十七
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駅の階段を降りてくる長身の人影に、真宮楓は眼を止めていた。
シングルのダークスーツ。オリーブグリーンのネクタイ。肩まで伸びた黒髪が額にかかり、端整な美貌を持つ顔が、少し困ったように苦笑している。手には、白い百合の花束。
――思わず見とれてしまうほど凛々しい姿。
ていうか。
「悪い、待たせたな」
近づいて来た獅堂はそう言って、煩げに額の髪をかきあげた。
楓はその姿を――上から下まで見下ろしてから言った。
「なんで男物のスーツなんか着てんだ、お前」
「いやぁ、倖田先輩のリクエストで、自分が花嫁の父役をやったもんだから」
「…………」
似合いすぎて怖いくらいだった。
なまじの男より男らしい。
こんな姿をした獅堂を見ると、どうしても――。
今感じた思いを誤魔化すように、楓は獅堂から眼を逸らし、そっけなく言った。
「もっと、ゆっくりしてくればよかったのに、何も無理に俺と会わなくても」
「いや、こんなもんだろ。まずまずの盛り上がりで……、きれいだったなー、倖田さんのドレス姿」
しみじみと言う獅堂。
夜の街を、二人は肩を並べて歩き出した。
今から一緒に夕食をとって、その後は楓の部屋で一緒に過ごす。いつもの――休日の過ごし方。
「他の連中は、来てたのか?」
「自分たちは職業軍人だからな。仕事の都合がつかなかった人の方が多かったが――嵐は来てたよ」
とってつけたように出された名前に、少し、むっとする。
「ふぅん」
獅堂は――何かにつけて嵐を引き合いに出したがる。獅堂の方が意識しているのか、それとも自分が意識しすぎているのか。
「鷹宮さん、来てた?」
と、喉元まで出かかったが…やめた。
この普段と変わらない能天気ぶり。多分、鷹宮篤志はいなかったに違いない。
鷹宮の話を極端に避ける獅堂の態度が、二人の過去に何かあったことを簡単に想像させてくれたが……本人は、あくまで自分には隠し通しているつもりらしい。
「それより……心配なのは、室長のことなんだが」
獅堂の横顔がわずかに翳った。
「右京さん?」
楓の脳裏に、桜庭基地でわずかの間一緒だった、美貌の女の顔がよぎる。
あまりいい印象が残る相手ではなかった。けれど、どこか気になる存在だった。
「……確か、FBIのプロファイリングチームに異動になったって聞いたけど」
「うん、……でも、着任してすぐに体調を崩されて、長期で入院しているようなんだ。遥泉さんも言ってたけど、どうしても連絡が取れないんだって」
「…………へぇ」
「……蓮見さんは、他に恋人ができてるみたいだし、……少し寂しかったな、あの二人のことは、好きだったから」
「…………」
楓はわずかに眉をひそめた。何かが――ひっかかっている、でも、それが何かわからない。
「ああ、そうだ。それより、――これ」
獅堂は思い出したようにそう言い、ふっと花束を差し出してきた。
それで楓の思考はかき消された。
「何、それ」
「花嫁のブーケで……自分がもらっても仕方ないし、ほら、お前の部屋の窓んとこ」
楓は目眩を感じた。
逆だろう、普通。
「いるか、そんなもん、自分の部屋にでも飾っとけ」
「いや、まあ、それはそうだとは思ったんだけど……あまり世話もできそうにないし」
途方に暮れて花束をもてあます獅堂の姿に――楓は深いため息をつく。
「もらうよ。窓に置いとくから」
「えっ、そうか」
「花に罪はないからな」
交差点で、信号が変わるのを足を止めて待つ。
時々いぶかしげにこちらを見る周囲の目が、楓には居心地が悪かった。単に外見が目立つというだけではない。数年前、自分の顔写真が日本中のマスコミを賑わせたこと――遺恨と憎悪を持って多くの人に見つめられたこと――その記憶が生々しく蘇る。
いや、自分だけがその眼差しを受けるのなら構わない。
楓が少し足を速めると、何も考えていない獅堂がすぐに肩を並べて来た。
楓は嘆息して顔を下に向ける。
―――莫迦な女。
自分と一緒にいることで、獅堂自身が被るマイナス面など考えてもいないのだろう。
自衛隊の中には、未だに自分に深い恨みを持つ者もいるはずだ。自分のせいで同胞や家族を失った者は…この先何があっても、決して許してはくれないだろう。
そして、その過去は―――いずれ必ず、獅堂の身に火の粉となって降りかかる。
だから――。
いつまでも、この女の手を掴んでいてはいけないのかもしれない。
