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 いざなわれたのは、四角い平屋風の建物だった。ひどく素朴な造りの木戸を開くと、男の子が二人、出迎えてくれた。どちらも年は十歳くらい、揃いの服をきて子供らしからぬ落ち着いた風貌をしている。
 奥には、もう一人青年がいて、それはあさとと同じ年くらいだった。
 黒い上着に、同色のホージズを身につけた青年は、みるからに知的で、俊敏そうな身体つきをしている。おかっぱにも似た褐色の髪は、まだ少年のような青年の面立ちによく似合っていた。
「セルジエ、ディアス様は」
 ジュールが、ようやく口を開いた。
「まだ、お目ざめになっておられません」
 恭しく、セルジエと呼ばれた青年は答える。
「用意は」
「すでに」
 二人は、短く会話し、セルジエは丁寧に一礼してから、部屋を去った。
「……ディアス様って?」
 ようやく、あさとも口を開いていた。
「この修道院をお造りになられ……そして、代々護られている御方です」
「代々…?」
「カタリナ修道院を護り、継ぐべき者をそう呼んでいるのです。名前は代々受け継がれていきます。今のディアス様は……はっきりと判るだけでも五十三代目になりましょうか」
「それは、……随分古いのね」
 少しばかりあさとは驚いている。皇室に正式に残る記録が二十七代、数字でいえば五百年以上も昔にも遡る。むろん、その当時文字を記せる技術などあろうはずもなく、    正式に残された記録以前の系譜は、半ば神話と化している。
「今のディアス様は、正式なお名前を千賀屋(ちがや)ディアス様と仰られます」
 恭しく、その名を口にするのもはばかられるといった風に、ジュールは続けた。
     ディアス。
 その刹那、突然あさとの中の、クシュリナとしての記憶が紐解かれた。
 どこかで聞いた名前    そのはずだ。ディアスとは古の四神の一人、知将ディアスだ。同時に、ようやく思い出していた、天秤紋は、ディアスを表す徽章である。
 が、シーニュを護った四神と称えられる系統は、全て滅びてしまったはずだった。ただひとつ、アシュラルのいるコンスタンティノ家を除いて。
「ディアス様は、ご病気を患っておいでです。日に数時間も起きてはいられないのです。お許しください」
「ここって、なんなの? 一体、どういう所なの」
「おかけください」
 ジュールは落ち着いた態で、長椅子を指示した。
「私に、説明の権限は与えられてはおりませぬ。全ては、ディアス様のご意思により」
「全部、その人に聞けということ?」
「望まずとも、必要があれば、ディアス様がお話されるでしょう」
「………」
 意味が判らないまでも、そのディアスという人が、すべての黒幕なのだと察しがついた。
 ジュールだけでなく、アシュラルもまたその男の指示で動いているなら、あさとにとって、ディアスとは敵か味方か判らない。
「……いいわ。でも、ラッセルことだけは、あなたの口から教えて」
 あさとは立ったままで、同じように立っているジュールを見上げた。
「彼はずっと、この修道院にいたのね?」
「………」
「一体ラッセルに何があったの? 彼は、どこか、身体を悪くしているの?」
 答えないジュールは、苦い眼をしたままだった。あさとが黙っていると、ややあってようやく男は嘆息し、口を開いた。
    あなた様がご生気を取り戻された直後でした、……ラッセルは突然、意識を失ったのです」
 あさとは息を引いた。
「いえ……」ジュールは力なく言い直す。
「突然ではなく、おそらくずっと高熱を持っていたのでしょう。倒れたラッセルの身体を見て驚きました。背に……かなり深い傷を負っていて……それが治りきらずに膿み爛れていた。もっと早く気がつけばよかったのですが」
 あさとは自身の唇が震えだすのを感じた。
 その傷とは    間違いなく、結婚式の日、あさとを逃がそうとして出来た傷だ。
 そんなラッセルに無理を強いて、そして心まで傷つけたのは誰なのか、あの男    アシュラルと、そして、私だ。
「ラッセルは昔から、己の感情を表に出さない。……そんな男でございました。だから、先ほどは少し、驚きましたが」
