七


 眼下を流れる川は、わずかに垣間見える東京湾に繋がっている。淡水と海水が混じりあい、微かに海の香りがした。
―――この匂いは、落ち着くな。
 楓は、窓辺にもたれたまま、場違いな安らぎを感じていた。
 研究室にこもりきりで、そう言えば――外の空気を思い切り吸ったのは、どれくらいぶりになるだろう。
 薄く翳る空を見上げた。傾きかけた太陽。獅堂は――今、何をしているのだろうか。
 あんな別れ方をしたのに、電話ひとつ寄越さない女。
 多分、一面に置いては楓など足元にも及ばないほど頭がいいくせに――その他のことでは肩が落ちるほど常識知らずの使えない女。
 あの夜はどうせ、ペンダントを見つめつつ、昔の思い出に心奪われていたに違いない。
「ここで、僕は子どもを亡くしたんです」
 隣に立つ男が、ふいにそう言って口を開いた。
―――ここで。
 楓は、眉をひそめながら男を見上げる。
 連れて行かれたのは五階建てのビル。その二階にある佐々木小児歯科クリニック。
 休診日の歯科医に入ったのは初めてだったが、きれいに片付けられ、シーツの掛けられた医療機器は、今日だけでなく、随分長い間使用されていないように見えた。
 佐々木と名乗る男が、この歯科医の経営者だというのは、車の中で教えられていた。医者だったのか、と楓は思った。どうりで、冷たい目をしているはずだ、とも思った。
「……ご結婚、されておられたんですか」
 多少、意外な気持ちがして楓は聞いた。実年齢は聞いていないが、男はまだ二十代後半くらいにしか見えない。それに――二年前、この男は獅堂と。
 空に視線を向けたままの男は、楓の言葉など耳に入らないような口調で続けた。
「一人娘でした。妻と離婚して、僕が一人で育てていました。毎朝弁当を作り、保育園まで送っていきました。別れ際、僕の車が見えなくなるまで、娘は手を振ってくれていました……」
 横顔が、かすかに歪む。何かの憤りを飲み込むように目を閉じ、そして男はそれまでと同じ口調で言葉を続けた。
「……死は本当に突然で、何の前触れもなく、その幼い命は奪われました。小学校一年でした、買ってやったばかりのランドセルが大きくてね……一番可愛いさかりでした」
「………………」
 淡々と語る口調に、胸が引き裂かれるほどの苦衷が滲んでいるような気がした。
 リナ……。
 その名前に、楓は眉を曇らせていた。
 佐々木という名前には覚えがない。けれど、リナ――その名前には。
 何故男は、わざわざ東京まで自分を連れて行き、こんな話をするのだろう。
 思いつくことは一つで、それは絶望的な理由だった。
「愛する人を亡くす苦しみがどれほどのものか、あなたにも……判るはずですよね、真宮さん」
 たまらなくなって、楓は視線を下げていた。
 あの闘いで、大切な人を失った人と会う度に感じる激しい悔恨と強烈な苦痛。底なしの闇のようなやるせなさ、不安と焦燥。
 この男の娘は、多分。
 楓が黙っていると、佐々木はそれを見越したかのように、かすかに微笑した。窓に背を向け、そして視線を天井に向ける。
「それを癒してくれたのが、獅堂さんでした。ここでね、この窓の傍で、私は彼女に口づけをしたんですよ」
「…………」
「はじめてのキスだったと、後で教えてくれました。どうりでひどく緊張していたのが可愛かったな。キスの後、ペンダントを外し、彼女は帰って来ると言ってくれました。僕の所に帰って来ると」
 言葉が何も出てこない。少し――頭がぼうっとしている。
 熱が――。
 気がつくと両腕を掴まれ、楓は壁に押し付けられていた。
「君は綺麗な人ですね」
「…………」
「僕は、君のような綺麗な男をはじめて見ました。どれだけ憎んでも、僕は獅堂さんを直接傷つけることだけは出来ない。僕は今、君だけでなく、獅堂さんも憎んでいます、……そう、ひどくね」
 顔を背ける。
 肩に力が入らなかった。このシュチュエ―ションから連想される忌わしい記憶が、身体ごと四肢を硬直させてしまっている。
