三
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レーダー画面に、赤いマークが点滅している。
「福建から、五発、天津から三発」
迎撃システムは、すでに手動でしか動かせないのだろう、背を向けた女は、忙しなくキーを叩いている。
その真っ直ぐな背中をしばらく見てから、蓮見はようやく声をかけた。
「今、遥泉と国府田が輸送機で出ましたよ」
「そうか」
「まさか、国府田に操縦が出来るとは思わなかったけど、それがベクターってもんなんすかね」
一瞬間があって、キーを叩きながら女は続けた。
「……それはいいが、何故お前がここに戻ってきた」
「そりゃ、……一応、」
「……」
「信頼されてる部下なんで」
蓮見は所在なく髪をかきあげる。実際、なんと答えていいか判らなかった。
「……仕事熱心な男だな、殉職して二階級特進でも狙っているのか」
けれど、背を向けたままの右京の口調に、驚きはないようだった。
いつものように、厳しく叱責されると思っていた蓮見は、少し拍子抜けして、その傍らに歩み寄る。
危険な状況だということは認識していた。
自分が残っても、何の役にも立たないことも自覚していた。
なのに――何故、発進直前の避難シャトルから、自分一人降りてしまったのか判らない。
しばらくラウンジで時間をつぶし、ぶらっと歩いていた廊下で、雷神の鷹宮リーダーとすれ違った。クールな美貌を持つ男は軽く目礼し、
「室長をよろしく」
何もかも見越したような眼差しで、それだけ言って去っていった。
゛―――interception system operation゙
ふいに、天井の装置から、人工音声の機械的な声が響いた。
「……なんだ…?」
蓮見は動揺して顔を上げた。
゛―――interception system operation゙
「迎撃システム稼動中と言っている」
右京が早口で答えてくれる。その指は、忙しなくキーを叩き続けている。
゛―――even the enemy missile launching attack target odyssey for is 3 minutes゙
「……悪い、これも和訳してくれ」
「敵ミサイル発射、攻撃目標オデッセイ、着弾まで三分」
「おい、それって、やばいんじゃないのか?」
「だから迎撃システムが稼動してるんだろうが!」
゛―――Dangerous level5 please take shelter゙
「……なんだ?貝を持って来い…?」
「危険レベル最大、避難しろと言っている、悪いがお前と英語教室をやってる暇はないんだ」
苛立った指が、キーを叩く。
゙―――ミサイル照準、スカイベース、オデッセイ。照射角度2230 距離2000 ゙
ふいに日本語音声が流れ始めた。そして、それと同時に。
「わっ」
蓮見は耳を塞いだ。
激しい警報がいきなり鳴りはじめた。警察車両のサイレンの何倍もの大音量。まるで――この艦そのものが悲鳴を上げているように。
その喧騒の中、呟くような右京の声だけがとうとうと流れる。
「捕捉システム稼動、迎撃照準22000003、照射角度400に修復、東南200、300に修正、着弾ポイント35480、チャフ散布、妨害電波発信、本艦転舵、右335面舵、レーダー自動補足しながら自動修正、ステン芯砲身弾、毎分最大3000で発射」
その呟きと共に、細い指先が、まるで機械のように正確にキーボードを叩いている。
その、人間業とは思えないスピードに、蓮見は声を失っていた。
(―――このオペレーションシステムは、ベクター並の能力を持った人しか、使いこなせないようにできてるんですよぉ)
つい――数日前、得意そうにそう言っていたのは、国府田ひなのだった。
「――…室長、あんた、」
まさか。
ありえない。公務員試験にDNA検査が義務付けられたのはもう何年も前だ。
