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「これは なんということだ」
騎馬の先頭を率いていた男は、いななく馬の手綱を引き、開口一番そう言った。
「とにかく、生存者を救出しよう、ジュール殿」
その背後から、緋色の鎧を着た騎士が、同じように馬を止めて顔をあげる。
「ジュール、……ダーシー」
あさとは、全身の力が抜けるのを感じた。
ジュールと、そして青州のダーシー公だった。彼らの背後には、数十騎もの騎馬の群れがひしめいている。法王軍と、青州の白水仙軍が入り混じっている。
「 ジュール!」
あさとは、ルナの手を引いて、彼らの傍に駆け寄った。
馬上の騎士の眼が、一瞬驚愕に見開かれる。
「……ク、クシュリナ様……?」
騎馬を降りることさえ忘れ、呆然と呟いたのはダーシーだった。しかし、次の刹那、彼は弾かれたように兜を脱ぎ捨て、馬から飛び降りた。
「な、何故あなたが、ここに」
普段冷静なダーシーの顔が、驚きを隠そうとさえしていない。信じられないものを見るような眼で、あさとの顔を見つめている。
「ダーシー、天摩宮への攻撃は」
あさとがそう聞くと、ようやく我に返ったのか、言葉に窮した美貌の騎士は、背後のジュールを振り返った。
ジュールはすでに下馬していた。彼は肩にクルスのついた、法王親衛隊のクロークをまとっていた。
「ダーシー様、この場の指揮をお願いします。クシュリナ様には、私が」
ここまでのいきさつを察したのか、ジュールの目は、すでに冷静さを取り戻している。
ダーシーが駆け去り、背後の騎馬に指示を出し始める。それを見届けたジュールの顔に、初めて激しい憤りが浮かんだ。彼の眼は、あさとの背後に立つ少女に向けられていた。
「ルナ、 お前は」
今にも、ルナにつかみかかり、殴りそうな勢いだった。
「やめて、ジュール」
「しかし」
あさとはルナを背中に抱え込んだ。
「ルナのしたことなら、何もかも私の責任よ。責めるのなら、私を責めて」
「 」
ぐっと詰まるジュールに、さらに厳しくたたみかける。
「今は、味方同士で責めあっている場合じゃないわ。ジュール、天摩宮への攻撃はどうなったの」
「………あなた様のせいではない」
しばらく髭を震わせていた男は、怒りを飲み込んだのか、苦いものを噛みしめるような口調で呟いた。
「すべては私の責任です。 ルナを青州から連れだして、法王のいない軍を指揮させていたのは、私なのですから」
深い後悔と悲しみの目を、一瞬、炎舞い上がる王都に向け、ジュールはすぐにあさとに向きなかった。
「天摩宮への攻撃は、駆けつけて来た法王様が止められました。三鷹家は全面的に降伏しました。逃走した反乱の徒も、直にわが軍が押さえるでしょう」
法王……。
「法王様、戻ったの?」
弾かれたようにルナが口を挟む。
ジュールはそれには、答えなかった。
「……ラッセルね」
あさとの問いにも、厳しい眼差しはなんら、反応を見せない。
「ジュール殿」
その時、ダーシーが、わずかに色をなして、駆け戻ってきた。
「武器庫がひどく荒らされている。混乱に乗じ、誰かが持ち去ったのではないか?」
「なんだと?」
ジュールの顔色が、さっと変わる。
武器庫……?
あさとは、ダーシーが駆けてきたほうを見た。
それは、最初に見えた、森の奥にある天幕だった。そこだけが被害を逃れ、綺麗なままで取り残されている。
「陛下、なりません」
ジュールの声が遮ったが、構わずに駆けたあさとは、天幕の帳を押し開いた。何故だろう、ひどく嫌な予感がする。
これは。
内部は、想像以上に広く、そして散たる有様だった。床には足の踏み場もないほど、崩れた荷が散乱している。
乾肉、穀物、塩、荷はほとんどが兵糧のようだった。が、そのさらに奥に 破壊された木箱が崩れるようにして打ち捨てられている。
何……これ……?
