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「カヤノって……どういう人なの」
城に戻ったその晩、いつものように部屋を訪れたジュールに、あさとは訊いた。
この滅多に表情を変えない鉄面皮の男は、数時間置きに必ずあさとの様子をうかがいに来る。最初の頃はそれが厭わしくて顔も合わさないようにしていたが、今は、逆に彼の顔を見るとほっとする。
表情と同じでジュールは冷たい、けれどその眼差しに、時折かすめるような優しさと憐憫を感じるときがある。
「彼女……、アシュラルともラッセルとも親しいようだったけど」
あさとは不審をこめて呟いていた。
カヤノ ラッセルどころか、あのアシュラルまでも呼び捨てにする女。突然、第一女官としてフラウオルドにやってきて、挨拶もなくいきなりやめた。何から何まで、カヤノのことはよく判らない。
ジュールは軽く嘆息した。
「カヤノは……ディアス様のご令嬢なのです。ラッセルやアシュラル様とは、昔からの馴染みでした、ですから……言葉づかいなども」
まるであさとの心を読んだような返答だった。
ディアスの娘……。あさとは少し驚いている。
「私と、年が変わらないように見えたわ」
「実のお子様では、ございませぬゆえ」
淡々と、ジュールは答えた。
「ディアス様は、決して子を持ちませぬ。カタリナの後継者は、ディアス様が決められる……それは、決して血の繋がりではないのです」
では、カヤノという少女が、ディアスの後継者なのだろうか。踏み込んで聞きたいような気もしたが、ジュールが留まってくれる時間は、そうはない。
「ジュールも……あの男を呼び捨てにしていたわ」
「アシュラル様のことですね」
すでに「あの男=アシュラル」と、ジュールは得心しているらしい。
さすがにまずいと思ったのか、ジュールはわずかに咳払いをした。
「以前も申し上げました。私たちは皆、カタリナ修道院で育てられた。私とアシュラル様もまた、兄弟のように育ちましたゆえ 御不快に思われたなら、申し訳ございません」
「別に、……私は気にならないし」
ていうか。
血相を変えて飛び込んできたジュールは、今にもアシュラルを抱きかかえんばかりの剣幕だった。
うんざりしたようなアシュラルの態度から、こういった過剰な心配性が、昨日今日始まったことでないと察しがつく。
なんか、……こう、妙に妖しい雰囲気がしたんだけど、あなたたちって……。
あさとは軽い咳払いをして、不謹慎な疑惑を飲みこんだ。例え冗談でも、この真面目な騎士は血相を変えて怒るに違いない。
「あなたたちの関係って、なんなの?」
剣道で言えば同門生のようなものなのだろうか。あさとがそう聞くと、ジュールは静かにうなずいた。
「私たちはこの城で育ち、カタリナ修道院でディアス様に師事を受け、様々なことを学びました。幼い頃よりの仲間……同志のようなものでございます」
「……今朝も聞いたわ。ラッセルにダーラ、他にも、何人か仲間がいたって」
「皆、それぞれの特技を生かし、イヌルダで要職についております。いずれお会いいただける日もございましょう。今は、まだ、申し上げることはでませぬが」
つまるところ、間諜 スパイのようなことをしているのだろう。
歯切れの悪さを、あさとはそう理解した。
この皇都には、つまり、アシュラルの息がかかった何人かが、いずれかの場所にひそみ、ひそかに機を窺っているのだ。
「むろん、仲間と言いましても」
ジュールは静かな表情で言葉を繋いだ。
「法王のご子息であられるアシュラル様は別格でございます。言いかえれば アシュラル様をお助けするために、我々は集められたのです」
アシュラルを……助ける?
「あの男は」
まだ、その名前を口にする気にはなれなかった。「あの男は、法王になって、それから何をしようとしているの?」
ジュールは顔を上げ、まっすぐにあさとを見下ろした。いつものことだが、鉄のような表情からは、一切の感情が拭われている。
「この国を、 救おうとしておられます」
救う?
