8
「そりゃ内輪ですけど、一人娘の結婚式ですもの。少しは派手に……ええ、それは判っていますけど、でも、あなた? 聞いてます?」
甲高い声が、扉を開けた途端に聞こえてくる。
琥珀は、苦笑してマフラーを外すと、玄関に置いて、靴を脱いだ。
気配を感じて顔をあげると、雅が、そっとマフラーを取り上げてくれているところだった。
おかえり。
その唇が声を出さずに言ったので、琥珀は微笑して「ただいま」と言った。
耳は通じなくても、目を合わせて唇をしっかりと動かせば、だいたいの意思疎通はできる。
明るい笑顔になった雅が、マフラーを抱くようにして琥珀に腕をからめてくる。
外、寒かった?
「そうでもないよ」
それは、首を横に振って伝える。
東京は、どうだった?
「変わりないよ」
微妙な表現は、互いに覚えたての手話を交える。
あさとに会った?
「…………」
わずかに返答に詰まった琥珀は、すぐに「会ったよ」と、唇の動きで返した。
元気だった?
雅の表情に屈託はない。
琥珀は、先ほどと同じ手話で、それに答えた。 変わりないよ。
応接間では、祥子が熱心に話している。相手は、仕事中の門倉厚志だ。気の毒に……、と琥珀は、妻の長話に辟易しているであろう厚志の表情を思い浮かべる。
が、この土地に越して以来、魔が取れたように明るくなった家族のことを思うと、自然に気持も温かくなる。
全てが上手くいっていた 。
介護学校に通いながら、地域のボランティア活動を手伝うようになった雅。
親友の会社で、役員職についた門倉厚志。
妻の祥子は、娘の結婚準備に持てる情熱の全てを注いでいるようで、毎日、食卓では華やかな話題が絶えない。
ただ、ひとつ、琥珀が判らない いまひとつ、以前のように掴めないのが、今の雅だった。
子供のように甘えられるか、どす黒い怒りをぶつけられるか。そういう雅しか知らない琥珀には、今の雅が、いったい何者なのか、と時々不思議に思えてしまう。
静かに佇み、琥珀が何を話しても、楽しそうに笑顔でそれを聞いてくれる。怒ることはもちろん、感情を乱すことも殆どない。
時折、以前には決して見られなかった、ひどく大人びた表情をみせるようになって、……それは理知的な、近寄りがたい、今ではない別の場所を見ているような遠い眼差しで、そんな時、琥珀は目の前の女が、まるで見知らぬ人に思えてしまうのだった。
腕を引かれ、琥珀は雅の部屋に入った。
少しばかり驚いている。互いに覚醒して以来、二人はまだ、本当の意味での恋人とは言えないからだ。
だから、正直言うと琥珀は、雅が結婚の話に乗り気だと聞いて驚きもした。
もしかすると雅は 以前とは、まるで別人になってしまったのではないか。かつての想いも、今の彼女にとってはなんの意味もないのではないか そう思ったこともあったからだ。
あの夢の記憶が、雅の心にどんな形で蓄積されているのか、琥珀にはまるで判らない。自分もむろん語る気はないし、雅にも……そういった気は、少しもないようだった。
あさとのことを教えて。
雅は、机の上にノートを広げると、ペンで綺麗な文字を書いた。琥珀もまた、ペンを取る。
元気だったよ。
もっと教えて。
そんなに話さなかったんだ。
結婚式に、来てくれるかな。
「…………」
それは、雅が呼んだらいいよ。
いいの?
文字だけで交わす会話は、その心の底にあるものまで斟酌できない。しばらく雅の顔を見た琥珀は、すぐにペンを走らせた。
雅の友だちだろ。
琥珀は、あさとの結婚式にいける?
自然に眉を寄せている。
その質問の意図が判らない。
呼ばれれば、行くよ。
平気?
どうして?
今度は、雅のペンがしばらく止まった。
同じことになっても、いいの?
「…………」
同じことを繰り返してもいいの?
