第九章  月と太陽
 
 
 
 
 
                
 
 
 ナイリュの港街は荒れていた。
 かつて、サラマカンドの天摩宮に囚われていたあさとは、逃亡中    ラッセルと共にこの街を訪れたことがある。けれど、その時とは比べ物にならないほど、街も人も荒んでいた。
 居住街にいくと、人の気配はますます途絶え、ただ空き家に乾いた風だけが吹き付けている。
「旅の娘さん、一人でこの辺りをうろつかない方がいいよ」
 背中の籠に、家具だの什器だのを詰め込んだ男が何人かうろうろしていて、その中の一人が、あさとに声をかけてくれた。
 どうやら彼らは、無人になった家からめぼしいものを運び出しているようだったが、それが盗難なのか、もともとの所有者なのか、あさとには判断がつかない。
「今、この界隈で、怪しいと目をつけられた者は、片端から法王軍に捕らえられてしまうからね」
「この街は……もう、法王様に支配されているの?」
 あさとは声をひそめ、用心深く訊いた。
 革の上着と、チェニックを身に着け、踵の高いブーツを履いたあさとは、ロイドが仰天するほど髪を短く切り、その上から、ケープを深く被っていた。背に荷物を背負う姿は、少年が一人旅をしているようにも見えたかもしれない。
「ああ、街の人間は、皆王宮に避難したさ。居座って反抗する者は、みんな法王軍に殺されたって話だよ」
 男は、吐き捨てるように言った。「    法王は、鬼だ。本当に恐ろしいお方だよ」
     法王……。
 それは、……ラッセル?
「サラマカンドじゃ、見た事もない兵器を使って、三鷹軍もろとも、民百姓も皆殺しにしているらしい。夜は忌獣、日の高いうちは、あの死仮面が睨みをきかせている。もう、三鷹国王の降伏は時間の問題だっていうのに    一体どれだけ殺せば、気がすむのかね」
 あさとは何も言えず、胸苦しい思いで、男に背を向け歩き出した。
 噂は、青州から乗った密航船の中でも聞いていた。
 法王軍が    圧倒的な武力で、ナイリュの軍港を制圧し、それに続いて農村部、重要な商業都市の大半を占領したこと。
 それに伴い、各地で決起した国民軍をもまた、一滴の情けをかけることなく一掃したこと。
 ナイリュの各地では、死者を焼く煙が休む間もなく立ち昇り、人々は争って船に乗り、他国へ助けを求めていること   
 さらには、国の約半分を支配する、蒙真王家残党の存在も、ナイリュの惨状に拍車をかけているようだった。
 この機に乗じて商業地や軍の拠点に攻め込んだ蒙真軍とも、法王軍は激戦を続けている。どちらが滅びゆく南の孤島の支配者になるか    終わりの見えない戦いの中、犠牲になっているのは、やはり、罪もない民たちのようだった。
 それらの噂が、決して誇張ではないことは、到着してすぐに判った。戦の凄惨な爪あとが、寄る先々に刻まれている。
     新型の兵器って……一体何なの?
 噂だけは、蔓延していた。<死仮面>と同様、子供でさえ知っていた。けれど、誰一人、その実態を知る者はいない。
    あれは、天の雷じゃ)
 船の中で、震えながら話していた老人の声が蘇る。
 気にするな、いかれた乞食じいさんさ。
 周囲の者で、老人の声に耳を傾ける者は誰もいなかった。戦時下のナイリュに、危険を冒して渡る者は、身内探しか、罪人か、いずれにしても、曰くありげな人相ばかりだ。
    法王は、自らが神になったつもりなのじゃ、今に見よ、神を名乗る愚かな男に、天罰が下るぞ!)
「…………」
 死に絶えた街並を見つめながら、あさとは寂寞たる思いに取り付かれていた。
 この戦で新型兵器は使われていない。皇都では、そう聞かされていた。でも    実際は、そうではなかったのだろうか。
 気がかりはもう一つあった。法王領が襲撃を受けた時、聞こえてきた音のことだ。
 あれは、確かに爆薬の音ではなかったのか。剣と槍、そして騎馬と弓が主たる武器のこの世界で、    いったいどうして。
 重苦しい気持ちを抱いたまま、ナイリュでの最初の夜を過ごすため、あさとは宿屋がある宿場街に向かった。
 
