金波宮本殿は、ものものしい雰囲気に包まれていた。
 左右に、ずらりと居並ぶ黒竜(ドゴン)騎士隊。
 正面中央に座るアシュラルの横には、当然のようにジュールが控え、鋭い眼差しを周辺に向けている。
     私……ここにいても、いいのかしら。
 あさとは、その背後、一番高い玉座に座ったままでいた。
 時々、不安にかられてアシュラルの背を見下ろすが、法王衣に包まれた形良い背は、ここでは一度もあさとを振り返ろうとしない。
 むしろ、再々振り返ってくれるのはジュールの方で、時折非難がましい目をアシュラルに向けているから、あさとを同席させたことをよく思っていないのかもしれない。
 やがて、広間の中央に、両腕を左右から拘束されるような形で、五名の男たちが連れてこられた。
 拘束しているのはドゴン軍で、されているのは全身黒のケープに身を包んだおそろしく背の高い男たちだ。
 灰がかった褐色の肌に、無骨に突き出た頬骨、白眼ばかりが目立つ細い目は、典型的な蒙真人の特徴を有している。
 元々辺境の野蛮人に頑なな差別意識を持っているイヌルダの民は、すべからく蒙真人を嫌っている。それが証拠に、今も彼らを連行するドゴン騎士の目には、あからさまな嫌悪が浮かんでいる。
 が、あさとは、別の意味で顔をそむけていた。
 彼らの顔は一様に青黒くはれ上がり、後ろ手に拘束され    引きずられながら、足元もおぼつかない態だったからである。
 暴行    しかも、拷問に近い暴力を受けたのは明らかで、あさとはようやく、何故ジュールが時折非難がましい目をアシュラルに向けているかを理解した。
「セルジエを連れて来い」
 無残な囚われの異邦人らが目の前に座らされても、アシュラルの声は無感動に聞こえた。
 すぐに、正面の扉が開いて、小柄な青年が現れる。
 藍色の文官服をまとった知的な青年が、以前、カタリナ修道院でディアスの世話をしていた少年だと……あさとはすぐに気がついた。
 セルジエは、法王と女皇に、教本の手本のような丁寧な礼をすると、ジュールの傍らに歩みよった。
 と、突然、頭を押さえつけるように押さえつけられていた蒙真人の一人が口を開いた。全く理解できない獣のような言葉で、何かを懸命に訴えている。
「我々は、法王軍にお味方したい、と、申しております」
 淡々と通訳したのは、セルジエだった。
「三鷹家には、今、悪魔がとりついている。だから、法王軍に三鷹家を滅ぼしてほしいのだと、そう申しております」
 身ぶり手ぶりを交え、懸命に言葉を繋げようとしている男を見ている内に、あさとはふと、記憶の何かが喚起されるのを感じていた。
 この人たち……どこかで見た……。ううん……同じ人たちじゃないけれど。
「蒙真のカマラか……」
 アシュラルが、初めて低く呟いた。
 その声は、背後のあさとの耳にも届き、あさともようやく思い出していた。
 蒙真のカマラ。
 そうだ、白蘭宮に、不意に空から現れて、ユーリを殺そうとした連中だ。背格好も着ている服も、あの時の連中とよく似ている。
 冷やかな声で、アシュラルは続けた。
