天空の彼方 Story4 

        〜永遠の翼〜






プロローグ


 ヘルメットを脱いだばかりの髪から、微かな雨の匂いがした。
 キャノピーに降りかかる雨粒は、雲の上に出れば消えてしまったはずなのに、髪にも、肩にも、不思議な雨の香りが染みているような気がする。
「元空自の猛者連が、最近のスクランブルは台湾有事並だってぼやいてましたよ」
 北條 累が呟いた。そのどこか覇気の欠けた口調を気がかりに思いながら、
「回数が半端じゃないからな」
 そう言って、獅堂藍は、傍らに並んで立つ大柄な部下を仰ぎ見る。
 その肩越しに、降りたばかりのフューチャーXX機が、駐機場から格納庫に引き入れられていくのが目に入った。
 午後八時。
 天の要塞に召集された航空整備士の精鋭たちが、今夜最後の仕事に取り掛かろうとしている。
 オデッセイ――。
 正式名称オデッセイ−エボリューション。
 日本上空に浮かぶ、ミサイル防衛システム搭載型空母――その、第二期目にあたる空中母艦基地である。
 航空自衛隊の管轄だが、司令系統は、航空幕僚監部をスルーして、オデッセイ常任参事、政務次官、防衛庁長官からなる特別三役の直属となっている。つまり、所属を越え、防衛庁、ひいては総理大臣の直轄組織として、本土ミサイル防衛の頂点に位置付けられているのである。
 これはどういうことかといえば、いったんミサイル攻撃の危機が高まると、陸自のパトリオット、ホーク、SAM、THAAD、海自のTMD、などは、全てオデッセイの指揮下に置かれる、ということなのである。
 陸・空・海と縦割りにされた自衛隊組織内では、極めて珍しい――初めてのケースであり、前防衛庁長官青桐要が、強引とも言えるやり方で構築したシステムでもあった。
 オデッセイ創設時からその中心的役割を担っていた空自はともかく、海自、陸自の各幕僚監部からは、いまだに根強い反発がある制度である。
 その分、実質オデッセイの指揮を取ることになる、オペレーションクルー室長に誰が選任されるか、が、俄然注目されることとなった。
 海陸各幕僚はそれぞれの出身官僚をその職に就かせようと奔走し、空自も決して譲らない。政府は官邸の息のかかった人物をそれにあてようとする―――が、誰もが予想しなかった人物の就任により、激しい権力闘争は、あっけなく終止することとなった。
 水面下から急速に有力候補者として浮上し、誰もが納得せざるを得ない人物――オデッセイ初代室長であり、現在では民間人となった右京奏が、その人物である。
 激しい賛否の中、おそらく短命に終わるだろう――と予想されつつ、右京奏が正式に室長に再任されたのは、今年の八月のことだった。
 あれから三ヶ月――獅堂にとっては、再起動されたオデッセイに召集され、これが二度目の秋になる。
 階級は、一等空尉。現在では、要撃戦闘機チーム「みかづき」のリーダー職に任じられている。
 三人一組のチーム体制で、獅堂の下には、古巣の百里からの腐れ縁――北條累と、大和閃がつき、それぞれ、二番機、三番機を与えられていた。
 今夜は予定された要撃演習で、三人は今、オホーツク海上空の演習空域から戻って来たばかりだった。
「相変わらず、アメリカさんとヨーロッパがもめてんでしょうかね。台湾有事の時もこんな感じだったんすか」
 基地内の廊下を歩きながら、北條が首筋を掻きながら言う。
「そんなもんかな……ま、なんだかんだいっても、戦闘機同士の戦いは回避できたんだ、パイロットとしてはラッキーだと思わなきゃな」
 そう言って肩をすくめ、獅堂はわずかに眉をひそめた。
―――本当に、ラッキーだ。
 警告と、威嚇射撃。
 自衛隊が発足して一世紀以上たつが、要撃戦闘機のパイロットに許されているのは今も昔もそれしかない。
 喧嘩で言えば、それは、拳を縛られて相手の前に頬を突き出すのと、なんら変わらないというのに――。
「ま、なんつうか、それも機体の性能がいいからですかね、確かに最近は、ちょい気が楽にはなりましたよ」
 二人より少し遅れてついてきていた大和閃が、のほほんとした口調でそう言った。
 いや、そういう意味じゃない――と、獅堂が口を開きかける前に、
「昔と違って、恐怖感が全然違いますよね」
 振り返って北條が相槌を打つ。
 最近の北條の覇気のなさが、この当たりに起因していることは、獅堂にも判っていた。
 真宮嵐の開発したフューチャー搭載戦闘機は、改良に改良が重ねられ、現在では、世界最強の戦闘機と称されるようになっている。
 パワー、スピード、迎撃能力……全てが他の追随を許さないほど、優れている。
 領空侵犯機も、オデッセイ要撃戦闘部隊が機乗する最新鋭機「フューチャーXX」の機影を見ると、即座に方向転換して逃げていってしまうほどだ。
 それが、新人の北條ならまだしも、ベテランの域に入る大和にまで慢心を産ませつつあるのではないか――。
「北條、大和、空では絶対にそんな莫迦なことを考えるな」
 獅堂は、わざと厳しい口調で言った。
「どんなに性能で優れていても、肝心なのはパイロットの心ひとつだ。隙を見せたら、一瞬でやられるぞ」
 わかってますよ。と、のんびりとした大和の声が返ってくる。
「…………」
 専守防衛で縛られたパイロットが、空でどれだけ無力かということを――。
 どう説明したら、実戦経験がないこの二人にわかってもらえるだろうか。
 過去の苦い経験を思い出し、獅堂は、遠い眼で窓越しの闇を見つめた。




||NEXT|| ||back|| ||CONTENTS||
許しあえるのか
終りがくるのか