蓮見自身、その検査を――全く必要がないと思いつつ受けている。
゙―――ミサイル捕捉します。゙
゙―――捕捉します。迎撃開始。迎撃開始。゙
「……すり抜けたか」
うめくような呟きと共に、その指が、キーの一つを乱暴に叩いた。
目の前の画面で、青いランプがいくつか点滅するのが見える。
「すり抜けたって、」
一度は途切れた警報が、けたたましく鳴り出したのはその時だった。
「来るぞ、衝撃体制をとれ、蓮見」
「え……はぁ?!」
「心配するな、データを見る限り、通常弾頭だ」
「心配するなって、おい」
「この艦は、最新の装甲素材で出来ている。フューチャーが停止しない限りは、まぁ、なんとかなるだろう」
―――冗談じゃない。
゛―――被弾します。゛
゛―――被弾します。゛
白い火花が目の前で弾けた。足元が崩れるような衝撃と轟音。全身に骨がへし折れるような痛みが響く。上も下もない。平衡感覚ごとぶっとんでいる。
何が起きたのかさえ判らなかった。ただ、――必死で、女の身体を抱え込んだ、それだけしか意識が働かない。
「…っ……」
振動が倒れ付す床を通じて伝わってくる。びりびりと何かが震え、弾け、砕ける音がする。
時間にして何秒だろうか。一回目の被弾時とは比較にならない衝撃。
蓮見にとって、それは臨死体験に近いほどの、初めて経験する恐怖だった。
振動は序々に弱まり、やがて身体の平衡感覚が戻ってくる。
蓮見はおそるおそる目を開けた。
咄嗟に腕の下に抱え込んだ女の顔が、驚くほど至近距離にある。その顔が不機嫌そうにしかめられ――じっと自分を見上げている。
警報の音が鳴り響く。
それが唐突に止み、室内の明度がふいに翳った。
ノイズと機械音が、ひとつひとつ、段階を追うようにして静かになっていく。
―――システムダウン。
推力維持装置がダウンすれば――この艦は落ちる。
「……誰が、こんな真似をしろと言った、どけ、頭を打ったじゃないか」
身体の下に組み敷いたままの女は、こんな時でさえ、非難がましい声を上げた。
「どけと言っている、私にはまだ、することがあるんだ」
「あんた、おかしな人だな、沈むと判りきった艦に残って、一体何をするつもりなんだ」
腕を解かないまま、蓮見は言った。まだ――恐怖が手足を支配している。
このままだと、この艦は確実に落ちる。
そうだ。
このままだと――この女は。
確実に死ぬ。
そして、ようやく自分が艦に残った理由に気がついた。
予感がしたのだ――こいつは、右京奏は、決して地上には降りないと。
「艦を洋上に移動させる。ここで撃墜されたら、地上にまで被害が及ぶ、お前は嵐と一緒に今のうちに避難しろ」
「あんたは逃げないつもりなのか」
「私には、逃げたところで何もない」
女の声も、眼差しも冷たく冴え渡っていた。
「私には何もないんだ、この艦をぎりぎりまで維持させ、そして世界中に被弾する様を見せつけてから、最小限の被害に抑えて撃墜される――それが、私に課せられた任務だからだ」
「な……」
蓮見は言葉を失った。
女の口から出てくる言葉、それが理解できなかった。
「なに、……言ってんだ、あんた」
「天の要塞は、日本の国防の象徴だ。世界中が注目している――新型エネルギー、フューチャーの実用性と共に」
女の眼差しは冴え切っていた。
「そして日本は、堂々と――戦後百年たって、ようやく独自の軍事化の道を歩むことができる、国民の過半数の理解を得て」
「………」
「それが上の連中の思惑なんだ、最初からな」
「上は、……上は何も、あんたに死ねと言ってるわけじゃないだろうが!」
苛立って蓮見は言った。
それでも女の眉は一筋も動かなかった。
「現職総理大臣の一人娘だ――それが戦火の犠牲になった。戦争アレルギー国家日本が軍事化を推し進める口実として、最高の理由になるとは思わないか」
「そんな勝手な理屈につきあうあんたじゃないだろう! あんたのオヤジだって、そんな人間じゃないはずだ。あんた――何を考えてるんだ」