 
                
 
 
「サラマカンドは危険だ。どうにも近づけそうにないぞ」
 その夜、あさとは、船を降りてから別行動をとっていたロイドと宿で合流した。
 今日、彼は一人、王都(サラマカンド)近くまで馬を走らせ、王宮の様子を確かめてきたのだった。
「今、どういう状況なの」
 宿はがらがらで、年老いた蒙真族の老父が一人いるだけだった。
 二人がいる場所は、丁度三鷹家と蒙真族の支配権の真ん中である。両族の民が混じりあった街は山間の外れにひっそりと取り残されており、時折、言葉の通じない不便さはあるものの、比較的、安全のようだった。
 むろん、この宿場街の存在を知っていたのは、以前ナイリュに住んでいたロイドである。彼はナイリュの地理に精通していて、だからこそ二人は、この危険な時勢に、国内に入り込むことができたのだった。
「サラマカンドでは、商人から民百姓に至るまで、全員、王宮内に避難しているんだ」
 ロイドは机の上に地図を広げながら説明してくれた。
「三鷹家の連中が籠城している天摩宮には、三層の城壁が設けられている。一番奥に王族が住み、第二門の内側には貴族諸侯、三門の内側に民が押し込められている。匿うというより、人質だな。それで、法王軍は、天摩宮を攻撃できないでいるんだろう」
 船や港で耳に入った噂とは、逆のことをロイドは言った。
 安堵というより、胸が重く塞がれたような嫌な気持ちに、あさとはなった。
「ユーリが……民を人質にしていると、いうこと」
 ロイドは、苦い目で頷いた。
「巷じゃ、あれこれ言われているが、薫州でも奥州でも、法王軍が民家を襲ったことはない。むしろ、安全を謀ってから、攻撃に移るようにしている。……その弱みをつかれたんだろう。かりそめにも神に仕える法王様が、無抵抗の民をむざと殺すわけにはいかないからな」
 では、何故あのような噂が蔓延しているのだろう。   
 あさとは、今日聴いた話をロイドにしようと思ったが、その前にロイドが口を開いた。
「が、法王軍の辛抱がいつまで続くかが問題だ。……実は悪い噂を耳にした。先日法王領に攻め込んできた灰狼軍だが、背後にはウラヌス国の援護があったという話だ」
「…………」
 ウラヌス。   
 今までも、何度も何度も、法王軍を裏切り、欺いてきた国。
 アシュラルは、力でそれをねじ伏せて、恐怖でもって同盟を結ばせた。
「もうひとつ、悪い情報がある」
 暗い口調で、ロイドは続けた。
「法王領を襲った兵器は、アシュラルが開発させた新兵器と同じ威力を持つものらしい。……ウラヌスがそれを開発したのなら、事態は最悪の展開に入ってきたってことだろうな」
「それは……、いったい、どういうものなの?」
「さぁな、俺も詳しくは知らない。青州で開発したって話だが、どんなものだかこれっぽっちも漏れてこない」
「ウラヌスは、じゃあ、どうやってそれを作ったのかしら」
「そりゃ、内通者がいたんだろう。アシュラルの周りは、常に裏切りと策謀に満ちている。あいつが誰も信じられなくなるのも、頷けるよ」
 この旅が始まってから一度も笑わないロイドは、終始思いつめた目をしており、今も、あさとを寄せ付けない冷たさがあった。
 法王領を襲った新型の兵器   
 あの闇を震わすような地響き、この世の終わりのような爆音。
 あさとは、息を詰め眉を寄せていた。そうだ、もう時間がない。この世界に、残された時間はそうはないのだ。
「いずれにせよ、もう、悠長に構えている余裕はない。俺が思うに、天摩宮への攻撃開始は時間の問題だ。それまでに、なんとかして王宮に入り込めればいいんだが」
 ロイドは苦く言い捨て、疲れたように寝台に横になった。
 