「蒙真のカマラは、このイヌルダにも名の知れた暗殺集団だ。旧三鷹派の連中を次々殺した貴様らを、三鷹家と同盟を結んだイヌルダが庇護するとでも思ったか」
 セルジエが、訳するのを躊躇している。ジュールが顎で促し、ようやくセルジエはあさとの理解できない言葉で、アシュラルの意を、カマラたちに伝えたようだった。
 と、たちまち心外だとでも言うように、異形の男たちが口ぐちにわめきたてる。
「三鷹家は、マリスを奉じる悪魔だと申しております。放っておけば、今に、このシュミラクールを滅ぼしてしまうと」
 セルジエが説明する。
 無言のまま、アシュラルが指を唇のあたりに当てるのが判った。
「今、三鷹の当主には、恐ろしい悪魔がついている。早く手をうたないと、取り返しのつかないことになってしまうと……そう、申しております」
 あさとは、自分の眉が曇るのを感じていた。
 ユーリの……こと?
 恐ろしい悪魔って、ユーリのことなの?
「三鷹、ミシェルか」
 代わって訊いたのが、アシュラルだった。
 蒙真の男たちが、口ぐちに何かを言い募る。
 それは、あさとの耳にはこう聞こえた。
「ヴァバ・ゴムル」
 初めて、セルジエが言葉に窮して、ジュールを見やる。
 アシュラルは何も言わずに、ただ黙って沈思しているようだった。
 ヴァバ……ゴムル?
 何故か不吉なものを感じ、あさとは迷う目でアシュラルの背を見ている。
「ナイリュの内政に、興味はない。また俺の立場で、今、三鷹家との同盟にひびを入れるわけにはいかない」
 セルジエが、アシュラルの言葉を訳すと、彼らは絶望したように、面を下げる。
「俺が興味があるのは、お前らが持っている飛行術だ。それがどういう技術を持つもので、どの程度ナイリュの戦力になっているのか……それを知りたい」
 蒙真人たちは、顔を見合わせ、何事かを囁き合っているようだった。
 やがて、一人が顔をあげた。
 五人の中で、唯一冷静な    騒ぎもしなければ、憤ることもなく、無言で控えていた男だった。
 広い額、長く伸びた髪を一つに束ね、どこか知的な雰囲気を持つ男は、静かな口調でアシュラルに何かを訴えている。
「条件はのむ、だから我々を、ナイリュに引き渡さないで欲しいと、申しております」
 セルジエが訳した。「我々には、護るべきものがある……。憂う世界を救いたい志は、イヌルダと変わらないと……、決して迷惑はかけないので、見逃してほしいと言っております」
「ナイリュの内政に、興味はないと言ったはずだ」
 アシュラルは、あっさり言うと、立ち上がった。「飛行術のことさえ聞けば、貴様らに用はない。どこへなりと、好きなところへ行くがいい」
 が、振り返りざま、アシュラルがジュールに囁いた声は、はっきりとあさとの耳に届いていた。
「用が済んだら、全員殺せ」
「…………」
 ひどい……。
 それは、どう考えても、残酷すぎる気がする。
「アシュラル!」
 一声叫び、あさとは立ち上がっていた。
 アシュラルは、冷やかな、が、確かな怒りを孕んだ目であさとを見上げる。
「何か、カマラに仰りたいことでもございますか、陛下」
 お前は黙っていろと、その強い目が言っている。
 あさとは、憤りを飲みこんだまま、再び同じ席についた。
 