 カヤノを叱責したことを言っているのだろう。あさとにとっても、ああも怒りを迸らせた彼の顔を見たのは初めてだ。いや、正確には二度目かもしれない。一度……あれほどではないにしろ、ダーラを叱った時がある。
「なんにせよ、今回はそれが……よくなかった」
 ジュールは言葉を途切れさせた。苦いものでも飲むような口調だった。急速に嫌な予感があさとの中で膨れ上がる。
「……ラッセル、今も……よくなっていないの?」
「………」
 ジュールは、答えずに黙っている。
「さっきカヤノが、ひどい状態だって言ってたじゃない」
 横顔が暗く沈んでいる。
「……平静を装ってはいますが、おそらく立っているのもやっとだったでしょう」
「………」
「ダーラの死のこともあります。悲しみも癒えてはいないでしょうし……、ラッセル自身が、生きたいという望みを失っているのやもしれません」
「そんな……」
 たまらなくなって視線を下げた。確かにジュールの言う通りだった。死を願ったとしても無理はないと思うだけの悲劇が、いちどきにラッセルを襲ったのだ。
「大丈夫……よね」
 自分に言い聞かせるようにあさとは訊いた。「養生すれば治るんでしょう? そんなひどいことにはならないんでしょう?」
「峠は越したとの、報告は受けておりますが」
 歯切れの悪い言い方しか返ってはこない。
「私……」
 言いさして言葉を失った。
 見開いたままの目から、意識せずに涙が零れた。
     私、どうしたらいい? あの人のために何ができるの?
 できることは何もなかった。何も、何一つ。苦しめることはできても、悩ませることはできても、あさとには、彼を    救うことなどできないのだと、思い知らされるほかなかった。
 はっきりと言わないが、ジュールの沈んだ眼差しは、やがてラッセルに死が訪れることを意味している。
「ラッセル……!」
 両手で押さえた唇から、耐えきれずに嗚咽が漏れた。
     私のせいで、何もかも……!
 苦しかった。息ができない。あんなに好きだった人を傷つけてしまった。どうしてこんなことになってしまったのだろう。私が彼の全てを奪い、その上彼自身の命も奪おうとしているなんて!   
「ラッセルは、とても献身的に、あなたのお世話を勤めていました」
 静かな、ジュールの声がした。
「あなたがご正気をなくされてから三日間、殆ど他の者を寄せ付けず、彼がすべて    食事も着替えも、……まるで、他の者があなたに触れるのを拒絶しているようにさえ見えました」
「………」
「私には、……あなたが、彼の全てのように思えました。ダーラのことで、ラッセルがあなたを恨んでいることはございません。主君のための死は騎士として当然の宿命(さだめ)。ダーラもまた、イヌルダの騎士なのでございますから」
 そうだろうか。
 いや、違う。理性ではそう思っていても、心の底で    ダーラを死に追いやってしまった「クシュリナ」という存在を、恨まなかったはずはない。あの一瞬のラッセルの眼差しが、全ての感情を物語っていたのだから。
 ジュールの言うことが本当なら、その三日間、ラッセルはどんな思いで「クシュリナ」の傍にいたのだろうか。何を思い、何を見つめていたのだろうか。
     お許しを……。
 そう囁いた彼の声。
 あさとの両目から、新しい涙が溢れた。
「……ラッセル……」
 何に対して、彼は許しを乞ったのだろうか。あんな眼で感情の一端を露にしたことだろうか、それとも、アシュラルの行為を黙って見過ごしたことだろうか。
 彼は、ずっと悔いていたのかもしれない。彼の性格が、自分を責めなかったはずはない。だとしたら    彼を追い詰めたのは、やはりあさと自身なのだ。
 涙が……止まらない。
 卑しくも臣下の前で、不様に泣き続けてはならない程度の自覚はある。あさとは、涙を払い、歯を食いしばるようにして、感情の爆風に懸命に耐えた。が、それは、抑えれば抑えるほど、出口を求めて胸の奥で暴れ続けた。
「裏口から出て、中庭を抜けた所に……病棟がございます」
 ふいにジュールの声がした。
「ディアス様は、医術の研究もしておられるのです。ラッセルをこちらに運んだのはそのためでもあります」
 それだけ言ったジュールが、踵を返して扉に手をかける。
     ジュール?
