夜が明けきる前にラッセルが向かったのは、無人になった小さな商家で、その地下から天摩宮内部に抜ける通路があることを、あさとは初めて知らされた。
 そして、判った。法王軍の密偵は、こうやって地下から天摩宮内部に入り込んでいたのだ。
 地下から出ると、すでに第一門の内側からは人影が消え、周囲は法王軍が占拠しているようであった。
 半ば廃墟と化した街を、ラッセルは、わずかも躊躇することなく、先立って歩き続ける。
 法王軍の居場所や動きを知りぬいた足取りで、裏道を抜け、無人の家屋をくぐり、彼らの死角をついたまま、驚くことに、第二門が間近に見える通りまで、よどみなく進んで行く。
 どうするのだろう    と思っていると、彼はあっさりと足を止め、街角にある鐘楼堂の入り口をくぐった。
「ここは……」
 むろん、内部は無人である。もとは寺院だったのだろうが、ここはもう、住民に見捨てられた街なのだ。埃の積もった床に、紙くずだけが散乱している。あさとが拾い上げてみると、それはゴミではなく、ナイリュ国の紙幣だった。
「この地区は、非常に入り組んでいる上に、第一門から遠く離れています。まず、今の情勢で、法王軍が近づくことはございません」
 それだけ説明し、ラッセルは階段を上がっていった。
     どういう意味だろう……。
 占領したものなら、まずはくまなく探索するような気もする。が、確かに第一門から離れて行くにつれ、法王軍の姿は見られなくなった。
 第一門に駐屯していた木犀騎士たちは、皆、第二門の中に逃げ込んでしまったのだろう。民という人質を失くした街には、今、法王軍しか闊歩していない。
 最上階まで着くと、ラッセルは壁に面した窓を薄く開け、振り返った。
「ここから、天摩宮の大門の様子が見下ろせます」
 あさとは、うながされるままに、窓辺に立った。
 真下に大きな河川が流れ、その上にアーチ型の橋がかかっている。橋の向こうには灰色の巨大な壁    固く閉ざされた城門がある。第二門だろう。その、さらに向こう側に、いくつもの塔を組み合わせた壮麗な城が、青白い夜明けの光に照らし出されていた。
     天摩宮……。
 あの宮に、ユーリも、おそらくサランナも立てこもっている。
 ラッセルにうながされるようにして、立ち位置を変えると、驚くべきことに、確かにこの場所からは、最後の門    天摩宮第三門である、巨大な大門が垣間見えた。
「こちらからは、山中にある法王軍の動向も窺うことが出来ます。けれど、逆に、法王軍はこちらを見ることができない。天摩宮で遮られているため、死角になっているのです」
「そう……」
 淡々と説明する男の声を聞きながら、あさとは内心、薄寒いものを感じていた。
 ラッセルの冷静さ、何もかも読みきったような周到な準備、わざわざ、法王軍からも死角になるこの場所を、あらかじめ知っていたということは    彼は最初から、どこかで、自軍さえあざむく事態を想定していたのではないだろうか。
「まだ、国王一家は、城内にいるはずです。彼らの腹心と、逃げ遅れた貴族たちが、みなあの城に残っているのです」
「………」
 城に立てこもる幼馴染のことを思い、あさとは胸が痛くなった。
 どうするつもりなのだろう。おそらく、法王軍が勝利するこの戦を    ユーリは、いつまで続けるつもりなのだろうか。
 例え、法王の子供を人質にとっているにしても、彼らはこの先、どうやって窮地を切り抜けるつもりなのだろうか。
「ユーリは、……何を待っているの?」
     何を?」
 ラッセルは、初めて意外そうな声を出した。
「……そう、何を待っているのでしょうか、判りかねますが、……薫州で籠城を続けたアシュラルさながら、逃げ落ちる機会を待っているのかもしれません」
 彼にしては、どこか曖昧な言い方だった。
「逃げて、それで……行くあてがあるの?」
「法王軍が陣取る山を越えれば、三国が軍船を停泊させている港がございます。もし、ウラヌスと三鷹家が、未だ通じているのなら」
 ラッセルは、沈思するように言葉を切った。
 ウラヌス    かつて奇襲でもってアシュラルを窮地に陥れた国。そして今また、同盟を結んだ法王軍を裏切ろうと画策している国。
「ウラヌスの残党と合流し、国外に脱出するという活路が、まだ国王一家には残されています。万が一、そのような事態になれば、この戦は収集しがたいものになるでしょう」
