二


「鷹宮さん」
 オデッセイ最上層にあるオペレーション・ルーム。
 その奥の、会議室を改良した一角に、昨年新設された「特務調査室」がある。
 本来なら、関係者以外は立ち入りが厳しく制限されている部屋である。
 本庁――防衛庁内部局である防衛局調査課からオデッセイに派遣された――防衛庁の中でも、エリート中のエリートたちが所属する部署であり、たかがパイロットふぜいが、入っていけるような場所ではない。
 しかし、獅堂だけは、特別にそれが許可されていた。
 特別――というより、特務調査室、通称特務室が取り組んでいる極秘プロジェクトのメンバーに、獅堂も名を連ねているからである。
 獅堂は、今現在、成り行き上とは言え、防衛庁内の最高機密を知る数少ない人間の一人となっていた。
「あれ………?」
 特務室をのぞいた獅堂は、少し驚いて眉を上げた。
 室内はもぬけの空だった。外勤対応の防衛局のおえらいさんが来ない日は珍しくもないが、駐勤対応の三人が揃っていなかったことなど今までない。
 相変わらず無機質な部屋である。壁に取り付けてある大型ディスプレイと、その下にある最新型の通信システム。真っ黒なディスプレイには、いつものことだが、獅堂にはいまいち理解できない数種の蛍光線が、様々な角度で折れ曲がりながら、機械的に流れている。
 いつだったか、鷹宮が「これで、大気圏に接近した衛星などの動きを知ることができるんですよ」と説明してくれた。で、これは二十四時間体勢で監視しなければならないはずで、そういう意味でここが空になるはずはないのだ。
 が、いつもなら必ずこのディスプレイ脇の席に座っていて、こちらを振り返ってくれる、――駐勤職員、鷹宮篤志の形良い背中がない。
 獅堂が、ちょっと立ちすくんでいると、
「鷹宮さんなら、地上に降りましたよ」
 ふいに声だけが、窓際のパーティションの向こうから返ってきた。
 湯気の立つカップを片手に、すらっとした長身が、灰色のしきりの向こうから表れる。
 先月オデッセイに上がってきたばかりの新人職員―――そして、鷹宮と同じくオデッセイ駐勤職員、東京大学理工学部をスキップで卒業した秀才、滝沢 豹である。
 ベクターでもないのに、知能指数の高さでは、真宮嵐を上回る逸材と言われ、昨年、大学の研究所を辞め、鳴り物入りで防衛庁に入庁した。驚くべきことに、入庁後、約半年で、要撃戦闘機の訓練課程までクリアしているという。
(――滝沢は、右京室長と同じで、非認定ベクターだろう……)
 と、いうのが、もっぱらの噂だったが、そういったプライバシーが、罰則で守られるようになった現在、そのことをおおっぴらに口にする者は誰もいなかった。
 とにかく、超がつくほど優秀な男であることには変わりない。
 が、滝沢豹の外見は、その頭脳や経歴を裏切ってひどいものだった。
 白金に脱色し、ざんばらに伸びた髪に、着崩した隊服。どこかだらしない――まるで、公務員らしからぬ風体。
 耳には、いくつか穴が開いている。さすがに勤務時間につけていないが、普段はその耳に、いくつもピアスをぶら下げているのだろう。
 青年――というより、獅堂から見れば、まるで子供のような男である。
 それでも顔だけは、きりっと引き締まった美形顔だ、笑うと莫迦みたいに無邪気なのに、ふと見せる表情が、意外なほど繊細に思える時がある。
 それが、どこかかつての恋人に似ている気がして、獅堂は――いつものように、滝沢から眼を逸らした。
「そっか、……最近、よく地上に降りてるな、鷹宮さん」
 そして、空いたデスクを見つめながら、呟いた。
 鷹宮篤志。
 獅堂が空学時代から旧知だった――際立って優秀な救難機のパイロットは、すでにその資格を、一年も前に失っている。
 あの事件の後、辞表を出したはずの鷹宮が、どういう事情で再度オデッセイに召集されたのか、詳しい事情までは獅堂も知らない。
 が、今の鷹宮はパイロットではなく、特務調査室の一員として、防衛局調査課から正式に派遣された専門員の一人だった。
「あの人、また、何かやっかいな仕事でもしてんのか」
 獅堂は思わず滝沢に聞いた。
 が、そう聞いたところで、次代の国防を担うであろう優秀な頭脳は、決してまともに応えてはくれないことは判っている。
「鷹宮さんは秘密の多い人だから」
 案の定滝沢は、そう言って微かに笑うだけだった。
 その笑い方が、やはり少しだけ、失った恋人の面影を滲ませている。
 獅堂は目をそらしたまま、ひょい、と肩をすくめた。
「ま、いいよ、こないだ借りた百円返しにきただけなんだ、大した用があるわけじゃない」
 気持ちを切り替えて部屋を出ようとすると、滝沢は、ふいに、くっくっと笑った。
「いやだなぁ、何も、そんな下手な言い訳しなくても」
「……なんで言い訳なんかしなくちゃいけないんだ」
「だって、鷹宮さんと獅堂さんの仲のよさは、もうこの基地内じゃ有名ですもん」
「…………」
 そういったひやかしには、さすがに少しむっとする。
 自分と鷹宮のことが、基地内で妙な噂になっているのは知っていたが、こんな子供にまでからかわれたくなかった。
 そのまま無視して、きびすを返そうとすると、まぁまぁ、と滝沢は笑うような声で言った。
「今、室長もいないし、暇なんすよ、ちょっとおしゃべりでもしていきません?」
