――――私が誰を恨んでると思ってるの、あんたよ、あんたなのよ、
    右京。
――――あんたが私を追い詰めたのよ、化け物、あんたなんか死ね 
    ばいいんだ。
――――撃たないで、友達でしょう?ねぇ、右京、嘘よね、あんたは
    そんなことしないわよね?
――――お前を俺と同じ目にあわせてやる、覚えてろよ、右京、お前
    を這い蹲らせて、泣き喚くまで切り刻んでやる。

――――ねぇ、右京、私たち友達でしょう?



                    一


「――――室長?」
「……………」
 目の前に顔がある。
 右京奏は、咄嗟に拳でその頬を思いっきり殴りつけていた。
「な、なな、なんすんだ、てめぇ」
 唖然、とした顔で、よろよろ、と後退するのは蓮見黎人。
「し、信じられねぇ、普通、ぐーで殴るか?女だろ、お前だって一応」
 蓮見黎人。
 警視庁から派遣されてきた現職刑事。
 身長百八十センチのバランスのとれた長身と、冷たい容貌を持つ男。
 黙っていれば、モデルのように綺麗な男だが、本人はそれに無自覚なのか、結構性格は三枚目である。――というか、右京にしてみれば頭のレベルが違いすぎて会話にさえならない。
 生きているステージが違う。
 出会ってすぐにそう思った。
 が、こんな男が、自分の警備につき、結局オデッセイにまで同行することになり―――。
 そして今、ホテルの同じ一室で過ごす羽目になっている。
「人の部屋に無断で入るな」
 右京は冷たく言い捨ててベッドから半身を起こした。
「寝ている女の上にかぶさってきたんだ、撃ち殺されなかっただけマシだと思え」
 蓮見は、信じられないものでも見るような眼になった。
「あんた、……そもそもあんたが、仮眠するから、待ってろって言ったんじゃないか」
「だからお前は、自分の部屋で待っていればよかったんだ」
「三十分も出てこなきゃ、いいかげん心配になるだろうが!」
「…………」
 三十分。
 右京は驚きを冷えた目の奥に隠し、腕時計に視線を落とした。
 信じられなかった。
 激務の最中、睡眠をコントロールするのは慣れている。時間を決めて仮眠して――今まで、それを誤ったことは一度もない。
「お前、俺が何のためにここにいるか、すっかり忘れてるだろ」
 蓮見は、はぁっとため息をついた。
「あんたは、命を狙われてんだよ。右京室長。この三日間、あんたをしっかりガードするのが俺の役目なんだからな!」
 でなきゃ、誰が。
 吐き捨てるようにそう呟き、肩をいからせた男は室内を出て行った。
 3LDKの広い室内。
 一室を右京が使い、そのはす向かいの狭い一室を蓮見が使っている。無論各部屋に鍵が備え付けてあるから、そういう意味では別室に寝泊りしているに等しい状況なのだが。
 ここは、東京都内にあるホテル<GENESIS>。
 右京奏は、先進国防衛会議に日本の代表の一人として出席するため、このホテルに先夜から泊まっていた。
 会議は今日の午後からで、夜にはレセプションパーティが予定されている。
 それらは、全てこのホテル――<GENESIS>で行われるのである。
 政府要人や外国要人向けの高級ホテルで、一般人が宿泊するには、必ず身分証を掲示しなければならない。セキュリティが売りのホテル――室内に、ボディガード用の一室が設けられているのもそのためだし、ホテルの従業員は、救急救命士の資格も持っているという。
―――夢、か。
 右京は、指先で額を拭った。わずかに汗が滲んでいる。
(……右京君、どうやら<竜頭>が、再び日本に入国した形跡がある)
 つい二週間前、防衛庁のホットラインを通じて掛かってきた――かつての上司からの電話。
(……五年前のこともある、警察庁の威信にかけて、今回こそ検挙しなければならない。<竜頭>の狙いは――おそらく、君だよ、右京君)
(……殉職した焔村警部の無念を晴らすいい機会だ、是非君に協力してもらいたいのだよ……右京警視長)