 あさとは理解した。
 ラッセルが垣間見せた苦悩は、そのままアシュラルのものである。今、彼は、本当にぎりぎりの選択を迫られているのだ。
「とにかく、今は、お休みください」
 階下に降り、居室に入ると、彼は一つしかない寝台を指し示した。一間きりの狭い部屋は、おそらくこの鐘楼を護る者が寝起きしていたのだろう。小さな寝台の他は、椅子さえもない。
「動くのは、日が昇りきってからです。昨夜は一睡もしておられないのでしょう。わずかな時間でも、お休みになってください」
 あさとは首を横に振った。確かにラッセルの言うとおりなのだが、今は、少しも眠くない。
 男が、わずかに苛立つのが判った。
「いえ、どうにでも休んでいただきます。いざと言う時、私の足出まといになられては困りますから」
「でも、あなただって、寝るつもりはないんでしょう?」
「あなたと私は、違います」
「違わないわ、同じ目的を持っているのに」
「それでも、私とあなたは違うのです」
 その口調の冷たさに、あさとは声を詰まらせた。
 一年前、再会してから    ラッセルの態度は、基本的に何も変わってはいない。
 自分が作った距離から先に、絶対にあさとを立ち入らせてはくれない。
「……じゃあ、せめて」
 苦しくなって、それだけしか言えなかった。
「あなたが……何かするつもりなら、その傍にいさせて」
「………」
 ラッセルは黙った。その沈黙がおそろしかった。
「……別に、……変な意味じゃなくて」
「……変な意味とは?」
「………」
 また    惑わされている。
 自分でも、何を言い訳しているのか判らなかった。あさとは、気まずさに耐えかねてうつむいた。
 また、判らなくなっている。
     どうしてアシュラルは、この人を……ラッセルを、私のところへ寄越したのだろうか。
「私は、外の様子を見ていなければなりません。……お嫌でなければ、この部屋で見張りをいたしましょう」
 そう言ってラッセルは、自分の言葉に戸惑うように目を逸らした。
「……とにかく、横になっていて下さい」
 あさとは黙って、彼の言う通りにした。
 部屋の中は、明けきらない薄闇に蒼白く覆われていた。あさとは、寝台に横臥したまま、微かに動くラッセルの影を見守った。
 彼は壁に肩を預け、薄く開けた窓から外を見下ろしていた。わずかに差し込む明け方の陽射しが、薄闇の中、男の輪郭を浮き上がらせている。
「………」
 次第に、あさとは、ざわめくような胸騒ぎにとりつかれていた。
 灯りの下で、その姿をはっきり見ると、彼はラッセルに間違いなくて、自分も平静な気持ちでいることができる。
 なのに。   
「寒ければ、もう一枚毛布をもってきしょうか」
 なのに、耳だけで、感覚だけで彼を感じたら、心が騒いで、たまらなくなる。恋しくて    泣きたくなる。
     おかしい、私……。
 ラッセルに何を求めているのかは、はっきりしている。私は彼に。
     琥珀を求めているんだ。
     こんなの、いけない。こんな気持ち、ラッセルにも、アシュラルにも……すごく悪いことなのに。
 判っているのに、それでも。
 その時、夜明けの街を震わせるような、凄まじい重低音が鳴り響いた。
     ?!」
 あさとは驚いて跳ね起きた。軽い地鳴りのような振動が、建物ごと包み込むように揺らしている。
「これは、合図です。ご心配なさらないでください」
 ラッセルの声が、淡い闇の向こうから響いた。
「合図……?」
 一時、彼が返事に迷う気配がした。
「猶予は、今日一日だということです。それまでに三鷹家が降伏しない場合、明日の夜明けを待って、総攻撃に移ります」
    !」
 息をのみ、輪郭の滲んだ男の顔を見つめた。
「空砲が鳴らされた以上、すぐに、第一門から法王軍は撤収するでしょう。攻撃が開始される前に、第一門は完全に封鎖されます」
 判った。    それで、第一門から遠く離れたこの界隈に、法王軍は踏み込まなかったのだ。
「まって、ラッセル」
 あさとは、遮っていた。
「そんなことをしたら、レオナは……子供はどうなるの」
 自分の声が震えている。
 アシュラルは、攻めることも引くこともできないと言っていたのに。
