天蓋の覆いを払うと、そこにはアシュラルの寝顔があった。
 青白い顔が、僅かに傾き、右頬をやわらかな枕に埋めている。
 よほど深く眠っているのか、あさとがその頬に指で触れても、ぴくりとも動かない。
 眠ると、顔から表情が消えるせいか   
 あさとは、胸が騒ぐのを感じた。    ラッセルに、そっくりだ……。
 綺麗な眉、形良い鼻筋、薄いくちびる。
 ラッセルに、いや、それよりなにより、……琥珀に。
    瀬名)
 夢で聞いた声が、どこかで聞こえた。
     私……。
 あさとは苦痛を感じて目を閉じた。
 胸が切ない、わからない、私は一体、誰に恋をしているの?
 琥珀に? ラッセルに? それとも   
 この人に?
 無理矢理身体を奪った悪魔のような男。嫌いなのに、大嫌いなのに、気がつけば彼のことばかり考えてしまっている。
 力なく胸に置かれた彼の腕。あさとはそっと、その指先に触れた。
 薬指の先に、うっすらと赤い傷跡が残っている。
     この人……馬鹿だ。
 最初から不思議だった。
 ちぎれるほど噛まれた指が、痛くなかったはずはない。振り解けばよかった、殴ってでも、止めさせることは出来たはずだ。なのに    何一つ抗うことなく、彼は自分の指から血が流れるに任せていた。
 まるで、自分自身を罰しているかのように。
    もう、お判りかと思います。アシュラル様が、あなた様に特別な感情を抱いていらっしゃることを)
 あの晩、ジュールの口から出た言葉の数々が胸苦しく蘇る。
    あなた様のことになると、アシュラル様はいつも、ご自分を見失われる。ご幼少の折、ダンロビン様からあなた様をお救いさなれた時もそうでした。あの方がエレオノラ様にお近づきになったのは、ヴェルツの邸内を探るためです。    その目的も忘れ、ダンロビン様に結局は勘付かれるきっかけを与えてしまった)
     アシュラル……。
 あさとは心の中で呟いた。
 私はずっと誤解していた。いいえ、ずっと、誤解させられてきた。
    あなた様とダンロビン様のご結婚を、途中で取りやめにしたのも、当初の計画から言えば予想外でした。アシュラル様にはまだ確たる後ろ盾がない。他国の支持を取り付けるため、もう少し時間を稼ぐ必要かあった……。いずれあなたを取り戻すにしろ、少なくとも一月は、ダンロビン様の妻として過ごしてもらわねばならなかった。    けれど、お若いアシュラル様には、それが耐えられなかったのでしょう)
     本当にそうなの?
 本当に? だったら、どうして、いつもあなたはそんなに冷たかったの? 酷かったの?
    私は、だからあなた様をアシュラル様から遠ざけたかったのかもしれません。いずれ……アシュラル様が、あなた様のために、進退を誤られるような気がしたのです。それは、アシュラル様ご自身も、危惧しておられたことでした)
「ここで、何をしている」
 低い声がした。
 あさとは、はっとして顔を上げた。
 薄目を開けたアシュラルは眉をしかめ、額に手を当てていた。
「……何をしに来た、帰れ」
 あさとは何も言わなかった。    言えなかった。言葉が、何も出てこない。
 立ち上がり、急いで彼に背を向けた。今自分がどんな顔をしているか判らないし、アシュラルにだけは見られたくなかった。
「ジュールに聞いた、ナイリュへ行くことを承知したそうだな」
 そう言いながら、彼が身体を起こす気配がした。あさとは答えず、その言葉の続きを待った。    ただ、一言。……
「承知も何も、お気に入りの鷹宮ユーリと結婚できるんだ。お前にとっては、願ったり叶ったりの話だろう」
 ただ一言、言ってくれればいい。
 本当は、    本当は。
「俺も幸運だった。お前を遣れば、鷹、……いや、三鷹ミシェルも喜んで援軍を出してくれるだろう。意外に早く、薫州を制圧できるかもしれん」
「………」
 あさとはアシュラルを振り返った。
 彼の目が、不審そうに向けられる。
「なんだ、その眼は」
 ひるまずに、彼の眼差しを受け止める。いつかと違って、先にそれを逸らしたのはアシュラルの方だった。
 男の瞳が戸惑っている。そして名状しがたい想いに揺れているのがはっきりと判る。
     一言でいいのに。
 その一言で、私は、今すぐにでも、この人の腕に飛び込むことができるのに。
