最下層にある推力維持装置に被弾したのが十分前。
 艦に残された全クルーに退避命令が出された直後のことだった。
 メインコンピューターが一旦停止したものの、嵐がかろうじて復旧させ、ぎりぎりのところで推力を維持している――天の要塞・オデッセイ。





                    一


「攻撃命令を!」
 獅堂藍は、リップマイクを唇に寄せ、歯噛みするような思いで声を荒げた。
 高度五千メートルの空の上。旋回する度に、海と空が逆転する。
 愛機、フューチャーF200のコクピットのキャノピー越しに、下部から煙と炎が噴出しているオデッセイの巨体が見える。
「お願いです、室長、自分に――命令を」
 ミサイルは北京の移動式発射台から飛来してきた。五発の内、四発までは、オデッセイの迎撃システムが打ち落とし、捕捉しきれなかった一弾が、フューチャーが起動している最下層に打ち込まれたのだ。
 それは、オデッセイにとって心臓部とも呼べる部分だった。
―――あれが核だったら。
 目の前で被弾する母艦を見せつけられた獅堂は、一瞬目の前が暗くなるような恐怖を味わった。
 周辺にいた自分も、そして避難用シャトル三号機を操縦している鷹宮も、その乗船者たちも、全員命はなかっただろう。
 無論、まだ艦に残っている室長はじめ、オペレーションクルーたちも、だ。
(――獅堂、お前の任務は、地上へ向かうシャトルの援護だと言ったはずだ――)
 ノイズまじりの厳しい声が、頭上の通信機から即座に返ってくる。
 こんな時でも落ち着き払った室長――右京奏の声。
 確かに右京の言うとおりだった。獅堂が百里基地から緊急輸送機でオデッセイに戻ったのが五時間前――すでに、艦内は静かな緊張感に包まれていた。
 すぐに右京からアラート待機を命じられ、獅堂は<みかづき>のメンバーとともに待機所に駆け込んだ。そして発進命令が出されるまで――じりじりと待ち続けた。
 けれど、出された命令は出撃ではなく――避難シャトルの援護、そしてシャトルと共に地上で待機すること。
―――室長……。
 室長室を立ち去る際、艦に同乗していた防衛庁の幹部たちと右京のやり取りが、まだ耳に苦く残っている。
「狂ったのか、右京君、こんなに早くクルーを退艦させてどうする、まだ、敵が実際に攻撃してきたわけじゃないんだぞ」
「なんのためにオデッセイが巨額の費用を食って一年以上も浮かんでいると思ってんだ、全てはミサイル防衛のためなんだぞ、判ってるのか、右京!」
「ミサイル防衛システムの操作なら、ここにいるオペレーションクルーとパイロットたちで十分まかなえます」
 右京の声は冷静だった。
「この終局にきて、無駄な死人を出す必要はないでしょう、それとも、あなた方がここに残りますか、阿蘇本部長」
 斬り込むような女の迫力に、強面の軍人たちが、うっと押し黙る。
「私はここに残ります、それで十分でしょう。あなたは、常に私の父の名を引き合いに出された、今度も存分になさればいい。何十人も無駄に死なすより、その方がより効果的だ」
 そして、防衛庁の役人たちは、最初の一号シャトルで退避した。数十人の整備士や調理員、そして後で聞いた話では、蓮見黎人も同乗していたらしい。オデッセイを出たのが、もう四時間近く前だから、すでに地上についているはずだろう。
 二号機が、椎名率いる<黒鷲>に守られてオデッセイを飛び立ったのが、それから三時間後。
 被弾したのは、それから約三十分後。
 獅堂が、シャトル三号機と共に、オデッセイを発進した直後だった。
―――あれは――どういう意味だったのだろう。
 獅堂は、眉をしかめながらトリガーを握り締めた。
 室長の言葉の意味は。
 私一人残ります、それで十分でしょう、という意味は。
 今、現実にその右京室長を残したままのオデッセイは、下腹部から黒煙を立ち昇らせている。
 獅堂にも判った。
 中国から発射されたミサイルは、本土ではなくこのオデッセイに照準を合わせている。この弾道と速度では――オデッセイから逸れたミサイルは、本土を越えて太平洋沖に落下するだろう。
