二十二
「……君に……話さなきゃいけないことが、沢山ある」
ベッドで仰向けになったまま、天井を見上げながら、嵐が呟いた。
その横で、片膝を抱いて座っている楓は、不思議な気持ちで弟だった男を見下ろした。
ほんの数分前に感じた深い――深い宇宙の神秘のような感情が、まだ――夢の断片のように意識に残されている。
「ヨハネ博士のことだ……本当のことを言えば俺は、彼が劉青と同一人物だと、もう随分前から知っていた」
「……前って、いつからだ」
「去年の……クリスマスの、少し前」
嵐は、遠くを見たままで続ける。
「レオに聞かされた。正直、……心臓に杭でも打ち込まれたような気分だった」
「…………」
楓は――唖然としたまま、嵐を見下ろした。
「……それで……お前、どうしたんだ」
「……君にだけは、言えないと思った」
「…………」
「ヨハネ博士は、EURの代表的な科学者だ、君と接触しなかったはずがない。―――なのに、君には彼に会った記憶さえないという。むろん、彼が劉青だという認識もない」
「…………」
「……楓が……ドイツで、すでに劉青と会っていたことが……それを記憶していないというのがどういう意味なのか、……俺は正直、考えるのが恐かった」
苦しげな声だった。
「今でも、そのことは、悔やんでいる。……俺が、もっと早く、ヨハネという男の動きに気がついてれば」
「嵐…………」
―――それにしても、だ。
そんな重要なことを。
そんな――大切なことを。
思わず、動かない嵐の肩を揺さぶっていた。
「……お前、自分がやったことの意味が判ってんのか、あいつは国際指名手配犯だぞ、どうして黙っていた、なんでだ」
「レオが、その情報を、ペンタゴンに売ると言っていたからだ」
―――売る?
その意味が判らず、目をすがめて手を離す。
「俺はてっきり、君も知っているのかと思ってた。劉青は、お前には何も――真実を話してはいなかったんだな」
「……真実って……なんだよ」
嵐は、重い溜息を吐く。
「……一台のノートパソコン、過去の遺物がどこかから沸いて出た。それを手に入れたのがレオで、―――レオはそこで、ヨハネ・アルヒデドの存在をはじめて知った」
「…………」
初めて知った?
あの――有名なベクターの一人を?
「俺は、……レオにだけは、全てを打ち明けていた。右京さんから聞かされていたことの全てをだ。……楓、右京さんは、中国共和党にいた姜劉青が、完全体の一人だと、最初から俺に教えていてくれたんだ」
―――完全体……?
「が、パソコンの記録を信じるなら、ヨハネ・アルヒデドもまた完全体に間違いない。男性の完全体は三人しかいない。つまり、劉青とヨハネは同一人物の可能性がある……。レオはそう睨んで、……クリスマス前には、もう調査を終えていた」
「…………完全体って、なんなんだ」
「…………」
「意味がわからない、それにレオは、……どうして、ペンタゴンなんかに」
あれほど、米軍を忌み嫌っていたレオが。
「レオはね、その情報と引き換えに、右京さんを取り戻すつもりだったんだ」
「…………」
「レオにしても、同胞のベクターを売ることに相当抵抗があったはずだ、……俺にも、なかったと言えば嘘になる。多分、俺は、どこかで信じたいと思ってたんだ、……劉青のことを」
楓は、さすがに驚いて眉をしかめた。
―――信じる?あの男を?
劉青を?
「……嵐、わかってんのか……あいつは」
「知ってる、俺たちの両親を殺し、戦争を企てた男だ、……でも」
嵐は起き上がり、正面から楓を見つめた。
「……あいつも、俺も、……お前も、それから右京さんも」
「…………」
「俺たちは、全員兄弟みたいなものなんだ、楓、全員、同じ――遺伝子を基に作られた」
―――作られた……?
