようなものだと想像していた獅堂は、少し驚いていた。動物特有のホルモンを人間に取り込む。そんなことが――果たして可能なのだろうか。本当に危険はないのだろうか。
「ベクター……を、ですか」
 鷹宮が静かに口を開いた。
 レオは顔をあげ、どこか皮肉な笑みを浮かべる。
「そう……体内に死のウィルスを宿しつつ、いつ発病するかわからない恐怖を抱えて生きているベクターを……です」
 鷹宮は黙り、獅堂も唇を噛み締めた。
 レオの冷たい目に浮かぶ、蒼白い焔のような怒りの色。それは、説明されなくても、何に対して向けられているのか、すぐに判る。
 今から――約二年前。
 突然、ベクターを襲いはじめた、未知のウィルス。HBH−1とHBH-2。
 劇的な勢いで発症者が続出したのが、丁度楓と嵐が地上から姿を消した時期にあたる。
 それは、ベクターの保有を巡る各国の均衡が、ぎりぎり……崩壊しかけていた時期でもあった。
 まるで、地球自身が、ベクターという危険な細胞を、自ら排除するかのように――ベクター種は、その時期、劇的にその半数以上が地上から消滅したのである。
 そして、その残酷な「自然淘汰」は、その年の終わりには、やはり劇的に終息した。
 理由は、今になっても誰にも判らないし、いまだに研究が続けられている。一説には、ベクターの遺伝子を作り出した……元、ペンタゴンの科学者集団が、意図的に何かの操作を加えたのではないか、とも言われているが、それも憶測の域を出ていない。
 そのウィルスが、自然発生したものではなく、ベクターの遺伝子にあらかじめ埋め込まれていた毒性ウィルス――自殺種子と呼ばれる、悪魔のウィルスであったことは、すでにWHOをはじめとする感染症関係機関の間では、確定的事実として扱われている。
 が、むろん、米国はそれを全面的に否定し、ジェイテック社がベクター製造に関与した事実さえ、頑として認めてはいない。
「……今では、HBH−1とHBH-2は、感染症ではなく、ベクターが持つ遺伝子疾病の一つだと位置付けられています。それは遺伝により子孫に受け継がれるから、病気の種類としては、血友病などと同レベル……ということになるのでしょうが」
 苦い口調でそう言い、レオは少しの間、言葉を切った。
 獅堂でさえ、知っている事実。それが遺伝子疾病ではなく、ベクターの生殖を防ぐために人為的に生成されたウィルスであるという事実。
 それを知った時、おそらくレオは、激怒しただろう、いや、ベクターであれば誰もが、自分を創り上げた者に激しい怒りを覚えるだろう。
 あの事件で、NAVIの構成員も、その五割以上が命を失ったと聞いている。
 レオ自身も一時はウィルスに倒れ、九死に一生を得て、ここにいる。
 だから、レオは、母国も父親の後ろ盾も棄て、この中立の地にベクターの王国を築き上げたのだ。私財を投げ打ち、潤沢なスポンサー資金を得て、あらゆる方面に渡る巨大なラボを、次々と建設している。その研究成果がさらに資産を生み、もはやこの世界で、一種の治外法権国家的な集合体になりつつある。
 レオの根底に流れるものは、在来種への強烈な不信感と共生への拒絶だ。いや、レオだけではない、ここにいるベクターは、きっと誰もがそう思っている。
―――本当に……。
 本当に――それでもいつか、在来種とベクターは、本当に分かり合える時が来るのだろうか。
 獅堂は苦いものを噛みしめながら、レオの冷たい目を見つめ続けた。
「……幸いなことに、自殺ウィルスを体内に潜ませたベクターが、それを発芽させる――いわゆるHBHを発症するというのは、今年に入ってから、殆んど稀なケースになってしまいましたがね。まるで、その時期を狙って意図的に種子を発芽させ、時期が終るとウィルスの活動自体が脆弱になった……かのように」
 皮肉な笑みを浮かべて、再びレオは唇を開いた。
「発症者は、現在では、……月に一人出るかどうかです。……が、ある一つの発症パターンについては、いまだ8割の発症率を誇っている、それが、ベクター種の女性が、妊娠したケースです」