 言葉の意味を図りかねて顔を上げた時、目の前で扉が閉まり、大きな姿は室内から消えていた。
 遠ざかる足音を聞きながら、まさかと思った。
 まさか    ジュールは、ラッセルと話す機会を与えてくれようとして……。
 動揺が収まりきらない頭で考えながら、鉄面皮の下に、意外な優しさを持っているジュールのことを改めて見直し始めている。
     ラッセル……。
 あさとは涙を拭って、歩き出した。
 怖い。
 でも、ラッセルに会いたい。
 何を話していいのかわからないし、またひどく傷つけられるかもしれない。でも   
 それでも、会いたい。
 ラッセルに会いたい。ただ一言    彼に許しを乞いたい。
 
 
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 入った扉とは反対方向にある扉から、戸外に出る。狭い渡り廊下を抜けると、木々に囲まれた箱庭のような広場に行き当たった。ここが、ジュールの言った「中庭」にあたるのだろうか。   
 明るい陽射しが芝生に燦燦と生えている。
     病棟……?
 あさとは周辺を見回した。
 一見こじんまりした構造に見えたが、ここは、中の奥行きが相当に広いらしい。
 道場があって、今あさとがいた住家があって、その奥に、まだ別の建物がある。
 ジュールの口ぶりだと、すぐに判るような気がしたのだが、広々とした敷地には、いくつかの屋根がのぞいていて、そのどれが目指す場所なのか判らない。
 迷いながら視線を巡らせると、木立の向こうに、碧いドーム状の屋根が見えた。
 あさとは、つられるようにその方に足を進めた。
 真っ白な外壁に、整然と並ぶポーチ型の窓。全てに美しいステンドグラスがはめ込まれ、屋根には燦然と輝く銀のクロスと天秤の旗。
 病院というよりは、何かもっと別の、    厳かな感じがする建物だ。
 元の道に戻ろうとした時、微かに馬のいななきが聞えた。
「………?」
 ドーム屋根の下、建物の影になっている大きな木の幹に、大きな黒馬が繋がれている。
 馬は、荒々しく鼻を鳴らし、前足で苛立たしげに地面を蹴っている。
     これは……。
 遠目からその姿を認め、あさとは思わず息をのんだ。
 たてがみは、闇夜のごとく漆黒に艶めき、両眼は焔をはらんだように燃えている。逞しく、そして美しい四肢は近寄りがたい気品に満ち、いっそ気高いとさえ思えてしまう。
 これほど見事な黒馬は滅多にいない。逆吸い寄せられるように、あさとはその黒馬の傍に歩み寄っている。
 黒い馬はあさとに気づき、焔の目をきらめかせると、一瞬猛々しい表情を見せて前足を掲げた。
「よしよし、いい子ね」
 あさとは    クシュリナは、昔から馬の扱いには長けていた。というより、不思議に動物に懐かれるところがあった。
 ウテナなども、最初は誰にも懐かないような仔馬だったが、クシュリナだけは特別で、今でもあの雌馬が背に乗せるのは十七歳の女主人だけだ。ジャムカが「姫様のお優しさが、畜生どもにも判るのでしょうなぁ」と言ってくれたことがあるが、理由は、クシュリナにもよく判らない。
 黒馬の目は、それでもまだ、怒りを孕んであさとを睨みつけている。鼻息がますます荒くなる。
     ウテナ……。
 あさとは、フラウオルドに置いたきりの、ウテナのことを思い出していた。
 今、金波宮はヴェルツ公爵の支配下に置かれている。ウテナは    ジャムカたちは無事なのだろうか。
「怖がらないで……私は、友達よ」
 ウテナにいつもしているように、そっと鬣に手を差し込み、なだめるように鼻先をなでてやる。黒馬の眼から獰猛な光が消えた。
「いい子ね? お前は、ここで飼われているの?」
 微笑したあさとは、ふと黒馬の背に眼をやった。 
 手綱と馬銜、そして革の乗鞍がついている。いずれも使い込まれてはいるが、安普請の物ではない。
     もし、この馬に乗れば……。
 一瞬、自分の心によぎったあさましい感情に、あさとはどきりとして眉をひそめた。
 これだけの馬だ、どれだけ早く疾走することだろう。森を抜け、夜になる前に港に出られれば……逃げることができるかもしれない。ダンロビンとの結婚から。自分に課せられた運命から。
「逃げたいか」
 背後で低い声がした。
 あさとは弾かれたように振り返った。本当に    その刹那、心臓が止まるかと思っていた。