「聞いてくれ、楓……俺は今まで、君を守ろうとするあまり、大切なことをひとつも打ち明けてはいなかった」
「…………」
「聞いてくれ、楓。俺たちが生まれた、本当の理由は」
「そこまでで結構」
冷たい声が二人を遮る。
二人は、はっとして、入り口の扉に視線を向けた。
二十三
「ヨハネ博士」
ベッドに腰掛けていた嵐の背中が立ち上がる。
「続きは私が説明しよう、けれど今は、そのような話を悠長にしている暇はないのではないかね」
扉の前に立つ白衣の男。
うっすらと笑いを滲ませた口元が、一層赤く見える。
楓は、胸苦しさを感じて顔を背けた。
顔を見るだけで射すくめられたようになって動けない。過去の記憶がフラッシュバックで蘇り、吐き気と目眩で立つことも苦しくなる。
本能的な畏怖感――見つめられるだけで身体が竦む。身体の奥に刻印された恐怖の記憶がそうさせるのだろうか。
「ワクチンを渡そう」
けれど劉青は、すぐにそう言うと、あっさりと楓から視線を逸らした。
嵐が――無言で、その傍に歩み寄る。
「君に託すよ、嵐君、なかなか結構な見世物だった」
劉青は、わずかに笑む。試すような目で嵐を見ている。嵐の背中は動かない。
白衣の男は唇に笑みを残したまま、ポケットから小さなアルミケースを取り出し、嵐に渡した。
「本物だな」
嵐は注意深くそれを受け取る。
劉青は笑い――肩をすくめた。
「不安なら、確認してみてはどうだろう?どうすれば答えが判るか、君は知っているはずだよ」
「余計なお世話だ」
どういう、意味だろう………?
楓は黙ったまま、眉をひそめた。妙に意味深なやり取り。二人だけにしか通じないような会話。
けれど逡巡している間に、近寄ってきた嵐に腕を掴みあげられていた。そのまま――有無を言わさずに注射器を押し当てられる。
「つっ…」
鋭い、痛み。
「下手だな……お前」
「言ってる場合か」
体内に、押し込まれる透明の液体――それが、どんな性質をもったものなのか、実際には何も判らない。正直、最初に注射された時と同じくらい薄気味悪くはあった。
嵐は――何故、躊躇しないのかと、ふと思う。
「安心しろ、楓」
横顔を見せながら、嵐が言った。顔に影が落ちて、表情が読めない。
「このワクチンは効く、ある意味、本当に効くことだけは、間違いないんだ」
「……どういう意味だよ」
ふいに頭上で低い笑い声がした。
顔を上げると、劉青が、眉をしかめるようにして哄笑している。
「実に……実にすてきだ、真宮博士、君の弟は頭がいい、どうして彼のような同士が、今まで私にはいなかったのだろう」
嵐は何も言わない。
楓も――憤りを飲んだまま、やはり何も言えなかった。
一体この男は何で――何の目的で、こんな妙な真似をしているのだろう。
意図がみえないから、余計に不気味で――恐ろしい。
「来たまえ、真宮博士、君に見せたいものがある」
やがて笑いを消した劉青が囁いた。
「楓、」
とっさに嵐に腕をつかまれる。
「大丈夫だ」
楓は、その腕をやんわりと振り払う。
とにかく――ここから出なければ何も始まらない。脱出の糸口さえ見つからない。
私設研究室というなら、どこかにコンピューターがあるはずだ。
どこへ行こうと警備システムを厳重に張りめぐらせる――劉青の用心深さはよく知っているつもりだった。
警備システムにさえ、介入できれば――。
こみあげる悪寒を堪え、楓は――劉青をにらむようにして立ち上がった。
二十四
「この絵が何か、わかるかね」
連れて行かれたただ広い部屋――熱帯魚が入った水槽が、水泡の音を立てている。
白と黒のクロスの床。大理石のテーブル。広い壁に――そこだけ不釣合いなみずぼらしい絵が掛けられていた。
「……光……?」
楓は呟いた。
A判程度のキャンバスに、青と赤の、光の玉のようなものが描きなぐられている。背景は空――夕暮れのような、朝焼けのような――境界線が曖昧な海が、光を受けてきらきらと輝いている。