「……これが、指揮官としての、ぎりぎりの選択です」
 抑揚を抑えた声で、ラッセルはそれに答えた。
「国王があの城に残っている限り、国民軍の反乱は続くでしょう。これ以上無意味な犠牲は出せません。私たちにとっても、猶予は今日一日。アシュラルもまた、この一日に賭けているのです」
 街は、再び静けさを取り戻した。
 けれど、あさとはなかなか眠る事ができなかった。これから先のことを思うと、不安と焦燥で、息苦しささえ覚えている。
「ひとつ、教えて」
「何か」
 ラッセルは言葉少なに答える。
「………アシュラルは、これからどうなるの?」
 そう言いながら、漠然と    アシュラルには「これから」などないのだと、感じていた。
 闇を破壊することが彼の使命ならば、その役割が終わった途端、彼の居場所は、この世界からなくなってしまうのではないだろうか……。
    アシュラルは、もう……」
 ラッセルはそこで、言葉を切った。そして、しばらくの間を置いてから、声が返ってきた。
「彼はもう、公の場に立つことはないでしょう」
 あさとの胸を暗いものがよぎった。
「病気がひどいってことなの?」
「少なくとも、病んだ姿を公に晒すことだけはしない、という意味です」
「では、法王はどうなるの? アシュラルという存在はどうなるの」
「万が一の時は、私が受け継ぐというのが、始めから決まっていたことです」
「………」
「彼が、初めて発作を起こしたのが、八つの年でした。……私どもが、カタリナに呼び寄せられたのも、その頃です」
「………」
「当時、私はさほど……弟と似た顔ではありませんでした。不思議な話ではありますが、カタリナで共に生活するようになってから、少しずつ、似てきたような気がします」
     それは、環境のせいなのか、それとも宿縁のためなのか。
「……身代わりは、その頃から決っていたことなの…?」
「…    私たちが十五になった年、ディアス様は、私にこう申されました。アシュラルの話し方、歩き方、癖、性格、その全てを、自分のものにしろと」
「………」
「アシュラルもそれを承知していました。二人の間で、いつそのような話がなされたのか、私は正確には知りません」
 淡々と答えるラッセルの顔が、どんな表情を浮かべているのかあさとにはわからない。
 ラッセルは、そのために死んだものとして葬られたのだ。来るべく時に備えて、存在そのものを消し去ったのだ。    それは、……終焉の時を待つ弟にしても、覚悟を決めていた兄にしても、どれだけ無残で残酷な選択だったのだろうか。
「……クシュリナ様に、謝らなければなりません、いや、……実際私は謝ってばかりですが」
 かすかに、男が嘆息する気配がした。
「他の誰をあざむけても、あなた様だけは難しいと思いました。金羽宮で    わざと、避けるような真似をいたしました。その他にも、多々、無礼な発言があったことと思います……お許しください」
「……だから、離婚、しようとしたの」
 あさとは囁くような声で聞いた。
 彼の答えが出るまでの一時が、ひどく長く感じられた。
「……この先、かりそめにしろ、クシュリナ様と夫婦として生きていく自信がございませんでした。それに、この結婚を維持する必要は、もうないと判断いたしました」
「………」
「ご自由に、生きていただきたいと思いました」
「……そう」
 あさとは、短く答えて目をつむった。
     それが答えで、それが全てなのだ。何も驚くことはないし、動揺する必要もない。彼は間違いなく、自分と距離を置こうとしている。だから、きっと、あんな    カヤノと結婚をしているという、嘘までついたのだ。
     私は、ダーラを、見殺しにしたんだ……。
 考えないようにしていた。けれど、忘れた事は一度もなかった。
 なにがあっても消せない罪。何があっても消えない過去。
 それが、決定的に、ラッセルとクシュリナ    二人の関係を変えてしまったのだから。
 あさとは改めて、この世界で覚醒した夜、最後に聞いた雅の<声>を思い出していた。
(    ラッセルは、きっとあんたを許せない。許せないけれど、忠実な彼は、あんたをこれからも守りつづける。……それが彼の職務だからね)
(    ねぇ、あさと、これって私と琥珀の関係に、とてもよく似ていない?)