 そう言って、獅堂を、そして鷹宮を見つめるレオの瞳に、かつて――初めて獅堂が彼を見た時の、どこか子供っぼく、そしていたずらめいた光はない。
「このプロジェクトは」
 レオは少し肩の力を抜いたのか表情を緩め、手元のペーハーを、ひらり、とテーブルの上に翻した。
「そもそも例のウィルス゛HBH゛の治療法の一環として、NAVIの総力をあげて、取り組んできたものです」
 その紙に、大きく記された英単語。何かの企画書のタイトルのようなもの。
「スリーピング、ビューティー…?」
 獅堂は呟いた。
「眠れる森の美女。そう、それが、プロジェクトの正式なネーミングです」
 レオは微かに笑った。
「被験者第一号にちなんで名づけました。スリーピング・ビューティー、通称SPB」
「……なるほど、人口冬眠治療の命名としては、夢と希望に溢れる名称ですね、男性向けの名称ではありませんが」
 静かにそう言ったのは、鷹宮だった。
「サンキュー、ミスター、でもあなたならお似合いだ」
 レオは、指を組み、はじめて楽しげににっこりと笑う。
 獅堂は鷹宮を見た。
 正直、隣に座る男が、何を考えているのか、獅堂には想像さえできないでいた。
 この研究室に招かれてから、鷹宮はずっと抑えた表情のまま、妙に落ち着き払っている。
「HBHは、とにかく発症してから死亡に至るまでの時間が、短すぎた」
 きれいな眉を、そこでふっとレオはひそめた。
「一時的に、どうしても病の進行を食い止めることが急務でした。冬眠システムは、動物の体内にある、ある種のホルモンにより引き起こされることはわかっていた。ただし、いまだそのシステムは十分に解明されておらず……それを人間に適用するには、実に何年もの時間がかかる」
 獅堂はレオを見上げ、再度鷹宮の横顔を見た。
 まさか、そんな不確かなものの、その実験体に鷹宮がなるというのだろうか。不安に似たものが、胸をよぎる。
「言っておきますが、今お見せした映像は、あくまでスポンサー向けの向けのフェイクです。実のところ、クマなどよりさらに――在来種にしてみれば恐ろしい生命体から、我々は冬眠ホルモンを抽出したのですから」
 レオは声もなく笑う。ひどく暗い笑みだった。
 何か言おうとした獅堂の腕を、横からそっと、鷹宮が押さえた。
「……僕らは、当初、動物の冬眠機能を解明するのに必死になっていた。そんな時……、ある……非常に興味深い症状で眠り続けている女性が、メディカルセンターに運ばれてきたのですよ」
 組んでいた手を解き、レオは、挑戦的な眼差しを、黙ってそれを聞いている二人に向けた。
「患者の名前は右京奏、ペンタゴンペンタゴンが二年余に渡り、完全に封印していた人類の希望」
 獅堂ははっとしたが、鷹宮は、それを予想していたのか、眉ひとつ動かさない。
「どんなやっかいごとに巻き込まれようと、僕が彼女を守り抜こうとしたのは、純粋な同情とは少し違う」
 冷ややかな目に、いったん消えた憎悪の色が再び宿る。
「正直に言えば必死だった、僕には時間がなかったですから。何故なら当時、僕が唯一敬愛する女性、ドロシーライアンが」
「…………」
 獅堂は目を伏せる。それが、楓の友人でもあり、すでに――亡くなった人であることは、知っている。
「……およそ女性として、最高に幸福の時間……妊娠中期の時期に、例のウィルスを発症していましたからね、自殺種子とはよく言ったものだ……妊娠と同時にウィルスの殻が壊れるシステム。……ねぇ、鷹宮さん、人というのは、どこまで残酷になれるものなのでしょう」
「…………」
「我々は、右京奏さんの遺伝子を徹底的に解析した。……国家予算の規模のドルが、それこそ湯水のように消えました。……そして、彼女の持つ、特殊なホルモン。我々はそれを、人工的に生成することに成功したのです」



 













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