ひどく色あせ、ところどころ絵の具が剥げ落ちたような絵だった。
「そう、光だ。まさに光――Human beings'hope」
劉青は大げさに手を上げると、その絵の前につかつかと歩み寄った。
また――その単語か。
楓はわずかに眉をしかめる。
「この絵は、沖縄のある旧家――その廃屋からいただいてきたものだ。全てはこの絵から始まった。いずれ、私の自由な国が出来たとき、この絵は新たな生命種の……記念すべき第一歩として、永久に人々の心に刻まれることになるだろう」
―――沖縄……。
俺の、生まれた所だ。
楓は黙ったまま、絵の前に立ちふさがる男を見上げる。
「さて、君たちの――いや、我々の起源を話すとしよう。真宮博士。嵐君は、実にいいことを言っていた。兄弟――まさにそうだ、我々は、いや、この世界のベクターはすべからくみな兄弟なのだ」
「……人類、皆兄弟ってやつか」
「そんな抽象的な意味ではないよ」
楓の皮肉を男は含み笑いで受け流した。
「1970年の終わりごろだ。アメリカのネバダ州で、奇妙な光を放つ飛行体が観測された。光はもつれあうように砂漠地帯に落下し、それはすぐに州警察により回収された」
「…………」
「回収されたのは人体に極めて近い――発光する体を持つ未知の生命体だった。州警察から知らせを受けた米国防総省が、ただちに出動し、彼らの存在は、以後、歴史の表舞台から忽然と姿を消すことになる」
「…………」
「彼等は雌雄体だった。青が雌、赤が雄。放射能や高温に耐え、零下にも耐えうる体と、自己冬眠可能な能力を持っていたらしい。わかるかね、真宮博士、私が言っていることの意味が」
楓は、眉をひそめたまま、黙って劉青を見つめていた。
話の途中から、嫌な予感が――黒雲のように湧き上がってきていた。
「より強い力を求める愚かな在来種どもは」
劉青は、薄く笑って両手を広げた。
「馬鹿げたことに、この異種の遺伝子を、人体に組み込むことを半ば真剣に研究しはじめた。1980年には、その元となるプロジェクトチームが立ち上げられ、けれどそれは、―――あまりにも無謀な計画は、当然のことながら、いったんは頓挫することになる」
「…………」
「そこに、救世主のように現れた、一人の天才科学者がいた」
劉青はそこで言葉を切り、ちらっと視線を絵の方に向けた。
「男の名は喜屋武涼二。沖縄生まれで、16でアメリカに移住した。若くして国立細菌研究所の主任科学者をつとめ、ペンタゴンに引き抜かれて生物兵器開発チームに入り、以後、ずっとリーダーを任されていた」
―――喜屋武、涼二。
「……俺の……」
戸籍上の叔父に当たる男。
「彼は、大昔に封印された研究に、異常なまでに関心を示した。当時のペンタゴンを説得し、各地から優秀な科学者たちを集め、プロジェクトチームを結成。プロジェクト名は、人類の希望」
「……Human beings'hope」
「その通り」
楓は眩暈を感じて、劉青から目を逸らしていた。
もう――聞かなくても、その後の顛末は判るような気がした。
心臓が、嫌な風に高鳴っている。そんな――そんな莫迦なことがあるはずがないという思い。
「喜屋武涼二は不可能を可能にした。彼はでは、未曾有の天才だったのか、神のような頭脳を持った男だったのか―――いや、違う」
「…………」
「彼はね、知っていたのだよ、その遺伝子が、必ず人類に適合するということを」
「…………」
「ミッシング・リングだ。真宮博士。切れた鎖。それさえ判れば、完全なトランスジェニックヒューマンが完成する。彼はそれを最初から知っていた。そして、その鎖を彼はついに手に入れたのだ」
「……ミッシング・リング……」
劉青が歩み寄ってくる。楓は、壁際に後ずさっていた。
「鎖につながれ、誕生した者はたったの四人だった。それが、私、そして君、真宮嵐、右京奏」
完全体。
嵐が――言っていた言葉。
