7
 
 
 何……?
 まばゆい光が目を刺した。
 耳元を、強い風が吹きぬけた。
 光が輪郭を滲ませるほどに輝く満月。光度が極限まで増して、増して、増し続けて    
 そして。
 まるでガラスが砕けるように。
 小さく小さく、粉々に欠片となって、闇に沈んだ。
 
 
 
 
     ありがとね……、あさちゃん。
 
 
 
「……何……? 」
 呟いたあさとは、途端に、はっきりと意識を取り戻した。
 闇だ。
 まるきりの、闇。
 
 
     怖がらないで、もう、キジュウは出てこないから。
 
 
「……み…やび……?」
 
 
     あさちゃん、あの子を助けて。この世界であの子だけが取り残されてしまったの。
 
 
「あの子…って……?」
 
 
     あの子の心だけが、つながれたまま、ほどけない。
 
 
「どういう意味?……雅?……あなたは、本当に雅なの?」
 
 優しい    心もとない、子供のような声。
 
     うん、私は雅、三番目の雅、これでさよなら、もう会えない……バイバイ、今まで楽しかったね。
 
 
「雅?? 」
 
 
     もう一回、あさちゃんちにお泊り、したかったな……。
 
 
 
 
    雅!」
 声と共に、あさとは跳ね起きていた。
 一瞬混乱したものの、すぐに天幕の中だと判った。寝台の上、むろん一人きりである。
 心臓が鼓動を早めている。今の、今のは確かに雅の声だった。どこから?     バイバイって、どういうこと?
「………」
 外に飛び出してみると、夜は、延ばした指さえ見えないほどの闇だった。
 夜? まさか    。アシュラルと別れて、気を失ってからさほど時間がたったようには思えないのに。
 というより、今、夢の中で聞こえた声は   
 月が壊れて、粉々に砕けてしまった    あのイメージは。
 あさとは、空を見上げた。散らばるような星がわずかに見えるばかりで、あとは、永遠のような闇が広がっている。
 どこに視線を巡らせても、夜ごと現れた真円を見いだすことができない。
「……なんで……?」
 星はあんなに輝いている。なのに、月の輪郭さえつかめないなんて。
    月が……消えた……?」
    怖がらないで、もうキジュウは出てこないから)
 あさとは、呆然と天を見上げた。
 そうだ。夢ではない、    あれは雅の声だった。
 が、それは、何度かあさとに語りかけてきた恐ろしい声ではない。忌わしい暴行事件の後の、どこか幼げな、けれど優しい雅の声だ。
     どういう……こと……?
「この世界を護るシーニュには」
 背後で、静かな声がした。
「青の月の干渉から、世界を護る力があったという」
 クランだった。ゆらゆらと揺れる松明が、クラン率いる蒙真族の集団を照らしている。
「シーニュ亡き後、その力は心臓に託された。そして二百年の昔、心臓の力が失われた時、    月は満ち欠けをやめ、闇の獣が復活したのだ」
「……どうして、なの」
 気付けば松明は、集落のいたる所で揺れていた。
 自分を取り囲むように狭まってくる焔に、あさとは本能的な不安を感じて後ずさる。
「理由は誰にも判らない。    が、ひとつだけ確かなのは、月と獣は、二百年、この世界の均衡を保ち続けてきた」
「今は、いったいどういう時なの」
 クランの傍らで、ひっそりと佇むアユリダの姿を認め、わずかにほっとしながら、あさとは訊いた。
 忌獣は消えた。でも    月も消えてしまった。
「混沌   
 クランは天を見上げ、短く答えた。
「太陽も隠れ、月も消えた。この闇の向こうに何があるのか、もう誰にもわからない」
 闇    混沌の闇。
 言葉をなくして天を仰ぐあさとを、クランは静かな眼差しで見下ろした。
「法王は、誰の追随も許さずおひとりで行ってしまわれた。あなたに、伝言を残されて」
「伝言……?」
 呟いたあさとは、はっと現実を思い出し、悔しさで唇を噛みしめた。
 アシュラルは    では、やはり行ってしまったのだ。たった一人で、サランナのところへ。
 伝言など、どうせ、追うなとか、後を頼むとか、そんなことに違いない。
     馬鹿、暴力亭主、絶対に一人で行かせないと言ったのに!
 悔やんでももう遅い。今は、一刻も早く彼の後を追うことを考えなければ。
「逃亡している三鷹家の人たちは、どうなったの」
「ヴァバ・ゴムルの城にいる」
 眉をひそめるあさとに、傍らのアユリダが静かに言い添えてくれた。
「かつて、蒙真王朝時代、あの城にはマリスの継承者が幽閉されているとの噂があったのです。……今は三鷹家が所有しておられますが、私どもの間では、今でもそう呼ばれています。マリス(ヴァバ・ゴムル)の城と」
「おそろしい魔気が、城を取り囲んでいる」
 クランが続けた。
「それだけではない。城の周辺には、法王軍と連合国軍が幾重にも陣を張り、我々には近づくことさえできない。が、まだ、城は落ちていない。何かの力が、頑なに城を護っている……」
 なにか    それが、この世界の意思なら。
 法王軍にも、アシュラルにも勝ち目はない。
 あさとは、再度ぎりっと唇を噛みしめた。
 アシュラルと、もっとよく話し合うべきだった。サランナには、私でないとだめなのだ。どうしても私が行かないと   
「こちらへ」
 ウテナを求め、今にも駆けだそうとするあさとに、クランはそっと松明をかざした。
「あなたに、お見せしなくてはならないものがある」
「私に……?」
「法王から託されたものだ」
「…………」
 アシュラルから   
 あさとは眉を寄せたまま、クランの松明の後に続いた。
 