 動悸がする。
 吐き気がする。
 眩暈と――それから。
「おかしいな、でも彼女は僕を信じ切っているんです。来月から、またここに通うとも言ってくれています。僕は彼女をいつだって奪うことが出来るわけだ。彼女は何故か、僕に負い目を持っているようですからね。……多分、嫌がっても逆らいきれない」
 視界の端に、壁に貼り付けられた落書きのようなクレヨン画が映っている。
 オトウサン。
 それを見た時、楓は全てを諦めていた。
 背中が痛い。冷たくて堅い感触。倒れた時に、肩をひどく痛めたらしい、ずきずきと痛む。
「君が、娘の名前さえ覚えていてくれたのなら――ここまでするつもりはありませんでした」
 冷たい声が、耳元で響く。
「ねぇ、真宮さん、……地上に落ちた天使は、どうなってしまうんでしょうね」
 声が遠くなる。
 視界が――狭窄して。
 はっきり意識があったのはそこまでだった。


                 八


「ふぁ……」
 生あくびを噛み殺し、獅堂は、いつもどおり自分の車を定位置に停めた。
 眠い。
 昨夜、深夜までアラートについていたのに――今朝は朝一で座学の講義が入っている。このスケジュールが信じられない。
 アラート機が全てフューチャー対応になって、人手不足なのは判っているが――。
 こうなったら、一日でも早く、新米パイロットたちに一人前になってもらわないと身体がもたない。
―――真宮……何やってんのかな。
 エンジンキーを抜きながら、ふと、楓のことを思い出していた。
 昨夜、思い切って携帯に電話してみたのだが、留守番メッセージに切り替わったまま、待っていても応答はなかった。
 冷たい男だが、こちらから連絡した後、無視されたことは今までない。
―――まだ、怒ってるのかな……。
 佐々木と会ったのは、二年もたって――そろそろいいだろう、という楽観もあったし、何よりあんな別れ方をしたのが、ずっと気がかりだったからだ。
 逃げるように彼を拒否したまま、真宮楓とつきあっていることを、黙っているのが心苦しかったからだ。
 そんな卑怯な真似を続けるくらいなら、会って罵倒された方がましだと思い――思い切って電話してみた。
 実際、佐々木は穏やかで――二年前と同じように優しかった。
 でも、ひとつ判らないのが、再会した時、一言も触れなかったペンダントを、何故後日――わざわざ真宮の所に届けたのか、ということなのだが――。
「獅堂三佐!」
 駐車場を出たところで、泡を食ったような声に呼び止められた。
「…………?」
 獅堂は、けげん気に顔を上げた。
 執務室のある建物の方から駆けてきたのは、獅堂の直の上官でもある、後藤田航空団司令だった。
 五十前の――ある意味現役を引退したパイロット。獅堂属する第7航空団のトップに立つ男である。左右の髪がふさふさしているのを裏切って、天辺が見事に禿げ上がり、すぐに激することから、瞬間湯沸器、とひそかにあだ名されている。
「おはようございます、どうしました、何か緊急事でも……」
 激昂する以外は、大抵冷静寡黙な後藤田が、ここまで慌てているのは珍しい。獅堂は少し戸惑いながら敬礼した。
「君は……新聞を見ていないのかね」
 獅堂の傍で足を止めた男は、ぜいぜいと胸を上下させている。
「……はぁ、とってないので」
 首をかしげながらそう答えた。新聞は――大抵、基地の休憩スペースに置いてあるものを読んでいる。
「じゃあ、……まだ目にしてないんだな」
 どこか沈鬱な後藤田の声。
「いい、とにかく今日は帰りたまえ、……他のパイロットたちも動揺しているだろうし、」
 そう言うと上司は苦しげに頭を抱えた。
 その態度に、いつにないものを感じ、獅堂はわずかに眉根を寄せた。それに、自分に帰れというのが理解できない。
「ちょっと待ってください、帰れと言われても、一体何が」
 姿勢を正してそう言うと、後藤田は少し、言い憎そうに唇をゆがめた。
「君は、真宮楓という青年を……知っている、ね」
「……えっ?」
