蓮見は、飲み込んだ海水にむせながら、動かない女の身体を水面から引き上げた。
―――何が……どうなってんだ。
はるか海上沖には、昇り行く朝日を背に、炎上するオデッセイが海面にかろうじて浮かんでいる。
あそこに――いたはずだった。
助かるはずのない命だった。
―――なのに。
蓮見は咳き込んで、眉をしかめた。
被弾した所までは記憶している。意識を保ち続けていたのが不思議なくらいの衝撃だった。
一瞬でも意識を失っていたら、おそらく二人とも、この海中で死んでいたに違いない。
「おい、しっかりしろ、」
砂浜に女の――右京の身体を横たえ、蓮見は、その頬を何度か叩いた。
蒼ざめた頬。色のない唇。けれど呼吸は途切れてはいない。
何も――衣服と呼べる物を身につけていない胸元が、ゆるやかに上下している。
「……なんなんだよ、一体」
濡れて、べったりと張り付いた自分の上着をかろうじて脱ぎ、それを身体の上に掛けてやった。
―――何だったんだ……今のは……。
墜落する直前のオデッセイで、この女に口づけていた――衝撃があって、目の前が暗くなって、ああ、被弾したんだな、と思った。
その刹那。
ふいに白い光に包まれた。
気がつくと海の中だった。
何がなんだか判らないままに、ただ、女を抱き締めていた。いや――女の姿だったものを。
洪水のような無限の光の集合体を。
その夢のような感覚が続いたのは、ほんの数秒で――。
何時の間にか、女の身体が腕の中に戻っていた。意識を失って動かない身体。一糸まとわぬ柔らかな裸体が――。
「おい、しっかりしろ、まさか死んでるんじゃないだろうな」
もう一度、その傍らにかがみこんで、頬を軽く叩いてみた。
ようやく――忘我したような女の目がうっすらと開く。
「……死んでは……いない……」
ほっとして、そのまま――手のひらを冷たい頬に添えていた。
女の目は、どこか遠くを見つめているようだった。どこか――ここにはないものを。
「……ずっと、自分はできそこないだと信じていた……、そうか……何かのきっかけでDNAが変化する……そういうものなのかもしれないな……」
その唇が、夢でも見ているようにうっとりと呟く。
「何……言ってんだよ、あんた」
「何かの……きっかけ、で………」
ようやくその目に、凛とした正気の色が戻ってきた。
角度を変えつつある朝陽が、その白い頬に赤みを映し出している。
「きっかけか、」
「え……?」
頬に添えていた手に、女の冷たい手のひらが被せられた。
「いや、これでお前は私のものだと思ってな」
「え…………は?」
右京は薄く微笑した。
「オデッセイで約束した、お前は私の男になるんだろう」
「いや、そ、それはなんか逆だろう、俺があんたの男になるんじゃなくて、」
「判ったんだ」
「な、何がだよ、」
真っ直ぐに見上げる瞳に、朝の藍が映っている。
どきまぎする。全く、こんな女一人に振り回されっぱなしだ。そう、出会った最初の日から。
その唇がゆっくりと開かれた。
「お前を、愛していることに」
―――え……?
肩に腕が添えられる、ゆっくりと半身を起こした女の唇が、蓮見の唇にそっと触れた。
「…………」
冷たいキス。閉じた睫の先が、まだ海水で濡れている。
これは――現実、だよ、な。
これは――現実で、俺は――。
「……右京……」
腕に力を込め、女の腰に手をまわしかけた時。
「行くぞ、蓮見、地上の様子が気になる、すぐに防衛庁に連絡をとれ」
さっと、すかされるように、そのしなやかな長身は立ち上がった。
「…………おい、」
「何をぼやぼやしている、一刻を争うことが判らないのか」
朝陽を背にして、その背中は颯爽と歩き出す。
「あんた、自分がすごい格好だってこと、すっかり忘れてるだろ」
蓮見は舌打しながら、その後に追いすがった。
それは確かに、このスーパーワークホリック上司の言うとおりで、今は、ああいうことをしている場合ではないのだが――。
それでも、この変わり身には心底がっかりさせられる。
「まず、衣服を調達してくれ、何でもいい、それから車だ、この様子では核戦争は回避されたとみていいだろう―――すぐに防衛庁に帰る」
先を行く右京は、口調も足取りも普段どおりで、微塵の疲れも見せてはいない。
「…ったく、ターミネーターみたいな女だな」
蓮見は悔し紛れに呟いた。
自分一人がひどく疲れて消耗している、なんだかそれが、莫迦みたいに思えてくる。
女の足が、ふと止まった。
「……ターミネーターか」
「なんだよ、そんな古いB級映画、あんたみたいなエリートさんでも見たことあるのかよ」
再び歩き出した女の背を見ながら、蓮見は投げやりな口調で続けた。
「俺はどっちかっつったら、シュワちゃんより、パート1のM・ビーンの方が好きなんだよな、あのかっこよさには痺れたよ、マジで」
「……ミスター・ビーン?」
「……あんた、わざと言ってるだろ」
「蓮見、ターミネーターの本来の意味を知っているか」
その口調が、どこか暗い。
蓮見は、眉をしかめて足を止めた。
「バイオテクノロジーの分野では、それは遺伝子の読み終わりをもたらす塩基配列を意味する。……終わりを告げるもの、という意味だ」
「……終わりを、告げるもの……?」
それきり女は口を閉ざした。
蓮見は、不思議な胸苦しさを感じたまま、その背に映える朝日の眩しさに、目を眇めた。
世界は――これから、どうなっていくのだろう。
そんなことを、ふと考えていた。
あとがき |
いやー、やっと終わりました。私の想像力筆力では、到底描ききれない夢を、こういう形で文章にできて、ひとまずほっとしています。まぁ、つっこみどころは満載ですよ。でも大目に見てね。素人小説ですからねー(汗)。それにしても恋愛要素の乏しいここまでの展開に、よくついてきてくださいました。どうもです。
story1は、この物語の土台部分です。2以降、ラストまでは獅堂藍の恋愛物語。さてさて、彼女は誰と結ばれるのでしょう。
蓮見君と右京さんの発展にもご期待ください。最後までこの二人の存在はポイントです。
また2でお会いしましょう!
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…世界が平和になりますように。 |