 
                  8
 
 
 湿った空気が鼻をつく。
 松明に導かれ、暗い地下への階段を降りたあさとは、広い地下空間に広がる光景をみて、あっと息を引いていた。
「これは……」
 おびただしい木材や鉄材が、周辺を埋め尽くしていた。果てしない試行錯誤と、それに伴う作業が、この地下で行われていた形跡があった。    が、散乱の中、確かに完成形と思しき形態を持ったものが、三台    いや、三機、その姿を顕わにしている。
「飛行機……?」
 あさとは、夢でも見るような思いで呟いた。
 コクピットはまだ空洞に近いが、巨大な両翼とプロペラがついている。戦争映画でみたことのある、昭和時代の戦闘機と外観がよく似ている。むろん、それほど性能があるものではないだろうが   
 が、それでもこの時代、この世界で、この兵器がどれだけの威力を発するか、想像するまでもなかった。陸から海、そして空    、最終的には宇宙にまで展開するが、その順序での優位を支配するものが、結局は世界の支配者たる地位を得ていくことになるのだから。
 わかった。……
 脚が、わずかに震えるのが判った。鉄砲でも火砲器でもない、これが    アシュラルが最終的に考えていた、全てを変革するための兵器だったのだ。
 もし、この飛行機を用いて、法王軍が開発した爆薬が空から投下されたら   
 ぞっとした。
 むろん、まだ使用されてはいないだろう。が、一度でも使用されれば、最初は圧倒的勝利を収めても、いずれは模倣される時がくる。
 まだ、人としての歴史が極めて浅いこの世界で、いきなり全てを飛び越えてこのような兵器が誕生してしまったら。    世界の未来図はどうなってしまうのだろうか。
「蒙真には、戦いの際、古より飛行術を用いる方法が伝わっている」
 クランが、背後で口を開いた。
 あさとは、振り返っていた。
「風を利用し、人一人が空に浮くのがやっとの術だが、法王はそれを応用し、かの機械を作り上げた。我々には判らない。設計図は、法王の頭にしかない」
「…………」
 アシュラル……。
 彼は、なんのためにこの世界に生まれたのか?     眩暈を感じ、思わず壁に手ですがっている。
「この原理を、法王は、彼の兄であれば理解できるだろうと言っていた。    あなたに託されたのはこの兵器だ、女皇陛下」
「…………」
 私に……彼が。
 あさとは、拳を握りしめる。
「使うのも、灰にするのも任せると」
     アシュラル……。
 目を閉じた。
 彼は知っているのだ。そして、覚悟を決めているのだ。この世界に別れを告げる覚悟を。
 だから    だから、私に。
「ここを護って」
 あさとは、それだけ行ってクランを見上げた。
「誰かに奪われそうな時は、迷わずに火をつけて。私は、アシュラルを追いかける。必ずあの人を連れてここに戻ってくる」
「…………」
「あの人自身の手で、けりをつけさせるから」
 彼の中の闇を    彼自身の手で。
 あさとは、駆けだした。アシュラル、何もかもあなたの思い通りにはさせやしない。
 まだ    死なせない。
 まだ、一人では行かせない。
 天幕まで戻ると、純白の愛馬は、すぐにその居場所を嘶きで誇示した。繋いでいた縄を解くと、すぐに駆け寄ってきて、あさとに身体を擦りつけてくる。
「ウテナ、……ごめんね、もう少し頑張ってくれる?」
 鬣を撫で、あさとは真っ暗な闇を見据えた。方向は判らない。でも、目指す場所の周辺には法王軍が陣を張っているというから、すぐに辿りつけるはずだ。
 背後では、クランやアユリダらが見送りの松明をかかげている。あさとを見つめるアユリダの双眸が潤んでいる。あさとは目礼を返し、素早くウテナに飛び乗った。
「ウテナ、判る? アシュラルを追うのよ」
 白馬は嘶いて、疾走を始める。    闇を裂く白い矢のように。
 馬上で風を受けながら、あさとは、掌を握り締めた。
 アシュラル……。
(お前は、怖くないのか)
(俺は、今でも怖い)
(……死にたくない……)
     ……馬鹿、怖いのは私だって同じなのに。怖いよ、あなたを失うと思うと、怖くてどうにかなりそうだよ。
 だから一緒にいたいのに。離れて生きていたくないのに。どうして男は、それと逆の発想をしてしまうんだろう。
     ずっと、あんな馬鹿なことを考えていたの? だから、私に冷たかったの?
 そう思うと、過ぎし日の彼の表情、冷たいキスのひとつひとつが愛おしい。
     もう……、絶対、一人にはさせないから。
 前方彼方に、赤い光りの塊が見えた。
     ……あれは。
 山腹で何かが、燃えていてる。
 闇をこがすように、紅蓮の焔が天をつき、灰色の煙と共に舞い上がっている。
     あそこだ。
 あさとは、ウテナのスピードを上げた。
 
 
 
 

BACK    NEXT    TOP
Copyright2009- Rui Ishida all rights reserved.