「……アシュラルは、まだ、イヌルダに戻ってこないの?」
 眼前に広がる景色を見つめながら、あさとは訊いた。背後では、ウテナが焦れたように鼻を鳴らしている。
 けれど、もう少し、この風景を見ていたかった。
 それはかつて、アシュラルと二人で眺めた景色だった。沈む夕日を見ながらキスを重ね、確かな気持ちを確認しあった。あれは    わずか二年に満たない前のことなのに、もう、随分昔のことのように思える。
「当分は戻られません」
 ジュールは短くそれに答えた。
 アシュラルは今、ナイリュの首都、サラマカンドに城を建築し、王宮である天摩宮の城下を最後の制圧目標として、戦場の只中で暮らしている。
「アシュラルは……諸侯たちから、死仮面と呼ばれているそうね」
 あさとが振り返ると、ジュールの眉が苦く歪んだ。
 あまりにも皮肉な名前。その    志にも係わらず、彼という存在、その印象の全てが、「死仮面」という名に込められていている。
 かつて、イヌルダ一の美貌を誇った美剣士は、そうして消えた。その代わり、恐怖をもたらす紫の死仮面が、彼自身の象徴となった。
 その兜と、彼を取り囲む親衛隊の壁で、アシュラルはあさとを遮断し続けている。あさともまた、彼を憎み、激しく拒否した。この半年近く    二人は、会話することはもちろん、目をあわすことさえなくなっていたのだ。
 ジュールが黒竜隊の隊長として、金羽宮に残っていることだけが、唯一の繋がりだったが    それも今、消えようとしている。
「……法王より」
 しばらく沈黙した後、ジュールは言い憎そうに言った。
「離婚、許可証を預かっております」
「………」
 覚悟はしていた。別居してから、もう一年近くたつ。二人の不仲は、イヌルダで、知らない者がないほどに広まっている。
「私は、いつでも、サインするけれど」
 なるべく平静を装って、あさとは言った。「彼は困らないの? まだ、ナイリュとの戦は続いているのに」
「正式には、終戦後に、離婚が成立することになるでしょう」
 ジュールは静かに言葉を返した。
「もう、ご自由になさってもいい頃です。あなた様は十分に苦しんでこられた。法王様も、そう思われたのではないでしょうか」
「………」
 これで……。
 最後の、繋がりさえも切れてしまう。
 あさとは眼を閉じた。何と答えていいのか判らなかった。
「離婚なさって……そして、再婚されるおつもりはありませんか」
「まさか」
 思わず、失笑していた。
「あなた様はまだお若い、……このまま、一生お一人でいるわけではございますまい」
「………」
 それには応えないまま、視線を曇った空に転じた。
 自分は何を待っているのだろう、と、ふと思った。
「……コンスタンティノ大僧正様は、今、コンフィデ寺院でご隠居されておりますが」
 わずかな沈黙の後、ジュールが、思い出したように口を開いた。
「一度、訪ねてみられたらいかがでしょう。法王家には昨年、御身内に男子が誕生され、……それは美しい子だそうですから、クシュリナ様の気持ちもまぎれるかと思います」
「………」
 何故そんな、残酷なことをいうのだろう。
 あさとはジュールの無神経さを恨んだ。
 あさとが黙っていると、ジュールは深く嘆息した。
「お子をお産みなさいませ、クシュリナ様。再婚し、御世継ぎを残され、……できるだけ早く、退位されることです」
 染み入るような口調で、男は続けた。
「そうすればあなた様は、一人の女性として生きていける。誰をお選びになられても、自由なのですから」
 あさとは無言で、眼前に広がる景色を見つめ続けた。
    ここからは、イヌルダの全てか見渡せる)
 頭の中で、あの日のアシュラルの声がした。
 彼の指差した夕日が、金羽宮に反射して輝いていた。それは息がつまるほど綺麗で    壮大な光景だった。
    この国は美しい、住む人の心も、いつかこの景色の負けないよう、美しくなれればいいと思う)
    そうなれば、いつか人々の心から騎獣は消える。その日まで、お前には、苦労をかけるだろう、俺はきっといい夫にはなれない。悲しませることもあるかもしれない……)
 人は   
「ジュール」
 人の気持ちは   
「離婚許可証にサインするわ、それを持って、彼に届けて」
 どうして変わってしまうのだろう。あんなにも、胸が痛いほど幸せだった一時に、一体何の意味があったと言うのだろう。
 こんなに虚しいのなら、こんなに辛いのなら、もう二度と、恋などしたくはない。
「クシュリナ様……」
 あさとは自分が泣いているのさえ気づかないまま、ぼやけていく景色を、ただ見つめていた。
 
