6
 
 
「シーニュとは、この世界の意志の起こりであると同時に、この世界の根幹を造り上げた創造神にございます」
 バヤンの話は、まずそこから始まった。
「神としてのシーニュは、沢山の子をシュミラクールに遺し、自身も転生して地上の人となりました。その際、四神と呼ばれる者たちも同時に地上に降り、シーニュに従ったと言われています」
 シーニュを護った四神……。
 あさとはそれを、そらで覚えていた。
 知の神、ディアス。
 愛の神、ユリウス。
 義の神、アリュエス。
 そして闘神……クインティリス。
「シーニュが、天を捨て人となったことは、おそらく皇都では、法王庁が隠しぬいているのでございましょう。我々には子供の頃から当たり前のようにきかされた伝承にございますが」
 確かに、あさとはそれを知らなかった。
 が、もともとシーニュ神について、この世界の人ほど信仰を持てないあさとには、さほど驚きを感じるような逸話でもない。
「地上に降りた神は、人として    女性として、それまで知ることがなかった幸福と不幸を同時に知ることになりました。人が生きていく過程においては、様々な負の感情に囚われてしまうものです。嫉妬、憎しみ、悲しみ、怒り……それらの黒い感情にシーニュの無垢な魂は耐えられなかったのでございましょう。やがて彼女はふたつに分かれてしまったのです」
「……ふたつに、分かれた……?」
 なぜかあさとは、その刹那手肌に鳥肌が立つのを感じていた。
「そう、二つに分かれたと、言われています」
「………」
 それは、体が二つに分裂したということだろうか。神ではなく、人の身体を持ったシーニュが? それはもしや    雅のように、ひとつの身体に、ふたつの心が……。
 果てしなく広がっていきそうな妄想を、あさとは目を閉じて遮った。これは、何千年も前の、神話時代の話だ。全ては根拠のない言い伝えだ。
 が、バヤンの次の言葉は、信仰心の薄いあさとにとっても、目を見開くほどの衝撃だった。
「もうおわかりでございましょう。マリスとはつまり、シーニュそのもの。相反するふたつの女神は、もともとは一人の女だったのでございます」
「…………」
「マリスは、闇から作ったおそろしき幻獣を世に放ち、蛇毒を人世に広めました。    世界の秩序は崩れ、マリス教は凄まじい勢いで広がったと言われています。    が、クインティリス、ユリウス、ディアス、アリュエス、四神は一人としてマリスを止めることはできなかった。おわかりでしょう。なぜなら……マリスとは、シーニュそのものだったからです」
 まさか    そんな……。
 自分を支えていた土台のようなものが、またひとつ崩れていく。
 この世界を支える信仰と、その真逆に位置する悪神が、ひとつの    存在だったなんて。
「法王庁では」
 バヤンは続けた。
「すでにそれらの過去を、跡形もなく葬り去っていることでしょう。それは、この世界の根幹を覆しかねない、いってみれば秩序の破滅をもたらす、悪魔的な    説なのですから」