「ったく、莫迦莫迦しい」
 部屋に戻った蓮見は小さなベッドに仰向けに寝転がった。
 右京の部屋にあったキングサイズのウォーターベッドとは雲泥の差で、足さえはみ出しそうな簡易ベッドである。
 まだ殴られた頬がずきずき痛む。
 間違いなく渾身の力で、しかも相手を認めた上で殴られた。女に叩かれたことは一度や二度ではないが、拳を入れられたのははこれが初めてだ。
「誰があんな恐ろしい女の命を狙ってるって?冗談じゃねぇ、そいつの顔が見てみたいよ」
 心配しただけ莫迦を見た。
 遥泉に、あんな話を聞いたから―――。
「………」
 蓮見はわずかに目を眇めた。
 扉の向こうから聞こえてきた、うめくようなかすかな呼吸。
 思わずのぞきこんで見た、蝋のように蒼ざめた寝顔。額に薄く浮いた汗。
 確かに右京はうなされていた。
 何日も平然と徹夜する、人間離れした体力を持つ冷徹な指揮官――右京奏。
 ベッドで寝ている姿も初めて見たが、あれほど苦悶の表情を表に出しているのもまた、蓮見には初めてだった。
―――室長はね、囮なんです。警視庁が用意した生贄ですよ。
 数日前、吐き捨てるように言った遥泉雅之――かつて、警視庁で右京の同僚だった男が口にした言葉が、苦い思いと共に、蓮見の胸に蘇ってきた。



〜十日前、オデッセイ〜


「室長が地上に?」
 蓮見黎人は、思わず素っ頓狂な声を上げた。
「まぁ、そういうことになるんでしょうね。防衛庁長官の代理として出席することになるのなら」
 バスタオルで濡れた髪を拭いながら、遥泉雅之は、いつもの事務的な口調で答える。
「その会議って、なんなんだよ」
「先進国家防衛会議――主に米と西側諸国の調整なんですが、懇親の意味も兼ねてますから、パーティは派手ですよ。室長は綺麗だから、いやでも注目されるでしょうね」
「かーっ、いいねぇ、おえらいさんは」
 蓮見は、自分もタオルを手にしながらそう言った。
 オデッセイの共用バスルーム。
 蓮見がシャワーを浴びて出てくると、更衣室に見慣れた背中があった。蓮見と同じで、調度シャワー室から出てきたところなのか――遥泉雅之の背中である。
―――いやな奴に会ったな。
 と、蓮見は思った。
 たいていがオペレーションルームにこもりっきりのこの男と、蓮見が顔をあわせることは滅多にない。
 遥泉雅之。
 室長右京と同じで警察庁出身のキャリア組。
 蓮見とは同期入庁のため、知らない仲ではないが、警察学校時代から「エリートです」というオーラを全身から漂わせていたこの男が――蓮見は昔から苦手だった。
 頭なら負けるが、実技は別だ――とばかりに、意気込んで挑んだ射撃大会でも、見事に完敗を喫している。
「こういうご時世で、休暇もろくに取れねーっつーのに、呑気に会議とパーティか、うらやましい話じゃねぇか」
 髪をくしゃくしゃと拭いながら、蓮見はぼやいた。
 オデッセイが起動して、すでに半年以上が経過していた。
けれど、いまだにオデッセイの置かれている――基本的な状況は変わっていない。
 日本上空の哨戒、そして列島防衛の前線基地。
 むろん、二ヶ月前の中国軍用機の誤爆事件依頼、国家間での緊張は否が応にも高まっている。
 さらに、中国共和党の象徴として、ベクター真宮楓の名前がクローズアップされ、国内のベクターバッシングは、最悪のところにまで達しつつあった。――それはそのまま、猛烈な日本武装化論への追い風となっている。
 そして、オデッセイが抱える真宮家の片割れ、――真宮嵐。
 彼の名前と、そして数年前一家を襲った悲劇もまた、悪い意味で脚光を浴びることになってしまった。
 この二ヶ月、どれだけの圧力と妨害が、上からあったのか判らない。けれど、結局右京は兄弟の片割れを守りぬいた。
 今、嵐は、地上へ降りることを禁止され、ずっとオデッセイで生活している。そして、整備士たちに混じり、ミサイル迎撃システムとフューチャー搭載型戦闘機の改良に、――まるで現実逃避でもするように、一心不乱に取り組んでいる。
 そう、この二ヶ月、そういう意味では、オデッセイの内部は常に緊張に満ちていた。
 獅堂藍、椎名恭介を中心とする要撃戦闘チームは、仮想侵犯機を中国と仮定、連日の訓練とスクランブルに明け暮れているし、右京を始めとする指揮官たちは、会議とミッションのシュミレーションを繰り返している。
 とどのつまり――蓮見だけが、なんとなくその緊張から取り残されたままでいた。
 右京奏の警護――とは聞こえが言いが、実際は女指揮官の秘書も同様、いや、秘書どころか小間使いと同様に、雑用や力仕事にこき使われている日々なのだ。
―――ああ、警視庁にもどりてぇ……。