 
               
 
 
「アシュラル、考え直して」
 広間を出たアシュラルに、あさとは声をひそめて追いすがった。
「何をだ」
 振り返らないアシュラルの横顔は、今もただ、前だけを見ている。
 何を言っても、響かないかもしれない。そんな諦めにも似た気持を噛みしめながら、あさとは続けた。
「命だけは助けてあげましょう。殺すなんて……ひどすぎるわ」
「相手は、お前の幼馴染を殺そうとしたんだぞ」
 アシュラルの声は厳しかった。
「わかってるけど……でも……」
「さらに言えば、イヌルダの皇位継承者でさえ殺そうとした連中だ。俺はな、自分の命惜しさに、祖国を裏切るような人間を信じるほど甘くはない」
 冷めた目のまま、アシュラルは続けた。
「一度裏切る奴は、次も裏切る。人間とはそういうものだ」
「…………」
「しかも、得体のしれない蒙真の暗殺者どもを助けろだと? 馬鹿も休み休み言え」
 判っている。アシュラルの言う通りだ。彼らは暗殺者で、多分、今まで多くの人たちを殺してきた。しかも    どういう理由か知らないが、ユーリを畏れ、憎んでいるようにさえ見受けられる。
 でも……それでも、アシュラルのために、今は言わなければならないと思った。
「アシュラルの言う通りだわ」
 あさとは続けた。「でも、だからって殺してしまえばそれでいいの? 話をして、判り合おうという気はないの?」
「言葉も通じない連中と、どうやって判りあえと言うんだ」
 笑いを含んだ声が返される。
「あの人たちにだって、家族がいるわ」
「だからなんだ」
「あの人たちを殺せば、あの人たちの家族が、今度はアシュラルを憎んで、殺そうとするわ。そうやっていつまでも、果てしない殺し合いが続くことになるのよ」
「それがどうした」
 アシュラル……。
 足を止めたアシュラルは、初めてあさとを振り返った。怒りを帯びた眼差しが、高みから見下ろしている。
「だったら、俺を殺そうとする連中全てをはねのけて進むまでだ。その程度の覚悟もなくて、こんなことがやっていられるか!」
「…………」
「お前のくだらない説教を聞くために傍にいろと言ったんじゃない。俺の言うことが判らないなら、フラウオルドに引っこんでいろ!」
「…………」
 二人の背後では、ジュールとセルジエが、死の沈黙を護っている。それほど、振り返ったアシュラルの剣幕は凄まじかった。
 泣くか……怒るか、それが今までのあさとだった。
 こみあげたあらゆる感情を、拳でこらえ、あさとは我慢してアシュラルを見上げた。
「それでも……助ける道を、選んであげて」
「…………」
「彼らの話を聞いてあげて。疑うんじゃなくて、まず聞いてあげて。……信じなきゃ、信じてもらえないわ」
 アシュラルの横顔が、冷笑を浮かべる。何か言い返されそうな気がしたが、何故か男は黙ったまま、動かなかった。
「あの人たち、志は私たちと一緒だと言ったわ。今までしたことだって、彼らなりの理由があったのかもしれない」
「奴らは、鷹宮ユーリを悪魔だとののしったんだぞ」
 アシュラルの声は冷ややかだった。
「生かして返せば、奴らは再びあの男の命を狙うだろう。お前の言うことは矛盾している。かわいそうだから毒虫を野に放せと言っているに等しい戯言だ」
「だから、話を聞いてと言っているのよ」
 辛抱づよく、あさとは続けた。
「殺してしまう前に、他の方法を考えてと言っているのよ。沢山の道があるわ、そのどれかを選ぶのは……きちんと話し合ってからでも、遅くはないわ」
「お前は」
 アシュラルの目が、どこか寂しげにあさとを見つめた。
「俺のしていることが、やはりお前には理解できないのか」
「そうじゃないのよ……」
 どうして判ってもらえないんだろう。
 あなたが好きだから、大切だから。
 これ以上あなたが、誰かに恨まれて……憎まれることが、耐えられないから。
 だから……判り合ってほしいだけなのに。
「奴らは暗殺者だ。これまでも沢山の人間を手にかけてきた。俺はあんな連中を信じない」
「わかってるわ」
 彼の頑なさは、どこから来るのだろう。
 そう思いながら、あさとはそっとアシュラルの袖に手をおいた。
「奴らにしたところで、俺のことなど、爪の先も信じてはいないだろう。生かせば必ず禍根となって、イヌルダに戻ってくる。……信じたところで、裏切られる」
 冷たい目は、あさとなど見えていないかのようだった。
「人間とは、そういうものだ」
 あさとの手を軽く握り、アシュラルは初めて表情を緩めて振り返った。
「戻れ、……夕刻には俺が訪ねて行く」
「うん……」
「すまなかった。お前を傷つけるつもりじゃなかったんだ」
     わかってる……。ごめんね、アシュラル、私こそ……。
「信じていれば、信じてもらえる時がくるわ」
 歩き出したアシュラルに、それでもあさとは声をかけていた。
 心のどこかから突き上げられたように、自然にそう言っていた。
 アシュラルの背が止まり、動かなくなる。
「人を許してあげられたら……自分だって、許してもらえる時がくると思うから……」
「陛下」
 ジュールが、促すように声をかける。これ以上はおよしなさいと、その目が暗に告げている。
 あさとは頷き、動かないアシュラルの背中を気がかりに思いながら、歩き出した。
 この世界で、私は罰を受けているのだ。小走りに歩きながら、あさとは、自分のことを思っていた。
 私は……雅を、そしてダーラを裏切った罪を、多分、どこかで償おうとしている。許しを得ようと思っている……。
 だからかもしれない。アシュラルだけじゃない、この世界に住む誰一人として、無駄に傷ついては欲しくない……。
 