「…………」
それは、……どういう。
琥珀は馬鹿だね。どうして私が結婚を承知したか、まだ本当の理由が判らないの。
「雅……」
ペンを置き、琥珀は顔をあげていた。
雅は、静かに微笑している。
「雅ちゃん!」
けたたましい声と共に、駆けこんできたのは祥子だった。
彼女は、琥珀の姿を見て、何故かきっとしたようにまなじりを上げたが、すぐに猛烈な勢いで雅に向き直り、手話で慌ただしく会話を始めた。
傍で見ていた琥珀にも、彼女たちの会話の意味は理解できた。
雅が今日 一人で式場のキャンセルに行ったのだと、琥珀は知った。
「どうしてなの、どうして!」
祥子は、金切り声をあげた。
「雅ちゃんと琥珀さんは、もう夫婦も同然じゃないの。どうして、今になって、どうしてそんなことを言いだすの」
この人は、今の幸せを逃すのが怖いのだ……。
琥珀は、驚きとは別のところで、静かにそう思っていた。
それも無理もない感情だった。今、門倉家は、本当に何十年ぶりかの平穏に包まれている。祥子は、この平和を無理やりにでも永遠のものにしたいのだ。彼女が結婚を半ば強引に進めた理由を、琥珀はそう解釈したし、それはおそらく正解だった。
「おばさん」
琥珀は言った。
「雅は覚醒したばかりで、まだ記憶が曖昧なんじゃないでしょうか。結婚しようとすまいと、僕はずっと彼女の傍にいるつもりですから」
祥子は、まだ困惑の態で息を荒くしている。
「そんなに焦らなくても大丈夫です。もう少し雅に時間をあげてやってください」
雅は、さらさらとペンで何かを書いていた。文字ではない……絵のようだ。
何気なくのぞきこんだ琥珀は、全身の血が一気に凍りつくのを感じていた。
今でも、その幻影が彼の夢に出てくることがある。その怪物に、琥珀は三度死の縁まで追い詰められた。そして最後まで、その正体が掴めなかった 忌獣。
まるで子供が描いた様な稚拙な落書きを、雅は祥子の前で差しかざした。
憶えてる、ママ?
祥子の唇が震えている。
子供の頃、この怪物が月のない夜に遊びにきたの。女の子が大好きで、引きちぎって食べちゃうの。
「 雅ちゃん!」
ママ、本当にこんな私が、幸せになっていいと思う?
「やめて、やめて、雅ちゃん!」
私のこと、本当に大切に思っているなら。
雅の筆跡の上に、初めて涙が浸みを作った。
お願いだから、私を一人にして、私を甘やかさないで。
「なにを……なにを言うの、雅ちゃん、あなたは被害者なのよ、あなたは何も知らないのよ!」
雅は無言で首を横に振る。
私は知っていたから……全部。
知っていて止められなかったのは、それは私の責任だから。
「雅ちゃん、だめよ、そんなことを言ってはだめ……!」
悲鳴をあげた祥子は、いやいやでもするように、手で顔を覆って首を横に振り続ける。
雅は、その肩をそっと抱いて、母親が子供をあやすように抱いて、 そして、琥珀を振り返った。
「俺は、……どこにもいかない」
琥珀が言うと、雅は静かに微笑した。
「お前がそうやって罪を背負って生きて行くなら、俺も一生、同じように生きて行く」
「…………」
やはり雅は、無言で笑っているだけだった。
もう。
唇が、初めて動いた。
もう、琥珀には会わない。
「…………」
琥珀は黙って、その綺麗な双眸が潤んでいくのを見つめている。
生きている間は、二度と、会わない。
雅 。
でも。
雅は、花が咲くような明るい笑顔のまま、一筋の涙だけを、天の滴のように零した。
やがて、号泣する祥子を支えるようにして雅が出て行っても、琥珀はその場から動けなかった。雅の唇が語る言葉だけが、いつまでも胸の中で響いている。
でも 。
今度、生まれ変わったら、私を選んで。……
9