 
 翌朝。朝一番に、宿を出たあさととロイドは、馬商人の店を探した。
 店一番の駿馬と、そして馬具一式を買いうけると、宿場街をその日の内に駆け抜けた。
 荒廃した村や山道を選んで馬を走らせたため、ナイリュ軍にも、法王軍にも出くわすことなく、やがて、行く手遥か彼方に、白く輝く塔の先端が見えてきた。
     天摩宮……。
 ユーリと、そしてサランナが籠っている城。
 二人は森の外れで馬を降りた。ここから先は、王都、サラマカンドになる。
「見ろ、あれが法王軍が作った城だ」
 ロイドの指差す先に、二層からなる黒屋根の城が見えた。それは、天摩宮を見下ろす山中の半ばに建てられ、いまも、黒い行軍がものものしく都道を行軍している。
 あの城に……、では、ラッセルがいるのだろうか。
 山の壁面には、いたる所に黒い陣が張られ、法王旗が翻っている。
「この先、誰にも見咎められることなく、天摩宮まで辿り付くことは不可能だ」
 ロイドが呟いた。
「……前にも言った。お前、身分を明かして法王軍に合流するつもりはないか」
「それだけは、できないわ」
 もとより、無理は承知の旅だった。ユーリに直接会えるのなら、むしろ捕らえられた方が手っ取り早いとさえ思っている。いや、既に、それでしか、ユーリとサランナの心に触れ、我が子を救える術はないのかもしれない。
 だからこそ、ひとつだけ    あさとは心に決めていることがあった。
 それは、何をされようと、どんな目にあおうと、決して自分が、イヌルダの女皇、クシュリナだと言うことを明かすまい、ということだった。
 女皇としての義務を放棄した時点で、その覚悟は決めていた。例え殺されても、のたれ死んでも、イヌルダに迷惑はかけられない。
 あさとは、国を出る際、書簡をつづり、カヤノに託した。
 突然女皇が姿を消してしまうことが、法案の議決を前にして、ようやく落ち着きかけた官吏や諸侯を混乱させることは理解している。
 あさとは綴った。    自分は気鬱の病であり、戦が終わるまで遁世するつもりだと。後任の政務は、三笠宮ジョーニアスに、しばらく勤めていただきたい。    そして、万が一、ナイリュとの戦が終わっても、自分からなんら連絡がなかった場合は。
 女皇は病死したものとして扱ってほしい   
 そして、皇室には、今まで男子が誕生していたこと、コンステンティノ大僧正と千賀屋ディアスがそうであること、今後の皇位継承者についてはその点を考慮し、任命権は、夫である法王アシュラルに一任する、と最後に記した。
 女皇、クシュリナが死亡すれば、シュミラクール創生来脈々と受け継がれてきたシーニュの血脈はそこで、途絶える。
 サランナが皇位を継承する    という道も残ってはいるが、ナイリュが敗れれば、妹もまた、生き延びることはできないだろう。おそらく男子の継承について、初めて議論がなされるに違いない。 
「ロイド……?」
 気づくと、ロイドがひどく遠い眼で、眼下の塔を見下ろしている。
 この旅の間、ずっと沈み込んでいるロイドのことが、あさとは別の意味で気がかりだった。
 そうだ    ロイドは、あのフォード公の息子なのだ。父率いる灰狼軍が法王領を襲ったと聞いて、内心、どのような気持ちだったのだろうか。今にして思えば、彼が皇都を去るしかなかった理由も頷ける。あの時フォード公はアシュラルを騙し、南陽の城に閉じ込めたのだ。……
「フォード公と、ルシエも天摩宮にいるのね」
 あさとが訊くと、ロイドは無言で肩をすくめ、白く輝く塔から視線を逸らした。
 雅の心が解放されれば、きっと、フォード公の気持ちも動くはずだ。
 あさとは改めて、ユーリとサランナ、二人との対決の気持ちを強くした。
 
 
 
 
 
 
 
 

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