6
夜陰にまぎれるようにして、二人は王都サラマカンドに侵入した。
すでに、民は城壁の内側に避難しているのか、街は死の静けさに包まれている。
所々に、法王軍の詰所があったが、ラッセルは抜け道を知り抜いているのか、それらに行きかうこともなく、迷いのない足取りで進んでいった。
ところどころ、ひどく家屋が破壊されている箇所があった。崩壊した、というより、木端微塵に踏みつぶされたという感じだ。
木々は圧し折られ、土は根こそぎ掘り起こされている。それは、何か禍々しい、無残というよりひどく凄惨な印象だった。
「忌獣です」
ラッセルは短く説明してくれた。
「ここサラマカンドで、法王軍の陣地は、度々忌獣に襲われているのです。それが、この戦を必要以上に長引かせています」
忌獣……。
「そんなにひどいの?」
「戦場には、従来忌獣が多いのですが」ラッセルは言葉を切った。
「法王軍の被害は、異常なほどです」
「………」
それは どういう意味なのだろう。
ラッセルはあさとの手を引き、市街地の外れにある小高い丘に昇った。
ようやく夜が明けようとしているのか、闇は薄っすらと青みを帯び始めている。眼下に楕円を描く城壁が見えた。
「ここから、天摩宮が一望できます」
彼は木陰に身をひそめたまま、あさとに眼下を見るよう促した。
「いいですか、城壁周辺の道筋、法王軍の位置を頭に叩き込んでおいてください」
明け方の青白い闇が、序々にナイリュの城下町を、その全景を浮かび上がらせつつあった。むろん、主要部分は高い壁に阻まれて見ることはできない。
ロイドの話では、壁は三層になっているはずだった。その最奥に、ユーリがいる。 。
が、一番外側の壁にある第一門の前には、法王軍が隊列をなし、完全に外から封鎖しているように見えた。
「どうやって……あの中に、入るの」
「夜明けと共に、法王軍は、ある作戦を遂行します。我々はその間隙をぬって、別の場所から城壁内に侵入します」
「作戦……?」
「第一門内の民を、壁の外に脱出させるのです」
「…………」
脱出……?
どうやって? 訊きたかったが、ラッセルの険しい横顔を見ると、何も言えなくなっていた。
ただ今は、彼の言う通り、街の道筋を頭に入れることに専念しなければならない。
二人の正面に、法王軍が陣取る山があった。そのきりたった山間に、なにかがずらり、とひしめいている。
眼を凝らすと、それは、たくさんの旗だった。一際大きな旗の下に、小さなものが寄り固まり、風を受けてはためいている。旗の紋様までは見えなかったが、法王旗に間違いない。
黒蟻のごとく群れを為した軍勢が、山を降り、行進を続けているのだ。
「天摩宮を攻めるの?」
不安に駆られ、あさとは訊いた。
「いえ、まだ、その決断は下せないはずです」
行軍の先頭に、一際大きな法王旗が翻っている。
「あそこに……アシュラルが?」
「いえ、彼は今」
ラッセルの視線が、城の背にある海の方へ向けられた。
「………」
彼方に垣間見える港には、数十もの軍船がひしめいていた。それはあさとにも見覚えがある、青州の港で見た軍船だ。
「あの船には、最新型の帆舵が取りつけられています。アシュラルの考案で、ナイリュとの戦に備え、何年も前からゼウスで大量に造らせていました」
ラッセルは低い声で説明した。
「通常の二倍の早さで航海します。アシュラルは当初から、ナイリュとの戦いは海戦が鍵になると睨んでいました。そして実際その通りでした、……海戦の敗北が、三鷹家には致命打だったのでしょう。アシュラルは、戦のやり方にかけては、真実、天才的なひらめきを持っているのです」
「……あれは…」
それよりもあさとが目を見張ったのは、軍船が停泊している港から、法王軍が陣取る山間部まで、列をなして移動を続けている 馬車のようなものだった。
それは、一見、人の引く馬車のようにも見えた。けれど、違う。見慣れない、大きな……馬車をそのまま変形させたようなもの。先端に筒状のものが長く伸びている 何十台も列をなし、ぞろぞろと山道を登っていく。
それは、あさとの世界にある<大砲>に酷似したものだった。
「あれは……なに?」
自然に声が震えていた。
「火砲術器と申します。ご覧になるのは初めてでしょうか」
「かほう……?」
「同じものが、軍船にも装備されています」
「………」
では 。
まさかあれが、薫州と、奥州を焼きはらったと言う……新型の兵器?