 のんびりとコーヒーを口にする滝沢は、確かに暇そうだった。
 ここの室長を兼任している、右京奏の姿も見えない。滝沢が嫌っているもう一人の駐勤職員、降矢龍一の姿も見えない。
 むろん、あの厳しい二人がいると判っているのなら、獅堂も、そもそも、呼ばれてもいないのに顔をのぞかせたりはしなかった。
 右京と降矢の姿を別室で見かけたからこそ、こうやって、こそこそ鷹宮に会いに来たわけである。
 正直、ここ一〜二ヶ月、鷹宮の姿が頻繁に見えなくなるのが気になっていた。なかなかゆっくり話す機会もないから、今日くらい、昼食でもどうか、と誘ってみるつもりだったのである。
「実は俺、常々獅堂リーダーに聞きたいと思ってたことがありまして、」
 コーヒーを飲み干した滝沢は、上着のポケットに両手をつっこみ、ぶらぶら散歩でもするように、歩み寄ってきた。
「なんだよ」
「鷹宮さんの、か、こ」
 いたずらっぽい、子供のような笑顔になる。
 同じような特徴的な八重歯のせいか、こういう表情が、どうしても楓を連想させる。
「……過去?」
 鸚鵡返しに呟いて、獅堂は少し身を引いた。滝沢とは、色んな意味で距離を置きたい。
 が、滝沢は、それにはお構いなしに距離をつめ、じっと獅堂を見つめてきた。
 そして、
「チーム白虎の名波二佐、彼が昔、鷹宮さんの恋人だったってマジですか?」
「…………は?」
「黒鷲の椎名一佐とも、昔妖しかったって噂がありますよね、それもマジなんですか?」
「…………」
 一瞬間をあけ、さすがにふきだす寸前だった。
―――し、椎名さんってば、そんな噂が流れてると知ったら、血相を変えてすっとんでくるな。
 ようやく硬い表情を緩め、獅堂は笑った。
「………お前って、エリートにしては、くっだらない噂話が好きだよな」
「いやぁ、だって退屈なんで、今の仕事」
 滝沢は、悪びれることなくへらへらと笑う。
「自分は退屈でも暇でもない、じゃあな」
「えっ、もう、行っちゃうんですか」
 背を向けると、どこか焦ったような声が追ってきた。
「忙しいんだよ、お前と違って」
「獅堂さん」
 部屋を出たところで、駆け足で滝沢が追いすがってきた。
「鷹宮さんが頻繁に地上に降りる理由、少しだけ教えてあげましょうか」
「………」
 引かれるように、ふと足を止めていた。
「……何か、理由があるのか」
「まぁ、実は」
 並ぶと、獅堂よりわずかに高い目線。それも、――もう二度と、会う事も触れることもできない男と変らない。
 隊服を着ていてもはっきりと判る細身の身体が、まだ完成されていない男の若さを滲ませていた。
「交換条件ってのはどうですか。俺がマジで知りたがってること……判るでしょ、獅堂さんなら」
「…………」
 確かに判る。
 それも、獅堂が滝沢から距離を置きたい理由のひとつだった。
「駄目だ」
「獅堂さん」
「いつも言ってるだろ。聞きたきゃ、室長に聞いてみろ」
 獅堂はにべもなく言い、そのまま背を向け、歩き出した。
 いつもならそこで終わる会話。けれど、今日の滝沢は、妙にしつこく追ってきた。
「例の事件の真相を知っているのは、特務室内でも、ごく一部の人間に限られてるんです」
「………」
「……俺だって特務室の人間なのに、いまだに、まともな説明さえ受けてない、これじゃ、なんのために防衛庁に入ったのかわかんないっすよ」
「お前がまだ新人だからだろ、室長にも考えがあるんじゃないか」
 特務室にいる以上、いずれ全てを知ることになるだろう。
 が、このせっかちな若者は、そのいずれが待てないらしかった。
「獅堂さん、マジで嵐さん、……地上からいなくなっちゃったんですか」
「…………」
 その口調に、逼迫した何かがある。
 この少年は、東京大学時代、嵐と――真宮嵐と、非常に懇意な仲だったらしい。
 懇意というよりは、何か特別の思い入れがあるとしかいいようがないほど――嵐のこととなると、このふざけた男は別人のように真剣になる。
「ホントは、どっかでこっそり匿われてるんじゃないですか、プロジェクトの存在自体カムフラージュなんじゃないですか、真宮楓の恋人だった獅堂さんなら、」
 獅堂は顔をあげ、視線だけで滝沢の口を塞いだ。
「………あ、すいません」
 さすがに顔色を変え、年端のいかない若者らしい表情になる。
 獅堂はそのまま歩き出した。
 もう、滝沢は追ってこない。
「俺、……あの二人の力に憧れてました。台湾戦争の、実質最終日になった……あの審判の日から、ずっと」
 背後から、声だけがした。
「俺、あきらめないっすよ。嵐さんのことが少しでも知りたくて、防衛庁に入ったんですから」
 恐いくらい真剣な口調。
「……絶対に、二人を探しますから、俺」
「…………」
 何度も聞いたセリフ。その言葉に、いつも心の闇を揺らされるような気持ちになる。
「鷹宮さん、結婚するんですよ」
 再び歩きだした獅堂は、初めて足を止めて振り返った。
 立ち止まったままの滝沢は、表情の読めない曖昧な笑みを浮かべていた。
「俺も、昨日初めて知りましたけどね、鷹宮さん、結婚してオデッセイを降りられるそうです」
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