act  10
 ――邂逅――




                                     
vvvvvvvvvvvvv

               
                  四


 青白い、透き通った男の肌を見つめながら、獅堂は胸がきしむような痛みを感じていた。
―――鷹宮さん……
 血管が透けるほど薄くなった腕、そして首筋。閉じられた瞼の周りが痩せている。
 時折浅くなる呼吸。
 レオとの対談を終え、病室に戻った鷹宮は、すぐにベッドに横になった。
「すいません、少しの間眠らせてもらえませんか」
 笑顔こそ浮かべていたが、顔からは血の気が引き、眼には生気のない気だるさが滲んでいた。
 それから二時間。
 鷹宮はまだ眠りから醒めない。
 また、自分は……。
 枕頭に立ったまま、獅堂はきつく両眼を閉じた。
 この人に辛い思いをさせたのかもしれない。
 守ると決めたのに、自分が。
 自分がこの人を――支えて生きていくと決めたのに。
 なのに、
 隆也・ガードナー、真宮楓の弟。その姿を見ただけで、あんなにも心を乱されて、動揺してしまった。
「獅堂さん」
 ノックと――扉の軋むような音がして、滝沢の声が背後からした。
「お前は先に帰れ」
 振り返らずに獅堂は言った。「降矢さんに報告するんだろう?自分と会っても、真宮の弟は顔色一つ変えませんでしたって」
「……すいませんでした」
「お前のせいじゃない」
 あれほど楓に――顔形が、似ている者がいる。
 疑うのは当然だ。そして、獅堂が試されたのも仕方のないことだと思う。
 同じ特務室でも、局の元課から派遣された滝沢が、それを隠して自分に同行したことも。
 ようやく往路の飛行機で滝沢に感じた、一抹の不自然さが納得できていた。滝沢は――自分とあの男の邂逅を見届けるために同行したのだ。
 しかし。
 鷹宮をその計画に絡ませたのは、許せない。
「やっぱり、本人じゃなかったんですね…」
 滝沢が静かに呟いた。
 獅堂はそれには答えず、鷹宮の肩に、そっと掛布を掛けなおした。
「でも、諦めるのはまだ早いですから。まだ詳しくは話せませんけど、彼が楓さんかもしれないって可能性は、まだ」
「もうよせよ」
「え…?」
「あの男は真宮じゃない、もうそれでいいじゃないか!」
「獅堂さん」
 獅堂は振り返った。
「確かめて、もしそれで本人だったら、本庁の連中はあいつをどうするつもりだったんだ、また捕まえて、拘束して、一日中検査漬けか」
「それは……」
 滝沢は言いよどむ。
「何のために確かめるんだ。あいつを救うためか?それとも追い詰めるためか?」
「じゃあ聞くけど獅堂さん、あなたは真宮さんに、もう一回、」
 会いたくないんですか。
 そう言おうとしたのだろう。しかし滝沢は口をつぐんだ。
 そして俯き…苦い口調で言った。
「目の前に、万が一の可能性が転がってるんだ、それを……あきらめるなんて、」
「………」
「獅堂さんらしくないですよ。それも、鷹宮さんのためなんですか」
「どうしてそこで、鷹宮さんの名前が出るんだ!」
 獅堂は苛立って、滝沢の横顔から眼を逸らした。
 自分でも、なんでこんなに腹立たしいのかわからない。
 いや、判っている。獅堂は今日、あらためて実感せざるを得なかった。
 少なくともレオナルド・ガウディは、楓の血を引く者を守ろうとした。
 その姿勢だけは共感できるし、感謝しなければならない。
―――なのに、自分は。
 いつだって、楓を追い詰め、苦しめるものの一部なのだ。
「……鷹宮さんも、あの男のことを知っていたのか」
「………室長から、指示はあったと思います」
「どうして」
 拳を、思わず胸のあたりで握り締める。
「鷹宮さんは、病気なんだ、もう普通の体じゃないのに」
「それは」
 滝沢の声は、ひるまなかった。
「それは、鷹宮さん自身も承知していることです。その上で、あの人自ら係わる事を望んだんです」
「…………」
―――判っている。
 鷹宮ならそうするだろう。一人で決めて、行動する。そこへ情を絡めたりはしない。むろん、獅堂の気持ちを確かめることもない。
「確かに、彼を楓さんだと確かめることに……何の意味があるのか、僕にもいまいち、よくわかんないです」
 しばらく黙ってから、滝沢は少し硬い口調で言った。
「獅堂さんの気持ちは判ります。確かに今、楓さんが戻ってきても、この地上に安住の場所なんて、ないのかもしれない」
 しばらく黙ってから、滝沢は少し硬い口調で言った。
「でも……決められた未来なんて、ないですから」
「………」
「いつだったか、嵐さんに言われたことがある。例え絶望的な状況しか用意されていなかったとしても、人間だから、俺だって、獅堂さんだって……楓さんたちを拒否する人たちだって」
「………」
「人は変われる、それだけが希望、……楓さんの未来も……俺らの強い意思の力で、変えることが出来ると思うんです」


