五


「ちょっと、そっちからわざわざ呼んどいて、それはないんじゃないの??」
「はいはい、判ったから、今は少し、出てってくれ」
 オペレーションクルー室の入り口で、甲高い声で言い立てる女性キャスターを、蓮見は辟易しながら、押し戻した。
 六時のニュースでよくお目にかかる顔だ、確かお嫁さんにしたい女子アナナンバーワン、宇多田天音。
 テレビで見ると、清楚なお嬢様風の美人なのに、実物はベテラン婦警も顔負けの迫力とずうずうしさだ。
「何よ、何が起きたのよ、教えなさいよ、私たち、今、下と通信できないんだから」
 女子アナと言えどもジャーナリストの端くれなのか、さすがに異変を察しているのだろう、宇多田はしつこく食い下がる。
 それは、女の言い分も最もだろう、と蓮見は思った。
 彼女たちは、自由に地上と行き来できない。定刻にならないと、地上とオデッセイを結ぶシャトル機は発進しないからだ。
 そして、通信手段もない。このオデッセイでは、ホスト回線以外での通信を厳しく遮断しているからだ。
「何をしている、さっさと出て行かせろ!」
 背中から怒声が浴びせられる。本庁から派遣された事務官の一人の声。うんざりしながら、再びクルーたちを押し出そうとした時、
「いや、入室を許可しよう」
 静かな声でそれを遮ったのは右京室長だった。
「な、何を言っているんだ、右京君、ことは、軍事の」
「機密も何もない、この映像は、すでに世界中に配信されている」
 そう言い放つ右京の背後、大型スクリーンに、海上で轟音と煙に包まれながら炎上している、ボーイング700機の映像が映し出されていた。
「ただし、カメラマンの入室は禁止する、入っていいのは、そこにいる女性一人とさせてもらう、それでいいか」
「う、右京、」
「テレビの取材をお受けになったは、あなた方本庁だ、私は責任が持てないと言ったはずだ」
 誰も反論できない威圧感――これが、右京の持つ一種独特の雰囲気だ。さしもの女性キャスターも、ぐっと言葉を詰まらせて、無言のままになっている。
「知らんよ、私は……何かあれば、全て君の責任だからな、右京君」
 右京の倍以上の年代であろう事務官は、苦々しくそう言って腕を組み、椅子に背を預ける。
「室長、今、……米国防省が、緊急記者会見を始めましたけど」
 上ずった声が、その場に張り詰めた緊張に拍車を掛けた。
 休暇中のチーフオペレーター、嵐とペアを組む――もう一人のオペレーター。
 ベクターの国府田ひなのの声だ。
 まだ高校生という若さは、この艦では最年少だった。――彼女もまた、周囲の反対を押し切って、右京奏が任用したクルーである。蓮見から見たら、余りにもきゃぴきゃぴしすぎていて――女としては眼中外の存在だった。
「メイン画面を切り替えろ、サブ画面で、各局のニュースを引き続き補足」
 右京の冷静な声が、響き渡る。
「ちょっと、何が起きてるのよ」
 蓮見の袖を引きながら、宇多田が囁く。間近で見ると、実際相当な美人だった。アーモンド型の瞳に、小麦色の健康的な肌。和服よりはチャイナ服の方が似合いそうだ。
「知らん、画面見てりゃ、察しがつくだろ」
 そっけなく言い捨てた。気の強い女は好きじゃない、全くどうして、ここに集まる女性どもは――揃いも揃って可愛くないんだ?