「何から……?」
「いずれ訪れる、終焉の時からです」
「………」
「そして、再びこの世界に、平穏な時代を築こうとしておられるのです」
意味が、わからない。
「私やラッセルは、そのために集められ、結束した同志なのです。ハシェミ公と、コンスタンティノ大僧上様によって集められ、子供の折から日夜そのための教育を受けてきました。近い将来、この国を担える騎士に育つようにと」
ハシェミ公……お父様が。
むろん、父の口から聞かされたことはない。
が、考えてみれば思い当たる節はいくらでもあった。
近衛隊隊長のジュール。若くして最年少で隊長に任命されるという異例の人事は、当時の社交界でも評判だった。それを強行したのは父「ハシェミ」のはずだった。
ダーラは、金波宮にあがった最初から「クシュリナ」の傍にいた。それも慣例で言えばあり得ない人事だった。
ラッセルもそうだ、あれほど若くして、騎士見習でありながら、すでに皇族の側近を勤めていたのだから。
そして、アシュラルは 。
「お父様……」
あさとは眉を寄せたままで、呟いた。「お父様が、アシュラルと私の婚約にこだわっておられたのは……」
コンスタンティノ法王と、あらかじめ何らかの盟約があったから?
この世界を……救うため?
「判らないわ、終焉って、なんのことなの。このイヌルダが滅びてしまうということなの?」
ジュールは、静かに首を横に振った。
「これはシュミラクール界全体の問題なのです。二百年前には、月は満ち欠けを繰り返していましたし、忌獣などという化け物も存在してはいませんでした。世界はイヌルダを中心に結束し、揺るぎ無い繁栄を続けていた」
険しい表情に翳りが落ちる。
「今、この世界の夜は忌獣が支配しています。民の心から信仰の念は薄れ、結果、わずか二百年で皇国は全盛の力を失いました。いずれ各国はイヌルダに反旗を翻すようになるでしょう。国内でも、皇室の力はみるみる削がれ、代わって力をつけた諸侯が、資産にものを言わせて、強引に領地を広げています」
「………」
「少なくとも、皇室が諸侯に屈し、形骸化される危惧は、……決して杞憂ではございますまい」
ここ数日、皇室で起きた出来事を振り返って、あさとは強く唇を噛んだ。
女皇アデラの死、クシュリナとハシェミの捕縛。それがヴェルツ公爵が意図した謀叛だとしたら。
杞憂はすでに、現実化していることになる。
「ハシェミ様とコンスタンティノ大僧正様。叡智に長けたお二人が、そもそもこの世界の行方を憂いたのが全ての事の起こりでした。あのお二人は幼少時からのご親友。……そして、封印された古の予言書の秘密を、幼き頃より共有されておられたのです」
予言。
また予言だ。サランナもそう言っていた。
「なんなの、その予言って」
あさとは眉をひそめていた。予言、そしてディアスとカヤノが言っていた妙な言葉。
「……ユリウスの乙女って……何のことなの?」
ジュールは嘆息して目を閉じた。彼にしては珍しく、迷うような顔をしていた。
「今は……私の口から申し上げないほうがよい。いずれ 判ります。いずれ」
なに、それ……。
「よくわからないけど、……そのために私は、ダンロビンと結婚するってことなの」
引き結ばれた男の唇は動かない。あさとは溜息をついた。結局、肝心なことはいつもはぐらかされてしまう。
「もういいわ、……下がって」
「数日もすれば、ヴェルツ公爵家からお迎えが参ります」
立ち上がりながら口を開いたジュールの声は、打って変わってよそよそしかった。
「和議は整いました。あなた様とハシェミ公は、正式に免罪だと認められた、ようやく、サランナ様ともども、金波宮にお戻りになられますでしょう」
「……お父様は、お元気でおられるの」
「いずれ、お判りになると思いますが」
ジュールの口調は重たかった。