 さすがに、どきん、としていた。
「……ああ…、まぁ」
 曖昧に言葉を濁す。
 真宮楓。
 どうして、ここで楓の名前が出てくるのだろう。
「親しい仲か」
「……そんなでも……」
 なんと言っていいか判らない。
 上司の口から、出てきた意外な名前。今の時点で、それをどう捕らえたらいいのか。
 獅堂が逡巡していると、後藤田は少し厳しい顔になった。
「君がその青年と、……同棲しているというのは本当なのかね」
「は……………………はい?」
 ドウセイ。――――同棲。
 それは、一緒に住むということ、で。
「は、あの、いや……別に、一緒には」
 さすがに焦って言いよどむと、後藤田は初めてその顔に怒りを滲ませた。
「獅堂、その男がベクターで、そしてかつて国際手配されていたことをもう忘れたのか」
「………………」
「貴様は軍人だ、その軍人の貴様がそんな迂闊なことでどうする。しかも貴様は、フューチャーという最大級の国家機密に誰よりも近い存在だ。そのお前が――よりにもよって、公安や警察はおろかペンタゴンにまでマークされている犯罪者と一緒に暮らしているなど」
「ちょっと待ってください」
 呆気にとられていた獅堂は、そこで初めて口を挟んだ。
「真宮は犯罪者ではありません、彼は現在、民間人の一人として、国家の仕事に従事しています」
「理屈はそうでも、スキャンダラスな過去は過去だ、そしてヤツはある意味危険人物に違いない」
 後藤田はきっぱりと切り捨てた。
「聞き捨てなりません」
 獅堂は、自分の頬が紅潮するのが判った。
「真宮に危険な要素など、ひとつもありません。自分は彼と、真面目な気持ちで付き合っています」
「真面目とはどういう意味だ。ベクターとの結婚が、法律違反であることは知っているか」
「…………それは」
「公務員だ、獅堂、それが貴様の立場だ。誰よりも法を遵守しなければならない。それが公僕である我々に課せられた使命だ」
 獅堂には何も言い返せなかった。
「そして、世間では、結婚を前提としない男女の関係を、真面目とは言わない。航空自衛隊の」
 後藤田の口調が、切り込むように厳しくなった。
「エースパイロットであり、飛行隊長まで勤めるお前が」
「……後藤田さん、」
「年間何億という国家予算を使い、血税を糧に戦闘機で空を飛んでいるお前が、」
「後藤田さん!」
「国民の意に背く行為を、決してしてはならんのだ、そのことを肝に銘じておけ!」
「………………」
 悔しさと憤りで、握り締めた拳が震える。
 後藤田が何を見たのかは知らないが、新聞―――か、テレビに、自分と楓のニュースでも出ていたのだろうか。
 楓の記事が新聞雑誌を騒がしていたのは、もう一年以上も前のことだ。今では、その名前を聞いても、ああ、いたよね、そう言えば……といった扱われ方しかしていないはずなのに。
「自分は、帰りません、今日は座学の講義があります」
 出た言葉はそれだけだった。やましいことは何一つない。それは、自分のこれからの行動で示していくしかない。
「これを見ても、まだそんなことが言えるのなら好きにしろ」
 後藤田は、尻ポケットから、丸まった雑誌を取り出して、獅堂の足元に放り投げた。
「上官として、騒ぎが収まるまで有休を取る事をすすめる、私が言いたいのはそれだけだ」
「…………」
 後藤田が背を向けるのを待って、獅堂は地に落ちた雑誌――三流の写真週刊誌を取り上げた。
 自衛隊のエリート女性パイロットの乱れた私生活――お相手は、世界を騒がせた救世主?
 飛び込んできたのは、その見出しだった。
「……自分か」
 大きく扱われていたのが、真宮のことではなく、自分だったのがまず驚きだった。
 ページを開く。
「うわ、」
 自分の写真だ。隊服を着た顔写真と、それから。
「………………」
 どこで映されたのだろう。真宮と二人で食事をしている写真。
 二人で真宮のマンションから出てくる写真。
 空自が誇る美人パイロット、獅堂藍さん。エリートは天才がお好き?