 その通りだった。皇室と法王庁、この世界を支配する仕組みは、みなシーニュに依りかかることで成り立っている。
 が、これで、マリスが滅した地にシーニュの心臓が奉じられている理由も理解できた。つまり、心臓は    シーニュのものであると同時に、マリスのものでもあるのだ。
「マリスとシーニュの解離が進むにつれ、一枚岩だった四神の結束にも乱れが生じるようになりました。アリュエスがマリスを護る側にまわり、クインティリス、ユリウスと対立したのです。ディアスは争いを止めようとしましたが、徒労でした。そうして世界は、ますます混迷を深めていったのです」
 さらなる悲劇は、    老人は続けた。
「シーニュとマリスが、共に、クインティリスを愛していたことでした。そう、クインテイリスはシーニュの恋人であり夫でした。ゆえにマリスが彼の神を愛するようになるのも、当然のなりゆきと言えるでしょう」
 不意に強くなった風が、老人の髪を舞上げた。
「クインティリスをめぐり、ふたつの魂は、激しく争い、憎み、そして悲劇的な終焉が訪れました。結末は意外なものでした。    クインティリスはシーニュを捨て、マリスのもとに走ったのです。愛する男の裏切りによって、シーニュはこの世界から永遠に消え、代わってマリスが、恐怖をもってシュミラクールを支配するようになりました」
「…………」
 あさとは、胸苦しい不安を感じてうつむいた。
 何故か、自分と雅、そして琥珀が    クシュリナとサランナ、そしてアシュラルが    胸の深いところでよぎって消えた。
「何故……」
 初めて、口を挟んでいた。
「何故、クインティリスは、マリスを選んだの」
「それは、誰にもわかりません」
 バヤンは、おごそかに首を横に振った。
「邪に心を奪われたからなのか。真実、マリスを愛したのか」
「…………」
「が、マリスもまた、クインティリスの裏切りによってこの蒙真の地で滅びました。互いに相打つ形で共に息絶えた二人は、この地に埋められ    そして、半分が青に、半分が赤に変じた心臓だけが取り残されたのです」
「どういう意味……?」
「赤は地を、青は天を意味します。すなわち陰と陽、マリスとシーニュです。マリスに奪われたシーニュの心臓は、マリスの死をもって半分が浄化されたとも言われています。そうして    我々は、以来何千年にも渡り、ひそかに半陽半陰の心臓を守り続けてきたのです」
 心臓が……浄化された……。
「が、ひとつの塊だった心臓が、ある時二つに裂かれ、その片方が持ち去られました。それが二百年の昔にございます。その時、ようやくそれがしにも判りました。心臓は陰と陽を結ぶ封印。互いを互いに閉じ込めるためのいわば結界だったのだと」
 終末の……予言。
 陰と陽が解ける時   
 あさとの脳裏に、予言の最初の言葉がひらめいた。
「なぜなら」
 バヤンは続けた。
「陰と陽が解けた時、マリスの死によって消えたはずの幻獣が再びこの世に現れたからです。それが終末の予言の始まりだったのではないでしょうか」
 