 そう――可愛くない。でも顔だけ見れば、比類できないほどの美人揃いなのに……。
 その時、画面が切り変わった。ふっと視線を上げた蓮見は、そのまま言葉を失っていた。
「誰……この子……」
 隣で、宇多田が呆然と呟く。
 画面に、英語の音声が重なる。同時通訳が追いついていないのか、蓮見には理解できない。
「……きれいな子、男の人よ……ね、……彼、」
 巨大なスクリーンに、少しうつむき加減の顔、男性の顔が――アップで映し出されていた。
 透き通るような白い肌。繊細で女性的な目鼻立ち、けれど――それがひどく冷たい。人形のような硬さがある。貝の欠片で染めたような淡い唇。額を覆う、茶味がかった――柔らかそうな黒髪。
 似ている、と蓮見は思った。
 右京奏によく似ている。顔立ちのつくりのことではない、その印象が、だ。
 完璧なまでの美貌。取りつく島がないほどの――左右対称、一糸も乱れがない人工美。
「……嵐は何処だ」
 その右京が、突然低い声で呟いた。
「至急、嵐を呼び戻せ、彼をこのまま、地上に残していては危険だ」
 蓮見は驚いた。冷徹な女性指揮官の声に、――初めて、わずかな焦燥が浮かんでいる。
「自分が行きます」
 即座に敬礼して立ち上がったのは、要撃戦闘機パイロットの獅堂藍だった。
 凛として張りのある声。長身で痩せ型、一見して華奢な身体つきだが、間近で見れば、肩にも腕にも、ほどよい筋肉が内包されてるのが判る。
 声と眼差しに不思議な迫力のある女性だった。
 胸元に――彼女のトレードマークでもある、銀色のペンダントが煌いている。
「いや、自分が行こう、獅堂、お前はここに残れ」
 それを制して立ち上がったのは、同じパイロットの椎名恭介だった。
 オデッセイが抱えるパイロットの中では、一番の年配で――と言っても三十になったばかりなのだが、ベテランの域に入る男である。
 身長はさほどあるわけではないが、骨格のがっしりした、厚みのある体格をしている。
「わかりました」
 獅堂は素直に頷く。
 椎名三等空佐と獅堂一等空尉。
 航空自衛隊時代から、師弟(妹?)関係にあったという二人は、傍からみてもそれとわかるほど、強い信頼関係で結ばれている。向こう気の強い獅堂が、素直に頷く相手は、椎名しかいない。
 正面の画面は変わらず、まだ聞き取りにくい英語音声が流れ続けている。
 出入り口近くに立つ蓮見のすぐ傍を、椎名が目礼しながら駆け足で通り過ぎていった。
「……カエデ……」
  隣りに立つ女――宇多田天音が呟いたのはその時だった。
 蓮見は、その聞きなれない言葉に耳を止めた。
 強面の女性キャスターは、先ほどから魅入られたように、画面に映る美貌の男を見つめている。
 おそらく、蓮見には理解できない、この英語の音声を、彼女は聞き分けているのだろう。
「……ドクター、カエデ、……」
 女は、うわごとのように呟いた。
「おい、なんの話だよ、この男が何だって言うんだ」
「うるさいわね、原始人、英語の勉強くらいしなさいよ」
 冷たく肘鉄を返されたのは、今度は蓮見の方だった。
「彼はね、中国共和党の科学者なのよ」
 けれど、すぐに女は言い添えてくれた。
「今回の戦争を企てたベクターの一人なんですって、国際指名手配をしたっていうお知らせよ、名前はカエデ――マミヤカエデ、日本人ね、どう見ても」
 マミヤ――。
 真宮……?