「ハシェミ様は、幽閉されていたヴェルツ公爵家を、クシュリナ様とご一緒に、脱出されたことになっております」
「なんですって?」
色をなし、あさとは立ち上がりかけていた。
「お静まりを」
すでに腹を決めているのか、ジュールの眼差しに動揺はなかった。
「我々のとっての人質が姫様なら、ヴェルツにとっての人質がハシェミ公なのでございましょう。それもまた、駆け引き。姫様の最初の仕事は、お父上の居所を掴み、お助けになることだと思し召しください」
「………」
お父様。 。
父を、ヴェルツ公に囚われたままでは、あさとに逆らう術はない。
ただ、拳を握りしめた。これから先の金羽宮での暮らしが、屈辱的なものになることを、否応なしに理解するほかなかった。
「戻られれば、すぐに即位式がございます。女皇陛下 クシュリナ様」
「……下がって」
運命の時が迫っている。
あさとは、自分の脚が微かに震えるのを感じていた。
3
夜明けが近い……。
あさとは目をすがめ、ほの暗い夜を見上げた。東の空にうっすらと光りが差し始めている。
その果てに、円月の輪郭が白々と映えている。
忌獣は出ない。確証はないが、そう信じるしかない。
あさとはケープを深く被りなおした。
明け方ともなると、あさとの部屋を監視する見張りは格段に少なくなる。それでなくともここ数日来、監視の人数は減る一方で 当初、怖いくらい張り詰めていた緊張感も、どこか弛緩してしまっている。
それでも、部屋を抜けて外に出るまでには、数人の法王軍騎士とすれ違わねばならず、あさとは腹を括って、むしろ侍女の一人を装い、堂々と戸外に出た。
あっけないほど、外に出るのは簡単だった。みるからに弱々しい深層の姫が、一人きりで外に出るなど、誰も想像していなかったのかもしれないし、そもそも内部の脱走者など想定していなかったのかもしれない。
(守りとは、外から来るものには厳しく、内から出る者には甘いものなのですよ)
ダーラの優しい声が蘇り、ふっと瞼が熱くなる。
あさとは滲んだ涙を拭い、昨夕憶えたばかりの、厩の方角に向けて歩き出した。
ジュール……ごめんなさい。折角私のことを、信用してくれたのに。
昨日、気晴らしに厩を見たいと頼み、沈んでいたあさとを案じていたのか、ジュールは快く案内を引き受けてくれた。
(緊急時に、いつでも馬を出せるよう、こうして誰でも、中にはいれるようになっているのです)
それでも、馬番がいないのは、僥倖というほかなかった。
引き出した馬の背に飛び乗り、あさとは鋭くその背を打った。
正面の門扉。ここで一悶着あるものと覚悟していたが、何故か門は開き、あさとが馬を寄せると、門番たちはむしろ慌てて、外にいざなってくれる。
何が……あったの?
判らないまでも、今はただ、この幸運に感謝するしかない。
高くいななき、馬は闇を裂いて疾走をはじめる。
ラッセル……。
暴風を全身で受け止めながら、あさとは祈った。
もう一度、会いたい。
ラッセルに会いたい。
願いはただそれだけだった。
彼が自分にとって何なのか、琥珀なのか、小田切直人なのか それとも全く縁のない人なのか。もうそんなことはどうでもいい。
もう一度会いたい、もう一度分かり合いたい。好きになってもらえなくてもいい、ただ、昔のような二人の関係を取り戻したい。
修道院の場所は、はっきりと記憶している。一本道だった、迷うことはないだろう。
無事に辿りつけたところで、会えないかもしれない。
会えたとしても、迷惑をかけるだけになるかもしれない。
でも 。
今、会わなければ、二度と会えない。
この世界では二度と会えない。それは、哀しい予感だった。
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