 
              7
 
 
「心臓は……誰に、盗まれたの」
「ウァバ・ゴムル」
 ややあって、呟くように老人は答えた。
「マリス教徒にのみ通じる陰語で、マリスの継承者という意味です。我々がシーニュの再生を信じていたように、マリスを最後まで護ったアリュエスの一族もまた、マリスの再生を信じていた。そうして一人の男が心臓の半分を奪い取り、ウァバ・ゴムルを名乗ったのです」
 記録によれば    バヤンは続けた。
「ウァバ・ゴムルは世にも珍しい銀色の髪、灰の目をしていたそうです。異形の男ウァバ・ゴムルによって封印は解かれ、再び闇の獣がこの世界に現れました。マリス再生の神話は現実になり、三鷹家はウァバ・ゴムルを奉じ、マリス教を再びシュミラクール全土に広げようとしたのです」
「どうして、三鷹家が?」
「三鷹家は、アリュエスの末裔。彼の神の血を受け継ぐ系譜を持つからです」
 老人の目に、はじめてわずかな翳りがよぎった。
「我々一族は、その存亡にかけて、三鷹家の野望を食い止めねばなりませんでした。ヴァバ・ゴムルが真実マリスの継承者かどうかは定かではございませんが、なんらかの異能力者であったことは間違いなく、また、心臓を手にしたことにより、忌獣    そう称されるマリスの幻獣を、再び世に解き放ったことだけは間違いございません。ゆえに我々一族は蒙真半島を出て、三鷹家に戦いを挑んだのです」
 そうして    蒙真の乱がおきた。
 そこから先は、あさともよく知っている。皇室、法王庁を初めとする、シュミラクール各国が蒙真に加勢し、三鷹王家は滅び、国は蒙真族のものとなったのだ。
「が、それでもウァバ・ゴムルが盗んだ心臓を取り戻すことはかないませんでした。彼の者の血を引く幼子が、三鷹家の手によってひそかに匿われ、心臓もまた、代々受け継がれていたと知ったのは、鷹宮ユーリが生まれてからです。あろうことかわが一族の王、ムガル・シャーが、三鷹家の女を愛し、その女がウァバ・ゴムルの末だったのです」
     ユーリが……。
「ユーリは、……いえ、ウァバ・ゴムルは、本当にマリスの継承者なの?」
 いや、転生と置き換えたほうがいいのか。
 確かにあさとは、ユーリの身体から黒い靄    忌獣にも似た気がにじみ出ているのを目にしている。サラマカンドでの戦いの時にも、あたかもユーリやサランナを護るような形で巨大な忌獣が出現した。
「わかりません」
 バヤンは、静かに首を振った。
「……ただ、ひとつ言えるのは、銀髪と灰眼を持つ者は、昔からこの地方では異端者だと忌み嫌われておりました」
「………」
「彼の者の、ひどく孤独で、寂しい心が、心臓に残されたマリスの邪気を、吸い寄せてしまったのやもしれませんな。マリスもまた孤独だった。闇とは    己以外誰も見えぬ世界ですから」
 孤独だった    確かにそうだ。ユーリも、そしてサランナも………。
 が、わずかな救いもある。
 つまり、ユーリは……本人が言ったようにマリスの邪血を引いているとは限らないのだ。単にウァパ・ゴムルの特性を受け継いだばかりに、その地位に祭り上げられた可能性だってある。
 そもそも、皇都では、蒙真族こそがマリスの末裔だと喧伝されていた。
 でも、そうではなかった    バヤンの言葉を信じるなら。
「あなたたちは、なんなのですか?」
 混乱しそうな気持ちをおさえて、あさとは訊いた。では、シーニュの心臓を守り、アリュエスの末である三鷹家と闘う蒙真族とは、そもそも何者だったのか。
「我々は、<爪>でございます」
 質問を予期していたかのように、バヤンは答えた。
「爪……?」
 即座に浮かんだのは、<アリュエスの爪>という言葉だった。そう    あれは、金羽宮でアシュラルがサランナに向けて放った言葉だ。それはサランナに突き従うクロウという殺戮者を指している。
「四神は、各々自身の手となる爪を持っているのです。我々は爪の一族です。アリュエスと敵対し、最後にシーニュを裏切ったクインティリス」
「………」
「我々は、<クインテイリスの爪>なのです。<爪>とは、護る星のもとに生まれた定め。    クランが知らずして法王を護ったのも、前世の宿縁でございましょう」
 何故    何故、アシュラルを   
 答えは判っているのに、あさとはそれを認めたくなかった。自分がシーニュの転生した姿なら、では    ではアシュラルは。
「お察しでございましょうが、アシュラル様はクインティリスの転生した姿に間違いなく、ゆえに我々は、命がけであの方をお守りせねばならないのです」
 バヤンは、そう締めくくった。
 