 そして私も、彼に言うことができるのに。
「最後に、法王様のお役に立てて、嬉しいわ」
 なのに、口から出たのは、心とは裏腹の言葉だった。
「今まで、あなたには色々助けられたけど、これでお返ししたことになるのかしらね」
 言いながら、あさとは泣きたくなった。
     本当に、馬鹿だ。
 この人も、そして私も。
「……出て行ってくれ」
 アシュラルは嘆息して顔を背けた。髪が額から零れ、彼の横顔を覆い隠した。
「俺もお前の顔を見なくてすむと思ったらせいせいする。一日も早く、俺の前から消えてくれ」
「………」
「ナイリュで、せいぜい幼馴染に可愛がってもらえ、じゃあな」
    へそ曲がり、ひねくれ者、最後くらい正直になったらどうなのよ!」
「なに?」
 顔を上げたアシュラルの眼が驚いている。 
 あさとは自分の感情が急速に高まるのを感じた。
「馬鹿みたい、よく判った、ほんとにあなたって、まだまだ気持ちが子供なのね」
「なんだと」
 彼が気色ばんで立ち上がる。それでもまだ    その眼は戸惑いを滲ませている。
 戸惑いと、そして。
「嘘つき、意地っ張り、あなたなんか、大嫌いよ」
     ほんとは、私のこと、……好きなくせに。
 言葉は違っても、アシュラルの目が、今は全てを語っている。それが、ますますあさとの胸を苦しくさせた。
「返すから、これ」
 用意してきたものを、あさとは机の上に置いていた。
「持ってると、……なんか腹がたって眠れなくなるから」
 美しい宝石に飾られた短剣    ロイドに言われた時から、本当は判っていた。ただ、認めたくなかっただけだった。
     これを作ってくれたのは……アシュラルだ。
 最初からずっとこの人は、私を守ろうとしてくれていたのだ。
「私はナイリュに行くけどね!」
 涙が出そうになった。悔しかった。この人の前で、絶対に涙など見せたくはない。
「ユーリが好きだから行くんじゃない、あなたのために行くんだからね! そのこと」
 唇を噛んで、溢れそうな気持ちを抑えた。
「……そのこと、絶対に忘れないで」
 立ちすくんだまま、アシュラルは動かない。
 その眼が、まともに見られなかった。結局子供なのは私だ、最後まで素直になれなかったのは私だ   
 あさとはそのまま、きびすを返した。
 
 
               
 
 
 アシュラルが金波宮に滞在したのは、結局二日足らずに過ぎなかった。
 三日目の早朝、法王旗を掲げた軍隊が城門を行進していくのを、あさとは自室の露台(テラス)から見送った。
 いつも留守を護るはずのジュールの姿も、同時に見えなくなったから、今回は珍しく法王軍に同行したのかもしれない。
 極秘の行軍なのか、その行き先はあさとには知らされなかったし、今回ばかりはカヤノも情報を得ることができないようだった。
 お目付け役のジュールがいないせいか、法王軍が去った後、城内の緊張は著しく緩んだ。
 入り浸る諸侯たちが、薫州公の叛乱について、様々な噂や憶測を振りまき始め    それはフラウオルドのあさとの耳にも、女官らを通して伝わってきた。
「あの律儀者のフォードがいったい何をとち狂ったものだか。ヴェルツなどと組んだのが運の尽きよ」
「フォード公は、昔からコンスタンティノ大僧正を毛嫌いしておりましたからな。法王家が皇都を牛耳るようになったのが我慢ならなかったのでしょう」
「新体制でご自分の地位を高めたいがゆえの戦よ。すぐに和議となるだろうさ」
 法王軍の惨敗を知らぬ諸侯たちは、勝手な楽観論をふりかざしては安穏としているようだった。
 が、フォード公率いる灰狼軍がいかに、戦に長けているか    また、フォード自身が、誰より熱心な皇室崇拝者であると同時に、いや、あるがゆえに、いかに今の法王軍に憎悪を募らせているか    それが判っているだけに、あさとは不安でならなかった。
     ルシエは……どうしているのかしら。
 薫州公の一人娘、松園ルシエ。
 父フォード公と共に薫州に去ったルシエの近況も、何も伝わってはこない。
 できることなら、あさとは、フォード公とアシュラルに争ってほしくはなかった。
 フォード公は、確かにここ数年、社交界を嫌い、父ハシェミとは法王家との婚姻を巡って対立していた。領地である薫州にこもり、皇都に顔を見せることが稀な存在になっていた。