 真宮楓は、顔写真こそ鮮明なものが載せられているが、名前はK氏となっている。楓が一般人で、そして戦後にできた法律によりプライバシーが保護されている関係上、名前は伏せられているのだろう。
 その分、記事は獅堂には容赦ない内容だった。
 ありもしない過去の男性関係?が、延々と書き綴られ、その中には明らかに椎名と思われる人物や、鷹宮の名前も含まれている。すべて頭文字で誤魔化してあるが、階級や所属を見れば一目瞭然だ。
 次ページをめくって、さすがに――獅堂は息を引いていた。
――――これは……。
 自分だろうか。どこだろう、不鮮明で、あきらかに引き伸ばしてあるから画像が荒い。
 多分――基地内の更衣室だ、上半身裸で着替えている写真。盗撮だ、間違いない、でも―――どうして基地内で、そんなことが。
「…………」
 研修生時代、基地内で輪姦疑惑浮上。
―――そんなこと、あったっけ。
 K氏は、現在高級マンションに一人暮らし、収入はサラリーマン平均給与の二倍という異常
 その小見出しを見て、さすがに紙面を閉じていた。
 これはひどい。
 少なくとも自分の記事に関しては疑う余地はなかった。間違いなく内部のリークがあったのだ。
 基地内の盗撮写真といい、誰が見てもそうとしか言いようのない内容だった。
 確かに後藤田の言う通りだ。今、基地内は、色んな意味で動揺が走っているに違いない。


                   八


「確かにパイロットの腕の向上を考えると、旧式の飛行訓練も無意味ではない」
 獅堂は前を見ながら、普段と変わらない口調で続けた。
 ブリーフィングルームに集まった総勢三十名余のパイロットたちは、一様に、どこか好奇な眼差しをちらちらと向けてくる。
 獅堂の調子があまりにもいつもどおりなので拍子抜けてしている――そんな感じだ。
「けれど現代戦とは、機上のコンピューター同士の戦いだ。空にいる間、我々は恐ろしいほど沢山の情報を、一時に処理しなくてはならない。いくら操縦技術に慣れていても、コンピューター機器のマニュアルが頭に入っていなければ、闘いには勝てない」
「さっすが、獅堂さん、男の操縦に慣れてらっしゃる」
 揶揄の声が響いたのはその時だった。
 それまでの微妙な均衡はそれで壊れ、たまりかねたような失笑が室内に響き渡る。
 獅堂は顔を上げた。声だけで判る。第505飛行部隊に所属する男の声だ。
「ベクターってのは、精力が強いってのはマジっすか」
「おい、貴様ら、いい加減にしないか」
 騒ぎを止めようとする――第505飛行部隊隊長、吉村の声。
「俺、あの写真で3回いきましたよ、結構な身体をお持ちで」
「あの美少年相手に、一晩何回やってんすか」
 口笛と、そして手を叩く音。
「俺も一回相手になってもらいたいんですけど、獅堂隊長に」
 最後にそう言ったのは、最後尾に座っていた北條累だった。まるで――鬼の首でもとったかのような笑みを浮かべ、生意気に腕を組んでいる。
「あの優男より、隊長を満足させてあげますから」
 どっと笑い声が――一部の者を中心に弾ける。
「自分の私生活が」
 獅堂は、込み上げる憤りを堪えながら、抑えた口調で言った。
「お前たちになんの関係がある。聞きたいことがあれば、時間外に来い。自分はやましいことは何もしていない」
「そうそう、セックスしてるだけっすよね」
「本能、本能」
 からかいを含んだ声がまだ続く。
「獅堂三佐、」
 吉村が立ち上がって、椅子を蹴散らして駆けてくる。
 実際、獅堂は壇上を降り、揶揄した相手に殴りかかる寸前だった。
「落ち着いてください、無理ですよ、今日の今日で、講義に立つのは」
「…………すいません」
 冷静になりきれない。
 獅堂は自分の未熟さを痛感した。
 何が――冷静さが何よりも大切だ、だ。
 言ってる自分が、簡単にきれかけている。
 やはり――向いていない。もともと飛行機の操縦以外取り得のない自分に、座学の講義は無理だったのかもしれない。
「……最後まで、続けます。今日はそれで帰りますから」
 吉村にそれだけ言って、獅堂は、まだ騒ぎの収まり切らないパイロットたちの前に再び立った。


                   九


「こういう事態は予測しないでもなかったが、内部リークとは驚いたな」