 
                  
 
 
 金羽宮への帰途の途中、あさとはジュールと共に、千賀屋ディアスのいるカタリナ修道院へ寄った。
 明日にでもナイリュに渡るつもりのジュールは、ディアスに別れの挨拶をしたかったのだろう。一人で行くという彼に、同行を申し出たのはあさとだった。
 ディアスを蝕む褐黒病はますます進行し、    時々目覚めはするものの、眠り続ける時間の方が圧倒的に長いらしい。
 こうなっては、もう、生き続けているのが奇跡だと、そう言ったロイドの言葉が、苦く胸に蘇った。
「クシュリナ!」
 客間で待っていると、すぐにカヤノが飛び出してきた。
 やせぎすだった身体は、この一年で、見違えるほどふっくらとして、柔らかみを増している。相貌は、明るい笑顔で輝いていた。
 あさとと同じように、夫と別居しているとは思えないほど、彼女はいきいきとして朗らかだった。
「やっと顔を見せてくれたのね。せっかくこっちに帰ってるのに、滅多に来てくれないんだから」
「ごめんね、なんだか忙しくて」
 カヤノが皇都に戻ってきたのは、ナイリュとの戦が激しくなった、つい先月のことである。
 ディアスの死期が    おそらく、近いことが、理由だったのだろう。戻ってきても、金羽宮には顔を出さず、ずっとカタリナ修道院で暮らしている。
 ラッセルは一緒ではなかった。カヤノの話では、二人はあの後、ゼウスに移り住んだとのことだが、三鷹家との戦が始まったという知らせが届くと、ラッセルは再び、ナイリュに向けて旅立ったらしい。
「まぁ、あの人は、一度こうと決めたら曲げない人だから、止めたってどうしようもないわよ」
 カヤノの口調はさばさばとしていた。
「ナイリュのことなら、ラッセルは皇都の誰より詳しいでしょうからね。戦が始まったって聞いて、のんびり暮らしてはいられなくなったんじゃないの」
 その、夫を信じ切った明るさに、あさとは確かに嫉妬していたのかもしれない。
 が、それとは違う、もう一つの疑念が、    それを認めたくないという思いが、あさとの足を、自然にカヤノから遠ざけさせていた。
 それは、ロイドの存在だった。
「今ね、ロイドがお父様を見てくれているんだけど」
 そう言い差したカヤノの瞳が、ふいに曇った。少しうつむいて、悔しそうに唇を噛む。
「なるべく起こさないようにして……少しでも長く命を持たせるしかないって言うの。残酷よね。お父様は、もう覚悟を決めておられるようだけど」
「……そう」
「お父様、随分クシュリナのことを心配してた。起きてる時間はあんたの話ばかり聞きたがるの。時間さえ合えば……一度、話がしたいって、言ってるんだけど……」
「私も、そう思ってはいるんだけど……」
「……もう、長い時間話すのは、無理かもしれないけどね」
「………」 
 あさとは何も言えなかった。血は繋がっていないとはいえ、カヤノはディアスの娘なのだ。笑顔の下に、どれだけの辛さを隠しているのだろう。
 あさとにも病床の父がいる。だから、カヤノの気持ちはよく判る。
 ハシェミの意識は未だもどらず、この二年あまりずっと廃人同様の状態が続いている。心音が随分弱っていると、先日御殿医に告げられたから、あまり……状態はよくないのだろう。
 あさとは毎晩、父の枕元に行き、その日の出来事    アシュラルのこと、ラッセルのこと、抱くことができなかった子供のことを、とりとめもなく語りかけた。
 そうすることによって、父が正気を取り戻すかもしれないと    奇跡にも似た一縷の望みを、今も抱き続けている。まだ、父を逝かせたくない。……まだ、何か大切なことを伝えていないし、伝えられてもいない。そんな心残りが、どうしても拭いきれない。
「なんだ、クシュリナか」
 ふいに背後で声がしたので、振り返ると、白衣を身に着けたロイドが、病棟に続く通路から出てくるところだった。
「ジュールが来たから、出かけようと思ったんだ。お前さんも一緒だったのか」
 彼は屈託の無い口調で言い、あさととカヤノの傍に歩み寄ってきた。
 諸国を放浪していたロイドが皇都に戻ってきたのも、カヤノと同じ頃である。
