五
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「室長は置いてってもらおうか」
蓮見は銃口を、漢―F1式支援戦闘機のコクピットに乗り込もうとしていた男に向けた。
どこをどう操作したのかは知らないが、収納庫の全システムは稼動しており、すでに発進準備が自動的に行われつつある。
扉一枚隔てた向こうは、まだ電源が落ちっぱなしで、介入されたシステムの修復さえできていないというのに――である。
「……ここへ来る通路は、完全に遮断したはずだけど」
真宮楓は冷静な声でそう言い、冷めた目で、蓮見を見下ろした。黒光りする戦闘機のコクピットは、地上から見て三メートル近い高みにある。
「非常階段ってもんがあるんだよ、人の足をなめんな、コンピュータおたく」
蓮見は吐き捨てた。
階段を駆け下り、最下層にある推力システム制御室を、全速力で駆けて――配電パネルを打ち抜いて、上によじ登った。こんな烈しい運動をしたのは、何ヶ月ぶりのことだ。さすがに息が上がりかけていた。
「俺は本気で撃つぞ、ガキ、言っとくが、警察学校の射撃大会で、俺は準優勝だったんだ」
「その言い方、優勝できなかったことが、今でも相当悔しいって感じだけど」
「うるせぇ、言ってる場合か」
しばらく無言だった楓は、やがてすうっとかがみ込み、二人乗りの戦闘機の後部座席から、女の身体を抱きかかえて立ち上がった。
細い身体のどこにそんな力が―――と思ったが、それがベクターというものなのかもしれない。楓の端整な表情は、全く崩れないまま――その腕の中で、右京が横抱きに抱きかかえられている。
「投げるけど、いい?」
抑揚のない声がそう呟く。
「投げるって……はぁっ?」
―――モノじゃねぇんだ、莫迦野郎!
驚いた蓮見が構えた銃を投げ捨て、黒光りする機体の下へ駆け込むのと、頭上から重たい塊が落下してくるのが同時だった。
「……っ」
バランスを崩しながら、それでもなんとか女の重みを抱きとめて、膝をつき、転倒しそうな身体を支える。
頭上でしゅうっと、空気の抜けるような音がした。
はっとして顔を上げる。コクピットを覆うキャノピーが締まる音。
「くそっ」
投げ捨てた銃を目で探す。
右京は気を失っているようだった。この場合、どうやって発進しつつある戦闘機を制止したらいいのか、蓮見には見当もつかない。
周辺の配電盤のランプが、次々に点灯していく。
動き始めたエンジンの音が、烈しく耳朶を震わせる。
右京の身体を床に横たえ、ようやく見つけた銃に手を伸ばしかけた時、女の唇が、何かを呟いた気がした。
エンジン音で、その声が聞きとれない。
蓮見は動きを止め、その唇をとっさに見つめた。
女は、初めてうっすらと目を開ける。忘我したような――いつもの彼女らしからぬ眼差しが、ゆっくりと見下ろす蓮見に向けられた。
「……無駄だ、もう行かせてやれ」
「な、」
急発進、はげしい轟音と共に、開かれた滑走路を、黒い機体が打ち上げられていく。
それは遠ざかる音と共に、雪を散らした闇のような星空に消えていった。
「………行っちまったよ」
蓮見は、ぼんやりと呟いた。
滑走路の扉が、静かに閉まり始めていく。
「おい、怪我でもしてるのかよ」
そのまま動こうとしない女を、蓮見は慌てて抱き起こした。
「いや、……してはいない」
目を閉じたままの女の唇から、冷静な声が返ってくる。
その顔があまりに間近で、あまりに無防備で――開いた襟元からのぞく白さに、思わず戸惑って、泳ぐように目を逸らしていた。
まだ、背後の扉は開かない。ということは、いまだに電源が復旧されていないということなのだろう。
視線を別の方に向けながら、少し苛立って、蓮見は言った。
「あんた、なんであいつの言いなりになってたんだよ」
「……言いなり、とは」
「抵抗できたんじゃないのか、あんた、全く慌てていなかったじゃないか、普通、泣くとかわめくとか、色々リアクションがあるだろう」
「彼は、私に危害を加えるつもりはなかった……ような気がしたんだ」
「危害をって、あんた、ふざけてんのか、あいつはあんたを連れていこうとしてたんだぞ」