     違う。
 私は、雅と違う。私とラッセルは違う。
 あさとは自分に言い聞かせた。
 雅は琥珀が好きだった。だから苦しかった。でも、私は、私には今、アシュラルがいる。
 なのに……。
 強く、胸に抱いた白月桜の剣を抱き締める。
 閉じた目に、どうして涙が滲むのか、あさとには判らなかった。
 
 
             8
 
 
 何時の間にか、眠ってしまったようだった。
「え……っ」
 窓を覆う帳の隙間から、白い日差しが、眼を射るほどに眩しく差し込んでいる。
 あさとは狼狽して身体を起こした。こんな時でも熟睡してしまう、自分の神経が信じられない。
 ふと、人の気配を感じて視線を止めた。部屋の隅、背を向けて立つ長身の姿がある。
     ラッセル……?
 彼は、ケープを頭から羽織り、みじろぎもせずに立っている。日差しが、男の身体を、光と影で彩っている。
 影で覆われた顔が、ゆっくりと振り返った。頭を覆っていたケープが取り払われる。
 あさとは愕然とした。
     死仮面。
 銀製の兜に紫の文様がはいった    アシュラルだけが常に身に着けている兜。
 下からのぞく薄い唇は、平素の彼の癖で、人を傲然と見下すような、皮肉な表情を浮かべている。
「……アシュラル……?」
 わからない、違うような気もするし、間違いないような気もする。
 震えるあさとの視線を受けたまま、男は無言で兜を脱いだ。
 その下から、まず髪が零れ、次に右の眼窩一帯を黒布で覆った顔が現れる。
     アシュラル……?
 咄嗟に立ちあがろうとして、足を止めていた。
 ようやく理解した。彼が    ここにいるはずはない。
「ラッセルね……」
 それでも確信が持てなかった。顔半分を隠しただけで、こうも印象が違って見えるものなのか。
 男は    ようやく、静かに笑んだ。
「お分かりでしたか」
 ラッセルの声だった。
 あさとはうつむいた。情けなかった。     私、判らなかった。あの人とラッセルの違いが、私には判らなかった……。
 その思いが、胸を引き裂き、締めつける。私は……本当に、あの人と会う資格があるのだろうか。
「申し訳ありません、……無粋な真似をいたしました」
 あさとは無言で首を振った。違う、ラッセルが悪いのではない。
 あさとが落ち着くのを待ってから、ラッセルはゆっくりと窓辺に立ち、指でわずかに帳を開けた。その肩に、見慣れないものが乗っている。    鳥……?