 昔は、ハシェミと深い信頼関係にあり、共にヴェルツに対抗する立場だったはずなのに    何が彼の人を変えてしまったのか、単に愛息が家を出たことだけが原因だったのか、あさとにはよく判らない。
 けれど、あさとの前に時折顔を出すフォード公は、いつも優しく……深い、父にも似た愛情を見せてくれる。最後に、フラウオルドを訪ねてくれた時もそうだった。
    カタリナ派の者を信じすぎてはなりません。姫様はまだ幼く純粋でいらっしゃる。かような者どもの思想に冒されてはならぬと思い、あえて進言に伺いました。)
 今思えば、あれは、あさとへの警告だったのかもしれないし、自身の立場を予め釈明するためのものだったのかもしれない。
 いずれにしても、フォード公とは、話し合えばきっとわかりあえるはずだという気がしてならない。    それだけに、双方戦うだけではなく平和的な解決を図ってほしいと、ただ、祈るばかりだった。
「クシュリナ、いる?」
 フラウオルド。机についていたあさとはペンを置いて顔を上げる。軽く扉を叩く音がして、返事を待たずに部屋に入ってきたのはカヤノだった。
「今度の定例舞踏会のことだけど、どうやら予定どおり行われそうよ……って何見てるの」
「うん、工事の進行表。    戦のせいで、止まっちゃってるけど」
 あさとは、かすかに嘆息して、書面を閉じた。
 戦況の悪化は、全てを悪い方へと変えつつある。外出は厳しく制限され、ようやく着工された療養院の改築工事も、頓挫したままになっていた。
「ま、しょうがないわよね。非常時なんだからさ」
 カヤノはさばさばと言って、締め切っていた部屋の窓を開けた。
 アシュラルが再び出陣してからというもの、カヤノはずっと不機嫌だったが、仕事だけはそつなくこなしている。
 そのカヤノの機嫌の悪さは、何故かあさとにも向けられていて    今日もあさとは、カヤノの顔色を窺いながら、声をかけた。
「舞踏会があるってことは……じゃ、法王軍が帰ってくるのかしら?」
「多分ね。サランナが影で色々動き回ってるから、きっとそうなんでしょ」
 吐き捨てるように言うと、カヤノはあさとに向き直った。
 じゃあ……アシュラルが無事に帰ってくるってことなんだ。
 それだけで、あさとは、ここ数日の緊張が解けたようにほっとしている。が、カヤノはますます不機嫌そうな顔になった。
「その舞踏会のドレスだけどね。サランナ様のご提案で、戦勝を祈って、全員赤を基調としたものを身につけるんですって。ご婦人たちは、続々赤の衣装を新調してるみたいだけど、……どうする?」
「どうするって、お手元金はもう、ないから、……」
 あさとは、再び書面を開きながら、上の空で答えた。
 アシュラルたちが戻ってくるなら、この金波宮で、あさとに残された時間はあまりない。
 進行表をジュールに引き継ぎ、一刻も早く、病院の改装だけでも済ませてしまわなければならない。
「何かあるもので間に合わせましょう、カヤノに任せるわ」
「そりゃ、なんとかするけれど」
 言葉を切ったカヤノが、あさとの傍らに歩み寄る。驚くあさとの前で、カヤノは書面を奪うように取り上げた。
「なにするの、それは」
「皇都を出て行くからって、アシュラルに恥だけはかかせないでね。あなたは彼より、三鷹ミシェル様の方が気にかかるのかもしれないけど!」
「…………」
 椅子に座ったままのあさとは、ただ、驚いてカヤノを見上げた。
 まだ、ナイリュ王室との婚姻の話は、誰にも知らされていないはずだ。
「言っておくけど、もう社交界中の噂の的よ。    誰が言いふらしたのかは考えるまでもないけれど。あなたは知ってるかしら? 今度の舞踏会には、ナイリュの国司が来られるんですって。同盟の協議と、結婚式の打ち合わせのためによ」
 カヤノは続けた。その声にひどく刺があった。
 むろん、あさとには全てが初耳である。
「言っておくけど、私はナイリュにはついていかないわよ。アシュラルの傍を離れるつもりはないから」
 カヤノの不機嫌が続いている理由が、初めてあさとにもわかった気がした。
「みんな噂してるわ、あなたがアシュラルと離婚して、あの忌わしい三鷹家に嫁ぐって。早速ご婦人たちはサランナのご機嫌取りに血道をあげてるわよ」