「そうですか。じゃあ……今夜は」
お友達のところに泊まるって言っていたから、帰らないんじゃないかしら。
受話器の向こうから、懐かしい声がする。
「わかりました。ありがとうございます」
「用件があるなら、伝えておくわ。あっ、携帯の番号……新しいの、教えましょうか」
少しためらってから、いいえ、と丁寧に断り、琥珀は公衆電話を置いた。
最後に声が聞きたかった。それも、未練なのかもしれない。
見上げた時刻表が点滅している。
もう直、日本を離れる時間だ。
いつの間にか春らしくなった陽気のせいか、空港に佇むどの顔も、明るく輝いているように見える。
友達の、ところか。
「あの馬鹿、どれだけ判りやすい言い訳してんだよ」
苦い笑いが、漏れている。
ま、いいか。叱られる相手は俺じゃないし。
三月二十五日。
不器用な幼馴染より、もっと判りやすい相手から電話があったのが、昨日の夜のことだった。
「…………」
そっか……。
行ったのか。
ぼんやりと青く澄んだ空を見上げる。
最初から、こうなることは判っていたような気がする。
この世界で目覚めた時から……いや、あの世界から、瀬名を解放してやろうと決めた時から。
あの人なら、いいだろう。
汚れた手を持つ俺とは違う。あの人なら きっと、瀬名を幸せにしてくれるだろう。
あの日、たった一度、手合わせした相手。
異世界でもアシュラルと剣を合わせたことは一度もなかった。互いが互いを、決して負けることのない相手だと思い込んでいた。それは、現実でもどうやら同じだった。
あれは、俺の負けだった。
琥珀は苦く目を閉じた。
単に勝負の結果ではない。あの人という存在そのものに、結局俺は、一度も勝つことができなかったのだ……。
「ひとつ、教えてもらえませんか」
立会いの前、面をつけようとする小田切を止め、琥珀は訊いた。
ずっと心の底にわだかまっていたことを、今日、どうしてもこの男の口から聞き出したかった。
「何をだ」
そう言って向けられる鋭い視線に、記憶の中の印象が一瞬かすめる。
胸苦しくなり、琥珀はわずかに呼吸を整えた。
「いつから、あなたは気がついていたんですか」
「………」
「もしかして、あなたは最初から」
小田切は、口元にわずかな笑みを浮かべただけだった。
「……一本取れたら教えてやってもいい」
彼は面を被り、面紐を後ろで縛ると、真っ直ぐに向き直った。
琥珀も同じように、準備を整え、真直ぐに彼と対峙した。
「行きます」
琥珀は言った。
むろん、勝つつもりだった。
試合をやろう言い出したのは小田切で 受けはしたもの、正直、その申し出は意外だった。小学生から何度も全国大会に出場している琥珀は、社会人とやっても、殆ど負けることはない。
お互いに剣を構える。小田切が上段へ持っていくので、琥珀は下段に 呼吸を整えながら剣先を移していく。
できるな。
その時、初めてそう思った。
左足を前に踏み出し、小田切の足元を脅かしながら、剣の出方を窺う。
相手の眼差しから、動きを先に読んでいく。
来る。
予想通り、裂帛の気合とともに、面が来た。
踏みこみが足りない、甘い そう思い、琥珀は咄嗟に一歩引く。引いて、しかし引ききる前に、立て続けに面。
その凄まじさは、琥珀の予想を遥かに上回っている。
下がりながら受ける 受ける間もなく、胴。
全ては数秒の出来事だった。
二三段の技だった。初めの一撃からすかさず次の技を出す、呼吸もつかずに一気に来る技。
琥珀はあばらが軋むような痛みに耐え、立礼すると、再び元の位置にもどって身構えた。
小田切の眼の動きから、何の手が来るのかはわかっていた。判っていたのに、防ぎきれなかった。それが悔しい。
二本目。