                 五

 
 獅堂と滝沢は、明日、帰国する。
 が、鷹宮は――いつ、それが叶うのだろうか。
―――あんな体調で……無理をするから、
 病室を出た獅堂は、扉を閉めて、目を閉じた。
 目の奥に軽い疼痛がする。
 夕方受けた検査では全く異常は見つからなかったから、少し、疲れているのかもしれない。
「獅堂さん」
 その時、背後で声がした。
 淡い照明の下、ふっと滲むように表れる人影。
 いや、もうその声だけで、獅堂にはそれが誰だか判っていた。
「……何か、自分に用ですか」
 眼を合わさずに、獅堂は言った。
 レオナルド・ガウディは少し離れた場所に立ち、軽く腕組みしたまま、黙っている。
 昼間、屋上で見た時と同じ、淡い色調のスーツを身につけている。
「お世話になりました。自分たちはここを発ちます。上の思惑は自分には判らないが」
 獅堂は少し、息を吸った。
「もう自分は、二度とあなたにも、真宮の弟にも係わらないつもりですから」
「………」
 レオが、微かに眉根を寄せたような気がした。
 嫌悪でもしているかのような――その表情の意味は、獅堂には分からない。
 が、わずかな間の後、一転して男は、楽しそうに微笑した。
「そう、それが賢明な選択です。理解してもらえて嬉しいですよ。獅堂さん」
「………」
「さて、何も僕は、昼間の話を蒸し返しに来たわけではない……ここからは、個人的な話しになりますが」
 そう言って、レオは組んでいた腕を解くと、視線を窓に――夕闇の空に向けた。
「こう見えて僕は、鷹宮さんには、奇妙な執着を感じている。ここで、彼を診る事になったのは何かの縁だとさえ思うし……正直、助けたいと思います」
「…………」
「彼の容態は、相当悪くなっているようですね」
「………」
 わかっている。
 その、厳しすぎる現実に、獅堂はただ唇を引き結ぶ。
「一口に放射能障害といっても色々ある。放射能はいったん体内に取り込まれると、決して自然には排出されない物質だ。体内に寄生し、遺伝子レベルで情報を書き換え、壊していく。いったん壊れたものは複雑に変化して、二度ともとには戻らない――いわゆる、悪性新物質が体内に巣食う様になる」
 悪性腫瘍、白血病、肝機能障害。 
 レオは続けた。
「鷹宮さんのそれは、現在、慢性型の……骨髄性白血病、という形をとって現れています。100パーセント有効な治療法は現代の医学では存在せず、一番有効性が高いのが、造血幹細胞移植療法だと……言われてる」
 造血幹細胞移植。
 医学書でその単語を見た時、最初はぴんとこなかったが、今なら判る。いわゆる骨髄移植のことである。
 そして、鷹宮の場合、その治療を行うことが、ほぼ不可能なのも知っている。
「……ドナーは、本当にいないのか」
 獅堂はうめいた。
「……お聞きではないですか、親兄弟のいない鷹宮さんが、他人の骨髄を移植するには、HLDが遺伝子レベルで、限りなく一致する必要がある。……鷹宮さんは、……北欧の――少数民族の血筋を引いておられるようで、一致するHLDを見つけ出すのは、砂漠に落ちた宝石を捜すより難しい」
「…………」
「彼に聞いてはおられませんか?……鷹宮さんは、いわゆる抗がん剤を用いた科学療法は拒否している。インターフェロンを毎日皮下注射することで、かろうじて進行を遅らせてはいますがね、医師の診断では、白血球が正常化するきざしは、今のところないらしい」