 だから、避難命令が出されたのだと。
 でも――このままでは。
「室長、自分が北京へ飛びます、ミサイル発射台を攻撃します」
 獅堂はもう一度声を張り上げた。
 嫌な予感で、じりじりと胸が焼ける。
 けれど。
 今の自分には、飛ぶことしかできない。
「室長、自分に行かせてください!」
<――獅堂、落ち着け!>
 この会話は、同じチャンネルで、他のパイロットたちが操縦する機体にも、同時に届いている。
 割り込んできた声は、ファイターF200機で高度三千メートルまで下降していたチーム黒鷲、椎名恭介の声だった。彼は、シャトル二号機の援護をしているはずだ。
<――日本はまだ攻撃できない、敵機が飛来して攻撃を仕掛けてきたならともかく、領空侵犯されていない以上、俺たちが攻撃できる相手はどこにもいない!>
「しかし!」
<――上からの指示を待て、室長に攻撃を命令する権限はないんだ>
 それは判っている――航空学校で叩き込まれた基本中の基本。
 けれど、目の前で―――仲間が被弾したというのに。
 それでも、それでも。
「……これが、専守防衛か」
 獅堂は、うめくように呟いた。
「これが日本の現実なのか、椎名さん!」
<――獅堂リーダー、洋上のTMDと、地上のペトリオットが援護している、今はそれを信じましょう。>
 どこか落ち着いたその声は、避難用のシャトル三号機を操縦している――救難チームの鷹宮篤志のものだった。
「……鷹宮さん……」
 この人はいつもそうだ。
 獅堂は、普段と変わらぬ男の声に、わずかにほっとしながらそう思った。
 鷹宮篤志は、どんなぎりぎりの状況でも、敬称で人を呼ぶ。
 操縦中のパイロットで、役職づけで仲間を呼ぶ変わり者は、この鷹宮くらいだろう。
 たった一度だけ、この男が抑制を失って「獅堂!」と叫んだことがある。あの日のことが、ふいに懐かしく思い出された。
<――そういうことだ、獅堂、お前は自分の任務を遂行しろ――>
 最後に、落ち着き払った右京室長の声がして、回線はノイズ共に、そこで途切れた。


                   二


「どこまで持ちこたえられるか、だな」
 呟いた右京は、ヘッドマイクを取り外して投げ捨てた。どうやら回線が使えなくなったらしい。
 ミサイル攻撃が開始されてから、十五分が経過していた。
 いまだに、本庁に設置された対策本部からは、攻撃に関する指示は何も無い。
 米国が動いたという情報もない。
 おそらく防衛庁の首脳陣は、今、霞ヶ関地下の核シェルターで、じりじりしながらこの戦況を見守っているのだろう。
 中国政府が抱える科学者集団が開発した世界最小の小型核。
 それがオデッセイに向けて発射されるかもしれない。――その情報は、すでに一月も前から囁かれていたからだ。
 運命の業火が天を焼く瞬間。
 その審判の時が、目の前に迫っているかもしれないからだ。
 泥沼の中で膠着した米中の戦争。
 どちらかが最後のスイッチを押さない限り、もう、この戦争は止められない段階に至っている。
 中国本土への米国空軍の空爆が、連日のように続いている。被弾したのは軍用施設だけではない、幾百という民間人もその犠牲になっている。
 報復措置として発射された中国の大陸弾道ミサイルが、米軍用施設及びその近辺住民を巻き込んで炸裂したのは、つい数日前のことだ。 
 そして日本は、民間旅客機誤爆事件以来、中国への憎悪と警戒を募らせている。
 防衛庁の予算は飛躍的に倍増し、最新兵器が開発され――世論調査の結果、核の所有もやむなしという意見が、初めて国民の半数を超えた。
 行き着く果てにあるものを見るまで――人の憎悪は止まることなく負の連鎖を紡いでいく――。
 人という種が誕生して以来、誰も体験したことのない、核戦争後の世界を見るまで。
「―――いや、止めてみせる…」
 右京は低く呟いた。
「遥泉、国府田、お前たちも退艦しろ」