 かつて、何かの理由で皇都を飛び出した男は    今はもう、その憂いもなくなったのか、それきりカタリナ修道院で暮らしている。が、公には医術師ではなく、後輩の育成と、ディアスの治療に専念しているようだった。
 一年前、野放図でどこかだらしなかった男は、今は別人のように美しくなっていた。髪はいつも短く整えられ、身につける衣服もきちんとしている。
 規律の厳しい修道院で生活しているせいもあるだろうが、あさとには、それが、    カヤノが、かいがいしく彼の世話をするせいだと思っていた。
「ロイド、お父様の様子は?」
「よく眠っていらっしゃるよ。ジュールみたいな面倒な男も来たし、起きない方がいいと思ったんじゃないのか」
「もうっ、冗談言ってる場合じゃないでしょ」
 カヤノとロイド。こうして並び立つ二人は、本当にお似合いだと思う。
 けれど、カヤノはラッセルの妻であり、ロイドとは他人なのだ。そう思うと、自然に複雑な気持になり、あさとは視線を逸らしていた。
「……ラッセルからは、まだ連絡がないの?」
 あさとがそう聞くと、二人の表情が一瞬、強張った。
「ああ、……そうね、まだよ」
 女の眼が、わずかに揺れたような気がした。「どこにいるのかしらねぇ、全く、あの人も気まぐれなんだから」
「ま、直に戻るだろうさ」
 そう言ったのはロイドで、それも、どこかぎこちない。
「あ、そうだ、お茶を淹れるわ。ゼウスの友だちが、とてもいい物を届けてくれたのよ」
 カヤノが、気まずい雰囲気を払うように立ち上がった。
「ロイド、この前持ってきてくれたお菓子だけど、どこにしまってくれたかしら」
「ああ、それなら俺が取ってくるよ」
 一人になったあさとは、わずかな躊躇いの後、席を立った。
 大好きな二人だけに、妙な誤解をしたくはない。今抱いている感情が顔に出る前に、二人の傍から離れたほうがいいのかもしれない。
 ラッセル    琥珀。
 彼とはもう、二度と会う事はないのかもしれない。
 それでも、この世界のどこかに琥珀がいる。二度と会えなくても、お互い別の人を愛するようになっても    それでも。
 それでもあさとは、彼の幸福を願いたかった。
 そうでなければ、やりきれなかった。
「じゃ、あんたもナイリュに行ってしまうの?」
 カヤノの声がしたのは、扉を開けた時だった。
「ああ、こういういい方をしたら残酷だが、ディアス様の容体は俺がいようがいまいが、もう変わることはない」
 ロイドの声。
「わかってるけど……でも……でも」
 カヤノの声が、泣きそうに頼りなくなっている。
 あさとは一瞬足をすくませていたが、すぐに状況を理解した。今は    立ち聞きしていい場面ではない。が、そっと後退し、扉を閉めようとした時、続けさまに声が聞こえた。
「ルシエは間違いなくナイリュにいるんだ。俺は、あいつを探さないといけない」
 ルシエ   
 さすがにそれには瞠目していた。ルシエ? まさか松園ルシエ? 一年前、皇都を逃げてからずっと行方不明になっている薫州フォード公の一人娘。
 何故、ロイドの口からその名前が   
「灰狼軍がこのまま引き下がるとは思えない。俺には、むしろ今の平穏が恐ろしい。一刻も早く、」
 ロイドの言葉が、そこで途切れた。
「なんで……お前が、そこで泣くんだ」
「べ、別に、泣いてなんかないわよ」
 取り繕ったようなカヤノの声。
「ただあんたがいないと    なんだか、なんだかすごく心細いのよ」
「頼むから、こんなところで口説くなよ。言っただろう。俺は今、女なんかに構ってる余裕はないんだ」
「誰が構ってなんて言ったのよ、自惚れないでよ!」
「クシュリナ様?」
 ジュールの呼ぶ声が、背後でした。
 反対側の扉    戻ってきたジュールがいつの間にか、背後に立っていたのである。
 あさともびっくりしたが、扉の向こうに立っているカヤノとロイドも、同時に息を引く気配がした。
 不自然な間に、ジュールはわずかに訝しむような表情を見せたが、すぐに居住まいを正してあさとに向き直った。
「ディアス様が、……今、お目覚めになられて」
 沈んだ声で、ジュールは続けた。
「クシュリナ様とお話がされたいそうです。病棟へおいでいただけますか」
 