「逃がしてやってもいい、俺に勝つことができたなら」
 
 
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 あさとは無言で後退した。
 それは、最初ラッセルに見えた。余りにその体格が似ていたからだ。
 次にそれは琥珀に見えた。暗い闇のような瞳。形よい眉、薄く締まった唇。風に揺れる黒い髪。
 それから   
「………」
 あさとはさらに後ずさった。
 恐怖と、そして嫌悪が足元から這い上がってくる。思えば、明るい陽射しの下でこの男と対峙するのは初めてだ。
 アシュラルは、    膝丈までの細身のコートに、刺繍を施した幅広のケープをまとっていた。黒一色で、太陽の下、まるで彼だけ夜に抱かれているように見える。
 あさとが何も言えないでいると、黒衣の男は少し可笑しそうに口元を歪ませた。
「どうした、この前の威勢のよさは何処へ行った」
「………」
 どうして今、この男がここに現れたのだろう。
 あさとはさらに後ずさる。
黒斗(こくと)
 アシュラルはゆっくりと黒馬に近づくと、慣れた手つきでそのたてがみに指をからめた。低くいななく黒馬の全身に、主人に触れられた喜色が満ちるのが傍目にも判る。
「幸運だったな、黒斗は俺以外にはなつかない。機嫌が悪ければ、お前の綺麗な肌に傷が残るところだった」
 そう言うアシュラルの首筋に黒斗が鼻先をすりつけている。それをかわす横顔が別人のように優しく見えた。
 いかに、この気高い馬が主人を愛しているか    それが判るような光景だった。
「今の話は、嘘ではない」
 黒斗から身体を離し、アシュラルは手にしていたものを無造作に地面に投げた。
 それは音をたて、あさとの足元に転がってきた。木棒だ。長さも形も、限りなく竹刀に近い。
「これは、剣術の練習用に使う木太刀だ。少し異形だ、……使ったことはあるな」
 自ら同じものを目の前にかざしながら、男はじっとはあさとを見据えた。真剣なのか、からかっているのか、掴みどころのない眼をしている。
「ダーラに、教わったと言ったな」
「………」
「この長さの剣は、普通では使わない……。ディアスが考案した剣技のひとつだ。実戦において、剣とは長いほうが有利だからな」
「………」
 あさとは用心深く足元の木刀を見下ろした。実際、アシュラルから眼を逸らすのが怖かった。一秒でも視線を逸らせば、二人の均衡が崩れそうな気がする。この男の言葉も眼差しも、何一つ信頼できない。
「何をしている、さっさと拾え!」
 苛立った声。男を睨み続けながら、あさとはしゃがみ、素早く木太刀を拾い上げた。手に取ると、重みまでも慣れた竹刀と同じである。両手で正眼に構えると、手のひらにしっくりと馴染むのが判る。
「三本だ」
 アシュラルはそう言って肩に掛かる留め金を外した。黒いケープがふわりと舞って、木の枝に掛けられた。
「……三本?」
 戸惑って聞き返す。それは    勝負するということなのだろうか。
 剣道の試合と同じで、こちらでも剣術というのは、三本勝負でけりがつくのだろうか。
 吹き抜けた風が、端正な男の髪を緩く持ち上げた。風が収まるのを待って、アシュラルは木太刀をすうっと正眼に持ってきた。
 剣道をやっていたあさとには、はっきりと判る。きれいで正確な    剣道の作法どおりの所作である。まっすぐに伸びた背と、美しい腕の形は、否応なしに一人の男を連想させる。
     嘘よ。
 足が震えるのを感じた。
 琥珀。それはあさとには、琥珀そのものにしか見えなかった。同じ道場で何度も竹刀を合わせてきた。向かい合った眼差しの鋭さも、踏み込む足さばきも、全てに、琥珀と同じ影が重なっている。
「どうした、足が震えているぞ」
 あざけるような声がした。混乱しながらも、あさとはきっとして、強く木太刀を握り締める。
 そう、見かけに惑わされてはいけない。この男は琥珀ではない。ただの    獣だ。
「なんの真似よ」
 悔しいが、勝負したところで百パーセント勝ち目などないことは判っているし、向こうもそう思っているに違いない。「悪いけど、遊んでる暇なんてないのよ、私」
「お前に、機会をやろうと言っているんだ」
 再び、剣を正眼に構えながら、アシュラルは続けた。
「三本勝負だ。一本でも俺から取れたら、お前に黒斗を貸してやる。何処へでも、好きなところへ行けばいい」
「………」
     琥珀……?
