act  10
 ――邂逅――




                                     
vvvvvvvvvvvvv

                二


 隆也・ガードナーか。
 右京は呟いた。
「国籍、経歴、及び居住地に関しては、全て裏を取りました。……残念だが、NAVIの報告に齟齬はない」
 降矢はそう言って、デスクパソコンの画面を展開させた。
 レオナルド会長からの一報が届いてからものの数時間。この部下の、驚異的な情報収集能力には、正直右京も感嘆せざるを得ない。
「施設にいたころの友人から入手しました。当時、彼は隆也ではなく、リュウ・ガードナーという名で登録していたらしい。日本人ではなく中国人だと、誰もが思っていたようですね。華僑が近いから、あえて偽称していたのかもしれないが」
 21世紀初頭から悪化しつつあった日中関係。
 中国政府が政策として行った、当時の日本バッシング教育の禍根は、実のところ、まだ、相当根強く残っている。
「10の年に入所して、15までそこにいたと、記録に残っている。母国も名前も偽っていた……だから今まで、行方が判らなかったのでしょうが」
 右京は無言で、パソコン画面に視線を落とした。
 先日、NAVIの人口庭園で出会った男。真宮楓と同じ顔を持つ男が、デジタルスナップの中に収められていた。
 まだ、ひどく幼い面立ち。
 日本人の年齢に換算すると、中学生くらいだろうか。
 銀がかった短い茶髪に、派手なピアス。
 いかにもだらしない服装で、何人かの黒人に混じって、煙草を口に咥えている。
 降矢がマウスをクリックする。
 もう一枚、別の写真が現れる。今度は同じ人物のバストアップ。
 上半身裸で、やはり煙草をくわえ、ふざけた顔をして映っている。その肩に、黒いクロスの刺青。
 煙草ではなく、マリファナだな、……いや、それより性質の悪いものか。
 その――独特の、恍惚にも似た表情を見ながら、右京は冷静にそう思っていた。
 見る限り、この写真の主は、確かに真宮楓とは別人だった。
「それにしても、よく似ている」
「ニつ違いだといいますが、見た印象はまるで双子ですね」
 同じ顔。同じ姿勢。笑っていても、どこか暗くて――深い静けさを湛えた瞳。
「生まれは沖縄。母親の名は喜屋武玲美。父親は……まぁ、複数なので、ここにリストが」
 降矢は続けた。
「両親は、隆也が七つの時に離婚、その時、母親が隆也を引き取り、米国籍の青年と共に米国に渡ってます。それがガードナー氏で……不運なことに、米国に渡って一ヶ月後には死んでいる。強盗に入られて、ガード―ナーも玲美も殺され……子供の遺体だけが、未発見だった、というわけです」
 それは、右京も知っていた。
 手元のメモをめくり、降矢は軽く唇を噛んだ。
「その時、行方不明になった子供が、リュウ・ガードナーというわけだ。全くNAVIは、どうやってそれを探し当てたんでしょうね」
「…………」
「ちなみに、ロースクールでの成績は散々だったらしく」
「兄は天才だったが、弟は凡人というわけか」
 右京は苦笑する。
 ただし、どちらが幸せだったかは、わかならいな、と思う。
「執念……ですかね。レオナルド会長は同性愛者で、真宮楓に、特別な執着があったと聞いている。兄の代わりが弟か。私には、理解も共感もできませんが」
 右京は眉をしかめ、口の過ぎる部下を見つめた。
「それだけではないだろう。我々もペンタゴンも、同様に、真宮楓の弟の行方を捜していた。その理由は、特別な執着だけか」
「…………ま、そりゃ、そうですが」
「先手を打って、保護した、ということだろう」
 真宮楓の血族――それが兄弟であるというならなおさら、研究の対象としては申し分ない。
 しかも――隆也の父親である可能性のある男の一人には……。
「レオナルド会長が、隆也を手元に引き取ったのは、今から半年前ですがね。――彼は、ニューヨークの路地で、いわゆる立ちんぼうのようなことをやっていたらしい」
「…………」
 立ちんぼうとは、フリーの売春のようなものだ。
 路地に一人で立ち、行きずりの客をとる。
「その裏はとったか?」
「残念ながら……ただし、一年ほど前、コロンビアマフィアの売春組織に所属していたことまでは、確認できています」
「…………」
「……リュウは、そこを逃げ出したんでしょう。それ以降の動きは、どこをどう探っても、今のところでてきませんね。裏の取りようがない」
「…………」
「今、当時の客を洗ってますがね、それが、まぁ、麻薬の密売なんかも絡んでて、……なかなか難しい」
 降矢は嘆息し、手にしていた手帳を閉じた。
「……隆也と言う男は、売春を通じて麻薬密売に絡んでいたのかもしれません。ま、それは我々が調べることではないですが」
 部下の報告を聞きながら、いや、それが鍵になるな、と、右京は思っていた。
 多分、そのあたりにもつれた糸の端がひそんでいるだろう。
「間違いなく言えるのは、隆也・ガードナーという男が実在していて、それが、真宮楓の弟だということだけです、NAVIの説明に齟齬はない、……完璧な理論武装ですよ」
 右京は、わずかに目をすがめ、そして言った。
「が、ただひとつ、NAVIが説明できないことがある。……そうだろう?」
「……まぁね」
 そう呟いた、降矢の思惑は判っているつもりだった。
「何故彼が、……あの夜、危険な場所へ強行突破して行ったかということです」
 ごく短い会話。乱れた電波。
 声紋の照合は完全な状態では行われなかった。八十パーセントの確立で同一人物。それがコンピュータの出した結論だった。
 しかし、兄弟であれば、骨格の同一性から、当然似たような声になる。
「だから今、鷹宮が……例のテストを試みています」
 