一本目と同じで、小田切は中段から上段に構え、今度は琥珀も上段に持って行った。
次は、取る。
相手の剣筋は読みきったつもりだった。
眼の動きから、彼が仕掛けようとする手も判っていた。そういう意味では、ひどく素直で判りやすい相手だ。ただ、その打ち込みの激しさが尋常ではない。
琥珀は、剣先をわずかに上げた。誘いだった。小田切の剣が、獰猛に突きこまれる。出頭技 相手の剣気を読み、それが動作に現れた瞬間に打ちこむ技。
同時に琥珀もまた、小田切が突いてくる瞬間を待っていた。
すかさず踏みこみ 相手の剣が自分を仕留める寸前で、喉突きを決めた。一瞬でもタイミングが遅れれば、打たれるのは自分だった。
「………」
わずかに咳き込み、小田切は竹刀で身体を支えるようにして膝をついた。
「教えてください」
琥珀は呼吸を整えながら面を外した。わずか数分の打ち合いで、額には薄く汗が滲んでいた。
「あなたはいつから、自分が小田切直人だと意識していたんですか」
「もう一本、残ってる」
小田切は、掠れた声で言いながら、面を外した。
「一本とれたらと言いました。ダーラの墓前で、ラッセルは一度、呼吸も心臓も完全に停止しました。それを、駆けつけたアシュラルが助けた。あの時彼は、こう言った」
( 真行、起きろ)
「……俺ははっきりと覚えています。いや、あの時点では、夢なのだと思っていました。けれど、その時、あなたから受けた心臓マッサージや、人口呼吸……後で、傍にいた男から聞きました。あれは……あんな方法で人を蘇生させることは、あの世界の常識では有り得ない」
小田切は無言で琥珀を見上げた。
「アシュラルがどうして、最初クシュリナを拒否し続けていたのか……ずっと、判りませんでした。でも、小田切さんが、自分の記憶を取り戻していたとしたら、話は別だ」
「………」
「クシュリナは、雅にとても良く似ています、……だから、あなたは」
アシュラルとして彼女に惹かれながら、小田切として拒否せざるを得なかったのではないか。
ずっとわだかまっていた疑念を口にしながら、琥珀は自分の想像が確信に変わって行くのを感じていた。
「……あなたは、最初から、自分が小田切直人だと認識していたんだ。教えてください、一体いつから、そうだったんですか」
「さぁな」
体勢を立て直すと、小田切は立ちあがった。
「もう、忘れるくらい初めからだ」
「………」
「だから、逆に、自分が何者なのか、悩むことはあまりなかった。……子供の頃から俺は俺だったんだからな。……いや」
額に落ちた髪を払い、男はわずかに苦笑した。
「あれは俺じゃない。俺であって、やっぱり俺ではない、別の人格だったように思う。俺の意思だけで、彼は動いていたのではないのだから」
琥珀は黙った。小田切の言う感覚は、同時に琥珀の感じたものでもあった。
「……クシュリナが……」
それでも、これを聞く時、ひとつの決意が必要だった。
「瀬名だと、判ったのは、いつですか」
「そうかもしれないと思ったのは、多分お前と一緒だ」
「………」
「修道院で、彼女と試合をした時だ。剣技もそうだが、お前の目を見て気がついた」
「俺……の」
「お前の眼が、はっきりと彼女を意識して」
「………」
「初めて、剥き出しの嫉妬を俺にぶつけてきたからな」
「………」
琥珀は言葉を詰まらせていた。彼のそんな気振りを、自分は感じる余裕さえなかった。衝撃と動揺で、息が止まりそうだった。
それが判ってしまった時 クシュリナの太刀さばきに、紛れもないかつての恋人の面影を感じた時 琥珀は閃くように思い出していた。あの悪夢のような嵐の夜、自分一人を頼りにする無垢な姫が弟の腕の下に組み敷かれていた夜 琥珀は確かに瀬名あさとの悲鳴を聞いたのだ。 琥珀!