「……どうだろう、私にはそんな気はないように思えた、彼はただ、帰りたがっていた……ここにいるのが、辛そうにみえた」
「何、言ってんだよ……」
右京は力なく蓮見の腕の中に収まったままになっている。
さすがに少し不安になった。――なにか――薬物でも嗅がされているのだろうか。
まだ、腕の怪我も完治していないのに。無理な体勢を取らされていたのだろうか――。
「あんたらしくもない楽観論だ、俺が来なきゃ、あいつはあんたを乗せてったかもしれないんだぞ」
意識を保たせるために、わざと大きな声で話し掛け続ける。
右京は物憂げに瞳を開けた。
「それはどうだろう、……その気になれば、あのまま機体を発進させることも可能だった……彼は、誰かが来るのを――待っていた、ような気がする………」
「……おい、」
「多分、それはお前じゃないんだろうが、な」
それきり、女は再び目を閉じた。そして、力なく頬を胸に預けてくる。
意外に柔らかい身体を抱き寄せながら、蓮見は不思議な思いに囚われかけていた。
そして、ふと思った。
「あんた……もしかして、最初から……あのガキを逃がそうと思ってたんじゃないのか」
「私は、そんなに計算のできる人間じゃない……」
「おい、しっかりしろよ」
「まぁ、なんとかなるだろうとは思っていた、それに」
「………」
その後に続く言葉が――耳に聞こえた囁きが、蓮見には信じられなかった。
「おい……右京…室長、右京さん、……おい」
そのまま、力を失ったように身体を預けてくる女を、何度か揺する。
本当に――薬物を嗅がされていたとしたら、少しばかり危険かもしれない。
「おいってば、気分でも悪いのかよ」
しかし女は、蝿でも払うように手を振った。
「ああ、うるさいな、もういい加減眠らせてくれ」
「……………は?」
「悪い、さすがに疲れた、眠くて死にそうなんだ。どうせまだ主電源が落ちてるんだろう?この間だけでも眠らせてくれ」
「………………………」
―――犯してやろうか、この女。
やがて本当に熟睡してしまった女を抱きかかえ、蓮見は腹立ちを噛み殺しながら立ち上がった。
電源がようやく復旧したのか、格納庫の自動扉が目の前で開く。
「室長、」
「右京さんっ」
血相を変えて駆けつけてきたのは、獅堂だけではない、殆どのパイロットたちと、嵐と、オペレーションルームのスタッフが勢ぞろいしている。
「室長、怪我を」
その中でも、一際激しい焦燥を露にして駆け寄ってきたのは、遥泉雅之だった。
「いや、単に寝てるだけだから」
怒りを堪えてそう言いながら、そのまま――蓮見は遥泉の横を通り過ぎた。
手を伸ばしかけていた遥泉は、少し驚いた目で振り返っている。
「きゃあっ、ラブシーンじゃないですかぁ」
両手を口に当てて、目をきらきらさせているのは、蓮見が最も苦手な高校生クルーの国府田ひなの。
「なんか……手が出せませんねぇ」
冷やかし混じりに呟いたのは、救難チーム<雷神>のリーダーパイロットの鷹宮篤志。いつも皮肉な物言いしかしない、取りすました美貌の男だ。
「まあ、そういうことなんじゃないのか」
腕を組んで、自分を納得させるように頷いているのは、<黒鷲>の椎名恭平で。
「そうだったのか……」
と、目を丸くしているのは、獅堂藍だった。
不思議に反論する気にもなれないまま、蓮見は右京を抱いて歩き続けた。
頭にあるのは、眠る間際に女が囁いた一言だけだった。
―――何考えてるんだ、…この女……。
かすかな笑みを浮かべた女は、一言こう言ったのだった。
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お前が、必ず来てくれると思っていたからな……。
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楓――。
僕は信じている。いや、信じなくちゃいけないんだ。
人と人は分かり合える。
異種のものは共存できる。
そうでない世界に、未来なんてない。
そして、
僕たちも分かり合える――いつの日か、きっと――。
次回は番外編「戦場のバレンタイン」なんて時期ハズレな(汗)です。
パイロットたちがようやくぼちぼち出てきます。
そしてまぁ、右京と蓮見にもなにやら進展……? |