 ひどく乱暴な所作で、カヤノは、取り上げた書面をあさとの前に叩きつけた。
「あなたも判らない人ね! アシュラルと結婚までして、せっかく色んなことが軌道に乗ってきたのに、まだ幼馴染のことが忘れられないわけ?」
「………」
「病院のことも、学校のことも、何もかも中途半端なままで放り出すわけ? あなたのこと、少しは見直そうと思っていたのに、がっかりよ。本当にがっかりしたわ!」 
 あさとは嘆息して立ち上がった。そしてカヤノに背を向け、窓際に立った。
「カヤノ……」
 彼女が、三鷹ミシェルのことを切り出したのなら、聞くのは今しかないと思った。
「あなたは、……ユーリが三鷹ミシェル様だと、知っていたのね」
 カヤノが言葉に詰まる気配がし、しばらくの間沈黙があった。やがて、かすかに息を吐く音がした。
「知っていたわ」
「いつから?」
 あさとは、息を飲むようにしてカヤノに対峙する。その返答次第では、カヤノと、これまでのように話ができなくなるかもしれない    とまで、思い詰めていた。
 あさとの真剣な目に気押されたように、カヤノは小さな溜息をもらした。
「……聞いたのは、ジュールからよ。三鷹家が、新たな王位継承者として担ぎ出してきたのが、銀の髪と灰の目を持つ行方不明だった王族の末裔    三鷹ミシェル。……ジュールはもともと、鷹宮ユーリの素性を知っていたようだから、それだけの情報で、確信するのは十分だったみたいね」
「……ジュールは……どうして、知っていたの」
 不信が胸の中で膨れ上がっていく。どうして、どうしてジュールが知っていたのだろう。
 ユーリが、蒙真王家だけでなく、三鷹家の血をも引いているということを。
 カヤノはわずかに唇を噛み、迷うように視線を逸らした。
「ジュールが知っているということは、お父様もご承知だということよ。私に判るのは、それだけだわ」
 お父様    千賀屋ディアス。
 ディアス様が、……では、ジュールになんらかの指示を与えていたということだろうか。
 判らない。そこに、どういう意味があるのだろう。
 押し黙るあさとを、気の毒そうに見つめて、カヤノは続けた。
「王位継承者と認められるまで、ユーリは随分苦労したようね。<三鷹ミシェル>は、蒙真でも青州でも、死んだことになっていたから、……叔父にあたる公爵家のご養子として蒙真に戻られて、それから後も、他の候補者たちと随分攻めぎあいがあったみたい」
「せめぎ合い……?」
「革命の立役者、サライ将軍と最後まで王位を巡って争ったのよ。結局サライ将軍が病に倒れて、ユーリが王位についたようだけど」
 カヤノの言葉はよどみなかった。「平穏無事な道でなかったことだけは確かだわ。ジュールも言っていたけれど、あなたの幼馴染は、よほど運が強いんでしょうね」
 ユーリ……。
 あさとは、彼にもらったペンダントがあった場所を、両手で押さえた。
 ユーリは、生きていた。
 どういった事情であれ、彼の故郷で……彼の場所に戻ることができた。
 そして、約束どおり、私を妻にしてくれようとしている。
 そのユーリの思いに、心から答えられる日がくるのだろうか。   
「カヤノ、正直に答えて」
 あさとは顔をあげて、カヤノを見つめた。
「……ユーリが金波宮から消えた夜、グレシャム公を殺したのは、誰なの?」
 その問いには、カヤノの眉が、わずかに翳った。
「誰って……鷹宮ユーリでしょ」
「違うわ、それは」
「じゃ、他に誰がいるの?」
 声には迷いがあったが、あさとを見上げる目は毅然としていた。
「あなたは知らないと思うけど、あの夜、金波宮では、沢山のパシクが鷹宮ユーリに殺されたのよ」
「…………」
「私に判るのは、鷹宮ユーリには、何か強力な後ろ盾があって、その人たちがユーリを護って皇都から逃がしたということだけよ。    ジュールなら、もっと詳しいことを知っているかもしれないけど、私にはそれ以上ことは知らされていないわ」
「後ろ盾……?」
「蒙真の連中かもしれないし、三鷹家の息のかかった連中かもしれない。あなたも知っているんでしょう? なにしろユーリは、双方の王位継承者だったんだから。命を奪おうとするものもいれば、当然、護ろうとするものだっているはずじゃない」
「……カヤノを……襲ったのは、何者なの」
 あの夜。ユーリの背後で、蠢いていた黒い影。