 蓮見ははっとしてスクリーンを背にして立つ右京を見つめた。
「なるほどね、やってくれたな、阿蘇さんも」
 綺麗な眉をきつく寄せて、右京はうめくように呟いた。
「この、タイミングで、発表か……」


                 六


 すらりと伸びた美しい背中が、ほの暗い実験室の色彩に沈み込んでいた。
「見てごらん、真宮博士」
 男は振り返らずに唐突に言った。二人だけの時に使う、流暢な日本語で。
「……劉青」
 後ろ手で扉を閉めた真宮楓は、震えを抑え、かろうじて男の名を呼んだ。
 憤りで、まだ、指先までも震えるようだった。
 さきほど、自室で聞かされた衝撃的なニュース。
 信じられなかった。
 公式会見で、共和党政治局常務委員長が誤爆だと主張していたが、封鎖空域を遥か離れたソウル行きの民間航空機を――楓自らが開発に携わった新型哨戒機が、敵機と誤謬して攻撃を命令するはずがない。
 けれど目の前の―――、振り向かないままの男は、歌うような口調で続けた。
「結局、UY700型のRNA分子だけが生き残った、ごらん、進化したRNA分子は、無駄な遺伝子の八割がたを切り捨てた。――弱いものが消え、強いものが生き残る。なんと判りやすく明快な世界だろうか」
 男の長い指が、試験管を持ち上げている。
 彼が行っていたのは、UYウィルスという――わずかな遺伝子しか持たないウィルスを用いて行った、連続転移実験だった。
 ウィルスのRNAに、合成酵素を混ぜて、ウィルスの遺伝セットをコピーさせる。それを何世代も繰り返す。そうしている間に、いくつものミスコピーから突然変異種が生まれる。
 実験の果て、生き残ったのは、最も効率的に増殖できる700型と名づけられたRNA分子だけだった。
「ウィルスとは、効率的で美しい。この世で一番機能的な生物だ。遺伝子のミスコピーによって生じた突然変異種が、もとの遺伝子を凌駕して勝ち残る。まるで――我々ベクターと在来種どものように」
「俺たちは、ウィルスじゃない」
 怒りを噛み殺し、楓は感情を抑制しながら呟いた。
「どういうことだ、劉青、説明しろ、―――どうして、日本の旅客機を攻撃させた」
「ある種が、長期間存続するためには、何が必要だと思う?真宮博士」
 けれど、それには答えず、男は言った。持ち上げた試験管を、ひとつひとつ、愛しそうに――保冷ボックスに戻しながら。
「他に勝つことだよ、真宮博士。ひとつの環境の中で、ひとつの餌場をめぐって二つの種が衝突した時、強者として勝ち残ることだ」
 北京市内。
 厳重に警備された共和党の軍事研究施設。
 振り返った男は、見上げるほどの高みから、じっと楓を見下ろして、すうっと笑った。
「言ったろう、真宮博士。これは我々ベクターと在来種の戦いなのだ、地球という試験管の中で―――そして負ければ、我々の種に未来はない」
「劉青、俺の質問に答えるんだ」
 楓は烈しい口調になって繰り返した。
「どうして、民間機を撃墜した、しかも――直接参戦していない、日本の!」
「それが必要だからだよ、真宮博士」
 穏やかで、それでいて冷たい声で切り返される。
「日本を叩かねば、戦況は有利には働かない。アメリカの空挺部隊が、日本のオキナワやヨコスカから発進されているのを、君も知らないはずはないだろう」
「だったら、何故」
―――軍用施設ではなく、民間機を。
 男は、うっすらと微笑した。
 黒々と濡れた、カラスの羽のような漆黒の髪。そして、その黒さを裏切るような白い肌と、銀色の瞳。
「……平和ぼけした日本の国民に、ここらで目覚めてもらいたくてね」
 肩をつかまれ、壁際に押し付けられる。
 銀の瞳が間近に迫る。
「劉…青っ」
 抗ったはずみで、机の上のシャーレが落ちる。足元で砕ける。
「いやだ、やめろっ、もう、……こんなのは嫌なんだ」
 激しく抵抗したものの、結局楓は諦めた。体格差だけではない――どうしても、この男にはかなわない、何をされても抵抗できないのだ。
 助けを呼んでも誰も来ない。もう――公認の事実として扱われているのだから。
 共和党の軍事科学顧問を務めるこの男――主席の殲でさえ一目置く、ロシアと中国人の混血人、姜劉青。
 彼が愛人として傍に置き、片腕として重宝しているのが、日本から連れてこられた若干十代の科学者だということを。
「我々は世界第三位の核保有国だ、それは飾りでもブラフでもない、実際に使わなくては何の意味もない」
「劉……、やめてくれ」