 近頃では、暮れ行く空を見つめながら、郷愁に取り付かれることも珍しくなかった。
 地上にはここにはない全てがある。
 女に不自由したこともないし、やくざ連中は蓮見の顔を見るだけでへいこらする。酒も煙草も――そう、一本減る度に、残数を気にすることなどなかったのに。
「そんなにぼやかれなくても、蓮見さんも、室長に同行してもらうことになりますよ」
 けれど遥泉はさらっと言った。
「えっ、」
「当たり前ですよ、あなたが何のために室長の傍に置かれてると思ってるんですか。あの人はね、今の防衛庁の象徴みたいな存在なんです。命賭けで、何があっても護ってもらいますからね」
「な、何があってもって、なんなんだよ、そんなに物騒な会議なのかよ、先進国なんたらっつーのは」
 蓮見は戸惑ってそう言った。
 遥泉は黙って蓮見から目を逸らして背を向ける。
 ほとんど日焼けしていない痩せた背中。けれど、さすがに元警官らしく、細いようでしなやかに筋肉がついている。
 その肩に、皮膚をえぐるようにして深い銃創が残っている。蓮見も知っている――五年前の事件で負った傷跡。
「今回、室長が地上に降りる目的は、会議のためなんかじゃない。いわんやパーティに出席するためでもない」
 その裸身にシャツを羽織りながら遥泉は続けた。
 髪が濡れているせいなのか、普段より格段に若やいで見える。
「室長はね、囮なんです。警視庁が用意した生贄ですよ」
 彼には似つかわしくない、吐き捨てるような口調だった。
「……おいおい、そりゃなんだよ」
 その穏やかならぬ言い方に、蓮見は眉をひそめていた。
 遥泉はうつむいたままだった。
「……蓮見さん、五年前、右京室長が、私の婚約者を誤射した事件はご記憶でしょう」
「………」
 むろん知っている、悪意に満ちた、卑猥な噂話と共に。
 そして、実際、右京の傍につくまで、蓮見もそれを信じ、仲間内で笑い話にしたことさえある――のだ。
 だから蓮見にとっては、余り口にしたい話題ではない。
「そ、……そりゃ、……なんだよ、それがなんたら会議とどう関係があるんだよ」
 遥泉は無言のまま、だまって衣服を身に着けた。
「おい、遥泉」
「あれはね、誤射なんかじゃない。右京室長は、間違っても標的を外すような人じゃない」
「………」
 それは――。
 それは、どういう。
「あの事件で、警官二名を撃った上、国外へ逃走した犯人―――彼がね、再び日本へ戻ってきたらしいんです」
 最後にタオルを洗濯ボックスに投げ込み、遥泉はようやく顔を上げた。
 蓮見は知っている。その二名の内一人が、遥泉なのだ。
「警察は、今度ばかりはプライドも何もかなぐり捨てて、あの男を捕まえようとするでしょう、だから右京室長が借り出された―――あいつは、おそらく室長への復讐のために戻ってきたようなものだから」
 あいつ。
 それが、誰を指しているのか、蓮見にはすぐに判った。
 警察内では伝説のような男。
 警察学校の講義で、必ずその名前があがる男。
「よくわからねぇが、じゃあ……室長は、それを承知で地上に降りるってことなのか」
「あの人は過去と闘うつもりだ。……でなきゃ、莫迦げてる、むざむざ利用されると……それがわかっているのに」
「どういう意味なんだよ、おい」
 蓮見は遥泉の腕を捕らえようとした、けれど、陰鬱な目をした男は、それを拒むように手を振った。
「……私は弱い人間で」
「………」
「あの人は強い人だ、それだけですよ」
 そう言うと遥泉は背を向け、そのまま更衣室を出て行った。


                  



――――遥泉の奴、思わせぶりなことをいいやがって……。
 ホテル<GENESIS>。
 蓮見のいる部屋に、隣室の右京の声がかすかに聞こえてくる。
 どこかに電話でもしているのか、仕事をしている時特有の――冷たく切り捨てるような声。
―――いつ聞いても、むかつくしゃべり方だよ。
 蓮見はため息をついてベットから飛び降りた。
 まだ、会議の始まるまでには相当な間がある。
―――おせぇな、遥泉の奴。
 所在無く煙草に手を伸ばし――そして止めた。
 室内は絶対禁煙なのである。
「すいません、少し外に出てきてもいいっすか」
 扉を開けて室外に出た蓮見は、そう言って、隣室の上司に声を掛けた。
 右京はまだ、どこかへ電話しようとしているらしい。蓮見の声に、振り返りもしない。
「もうすぐ、遥泉がつくと思うんで、それまで」
 うるさい、とでも言うように、手だけが振られる。
 へいへい。
 蓮見は肩をすくめて、廊下へ出た。

番外編 「遺恨」
―――いつ、許されるのだろう。
―――いつ終りが来るのだろう。
●次へ
○前へ
●目次へ
○ホームへ