 
                  
 
 
 千賀屋ディアスは、あさとが想像していたよりも、ずっと元気そうに見えた。
 日差しのよく差し込む、風通しのいい部屋で、彼は寝台に仰臥したまま、あさとの来るのを待っていてくれた。
「おお、これは……女皇陛下」
 あさとの姿を見て、身体を起こしかけるのを、ジュールが肩を抱いて、押しとどめる。
 ひどく痩せていた。水と、薄いスープだけで命を繋いでいるのだから、無理もない。肩まで伸びた髪に、以前より白髪が増えている、あごにもまばらに髭が生えていた。
 それなのに、すっきりとした一重の眼は涼しげで、どこか若々しい風情を漂わせている。
 あさとは、ふと、彼の表情の癖に目を止めた。    そうだ、初めてこの人を見た時にも、感じたこと    どこかで、彼と似た表情を見たことがある……。
「……ようやく、お話をする機会を得ることができました。女皇陛下、このままで失礼いたします」
 ディアスは視線でジュールに何か訴え、それを受けたのか、ジュールは静かに退席した。
 部屋には、あさととディアスだけが取り残された。
 窓から差し込む午後の日差しが、白い掛布に反射している。病人にはまぶしすぎるかもしれない。あさとは窓辺に行って、厚みのある帳を閉めた。
 ディアスは無言のまま、じっと    空の一点を見つめている。その様子が、どこか尋常でない感じがした。
 が、彼は唐突に口を開いた。
「ずっと……お話したいと思っておりました。女皇陛下、クシュリナ様、    いえ」
 男は、まっすぐにあさとを見た。
「瀬名、あさと様」
 あさとは窓辺から動けないまま、立ちすくんでいた。
 衝撃で、しばらくものが言えなかった。
 これは――何かの聞き間違いか、それとも、勘違いなのか。
「……私の夢で、意思の<声>が、そう囁くのです。……あさとさん、それがあなたの……本当のお名前ですね」
「あ……」
 あさとは、呆然とし、よろめいて壁にすがった。言葉が何もでてこない代わりに、涙が    いきなりあふれ出て、頬を伝って零れ落ちた。
「ご……ごめんなさい、私……」
 こんな風に、誰かに自分の名を呼ばれることが、これほど、嬉しいことだとは思ってもみなかった。
 ラッセルに「セナ」と呼ばれた時、彼はあくまで、クシュリナの偽名としてその名を呼んでくれたにすぎない。自分を瀬名あさととして    確かに認識して呼んでもらえたのは、今がはじめてだ。
 しばらく、染み入るような眼差しであさとを見つめていたディアスは、やがて辛そうに嘆息した。
「私は、あなたに伝えなければならない、……生あるうちに、あなたが、この世界に導かれた本当の理由を」
 ディアスは眼を閉じ、少し苦しげに息を吐いた。
「あなたは意思を    この世界を支配する意思を、呪詛と哀しみの檻から解放させるために、クシュリナ様の肉体に導かれたのです」
     この世界を支配する……意思……?
 あさとは息さえできないまま、ディアスの言葉の続きを待った。
「私が今から申し上げる事は、全て<声>が私に伝えたもの。私に……その、意味まで説明することはできません。何故なら、私は声を聴くことはできても、問うことができないからです」
 ディアスはゆっくりと顔を上げた。
「この世界は、もともとひとつの意思が創り上げたものなのです。そして、その意思は、……今、病んでいます」
「病んで……いる……?」