「俺は……じゃあ、一体なんなんだ、ベクターってのは、一体」
壁に追い詰められ、腕で肩を押し付けられる。
呼吸が苦しかった。―――だめだ、どうしても――俺は、こいつにだけは逆らえない。
「ベクターとは、実験途中で出来た副産物。その能力を惜しんだペンタゴンが、実験的に人工授精を通じてこの世に誕生させた者」
「……副……産物……?」
「彼等は決して繁殖するはずがない生命だった。なのに今、ベクターはますます増殖している。ミス……それも致命的なミスがあったのだ。いや、ミスというよりは、ペンタゴンにとって予想もしていなかった出来事が」
顎をつかむ、長くて冷たい指の感触。楓はただ、吐き気と悪寒を堪えていた。
「それはね、喜屋武涼二の裏切りだ。彼は全ての情報を消去し、プロジェクトの秘密を道連れに自殺したのだ……なんのために?」
「離せ……劉青、」
「自らの子孫を、この地上に残すために」
「………?」
微かに笑うと、そのまま劉青は手を離してくれた。
「真宮博士、私はそれを、君の父親に聞かされた」
「…………」
はっと顔を強張らせていた。
「彼は喜屋武の下で、プロジェクトに従事していた科学者の一人だった。なんのためだったのか……あの男なりの贖罪だったのか、彼は、私と、そして君、さらには右京奏の実家を探し当て、真実を打ち明けに行ったのだ」
初めて劉青の顔に、暗い影が滲んだ気がした。
「裕福な資産家の息子だった私の人生は、それを境に一転した。右京奏という人も、そして、おそらく君も」
「だから……殺したのか、父さんを」
「その理由は、……別にある。そして君にもいずれ判る」
「そんなもの、どんな理由があったって、判らない」
劉青の顔が近づく、反射的に、顔を逸らしてしまっていた。
怯える楓を見るのが楽しいのか、劉青は楽しそうに、くっくと笑った。
「君は、ずっと周辺に気を配っているね、可愛い子猫さん。どこへ逃げようというのかな」
「…………」
「無駄だよ、無駄だ。確かに君なら、どんなガードもなんなく突破できるだろう。北京は痛い教訓だった。君という男は弱いようで強い。時に、催眠暗示をなんなく跳ね返してしまうほどに」
「……逃げようなんて、思ってない。第一俺には、もう帰る所もないだろう」
そう答えながら、無駄というのはどういう意味なのだろう、と考えていた。
見回す限り、劉青の傍にさほど人がいるようでもない。見張りもいないし、監視カメラもなさそうだ。脱出は――案外簡単に出来そうな気がした。
「それより、お前の目的はなんなんだ。理解できない。俺だけじゃなく、どうして嵐までおびき寄せるような真似をする」
「……おやおや、まだ気づいてはいないのか」
わずかに眉を上げ、劉青はからかうような目になった。
楓は、不安を感じ、ただ、その眼を見つめ返す。
「話の続きは明日にしよう。真宮博士、今は、大切な弟の傍に、ついていてあげたほうがいいと思うがね」
二十五
「―――嵐!」
不安で気持ちが乱れている。劉青の言葉の意味、それは――一体何を示しているのだろう。
戻された部屋。背後で閉められた扉の前で声を荒げると、薄暗い室内――そのベッドから、むっくりと影が起き上がった。
「……楓?」
少し寝ぼけた声が返ってくる。
―――なんだよ、もう。
安堵して――急に腹が立ってきた。電気の位置を探して、スイッチをつける。
「頼むから電気くらいつけろよ、まだ夜には間があるだろ」
嵐はそれには答えずに、黙って手でテーブルを指し示す。
トレーに載せられた食事が、二人分。
「…………」
―――食ってる場合か。
嘆息して、そのベッドの傍らに腰掛けた。
「ここ、どうやら地上からそんなに離れていないみたいだぜ、見張りもいないし、案外簡単に外に出られるかもしれない」
「だったら、……戻らずに、そのまま出て行けばよかったのに」
「何言ってんだ、お前も一緒じゃなきゃ、意味がないだろうが」
返ってくる返事がない。
―――嵐……?