 そうだ、あの鳥だ。以前あさとを救ってくれた密輸船の船長、ゴドバの鳥。
 チチ……と、翡翠色の小鳥は小さく囀った。
 彼は、背を向けたままで言った。
「今日、私は、アシュラルとして天摩宮へ入ろうと思います」
     えっ……
 さすがにあさとは、驚愕して顔を上げた。
「それより他に、無血で城内へ入り、国王と謁見する方法はございません。明け方丘の上から見た法王軍の位置、ここまでの道筋はご記憶ですね」
 振り返った顔は、厳しかった。
「これから先、例え私に何があっても、あなた様には、お一人で活路を開いて頂かなければなりません。ユーリ様と対面を果たせたら、あなた様が第一門の内部におられることを、必ずお伝えいたします。    ユーリ様は、何があろうと、こちらにお越しになられるでしょう」
「…………」
「まずは、ユーリ様の御心を動かさなければ、この状況を変えることはできません」
 何を言っていいか判らなかった。言われていることは判る。けれど、それでは、ラッセルが危険すぎるのではないか   
「大丈夫です。ユーリ様は、話せばきっとお分かりになられる方。あなたも、それを信じているからこそ、単身でここまで来られたのではないですか」
「そうだけど、でも」
     今の、ユーリは。
 ディアスの言う事が本当なら、今のユーリは、昔の彼とは違っているはずなのだ。
「駄目よ……私なら、彼と話ができる、でも、あなたじゃ」
「それしか方法はありません」
「………」
「確実にユーリ様とお会いできる保証がない以上、あなたを天摩宮に、むざむざ行かせるわけにはいきません」
     ユーリは……まだ、会いさえすれば、理解し合える可能性はある。でも、ユーリと会うまでに正体が露見したらどうするつもりなのだろう。それに、天摩宮にはサランナが   
 サランナなら、恋する女の直感で、すぐに偽者だと、見破ってしまうのではないだろうか。
「……サランナ様も、二年以上アシュラルとはお会いになっておられないはず。クシュリナ様でも一瞬見分けがつかないくらいなら、少しの間なら誤魔化しきれるでしょう」
 そう言うラッセルも、わずかに眉根を寄せていた。彼も、サランナのことが一番気がかりなのだろう。
「それに、第三門内に入ってしまえば、正体が露見してもかまいません。おそらくユーリ様が」
 あさとは立ちあがっていた。
「駄目、やっぱり危険すぎる。あなたに万が一のことがあったら、法王庁はどうなるの」
 アシュラルが病を抱えている以上、偽者とは言え、ラッセルもまた法王庁を背負う立場には違いないのだ。
「まだ、アシュラルが残っています」
 男の目は動じなかった。
「そうなれば、病み衰えようが、寝たきりだろうが、血を吐いてでも、アシュラルに責務を果たしてもらいます」
「………」
「この戦が終われば、世界は新たな段階に入って行くでしょう。我々の役割は、しょせんそこまでのもの。私もアシュラルも、それは自覚しています」
 どういう意味? 我々って。
 だってラッセルは、アシュラルの後を引き継ぐために   
「あなたは、この部屋でお待ち下さい、私から連絡があるまで、決して、お一人で外に出てはいけません」
 その迫力に気おされるようにして、あさとはうなずいた。
「今朝方も言いました。この塔からは、天摩宮の大門が一望できます。私が無事に城内に入ったことを確認したら、ユーリ様が来られるのをお待ちください。が、万一、私が潜入に失敗するか    もしくは目的が果たせなかった時は」
 ラッセルの眼が、初めて肩に乗せられた小鳥を見た。
「この鳥を、城壁に向けて飛ばします」
「…………」
「その時は、あなたは必ず、外にいる法王軍に庇護を求め、事の顛末をお話にならなければいけせん。    むろん、ご自身の身分を明らかにした上で」
「……それは」
 反論は、言葉にはならなかった。
「それが、私の出来る最大限の譲歩です。いいですね、必ず庇護を求めるのです。そうでなければ、法王軍がいたずらに混乱する。私も、無血で済ませる自信はありません」
 ラッセルは静かに歩み寄ると、あさとの手を強く握った。
 繋いだ手は、最初から熱を帯びていた。挑むような目で、彼はあさとを見下ろした。彼は    約束を乞うているのだ。
 あさとはまた、苦しい胸騒ぎを感じたが、今度は、彼の顔から目を逸らさないようにした。
「約束する……」
 男の頬に、かすかな笑みが刻まれたような気がした。
「……絶対、死なないで……」
 目を離した途端……心まで、見失ってしまいそうな気がした。
 
 
 
 
 
 
 

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