「ある時点から、意思は、自身が生み出した二つの異なる意思に支配されるようになってしまったのです」
「………?」
「すなわち、邪の意思と救いの意思。    邪は騎獣を生み、救いは月を満月にとどめた」
「それは……このシュミラクールのこと?」
 痛々しいほど痩せた男は、うなずいた。
「意思とはすなわち、この世界……シュミラクールという存在そのもの。意思が病むということは、世界もまた、病むということ」
 そして、首を傾け、真直ぐにあさとを見つめた。
「あさと様、あなたをここへ導いた意思こそが、世界を創造した意思そのもの。シュミラクールを造った源なのです。それは、あなたにとって、非常に近い存在のはず、親子か姉妹か、親友か    
 あさとは、眉を寄せたまま、握り締めた拳を震わせた。それは    それは、雅しか有り得ない。
 でも、それは、どういう意味を持つのだろう。
 ディアスは再び目を閉じたまま、淀みなく語り続けた。
「病んだ意思は、この世界の現在、過去、未来    全てに同時に影響を与えています。未来が過去に、過去が未来に    それぞれ、影響を与えながら、少しずつ変化しているのです」
「どういう……意味なの」
「……私にも判りません。ひとつ言えるのは……今、意思のバランスは急速に崩れかけている。分裂した二つの意思である<邪>と<救い>。この二つが暴走を始めている。このままだと、いずれ、シュミラクールは、<邪>が生み続ける忌獣に呑みこまれ、闇に消えてしまうでしょう」
     それは。
 予言……。終末の予言   
「終末の書は……ずいぶん昔に書かれたものだと聞いているわ、それも、あなたに語りかける声が、教えてくれたものなの?」
 あさとの問いに、ディアスはわずかに躊躇してから頷いた。
「何百年間も前から、<声>は、この世界の誰かの意思に語り掛け、警告し続けてくれていました。予言書もまた、<声>が語りかけた言葉を綴った書であることは、間違いないと思います」
「………声って、……なに?」
 もしかして、雅の声?
 答えを迷っているのか、ディアスがわずかに沈思する。
「こういえばいいのでしょうか。<声>もまた<意思>のひとつなのです。それが、意思の全てなのか、意思から分裂した別の意思なのかは判りません。けれど    <声>は意思の心を伝えてくれる。この世界の過去、現在、未来にわたって、<声>は、我々に訴え続けているのです」
     訴えている……。
「なに、を」
「助けてくれと」
「…………」
「私を……助けてくれと」
 病んでいる    そう、雅は確かに病んでいた。もともとの雅、そして、事件の後の優しかった雅、そして    最後の夜の、恐ろしかった雅。
 あさとは、怖いものでも見るような気持ちで、目の前の男を見つめた。
 では、もともとの意思とは、そして分裂した二つの意思とは    ……いや、そんなことより。
     この世界を造った意思が、雅……?
 この男が言っているのは、まさにそういうことなのだ。でもそれは、そんな    そんな、そんな儚い    ……。
「……クシュリナ様、いえ、瀬名あさと様、あなたは、この世界で唯一、病んだ意思を癒すことができる存在なのです。分裂した二つの意思を呪縛から解き放つことができる。……おそらく、そのために、クシュリナ様の肉体に……あなたは呼ばれた……」
 
 
 
 
 

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