あの夜、自分を抱いてくれた腕が、髪を撫でてくれた手のひらが――あんまり優しくて心地よかったから――。
「何?」
獅堂がいぶかしげに見上げている。
楓は苦笑して眼をそらした。
本当のことを打ち明ければ、この鈍感な女はどう思うだろう。
日本に帰国した時、楓は、獅堂とはっきり決別するつもりだった。
異国での一夜。それは決して、恋愛感情から結んだ関係ではない。
なのに無視しようと思いつつ連絡し、怒らせて女の方から別れを言わせよう、と思いつつ――引き止めてしまっていた。
はからずも現れた宇多田に嫉妬するでもなく、再会した椎名と見詰め合う女に――たまらなく苛々して、結局は。
そして。
(―――楓……)
自分の名を呼ぶ声を聞いたとき、もう、二度と、この手を離せなくなるのではないか、そんなことさえ思ってしまった……。
―――莫迦だな、俺も。
今別れられなければ、その時が余計に辛くなるだけなのに。
長く関係を続けていい相手じゃない。
宇多田と同じで――いや、それ以上に明るい、天に昇る光のような将来と可能性を持つ女。
だからこそ、自分から別れを決めなければならない日が、いつかきっと来る。
「仕事は順調か?」
獅堂にふいに声を掛けられ、楓は肩をすくめて、自分の思考を振り払った。
「まあね。――悪くない」
「お前ならすぐに人気者だな。若くてハンサムな天才博士なんて、自分が女なら放っておかない」
――――何、言ってんだ……。
「あんた男だったのか、どうりで胸がないと思ったら」
「え、……あっ、い、今のは、言葉のあやで」
気が抜けつつも、いつものように冷たい一瞥を向けていた。
頭が悪くて、まともな会話さえ出来ない相手。殆んど幼児体型に近い身体に、いいかげんにしろ、とぶちきれたくなるほどの天然ボケ。
―――間違っても好みのタイプの女ではない。
ないのに。
「いつか……さ」
すこしの間があって、獅堂が小さく呟くのが聞こえた。
「なに?」
「あ、いや……うん、別に」
見下ろした横顔は、すこし影のある笑いを浮かべている。
「なんだよ。言いかけてやめるのって、感じ悪い」
「うん……」
それでも獅堂は曖昧に笑ったまま、何も言わない。
時々――とても扱いやすい獅堂に、影のようなものを感じる時がある。なにか、言いかけて――言いたくて――それを言えない。そんな感じだ。
そんな時、楓は決して追及しないことにしている。誰にだって他人に言えないことがある。自分も――大切なことを隠し続けているのだから。
「あのさ、いつか……その、自分たちも」
けれど、今日の女は、言葉の続きを口にした。
「なんだよ、さっさと言えよ」
「け、」
その横顔が、泳ぐように空を仰ぐ。
「け、けけ、結婚とかってできたらいいな」
「―――――はい?」
いきなり平手打ちをくらった気がした。
楓は――眉をしかめることさえ忘れていた。
固まってしまった手に、暖かな女の手が、そっと重なる。
冗談で紛らわそうとして――できなかった。
獅堂の暖かさが、掌を通して伝わる温もりが、ゆっくりと心に沁みていく。
そして判った。この女は、結婚という形のことを言っているのではない。何もかも自分が全部受け止めるから――心配するな、そんなことを伝えたかったのではないだろうか……。
名状しがたい感慨を振り切って、楓は女の手をふりほどいた。
「忠告、その二」
「な、なんだよ」
「俺と別れて、他の男と付き合った時に、今みたいなセリフ死んでも言うな、そんな重い女、ソッコーで切られるから」
「…………」
獅堂は黙る。少し悔しそうな目をしている。
―――これでいい。
楓は思った。
そんな日が、そんな安らげる時間が、自分に来ることは決してないと知っているから。
「She is an irreplaceable sweetheart」
「え?」
レオの皮肉に、咄嗟に切り替えしたセリフだった。でも、最初からあれが本音だったのかもしれない。
「やっぱ、花飾るのは明日にしよう」
戸惑う獅堂を無視して、わざとふざけた口調で言った。
「なんでだよ」
「今夜は、あそこで獅堂さんとしたいからさ」
花よりも匂うように赤らむ頬に、楓は軽く唇を寄せた。
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――――彼女は、大切な恋人です……。
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