「…………」
「現在、グリベックという薬剤を用いた療法を試してはいますが……これも、治癒に向けた確実な効果は見込めない、というのが、NAVIスタッフの共通した認識だ」
 獅堂は黙る。
 慢性型骨髄性白血病のことは、獅堂も調べている。
 ハイドロキシウレアという抗ガン剤治療と、インターフェロン、そしてグリベック。そのいずれも効果がなければ、あとは、造血幹細胞移植――つまり、骨髄移植しか助かる道はない。
「つまり、現在の治療では限界があるのです。鷹宮さんの病の進行は慢性型にしては、驚くほど早い……このままでは、一月か二月後には、急性型に転化して、」
「……そうなのか」
 それは、急性型の骨髄性白血病を意味する。そうなれば、化学療法などはもう効かなくなるという。
 獅堂はうつろな気持ちで自分の足元に視線を落とした。
 慢性型は――治療が有効に効きさえすれば、進行がスローなだけに、治癒する可能性も、生存率も高いと聞いていた。
 だから、まだ……鷹宮と、一緒にいられる時間はあるのだと、そんな風に思っていたのに――。
「急性転化すれば、生存率は格段に減る。……治癒の見込みは、ほぼなくなるでしょう」
 ひどく残酷で、断定的な口調。
 足元が揺れるような思いに、獅堂はただ、じっと耐えた。
 それでも今、――今、自分が動揺しているわけにはいかない。
「……鷹宮さんは……何故、科学療法を……」
「……それは僕にはわからない……ただ、彼は、まだ仕事がしたいのでしょうね。長期の入院を余儀なくされる治療だけは受けられないと言っておられたから。……それに、僕の私見では、おそらく化学療法も効果はないでしょう、他の治療法と同様に」
「…………」
 それは、どういう意味だろう?
 獅堂は眉をひそめたまま、端正な男の横顔を見上げる。
「ただ他に………有効な治療を施す方法はないわけではないのです、獅堂さん」
 淡い照明の下で、レオの瞳が何かを秘めて揺らめいていた。
「……他に……?」
 意味が判らずに問い返すと、レオはかすかに眉を寄せた。
「ひどく実験的な手法ではありますがね。……あなたにも、聞く権利はあるでしょう、……というより、あなたの口から、彼を説得していただきたいのだ」
「…………?」
―――説得……?
「人口冬眠治療、という治療法があります」
「…………」
 聞きなれない言葉に、獅堂は、素直に眉をひそめた。
「……その名のとおり、冬眠です。代謝を抑え、生命を維持させて長期の治療を可能にする。その間、進行の遅くなったガン細胞を――様々な手段で除去していくことができる」
 冬眠。
 獅堂がそこから発想するのは、熊や蛙、そういった動物のことくらいだ。
「現在、NAVIの総力をあげて取り組んでいるプロジェクトで、今を棄てる代わりに、未来に希望が残るかもしれない治療法です。……リスクはある、なぜなら臨床が十分ではなく、まだ非認可の治療法だから」
「鷹宮さんは、実験体か」
 さすがにそれと気づき、獅堂は苦い思いで顔を上げた。
「どうにでもとってください。彼にも概要は伝えてある、……最も彼は、それさえも拒否していますがね」
 何故、それを――。
 今日、鷹宮は、一言も言ってはくれなかったのだろう。
 獅堂は、自分の足元を無言で見つめた。




















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