表面は真新しい弓矢だったが、底のほうに、黒い筒状の固形物が見えた。あさと、手を差し込んで、その、冷やかな鉄塊を持ち上げた。
初めて目にするものであると同時に、あさとはそれを、よく知っていた。
筒の太さ、長さなどは、テレビや教科書などで目にするものとは、随分違って見える。
が、基本的な構造はそのままだった。
銃だ、……これは、銃だ。
おそらく旧式の、とても原始的な造りのもの。
「………」
こんな、ものが……。
箱の底は、殆どがその新兵器で占められていた。大量に積み上げられた木箱の中は、多分、全て同じものなのだろう。
大砲がある以上、むしろ、ない方がおかしいとは思っていた。けれど、あさとは、今自分が受けた衝撃を隠すことができなかった。
アシュラルは こんなものまで、作らせていたんだ……。
「これは、使えない」
何時の間に追いついたのか、背後で、ルナが呟いた。
「……だから、処分するって、……前、ダーシー様が教えてくれた」
「………」
どういうことだろう。
そして、ここにあるものが、本当に全てなのだろうか。
「ジュール……」
あさとは、背後のジュールを振り返った。
「これも、あなたが言っていた、新型の兵器なの」
「……アシュラル様は、戦事に関しましては、真実、天才にございます」
ひどく沈んだ声でいい、ジュールはあさとの傍をすり抜けた。
「この火銃は、しかし、残念ながら実戦に用いるまでにはいたりませんでした。……最悪の場合、天摩宮に、この武器を持たせて潜入させるつもりでしたが、アシュラル様がお許しにならなかった」
口調は、重たかった。
「改良が間に合わなかったのです。良い物と、悪い物が混在している。まかり間違えば、使った者が死にかねない」
「……誰が、武器庫を荒らしたの?」
「判りません、……自軍か、それとも」
ダーシーが後をついだ。
「三鷹家の馬車が、忌獣の混乱に乗じて、この山道を駆け上がって行ったといいます。あるいは、三鷹家の者が」
行かなきゃ。
あさとは、咄嗟にきびすを返した。
これは、アシュラルがこの世界に落とした闇だ。その闇が、今、急速に広がり始めようとしている。
「クシュリナ様!」
背後から、ジュールの厳しい声が掛かる。
「ウラヌスが占拠する港は、たった今、私とダーシー公で制圧しました。ウラヌス軍の船は遠く沖に離れ、すでに三鷹ミシェルにも、サランナ様にも、逃げ道はありません」
「止めないで、ジュール、私は」
「この山を超えた海沿いの斜面に、かつてユーリ様がお過ごしになられた蒙真王家の残城がございます。港で起きた騒ぎを知れば、おそらく、その館に立てこもられるはず」
「私は、行かなきゃいけないの」
「法王が、親衛隊を率いて、今、彼らを追われています」
「………」
それは。
あさとは、はっと言葉を呑んだ。
それはラッセルだ。彼もまた、ユーリとサランナを追っているのだ。
「私も、この混乱の片がつけば、すぐに後を追っていきます」
鉄面皮の男はそう言うと、ゆっくりと歩を進め、外にいたウテナの手綱を引いた。
愛馬を眼前に引き渡されても、 あさとには、この忠実な騎士の真意が判らなかった。
「私が、イヌルダから連れてきました。代理の女皇に使わせるためではない。きっと、あなた様にお会いできると、信じていたから」
「……ジュール……」
「お行きください。忌獣は、この世界の意思そのもの、それが、三鷹ミシェルを護っているのなら、何をしようと、我々に勝ち目はないでしょう」
ジュール……。
「あなたしか、この闇を壊せない。ユリウスの乙女、この世界の、ただひとつの希望」
あさとは、自分の目蓋が熱くなってくるのを感じた。
いつもこうして、この男は私を支えてくれていた、最初から ずっと、そうだった。
「……ありがとう……」
ジュールは、かすかに微笑した。初めて見るような、優しい、そして染み入るような眼差しだった。
「……あの二人を………頼みます」
ラッセルを、そして、アシュラルを。
長い間、双子の兄弟を他人として見守り続けてきた兄は、そう言いたいのだと思った。
涙を飲み込み、あさとは強くうなずいた。
「クシュリナ!」
ようやく、事情を察したのか、一声叫び、ルナが背後から駆け寄ってくる。
「 ルナ」
あさとは、その身体を抱きとめた。
「必ず、アシュラルを連れて帰る。私を信じて、待っていて」
うなずくルナの目は、もう涙で溢れていた。
「………法王様は、ルナに何もしなかった。……ルナは抱いてほしかった、でも……法王様は」
「ルナ……」
ルナ アシュラル 、胸が苦しいほどいっぱいになる。
ルナは、涙でくしゃくしゃになった顔を上げた。
「法王様を助けて、ルナにはできない、他の誰にもできない。 クシュリナにしかできない」
「ウテナ」
あさとは、乗りなれた愛馬の背に飛び乗った。
たてがみに指をからめ、その真っ白な首に口づける。
「連れていって、ウテナ、あの人のところへ」
私とお前の、愛しい人のところへ。
「行こう、ウテナ」
白馬は、放たれた矢のように夜を駆けた。
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