嵐は、物憂げにベッドの支柱に背を預けた。
「………俺たち、どうしてこんな力を持って生まれたんだろう」
「―――え?」
いきなりの話題の変化に、楓は眉を寄せる。
「もう……聞いたか、劉青に」
見下ろしている瞳は優しい。戸惑って眼を逸らしてしまったのは楓の方だった。
「聞いたよ……信じられないような話だったけど」
「人の体内のメカニズムは、現代の科学でも、未だ完全に解明されていない。どんなスーパーコンピューターを使っても、人のメカニズムは絶対に再現できない。それは神の領域なんだ」
とうとうと語りだす嵐。
何を言い出すんだ………?
楓は、戸惑いながらも、嵐の言葉の続きを待った。
「例えば、白血球だ。白血球には顆粒球と呼ばれる食細胞がある。顆粒球は、体内に入った毒素を、遊走、粘着、貪食、脱顆粒、殺菌という、五つのコンビネーションで撃退する。しかも、外敵を、直ちに生体防御の対象であるかどうかの判断もしなくてはならない。たったひとつでもそのシステムが狂ったら――人体は重大な感染症らさらされて、生きていけなくなる。それこそが人体の、」
「……自己、防御作用か」
楓は続けた。
そう。
嵐は頷く。
「そして、責務を全うした顆粒球は、自ら、死んでしまう」
うっとりと、笑うような目をしていた。
その奇異な表情に、楓はただ、眉をひそめる。
「ここが、人体の巧妙なところだとは思わないか?外敵が侵入すると、血液は一時的に大量の顆粒球を造り、侵入場所へ送りこむ。そして、外敵を始末させると、増えすぎた顆粒球は、自己に組みこまれたシステムに従って死んでしまう。何故なら」
「白血球が増えすぎると、人体そのものが滅びてしまうから――そう言いたいのか」
「簡単すぎる例えだったな」
嵐は笑った。
「ベクターは、白血球だと言いたいのか。そして、在来種が人体そのものだと」
「そうじゃない……」
嵐は、奇妙なほどゆっくりと首を振る。
「そうじゃない、人体は地球なんだ。僕たちは、人類の自己防御作用じゃない。地球の、地球自身の、自己防御作用として生まれてきたんだ」
楓の沈黙にかまわず、嵐は続けた。
「地球は生命体なんだ。そして、僕たちはそのシステムのひとつにすぎない」
「よく…わからないんだが……」
「人体自身に、意思というものは存在しない。人体を構成する各パーツがそれぞれ持っている本能――例えば、血液中の白血球の働きがそれだ。広義の意味で、それも意思だと言えるかもしれない。けれど、複雑な行動をするヒトについては、それだけでは説明できない。ヒトとしての意思と、それを構成する組織が持つ本能とは、全く別のものなんだ」
「………」
その理論は、判らないでもない。それよりも楓は、何故今、嵐がこんな話を続けたがるのか判らなかった。
「では、俺たちを生み出したものは、本能なのか?意思なのか…?」
様子が、変だ。
ようやくそのことに気がついた。
「嵐、」
「僕たちは、ベクターは、地球の意思を受けて生まれたのか?」
「嵐、どうしたんだ、お前」
「違う。意思なんかじゃない。本能に組みこまれた、単なるシステム……だから……」
「嵐!」
腕を伸ばし、その肩を抱いた。――熱い。
そうだ、始めから――再会したその時から、嵐の身体は熱かった。
触れた肌の熱さに、どきりとしたことを思い出す。
旅先で引いた風邪が、なかなか治らなかったと言っていた。
どうして、――どうしてそのことに気がつかなかったのか。
楓は、自分の体温が、ゆっくりと下がっていくのを感じた。
「お前………感染してるのか」
声が震える。
新種ウィルス――「Human beings'hope」
―――無駄だよ、無駄。
―――おやおや、まだ気づいていなかったのか。
劉青の、意味心な言葉。
危険を承知で、こんな所に一人で来た嵐。
嵐はゆっくりとかぶりを振る。しかし、もう半身を起こしているのも辛いのか、そっと楓の肩に頭を乗せた。
「大丈夫だ……俺のは……」
ただの風邪だから。
囁くような声で、力なく呟く。
「馬鹿な!だったら、だったらどうして!」
楓は嵐の肩を揺さぶり、抱きしめた。
どうして。
目の前の光が、急速に消えて行く。
「どうして、自分にワクチンを打たなかった――!」