ぞくぞくと港から運び出されるその数は、尋常な量ではない。広い天摩宮を囲って余りあるほどの数である。
「薫州、奥州で用いたものは、試作でした。再度の使用に耐えられなかった。今は違う 青州で作らせていたものが、ようやく届いたのです。これで三鷹家は、降伏するほかなくなるでしょう」
あさとは黙っていた。ただ、自然に手指が震えた。
判っている。兵器としては、まだ幼稚だ。あさとが元いた世界では、そんなものより、もっと凄まじい大量破壊兵器がある。
しかしここは、騎馬が戦いの主流である世界だった。銃ですら、まだあさとは目にしたことがない。剣と馬、そして槍と弓。それがこの世界の戦い方の全てだった。
ロイドが得た情報が本当なら……これと、同じものを、ウラヌス軍が作っている。……
あさとは冷たいものを背中に感じながら、港から続々運びこまれ、発射の準備が進められていく大型の大砲 火砲術器を見つめ続けた。
ジュールが言っていたことが確かなら、これを考案したのもまた、アシュラルということになる。
織田信長……?
突然、あさとは、日本史上の人物の名を思い出していた。
歴史上、最も名を馳せたその男は、鉄砲を戦場に用いることにより、従来の戦いの有り方を一変させた。
日本はその後、騎馬が主流の戦い方から、鉄砲を用いた銃撃戦が主流になっていく。やがて戦いの場は陸から海へ、それが第一次世界大戦であり、第二次世界大戦で海戦の時代は終わり、航空戦が主流となる。
過去の歴史から、あさとにも判っていた。
戦術を革命的に変えることが、世界を支配する鍵となる。言い変えれば乱世では、それが出来る天才だけが、覇者となり得るということを。
アシュラルは、その理論を……知っていた? ううん、小田切さんなら……。
あさとは首を振って、自身の疑念を打ち消した。
まさか、そんなことはない。
アシュラルは天性の戦上手なのだ。例え史実を理解していたとしても、あさとにはそれを実行することなど思いもよらない。
でも……。
それでも、あさとは、たまらない不安を感じていた。
こんな方法で勝利を収めたとしても、それで、本当にいいのだろうか。
強い武器への渇望は、次々と新しい兵器を産んで行く。その果てにあるものは 決して彼が望んでいるような平和ではないことを、その先の未来に住むあさとはよく知っている。
雅は……雅の心は。
こんなものでは、絶対に救われない。
その時、空気が不意に振動したようなどよめきが上がった。
壁の内側で何かが大きく動いている 雄叫びのような歓声が聞こえてくる。
次の瞬間、空気をつんざくような音が、四方から朝の大気を震わせた。二度、三度、四度、五度。白煙が舞いあがり、たちまち空が濁って行く。
「なんなの?」
「空砲です。音で威嚇しているだけです」
城壁の門が開いたのは、その時だった。
どっと人の波が怒涛のごとく溢れだす。それは騎士ではなく、貧しい身なりの男女だったり、老人だったり、子供だったりした。
たちまち、門の周囲を法王軍が取り囲む。咆哮と共に逃げ出した民の群れは、その背後に鼠のごとく散っていく。
混乱している風ではなかった。門の内側からは、追手が出てくる気配さえない。
「法王軍の密偵が内部に侵入し、密かに機会を窺っていたのです」
ラッセルは静かな声で言った。
「すでに、三鷹家は完全に戦意を喪失しています。もはや、彼らの拠り所は、人質して捕らえている、法王の子のみ。 が、法王軍及び、青州潦州連合軍、そして援軍を寄こしたタイランド・ゼウス・ウラヌスは、まだその事実を知りません」
その意味は、すぐに判った。
皇都では、女皇の産んだ子供は死産として公表されている。
そして領内にあちこちに建てられた立て札……。もし、アシュラルが城の中の子を我が子と認めてしまえば、女皇が男児を産んだという事実が白日のもとにさらされることとなる。
今、アシュラルは一人で、過酷な決断を迫られているのだ。
「ウラヌスは……裏切ったのかもしれないと、ロイドが言っていたわ」
「その通りです。彼の国は、すでに火砲術器を量産する体制に入っています」
あっさりと、ラッセルは認めた。
「が、今の法王軍にウラヌスを攻撃するだけの余力はありません。今、ナイリュ北西の海域に、三国軍の船が停泊しておりますが、ここで、ウラヌスに寝返られたら、逆に法王軍が追い詰められることになる」
「…………」