「わからないわ」
 カヤノの眉が、苦く翳った。
「はっきり言えば、あの夜のことは思い出したくもないの。いきなり扉が開いて、あの男が入ってきて……雨の匂いと血の匂い……人形みたいな白い顔……私は逃げるようにあなたの所まで駆けて、後ろから首を掴まれて息が詰まった所までは覚えてる。……冷たい……死人みたいな冷たい手だった」
 思い出してぞっとしたように、カヤノは自身の身体を抱いた。
 あさともまた、あの夜の、囁くようなカヤノの声を思い出している。
 おそらくカヤノは    それでも、這うようにして、自分に危機を伝えようとしてくれたのだ。
「あんな恐ろしい思いをしたのは初めてよ。真っ黒な服を着た背の高い男……。目撃したパシクフラウが言っていたわ。とても人間だとは思えなかった。忌獣の化身のようだったって」
 あさともまた、何か言い知れない禍々しさを感じ、わずかに寒気を覚えている。
 何故、そんな恐ろしい男が、ユーリの傍にいたのだろうか。
 あの夜「殺すな!」と一声叫んだユーリの声は、完全の主人のそれだった。だとしたら    やはりユーリが、忌獣の化身のような男を、操っていたのだろうか。
「ジュールは、随分自分を責めていたわ。あの人はね、グレシャム公が殺された直後、異変を察してユーリの部屋に飛び込んだのよ。    ……なのに、ユーリを捕らえず、お父様の言いつけに従って匿おうとした。……その直後に、あんな惨事が起きたのですもの」
「ディアス様は……ユーリを……どうしてそうまでして、匿おうとされたの?」
 こんなことを言わなければならない寂しさに耐えて、あさとは訊いた。
「それは、……ユーリが三鷹家の血を引いているから……利用価値があったからじゃないの?」
「…………」
 カヤノはその眼を見つめ返し、少し苦しげに視線をそらした。
「これだけは言うわ。……お父様は、ジュールもだけど、鷹宮ユーリに関しては、ひどく大切に扱っていたのよ」
「…………」
「私にはその理由までは判らないけど……。ユーリのことを好きなあなたには、信じてもらえないかもしれないけど。鷹宮ユーリには、多分、……あなたでも知らないくらいの、大きな秘密があったんじゃないかしら」
「…………」
「ユーリのところに……行ってしまうの?」
 カヤノの気持ちが痛かった。あさとは何も言えずにうつむいた。
「私は反対よ。今は、あなたに行って欲しくない。悔しいけど、アシュラルにはあなたが必要だと思うから」
 滅多に感情のこもらない瞳が、潤んだように濡れている。
「行くべきじゃないわ、クシュリナ、いいえ、行かないで」
「カヤノ……」
「アシュラルがあなたに行けと言ったの? 本当にそれが、アシュラルの望みなの?」
「私がナイリュへ行けば、彼だって助かるはずだわ」
 あさとは顔をそむけ、力なく言った。誰がどのように望もうと、それ以外に    選択肢などないのだ、最初から。
「彼に……これ以上血を流してほしくないの。虫のいい話だけれど、フォード公にも」
 感情で訴えるカヤノにも、それは判っているはずだ。
 法王軍とフォード公が本格的に戦いを始めれば、戦火はどこまで広がるかしれない。
「そう……そうね。……それが、一番いいことなんでしょうね」
 呟いたカヤノは嘆息し、ぼんやりとした目で立ち上がった。
「アシュラルから、……届け物があるの。腹が立ったから、そのまま棄てちゃおうかとも思ったんだけど」
 いったん隣室へ行ったカヤノは、すぐに一抱えの衣装を持って戻ってきた。
「ロイドの馬鹿が、本当にアシュラルにおねだりしちゃったのかもね。どうせなら、赤いドレスを作ってくれればよかったのに」
 テーブルの上に無造作に投げられたそれは、純白の、一点の曇りもないほど燦然と輝く、白絹のドレスだった。あさとにもすぐに判った。これが    婚礼のための衣装なのだと。
「確かに、今のあなたには、婚礼の衣装を揃えるお金もないんだけど」
 カヤノは悔しそうに舌打した。
「アシュラルがここまで嫌味な人だとは思わなかった。無神経にもほどがあるわよ」
     そうね……。
 あさとは何も言えないまま、黙って暗い窓の外を見続けていた。
 
 
 
 
 

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