 電話から聞こえる声に、獅堂は、暗い気持ちで耳を傾けていた。
「……騒ぎは、すぐに終息させると約束しよう。これ以上騒がれないためにも、お前はしばらく大人しくしていることだ」
 それだけ言われて、一方的に電話が切れる。
「…………」
 嘆息して受話器を置いた。
 手元には、届いたばかりの報告書がある。
 しばらくそれを眺め、獅堂は立ち上がって封筒ごとシュレッダーにかけた。
 足元に、色鮮やかな紙くずが落ちている。
 明らかに、例の写真週刊誌の切れ端だった。
 獅堂の半裸写真。それは切り取られ、基地のあちこちに貼り付けてあった。後藤田以下幹部連中が血相を変えて犯人探しに駆け回り、貼られた写真の撤去に当たっている。
―――まぁ、ここまで出ちゃったら、今さらな……。
 あの写真を、多分、那覇にいる椎名も、東京にいる鷹宮も見たのだろう。嵐も見たかもしれない。なんていうか――基地内の連中にからかわれるよりも、そういった身近な知人に見られたと思う方が何十倍も恥ずかしい。
 でもきっと、嵐はすぐにそんなことは忘れて。
 椎名さんは、げほげほと咳き込んで。
 鷹宮さんは、ほぅ、と笑ってくれるだろう。
 そして一言、こう言うに決まってる。
――――全然ないですね。
「はは……」
 それを思い、獅堂はわずかに苦笑した。
 胸のことだけが、唯一のコンプレックスだったのに、まぁ、よりにもよってこの角度か、という感じだ。
 が、獅堂にとって、今の悩みは、自分の写真のことなどではなかった。
「……はぁ…………」
 再度溜息をついて、所在無く頬杖をつく。最低だ。
 多分――間違いなく、楓もこの記事を読んでいる。
 せっかく静かになった彼の周辺を、彼の私生活を、こんな形で、自分が――。
 自分が壊してしまった。それがたまらなく辛い、申し訳ない。
「獅堂三佐」
 背後から鋭く呼ばれ、獅堂は慌てて起立した。
 立っていたのは、後藤田飛行隊長だった。今朝からの騒ぎに翻弄されているのか、その小さな目元に疲れが滲んでいるのがはっきりと判る。
「獅堂、君には、しばらく飛行隊長の任から外れてもらう。座学の講義も、後輩の指導も他基地から別の応援を呼んだ」
「………………」
 仕方のない処置だと思った。
 けれど同時に、自分の非力さが身に染みるほど実感できていた。
 自分一人守ることのできない弱い自分に―――この先、楓と、真宮楓と一緒に居続ける資格が果たしてあるのだろうか。
「101飛行隊の隊長は、しばらく吉村君に代行してもらう。君は――申し訳ないが、少しの間、アラート勤務だけやってもらう。いいな」
「……はい」
―――ま、その方が気が楽だと思えばいい。
 そんなことを思いながら、獅堂は力なく敬礼した。
「獅堂さん!」
 廊下に出たところで、背後から吉村に呼び止められた。
「……ああ、すいません、何か……面倒なことを押し付けちゃったみたいで」
 獅堂は慌てて頭を下げた。ただでさえ鼻っ柱の強いパイロットたちに翻弄されている感のある男―――吉村に、飛行隊長兼務というさらにやっかいな仕事を回してしまった。それが申し訳ない。
「そんなことはいいですよ。……獅堂三佐、それより申し訳ない、うちの隊員が、あんなことを……」
 しかし、獅堂の前に立つと、吉村は、苦しそうに眉を寄せた。
「……あんなこと?」
「講義中の騒ぎのことですよ、それに」
 そこで男は、逡巡するように口ごもった。
「例の写真も、うちの連中が撮ったんじゃないかと噂になってます。それは……まぁ、噂ですが、北條は今期のパイロットの中では一番若いし、考えなしのヤツですから」
「ああ」
 獅堂は破顔した。
「いや、それはないでしょう」
 確かに生意気な男だし、一度は思い切り殴ってやりたい、しかし。
「パイロットってのは、あれくらい威勢がいい方が丁度いいんです。自分にはむしろ、あの騒ぎの中、静かにしていた連中の方が薄気味悪かった。北條は確かに口は悪いですがね、隠し撮りなんて、卑怯な真似をするような人間じゃないと思いますよ」
 吉村は何故か、ひどく奇妙な顔をした。
 その表情をけげんに思いつつ、それじゃ、と言って、獅堂は男から背を向けた。
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