「ただし、ロスに打ち込めば、間違いなく北京上空でFusion Weapontが炸裂する。それは……殲主席もお望みではない」
「や……いや、だ、……劉青」
「日本というのは愚かな国だ、一度もまともに戦ったことのない自衛隊と貧弱な軍事力しか有しない。そんな国がアジア最大の経済大国を自称するとは聞いて呆れる、彼らは、自らの力で、自国のシーレーンさえ護ることができないのに」
 言葉を返す気力さえなくし、楓は無言で唇を噛み締めた。
「戦争アレルギーの日本国民は、いつ、その恐ろしい現実に気づくのだろう、先進国で唯一、自国の防衛さえまともに出来ない愚かな国――それが日本の正体だということに。そして、アメリカは、どこまで日本を護ってくれるのだろう。すでに経済という見返りがなくなりつつある今……どこまで、自国の予算と人員を費やして、異邦の国を救い続けるつもりなのだろう」
「劉……青…」
「東京に核ミサイルを打ち込めば、アメリカは、核のスイッチを押すと警告している――でも、オデッセイならどうだろうか……」
 やがて姜は、静かに唇を拭って立ち上がった。
「あそこのクルーは、全て日本人で成り立っている。そして撃ってくださいと言わんばかりの無防備さでミサイルの軌道上に浮かんでいる。そこに、核を打ち込んだとして、アメリカが――全面核戦争の危険を冒してまで、反撃してくる可能性は――果たしてどれくらいあるだろうか」
 楓は無言で、乱れたシャツを元に戻した。
「アメリカが核で反撃しなければ、日本は日米同盟を破棄した上で、独自の軍事増強を目指すようになるだろう。日本の首脳陣の狙いはそこにある。彼らはね、国民の同意を得て、憲法の平和条項を削除したくて仕方ないのだ。自国で核兵器を所有したくて仕方ないのだ。――日本は、アメリカの真意を試したいのだよ、真宮博士」
「劉青は、……何がしたいんだ、…何を待ってるんだ」
 楓は力なく呟いた。
「核戦争だよ」
 姜はもののついでのようなあっけなさでそう言うと、、楓の肩を抱いて、自分の胸に引き寄せた。
「我々が核を撃つ、アメリカが反撃する、……一体地上の何割の人口がいなくなるだろう、……際限なく応酬しあう核の火の下で」
「俺は、……」
「人口比率では圧倒的に不利なベクターが、その生殖率で勝る日がやってくる……私たちの時代が来るのだよ……真宮博士……」
―――俺は……。
 そんなものを望んでいたのだろうか。
 そんな――世界を。
「それには、殲主席に、核の使用をなんとしても決意させなければならない……日本の旅客機を誤爆させたのはそのためだ。日本はこれから、ますますアメリカとの結びつきを強め、最新兵器の開発に拍車をかけるだろう。そして、アジアの緊張は高まり――殲主席は決断する――これ以上日本の軍国化を黙って見過ごせない、みせしめに、あの天の要塞を打ち落とせ、最も日米に衝撃を与える方法で――」
「……劉青……」
「アメリカは、核で反撃しないかもしれない。するかもしれない。――可能性は五分五分だ。けれど、一度抑制を失った核は、いずれ、次々に地上で火を噴くことになるだろう」
 そんなに、――上手くいくだろうか。
 楓はそう思ったが、きっと上手くいくのだろうと、思いなおした。
 この男は、今までもそうやって――有り得ないことを実現させてきたからだ。台湾への軍事行使も、今起きている日本旅客機への攻撃にしても。当初戦争に消極的だった殲主席を、何でもって決意させたのか――今、中国共和党の事実上の決定権は、この三十にもならない一人の男に握られている。
「……最後に、いいことを教えて上げよう」
 姜は、耳元に唇を触れさせながら囁いた。
「オデッセイには、君の身内が乗っているのだよ、真宮博士――亡くなったと思われていた君の弟、真宮嵐――覚えているだろう……?」
 楓は、眼差しを凍らせたまま、目の前の男を見上げた。
「在来種どもに狩られ、殺されたはずの君の弟だよ――覚えているだろう?」
 今。
 今――なんと言った?何が、聞こえた?
「……君に、軍用機を貸与しよう……真宮博士」
 嵐。
 嵐、嵐、嵐。
「主席が決心される前に、君は、弟を連れ戻すんだ――彼は優秀なベクターだ。きっと、素晴らしい同胞になる、私は心から歓迎するよ」
 嵐。
 お前が――。
 お前が、あの天の城に、いるというのか――。
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