「今は、一刻も早く膠着している王都攻めを終わらせ、圧倒的な力の差を、再びウラヌスに見せつけることが肝要なのです」
力に、力を持って対峙する。 が、それは、いずれ力によって覆される、終わりのない争いの緒にすぎない。
あさとは、無言で唇を噛みしめた。
「船の中で、色々な噂を聞いたわ」
ラッセルが、横顔だけであさとを見下ろす。
「法王軍が、ナイリュの軍も民も、見境なしに殺しているって。ここに来る途中、立て札を見たけれど」
「三鷹家が意図的に広めた流言飛語です。そうやって彼らは、国民軍の決起を鼓舞している。 が、全てが偽りだとは申しません」
彼は再び、感情を殺した目を眼下に向けた。
「法王を揶揄する札に関しては、内容が内容だけに、自軍に動揺が広がっています。厳しく、取り締まらねばなりません」
「それで……立て札を見た者まで、殺しているの」
「………」
彼の形良い眉が微かに動いた。あさとはたまらず目を伏せた。
「それも、アシュラルの命令なの?……それとも、あなた?」
「見ただけの者まで殺しているわけではありませんが 必要とあらば、そうしたでしょう」
ラッセルの口調は淡白だった。
「何が仰りたいのか判りかねますが、命令を出したのは私です。あのような風聞をこれ以上、広めるわけにはいきませんから」
突き放すような言い方に、あさとは思わず顔を上げていた。見上げた顔は、冷淡なまでに厳しかった。
「クシュリナ様、アシュラルが戻るまで、法王軍を指揮していたのは私です。民を含む反乱軍の一掃も、市街地や港を武力で制圧したのも、全て私が指揮してやらせたことです」
そんな……。
あさとは唇を震わせて、眉をひそめた。ラッセルが、そんな、そんな惨い真似をしていたとは思えない。思いたくない。
「……あそこにある……兵器を使ったのね」
「……あれは」
男は初めて愁眉を寄せた。
「あれは、今の時点では、威嚇としてのみ十分な威力を発しています。まだ……ナイリュには、あれに対抗する戦術がございませんので」
「でも、薫洲では使ったのでしょう?」
「みせしめのためです。この武器の威力を、シュミラクール全土に知らしめる必要がございましたから」
「………」
当時、法王軍を指揮していたのは、ラッセルではない。彼は、あえて言おうとしないが、 それは、アシュラルがやらせたことなのだろう。
あさとは、震える唇を噛みしめた。
理屈はわかる。結果として、それで各地の諸侯は法王に屈した。でもそれは それは、まるで、第二次世界大戦で、アメリカが、……日本の都市に投下した時の 。
それと同じ理屈ではないだろうか。
「何を驚いていらっしゃるのですか。それが戦争というものです。敵の命以上に、私は味方の命全てを預かっています。きれいごとではすまされない。私はあなたが思うほど、優しい人間ではありません」
「ラッセル、でも……」
言いかけて、あさとは口をつぐんだ。彼の言いたいことは理解しているつもりだった。けれど 本当にそれが、解決の、唯一の方法だったのだろうか。
「……それでも、殺さないで」
ラッセルは黙った。あさとは目を伏せたままで言った。
「少なくとも、私の供として行動する以上、……誰も殺したりしないで」
そうでなければ なんの意味もなくなってしまう。この戦を止めたいと願う心が、雅の心を癒したいという気持ちが。
「それはご命令ですか」
静かな声が、それに応じた。
「……命令、じゃないわ…」
そのために、命を落として欲しくないのは、敵だけではない。ラッセルにも、絶対に死んでほしくない。
「命令じゃなくて、お願いです。……私のために、誰かを殺したりしないで。その剣は、あなたのためだけに使うと約束して」
しばらくの間、沈黙があった。
ラッセルが、静かに息を吐く気配がした。
「……血を流さずに、あなた様を無事にユーリ様と対面させるのは」
彼は呟くようにそう言いかけた。
不可能です。
きっと、そう言うだろうと思い、あさとは黙ってうつむいた。
実際、どうしたらいいのか判らなかった。いっそのこと、クシュリナと名乗り出て ユーリの懐に飛びこむべきなのだろうか。
「方法は、ひとつしかありません」
しかし、男はそう言った。あさとは弾かれたように顔を上げた。
月明かりに冴えた彼の顔は、不思議なくらいすっきりと落ち着いて見えた。
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