act  10
 ――邂逅――




                                     
vvvvvvvvvvvvv

               六


「……鷹宮さん」
 獅堂は、何度目かの呼びかけを繰り返した。
 返って来る返事はない。
―――何を……考えてるんだ……。
 ようやく目覚めた鷹宮は、薬を飲んだきり、一言も口を開こうとしなかった。
 着替えさえせずに、窓辺の肘掛椅子に座り、肘をついて頬を支え、ただ、―――どこか遠くを見ている。
「あの……着替え、ここに置いておきますから」
 獅堂は、病院で用意してくれた服を指で示した。
 部屋に戻るなり、すぐに倒れこんだ鷹宮は、まだ、ネクタイすら解いていない。
 退院の話は、やはり獅堂だけが、信じ込まされていた作り話だった。
 いや――確かに、当初は今日が予定日だったが、結局は、延期されていたらしい。
 色々な意味で、考えれば辛くなる。
 獅堂は、あえて、そのことには触れないようにしていた。
「……滝沢と自分、今夜、ここに泊まることになりました、もう遅いし、……今夜は、鷹宮さん、休んだ方がいいって」
 全く無視されているのを感じながら、仕方なくそれだけ言った。
「……開いてる病室、貸してもらえることになって、あ、もちろん、別の部屋ですけど」
 鷹宮の横顔は動かない。
 冷たい――整いすぎているゆえに取り付くしまのない、冷淡な横顔。
 獅堂は、かすかに溜息をついた。
「……自分たちは、明日、帰ります。鷹宮さんは……」
 どうなるのだろう。
 もし、人口冬眠治療の被験者になるなら、鷹宮は、この病院を、もう二度と出ることはないのだろうか。
「どうしてほしいですか」
 返事は、驚くほど唐突だった。
「え……」
 部屋を出ようとしていた獅堂は、驚いて足を止めていた。
「あなたは、どうして欲しいですか」
「……どうって、そりゃ、一緒に」
「結婚しましょうか」
「…………は?」
 ふいに男が立ち上がった。
 その表情を確認する間もないほどだった。驚くほど性急に抱き締められて、獅堂はただ、戸惑っていた。
 後ずさった弾みで、がたん、と背が壁に当たる。
 耳元で、男が囁く。
「傍にいると言ってくれましたよね、だったら結婚してくれますか」
―――結婚?
「私と、一緒になってくれますか」
―――マジで?
「……あの、それは、なんていうか」
 ちょっと……いくらなんでも早過ぎるのでは。
 と、言いかけて、あ、と思って口をつぐんだ。
 早すぎるなどという時間の感覚は、もう鷹宮には通用しないのかもしれない。
「え……じゃあ……はい」
 と、とりあえず答えてしまった。
 こんなに簡単でいいのかな、と思いつつ。
 案の定、鷹宮は笑い出した。
 腕を緩められ、ほっとしながら、ああ、やっぱ冗談か、と獅堂は思った。
「……莫迦だなぁ、あなたは」
 くっくっと、喉を鳴らすように笑いながら、男が呟く。
 さすがに、少しむっとした。なんだろう、……そりゃ、すぐに返事をしたのは、単純すぎのかもしれないが。
 けれど、どんな理由であれ、鷹宮が笑ってくれたのは嬉しかった。
 レオと話していた時からずっと続いていた緊張感が解けた気がして、獅堂もようやくほっとする。
「……鷹宮さん、……自分、レオから聞いたんですが、鷹宮さんの、治療法のことで」
 そして、ようやく獅堂は、聞きたかったことを口にした。
「ああ、そうでしょうね、そんな気がしてました」
 鷹宮はあっさりと答える。
「…………」
 鷹宮は、結局、どうするつもりなのだろうか。
 被験者になる道を選び、未来のために今を棄てるのか、それとも――今を、選ぶのか。
「ま、室長に相談してみますよ」
 が、返って来た返事は、あまりにも意外なものだった。
「……室長……ですか」
 自分――ではなく。
「仕事の都合もありますしね。家族がいないというのは、こういう時気楽ですね。自分の好きなように決められますから」
「…………」
 そう、ですか。
 それだけ呟き、獅堂は、無理な笑顔を作った。正直、どう答えていいものか判らなかった。
 鷹宮は腕を解き、獅堂から身体を離す。ぬくもりと独特の香りが、急速に薄れていく。
「じゃ、おやすみなさい、獅堂さん」
「……お休みなさい……」
 背を向けた男は、ベッドの傍に立ち、ネクタイを外し始める。
「…………」
 いったん、退出しようと思ったものの、獅堂は足をとめ、その背中をただ見つめた。
 この人が。
 人口冬眠治療を受けようと、受けまいと。
 こうやって――今の、生きている鷹宮に触れる事ができるのは、本当に、あとわずかなのかもしれない。
 自分が生きてきた世界の中から、見慣れた景色の中から、鷹宮だけが消えていく。
 残された、コーヒーサーバー。パソコンの前に置かれた眼鏡。
 何もかも――別れた朝のままだったのに、切り取られたように部屋の中から消えてしまった楓のように。
 獅堂は無言で、鷹宮の背中に歩み寄った。
 そのまま――腰に腕を回し、暖かな背中に、額をあてた。
「………死なないで……」
 男は、驚いたように固まっている。
 閉じた目に、涙が滲みそうになった。
「……生きてください………」
「…………」
 激情が込み上げて、自分でも、何を言っているのか判らない。
「レオナルド会長の好意を受けろと、そう言いたいのですか」
 静かな、鷹宮の声がする。
 そうじゃない。
 獅堂は無言で、首を振る。そうじゃない――でも、それしかないなら――。
 それしか、本当に、方法がないなら……。
 かすかに、男が苦笑する気配がした。
「それがいいかもしれないですね。あなたもこれ以上、病気の私につきまとわれてはたまらないでしょうし」
「…………」
―――え……?
「楓君と、似た彼も現れたことですしね」
「……鷹宮さん?」
 言われている意味が、よく判らない。
「出て行ってもらえますか、もう眠いんです。薬が効き始めていますので」
 突き放すような声と共に、回していた腕が振り解かれる。
 獅堂は――何も、言えなかった。

                  




















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