 
            8
 
 
 海鳥が、雲が尾を引く藍の空を横切った。
 あとわずかで、夜が明ける。
 半ば姿をのぞかせた白い太陽が、海に淡い光彩を放っている。
 それでもまだ、空は暗く、海は死の静寂に包まれていた。ひどく寂しい夜明けだった。
     アシュラル………。
 まだ彼は、同じ姿勢で海の彼方を見続けていた。
 一人きりで動かない背は、他の誰をも拒絶しているように見えた。
 あさとは、彼の名前をもう一度呟き、不意に溢れた涙を両手でぬぐった。
 私がシューニュで、あなたがクインティリスなら。
「………」
 その想像は、胸を切なく締め上げた。
 わかっている。それは    全て神話の時代の逸話にすぎない。語り継がれた伝承に過ぎない。でも    でも。
(私は思うのです。なぜクインティリスはシーニュを捨て、マリスを選んでしまったのか)
(それは、伝えられているような裏切りではなかったのです。おそらく、クインティリスは   
 あさとは、再度零れた涙を拭った。
 そして思った。バヤンという人は、それを伝えたいがためだけに私の前に現れてくれたのかもしれないと。彼の老人が消えた後、あれほど長く話していたはずなのに、まだ空は夜明け前の暗さを保っていた。この世界で    おそらく彼の記憶にしか残されていない神話を語ってくれた老人は、今思っても現実感のない、幻のような存在だった。
 バヤンは、私ではない    きっと、シーニュに伝えたかったのだ。
 死ぬまで、何一つ言い訳しなかった遥か前世の主人に代わって   
 アシュラル………。
 だから私たちは惹かれあったのだろうか。
 惹かれあいながらも、別れの予感が、いつも二人を寂しくさせていたのだろうか。
 そして今、輪廻の因果は再び巡り、アシュラルは命を賭してサランナのもとへ向かおうとしている………。
     どうすればいいの。
 アシュラルが好き    本当に、大好き………。
 それを、今、どうしてもあの人に伝えたい。伝えたくてたまらない。
 なのに……その方法が、判らない。
 気づけば、ぼんやりと、彼のほうに向かって歩き出していた。砂を踏む音で、人の気配を察したろうに、彼はやはり、一度も振り返ってはくれなかった。
 髪は海風に揺れ、半分隠された眼は、鋭く太陽を見つめている。
 あさとは彼の傍らに寄り添うようにして座り、同じ景色を見つめて泣いた。
 涙がどうしてもとまらなかった。
「何故泣く」
 初めて、彼の声が聞こえた。
 怒ったような声だった。
「ごめんなさい……」
 あさとは、それしか言えなかった。アシュラルは黙り、あさとは再び同じ言葉を繰り返した。
 同情の涙ではない、そうではない、それよりもっと深い部分から突きあげてくる感情が、胸をいっぱいにさせている。
 私は、この人が好きなんだ。    こんなにも今、誰よりもアシュラルに、傍にいてほしいと思っている。失いたくないと思っている。
 口にすればいいのだろうか、そうではない、そんなことでは、彼の心に届かない。
 アシュラルは黙っていた。動かない彼もまた、何かの感情と戦っているような    そんな気がしてならなかった。そう、再会してずっと、彼はあさとを、自分の中に入れまいとしている。
 あさとはその理由を知りたかった。彼の心の底に、もっと奥にあるものに触れたかった。感じたかった。
 どうすれば伝わるのだろう。どうすれば、判り合えるのだろう。
「アシュラル……」
 どうすれば   
「もう一度……私に、触って」
 冷たい彫刻のようだった眉が、はじめて訝しげに動いた。
「私を、全部見て……、私のこと……」
「…………」
「………全部……」
 もう、それでしか、アシュラルの心に触れられない   
 返事はない。
 あさとはうつむき、自分の鼓動の音だけ聞いていた。
 静かな時間が、風と共に流れていく。
「お前は……」
 はっとして見上げたアシュラルの横顔は、海の果てを見つめていた。
 そのまま、軽く息を吐き、彼は再び唇を開いた。
「見てどうする。それで何かが変わるのか」
「………」
 言葉は冷たかったが、口調は、暖かな笑いを含んでいる。
「情緒のない女だな、それで俺を誘っているつもりか」
「………」
「許して欲しいなら、もう少し言い方を工夫しろ。俺も返しようがない」
     アシュラル……。
「泣くな……」
「うん……」
 あさとは、夫の胸に顔を預け、以前よりも痩せた身体に腕を回した。
 アシュラルは何も言わない。黙って、抱き締められるままになっている。