                 三


 「いずれはあなた方も、ここへたどり着くとは思っていましたがね」
 まったく、軍人というのは情報が早い。
 レオはそう言って、微かに笑った。
 獅堂は鷹宮と共に、病棟内にある来客用の応接室に招かれていた。
 高級ホテルのロビーが、そのまま部屋になったような室内には、豪華な革張りの応接セットと、様々な装飾品が、まるでギャラリーのように展示されている。
「右京さん、今ごろ、裏を取るために奔走されているでしょうね」
 レオは可笑しそうに呟いた。
 獅堂の目の前にはコーヒーが湯気を立てているが、さすがに飲む気にはならなかった。
 獅堂は、レオの肩越しに―― 一人たたずむ男を見つめた。
 隆也は、一人だけ話の輪を外れ、窓際にチェアを寄せて、ぼんやりと座っているようだった。
 銀色まじりの薄茶色の髮、青い瞳。
 確かに特徴だけとってみれば別人だ、しかし……。
「どこをどのように調査されてもかまわない、彼自身の遺伝子データもすでに右京さんに提供しています。ただし、彼の身柄引渡し、及び身体検査、私の目の届かない範囲での事情聴取には一切応じられません」
 レオの、冷たい声が、獅堂を現実に引き戻す。
「何故でしょう」
 即座に言ったのは鷹宮だった。
 ソファに腰掛けた足を組み、両手指を胸の前で軽く合わせたまま、視線だけを鋭く――やはり、リュウの方に向けている。
「何故?私はあなた方を、まるで信用していないのでね」
 そう答えたレオの眼には、明らかに皮肉の色があった。
「世界中のどの組織も、法律的には、このアメリカ国籍を持つ民間人に手を出せないはずですよ。鷹宮さん。彼は真宮楓の親族ではあるが、決して本人ではないのですから」
「その言葉をそのまま信じるほど、私も、防衛庁も甘くはありませんよ」
「知っています」
 レオは席を立ち、鷹宮の視線から庇う様に、どこか他人事のように冷たい横顔を向けている青年の前に立った。
「現に、ここ数日、不審な人物が私のラボを調査しているのを我々も掴んでいます。私の自宅兼オフィスの周辺でも、国籍不明の外国人が頻繁に現れていますしね。どうやら、彼らの目的はこの隆也・ガードナーらしい」
 そして腕を組み、振返る。獅堂を見下ろす瞳に、読みようのない微妙な揺らぎがあった。
「例の青い発光体の事件で、隆也を現場に向かわせたのが失敗でしたね。彼はただ、あの光に興味があっただけなのに」
 獅堂はこの室内に入ってから初めて、軽い驚きを持って隆也を見た。
―――いた?こいつが?あの場所に?
 NAVIの航空機に乗ったパイロットが、救援してくれたと言っていた。
 では、あれは。
 獅堂の表情の変化を察したのか、レオは僅かに眉をひそめた。
「誤解しないでくださいよ、獅堂さん。確かに隆也は現場にいたが、実際あなた方を救出したのは、乗り合わせていた別のメンバーだ」
 そうだね、リュウ。そう言ってレオは、背後に座る渦中の人を振り返る。隆也は、初めて顔を上げた。
 鷹宮を見て、それから獅堂を見る。
「俺はただ、見ていただけだよ」
 静かな声だった。
「彼をあの場所へ行かせたのは私のミスでした。ただ彼は、自分の兄がそこにいるかもしれないという、そんな思いから、あの光の調査に向かっただけなんですよ。結果的にはそれが、あなた方の……いや、各国の情報機関に不審をもたれてしまったようですが」
 レオはそう言って、そっと隆也の肩を抱いた。
 青い瞳が、一瞬微かに揺れたような気がしたが、再び隆也は視線を下げる。目の前で起きていることに、まるで興味を失ってしまったかのように。
「防衛庁の連中が楓にしたことを、僕は絶対に許さない」
 そのまま、レオはすっと目を細めた。
「ずっと不思議だった。どうして獅堂さんだったのか、何故、獅堂さんが楓と……一緒にいることを選択したのか」
「………」
「理由を知っていれば、最初から、……僕は決して、あなたに楓を渡さなかった」
 冷たい炎を潜めた眼――獅堂はレオを見た。
 レオが何が言いたいのかわかる。しかし、今度は、獅堂は眼を逸らさなかった。正直辛かった、が、逸らせば――本当に全てが、偽りになってしまう。
「それはそれとして、そこにいる隆也・ガードナー君とは、全くの別問題でしょう」
 沈黙を破り、口を開いたのは鷹宮だった。
「彼をこのまま、あなたの傍に置いておくのは危険だと思いませんか?まさに真宮楓の二の舞だ。あなたの周辺に調査の手が伸びているようなら、なおさらです」
「リュウは、何の力も能力もない、ただどこにでもいる――国家やあなた方軍人が守るべき、一般人です」
 レオは大げさに肩をすくめた。
「誰も、なんの権限なくして彼を拘束することも、身体を調べることもできない。いいですか、鷹宮さん。リュウは僕が守ります。僕の能力、財力の全てをかけて、」
「………」
「決して、あなた方には渡さない」



















 >>next >>back>>天空目次