 
                
 
 
 約束どおり、夕刻    まだ日が高い内に、アシュラルは再びフラウオルドを訪ねてきた。
「すまない、あまり時間がない」
 声は優しかったが、どこか態度が冷淡なのは、まだ彼が、昼間のいさかいを引きずっているからだろうし、それはあさとも同じだった。
「明日の行軍を、ジュールと詰めなければならない。……夕食が済んだら、本殿に戻る」
「明日は……いつ?」
「夜明けには出る」
「…………」
 そう……。微笑しようとした顔が、たちまち曇るのを感じている。
 あさとはアシュラルに引き寄せられ、そのまま二人は抱き合っていた。
     行かないで……。
 傍にいて……私を、……ずっと抱きしめていて……。
 声にならない思いは、閉じた瞼から一滴の涙になって、頬に零れた。
 アシュラルは何も言わないまま、黙ってあさとの髪を撫で続けている。
 彼もまた、何かの思いを胸に抱いたまま、それを口に出せないでいるような気がした。
「どこかへ、行こうか」
「どこへ?」
 あさとは慌てて、涙を手のひらで拭って顔を上げる。
「どこへでも、お前が行きたいところにだ。こんな時間だから、そう遠くには行けないが」
 そんなに優しいことを言ってくれるなんて、夢にも思ってみなかった。
 あさとは驚いたまま、わずかに笑んだアシュラルを見上げる。
 額に軽く唇をあて、アシュラルはあさとの手を解いて立ち上がった。
「ジャムカに言って、ウテナを用意させよう。行きたい場所を考えておけ」
「……シーニュの、森」
 あさとは、ひらめくように思いついて、言っていた。
「そんな近くでいいのか」
 足を止めたアシュラルが、やや呆れたような眼差しになる。
「だって私……あまり外に出たことがないから。行きたいところって言われても思いつかないし、それに」
 シーニュの森には……。不思議な思い出があって。
「シニフィアンの樹……、知ってる?」
 当たり前だとでも言うように、アシュラルは片眉だけを上げる。
「幻の樹だと、お父様に聞いたわ。確かにあるはずなのに、探そうとしてもどこにもないのだと。……本当にそんな樹があるなら、見てみたいの」
「幻の樹」
 アシュラルは不思議そうに繰り返した。
「かどうかは知らんが、俺は何度も見たことがあるぞ」
「えっ、本当に?」
「子供の頃の話だがな。まぁいい、行ってみよう。シーニュの森なら、連れもいらない。二人で出てもジュールも煩く言わないだろう」
「うん……!」
 嬉しさのあまり、あさとは駆け寄って、アシュラルの背を抱きしめている。
「なんだ、おかしな奴だな」
「だって……」 
「急がないと、陽が暮れるぞ」
 髪をくしゃっと撫でられ、幸せで胸がいっぱいになりながら、それでもまだ、アシュラルから離れられないでいる。
「昼間は……ごめんなさい」
「もう気にしていない。お前も気にするな」
「でも」
「……本当にいいんだ。むしろ、お前の気持が嬉しかった」
「…………」
 ちゃんと……通じてたんだ。
 優しい彼の温もりを感じながら、ようやくあさとは、心の底から安堵していた。
 
 
 
 
 
 

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