それが、幻聴でも空耳でもなかったと判った時、ようやく全てを理解した。
自分はこの世界で、雅から罰を与えられているのだと。
すでに、どうにかするには、遅すぎるタイミングだった。琥珀の目の前で、瀬名あさとはアシュラルと結婚し、彼の役目は、皮肉にもその宣誓をすることだった。
彼女は……永遠に手の届かない場所に行ってしまった。
その夜、生死の境をさまよいながら、初めて琥珀は死にたいと思った。このまま死んでも構わないと思った。ラッセルとして この世界で。
「それまではお前も、クシュリナを門倉雅だと思いこんでいたんだろう? お前が覚醒したのは、ダーラが死んだ夜じゃなかったのか? そのダーラは瀬名あさとと良く似ていた。そして彼女はお前の子を抱いたまま、クシュリナのために犠牲になった。お前がその時、どんな目でクシュリナを見たのか、………想像に難くないよ」
「……やめてくれ」
琥珀は呻いた。
あの子供は。
決してラッセルの子供ではありえないことを、琥珀はよく知っていた。同時に、彼が心の底から、自分の子供として愛していたことも知っていた。ラッセルとはそういう男だった。
多分、小田切もまた知っている。あの子供の父親が誰だったのか。
彼自身、門倉雅と思いこんでいたクシュリナに あの夜激しい怒りをぶつけたのだから。
あの、夜……。
あの嵐の夜のことを思うと、琥珀は息がつまるような憤怒で、いつも自分を見失いそうになる。アシュラルへの怒りではない 自分自身への怒りでだ。
そうだ、結局は同じことを繰り返してしまった。この世界で雅を見捨ててしまったように、……夢の中でも、自分はやはり、雅だと思った女を見捨ててしまった。
そして同じように、全てが終わった後に死にたいほど後悔した。我が身を呪い、苦しんだ。
琥珀の葛藤を見越したように、小田切は静かに続けた。
「アシュラルは俺ではないし、ラッセルもお前ではない。俺たちは、自分の意思で動いているようで、彼らの性格、しがらみから逃れることはできなかった。なのに、……滑稽だな、結局は今の自分たちと、同じ過ちを繰り返してしまっている」
「………」
そこまで言うと、小田切はしばらく黙りこんだ。そして、何かをふっきるように息をついた。
「クシュリナは瀬名あさとでも門倉雅でもない。全く別の女だと、頭では理解していた、でも」
「………」
「……俺は一度だけ、彼女を試したことがある」
琥珀は顔を上げた。
「試した……?」
なんのために?
「夢の話をしてみた。まだ俺が覚醒する前にアシュラルが見ていた夢だ。彼女の母親の名前を出してみた……その時にわかったんだろう、彼女にも、俺の事が」
「………」
「多分、同時に、お前のこともな」
「………」
眼を閉じて、拳を握る。様々な感情がこみあげてくるのを、琥珀は静かに堪えていた。
死の淵から蘇った時、まだこの世界で、生き続けなければならないと悟った時、もう<クシュリナ>には会えないと思った。
二度と会うべきではない思い、青州へ逃げた。けれど、運命のように再会して どれだけ冷たくしても、嫌われたいと願っても、彼女への思いを断ち切ることが出来なかった。
ラッセルとしての、クシュリナを愛する気持ちと 。
そして、自分自身の 。
「そこで俺は、俺たちを支配する感情を、どこかで断ちきろうと思っていたのかもしれないな」
小田切は苦笑した。
「三人とも、みんな知っていたんだよ、それでもどうしようもなかった。感情の流れを断ち切ることができなかった。……当たり前だ、あれは、俺たちであって、全く別の人間だったんだから」
そして、傍らの面を取ると、再び紐を結びなおした。
「最後だ、真行、もうお前には二度と会わない」
「……瀬名が、もうすぐここに来る」
「それで?」
「あなたは……会いたくないですか」
「会いたければ、自分でそうするさ」
「あなたは、……瀬名に惹かれたんですか、それとも、雅に」
「何をそんなに焦っているんだ。もうお前の結論は出ているんだろう? 真行琥珀」
「………」
「最後の一本、お前が取ったら教えてやる」
小田切は、静かに微笑した。
搭乗開始を告げるアナウンスが空港のロビーに響く。
琥珀ははっとして顔をあげた。
同じことを繰り返してもいいの?
立ち上がりかけた時、雅の声がどこかで聞こえた。
「…………」
また、同じことを繰り返すつもりなの?
違う。
違うんだ、雅、俺は、その因果を断ち切るために、あいつから離れるんだ。
お前が俺から離れることを決めたように。
俺たちは 一度、ばらばらにならないといけないんだ。
そうして……。
「…………」
まだ見えないその先に、何が待っているのだろうか。
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