「父にも、そして私にも、それぞれ信じた道がある」
「…………」
「蓮見、深遠の底を見るまで、人は決して変わらない」
「深遠の底…?」
女の目に、白い炎が揺らいだ気がした。
「先月の空爆で、一体どれだけの犠牲が出た?いや、この台湾有事で、一体どれだけの死者が出たと思ってる?このまま通常兵器を駆使した戦争が長期化すれば、その被害は数十年先まで続くだろう」
「………」
「泥沼の戦いに決着はつかない。アメリカが形の上では勝つだろう、しかし中国はその恨みを忘れない、テロ、ゲリラ、民衆運動、さまざまな形で、血の報復が続くんだ」
「だからって、」
「その被害は、たとえば、東京に核一発を打ち込むことと比較にならないほど――大きいとは思わないか」
「………」
「第二次世界大戦で米国は核を使用した。結果としてそれが戦後百年近く――人類を滅亡という末路から救い続けた――そうは思わないか」
「……なんだよ、それ」
「核の抑止力を、もう一度世界に知らせる必要がある……お前はそうは思わないか」
蓮見はようやく思い出していた。
右京が、――オデッセイに乗艦した当初に言っていた言葉。
この戦争は終らない――。
核の抑止力が、息を吹き返さない限りは――。
それが、
その意味が、本当なら。
蓮見は、頭の中が白くなるのを感じた。
「それが本音なら、あんたも上のやつらと同じだ、ただ、人殺しを正当化してるだけだろうが!」
激情のままに、女の襟首を掴みあげていた。
「見損なったよ、あんたがそんな女だとは思わなかった、そんなの――ただの大量殺人と変わらないじゃないか!!」
「だから私は艦に残るんだ」
女は、静かな口調で言った。
「このオデッセイに核を打ち込まれることが――それが、最後の救いだと思っている。世界中に配信されるこの映像が、今後何百年にも渡る、核の抑止力になると信じているから」
「……な……」
「中国は、核の報復を恐れている。けれど、膠着した戦況の中、核の威力を米に示したくて仕方がない……東京でも、ロスでもない。……最初の一発を、オデッセイに向ける可能性は十分にある」
「……あんたが……死んだら、」
蓮見は呆然と呟いた。ようやくこの――判りにくい上官の真意が見えた気がした。
「それでも、あんたが死んだら、なんにもならないじゃないか……」
「私には、この先、生き残る理由も目的もない」
肩を強く押され、そのまま蓮見は女を拘束する腕を解き、身体を起こした。
蓮見の身体の下から、女は即座に身を起こす。
「生き残っても、警察に戻され閑職に回される、……まぁ、それでもマシな方だろう、下手をすれば、免職か懲戒か、いずれにせよ、私の役目はもう終わりだ」
膝をついたまま、一瞬二人は向き合っていた。
今度は――先に目を逸らしたのは右京の方だった。
「だが、お前には役目がある、下にいって、嵐と」
「生きて戻ったら、あんたを俺の女にしてやる!」
とっさにその腕を掴み、立ち上がりかけた女を引き戻していた。
どうしてそんなことを言ってしまったのか、自分でもよく判らなかった。
「簡単に死にたいなんて言うな、莫迦野郎、命の重みを知ってるのが、それが警官ってもんだろうが!」
「………」
「俺があんたに生きたいって思わせてやる、狂うほど抱いてやる、無様にはいつくばっても生きたいって、そんな女に変えてやる!」
口にしてから、戸惑っていた。驚いていた。俺は――今、何を口ばしったんだ?
叩かれる――と覚悟した、その刹那。
無表情で見上げていた女の顔が、ふと緩んだ。
「……悪くないな」
そして、今度こそ、蓮見の肩を押しのけて立ち上がった。
「え、…………」
―――今、なんて?
「ただし、生きて戻れたらの話だろう、もうその確率は限りなく低いぞ、蓮見」
<――室長、回線が復旧しました、今――那覇基地の要撃部隊を振り切って、敵戦闘機がこちらに向かっています!>
緊迫した嵐の声が、スピーカーから溢れたのはその時だった。