 その突き放した口調に、再び琥珀の影が揺れる。
 あさとは幻影を振り払うように首を振った。
「適当なこと言わないで」
 心を読まれていたようで薄気味悪かったが、現実問題、女一人で馬だけを頼りに逃げ切れるはずがない。それに。
「その馬、あなたの大切な友だちなんでしょう」
「俺の命だ」
 アシュラルは木太刀を下ろすと、薄っすらと笑んだ。こうして構えを解くと、彼の印象から琥珀が消える。
 片手で木太刀を弄びながら彼は言った。
「黒斗は俺の言うことならなんでも聞く。用がなくなれば自然に俺のところへ戻ってくる、心配するな」
「………」
「ここは法王領だ、誰もお前を追うものはいない。森を突っ走って最初の予定どおり、潦州まで行けばいい。久世公は忠義なお方だ、頼ってきたお前を悪いようにはしないだろう」
 信じるものか。
「魅力的な話だけど、絶対に私が勝てないと思っているわけね」
 実際、どう楽観的に考えても不可能だ。
「残念だけど、……今の私じゃ、どうあがいても、……あなたには勝てない」
 口惜しさで言葉が詰まった。勝てるはずがない。こんな脆弱な身体と、細い腕で。頭で記憶している動きにさえ、その手足はついてきてくれないのだ。
「俺は利き手を封じよう」
 けれどアシュラルは、胸元のボウを外しながら言った。
「左手だけで相手をしてやる。どうだ、それなら公平だろう」
     どういうこと?、
 さすがに自分の耳を疑った。この男の意図がわからない。いったい、何を考えているのだろうか。
「どうした、不服か? 次は外さないといきまいたのはお姫様の強がりか」
 冷たい目に嘲笑が浮かんでいる。あさとは、ぎりっと歯を食いしばった。
「あなたが勝ったら、どうしたらいいの」
 木太刀を正眼に構えて、目の前の男を睨みすえる。
「何だと?」
「私が勝てば自由になれる。でも、あなたが勝てば    どうなるの? それを決めておかないと、公平な試合とは言えないわ」
「………」
 軽く眉をしかめたアシュラルは、やがて横顔を見せてわずかに笑った。
「ならば、その時は、お前に俺の言うことを聞いてもらおう。……そうだな、お前の人生がかかっているんだ。勝てば、お前はこの国を出て一生自由に生きていける」
 わからない、    本気で言っているのだろうか。「クシュリナ」を使ったヴェルツとの取引で、この男は「法王」になろうとしているのではなかったのか。
 あさとはただ、アシュラルの横顔を見つめ続ける。
「そのみかえりだ。俺が勝てば、お前の人生は俺がもらう」
 左手に構えた木太刀を、彼はすうっと持ち上げた。
「まずは手始めに、ダンロビンと結婚してもらおうか」
 あさとは眉根を寄せた。そんなことなら    勝負などするまでもない。
 女の表情の変化をどう思ったのか、アシュラルは可笑しそうに苦笑した。
「そうか、それでは罰とは言えないな。お前はダンロビンと懇意だった、なにしろ」
「それ以上言わないで!」
 この男、どこまで……。
 怒りが、指先を震わせている。
「行くわよ」
 あさとは身構えた。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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