 それでも、まだ、彼が心を閉ざしているのがあさとには判った。まだ彼は、自分から一度も妻に触れようとしない。
「何故、皇都を出た」
「アシュラル……」
 見下ろしている左の目に、不思議な寂しさが宿っていた。
 それは、あの日    金羽宮で最後に見た、彼の双眸と同じだった。
「ロイドに聞かなかったのか。死仮面の下に誰がいたのか」
「…………」
「まだ気がつかないのか。シーニュの森で出会った子供が誰だったのか」
     アシュラル……。
「それは俺ではない。最初から俺には判っていた。お前の傍にいるべきなのは……俺ではない。もう一人の、俺だ」
 違う   
 あさとは無言で首を横に振る。
「ジュールにもサランナにも判っていたことに、俺一人が抗って逆らった。前にも言った。お前は、夢の中に出てくる女によく似ている。俺はその人を殺したいほど愛して、憎んだ。……俺の、お前への不可思議な感情は、全て夢からきているのかもしれない」
「…………」
「お前が、俺の中に誰を見ようと、俺に責める資格はない」
 そうじゃない、アシュラル。
 それでも    それでも、私たちは……。
 首を横に振って、いっそう強く彼の身体を抱きしめる。
「俺が言う意味が、まだ判らないのか」
 首を振る。判っている。それでも、今は、もっとはっきり判っていることがある。たとえ彼の感情の底に流れるものが何であろうと、二人を待ちうける運命が何であろうと    私は、彼の傍から離れてはいけないのだ。もう二度と。
「……お前が、後悔するんだぞ」
 初めてアシュラルの腕が動いて、あさとの背に回された。
「馬鹿な女だ」
「アシュラル……」
 抱きしめる。アシュラルの腕にも、一瞬強い力がこもる。けれど彼は、すぐにその力を緩め、わずかに顎を引いて抱いている女を見下ろした。
「何故、泣く」
 最初と同じことを、彼は訊いた。
 見下ろしている左の目に、怒りと寂しさが宿っている。
「嬉しいから……」あさとは言った。
「……好きだから」
 指でそっと、冷えた頬に触れる。
「アシュラルが好き、大好きだから……」
「………」
 男の長い指を自分の手で包みこみ、その指先に口づけた。
 もう、傷跡は消えている。けれど、今は、傷よりも確かな絆があると信じたい。
 不意にその手を振りほどかれる。驚いて見上げる間もなく、いきなり立ち上がったアシュラルに、抱えあげられていた。
 不安定な体勢にされた反動から、咄嗟に、首に手を回してしがみつく。
    ど、どうしたの」
 顔をあげると、目の前に、呆れたような眼差しがあった。
「よく、恥ずかしげもなく、そんな言葉が言えるな」
 そうして、抱えた女を見下ろし、息を吐くように彼は笑った。それは、ようやく見ることの出来た、アシュラルの笑い方だった。
     アシュラル……。
 そのまま胸に力強く抱き寄せられ、あさとは彼の首に頬を埋めた。
 やっと……捕まえた。
 やっと、戻ってきた。
 彼の香り、彼の温もり。声も、眼も、唇も。    夢じゃない。今は、全部が手が届く近さにある。
「俺は、一生言わないぞ」
「…………」
     嘘つき。
 意地っ張り。
 私は、ちゃんと、覚えてるんだから。
「……短い髪もいいな」
「うん……」
「………」
 アシュラルは、もう何も言わなかった。
 顔をあげ、自然に引き寄せられるように唇を重ねていた。
 胸が一杯になっていた。こんな時でも、やはり、アシュラルのキスは優しい。
「……もう、離れないから」
「勝手に離れたくせに、何を言っている」
 ちがう    と言いかけて、やはりその通りだと、あさとは思った。
 私はせっかく掴んだ彼の心を自分で手放してしまったのだ。そして迷い続けていた。    アシュラルも、きっと同じだった。彼の心の底にあるものまで、まだ全ては分からないけれど。
 最後に金羽宮で別れた朝、あの朝から、ずっと二人して迷い続けてきた。今    やっと、戻るべき場所に帰ってきた……そんな気がする。
「後悔するなよ」
「何を……」
「………」
 続きを、彼は言わなかった。
 言葉の隙間を埋めるように、何度も何度も唇を合わせた。
 もう、優しいだけではないキスは、怖いほど情熱的で、あさとは彼の首に両手を回してすがり、求められるものに、熱を込めて応えた。
 そうして天幕に辿りつくまで、彼は一度も唇を離そうとしなかった。


 
 
 
 
 
 

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