 そして、レーダーに目を落としながら、背後の二人に向けて言った。
「室長、」
 非難を含んだ声が返ってくる、副長の遥泉雅之。
 すでにオペレータークルー室に残っているのは、室長の右京、遥泉、そして高校生オペレーターの国府田ひなの、この三人だけだった。
 閑散とした室内に、半分近くその機能を失ったコンピューターの、無機質なノイズと警報音だけが響いている。
―――ここが使えなくなるのも、もう時間の問題だな。
 そう思いながら、右京はシステムをマニュアルに切り替え、そして言った。
「私は最後の支援機で地上に降りる、まだ嵐が残っているんだ、心配するな」
「……本当ですね」
 念を押すような声がする。
 右京は初めて顔を上げ、振り返った。
 寄り添うように立っている二人――年齢で言えば、相当の開きがある遥泉と国府田を、初めてほほえましく見守った。
 警視庁に入庁して以来、離れることのなかった男の――何か言いた気な、真摯な、そして思いのこもった眼差しが、じっと自分を見下ろしている。
 随分長い付き合いだった――そう、まるで宿縁のような相手だった。
 遥泉雅之。
 この男の顔を見るのも、きっとこれで最後になるだろう。
「私は、お前を救いたいと……きっと、どこかで自惚れていたんだ、遥泉」
 右京は言った。この男に対して、初めて口にする本心だった。
 男の目が、驚きなのか、わずかに広がる。
「お前に警官を辞めて欲しくなかった、もう一度、お前に希望を見せてやりたかった――でも、それは、もう私の役目ではなくなったようだ」
「室長、」
 何か言いかけた男の声を、右京は視線で遮った。
「忘れるな、遥泉、お前にもう一度、生きる希望を取り戻させてくれたのは私ではない、お前の隣りにいる女性だということに」
「………室長」
 寡黙な男の目が、わずかに伏せられる。
「……私は、あなたの言葉に背いたことは一度もない、けれど、これだけは言わせてください」
 眉が懊悩に歪んでいる。
「国府田さんと私との噂は、それは、………ただただ、誤解としか言いようがないのですが!」
「えーっっ、何が誤解なんですか、遥泉さん、私たち、こんなにラブラブじゃないですかー」
 隣りに立つ高校生は、――高校生とはいえ、米国防総省のコンピューターになんの痕跡も残さずに簡単に侵入できるほどの凄腕のハッカーなのだが、そう言って遥泉の腕を掴んで、ぐるぐると振り回した。
「す、すいません、国府田さん、今は大人の話をしてるんで……」
「私も、もう大人ですぅー、遥泉さんだって知ってるじゃないですかぁ」
「あの、いや、そういう話をしてるんじゃなくて」
 あの冷静な遥泉が、思い切り困惑している。それが不思議に可笑しかった。
「遥泉、国府田、地上で会おう」
 右京はそう言い、右手を上げて敬礼した。
「必ず」
 即座に真顔になり、遥泉も綺麗な所作で最敬礼を返す。
「もう一度あなたと仕事がしたい――もう軍はこりごりです、一緒に警察に帰りましょう、右京警視長」
 微笑して右京は頷いた。
 そう――本当にもう一度、そんな日が来るのなら。
「室長、蓮見さんは」
 国府田に腕を引かれながら、最後に遥泉はそう言って振り返った。
「あの男なら、最初のシャトルで避難させた、お前も知っているだろう」
 回線が戻りつつある、おそらく階下にいる嵐の仕業だろう。それをコンピューターが発する周波音で感じとりながら、右京は再びヘッドマイクを取上げた。
「本当に、彼は行ってしまったんでしょうか」
「何の話だ」
「いや、あの人は、なんだか最後まで残りそうな気がしたので」
「彼は、この艦で唯一、防衛庁に所属していない人間だ。言ってみれば一番不必要な人間だ」
「一番必要な人間ですよ」
「………」 
―――では。
 右京が顔を上げると、遥泉が最後に敬礼して、きびすを返すところだった。
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第七章 レクイエム