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『どうなりました、高ア君の方は』
 開口一番、風間はまずそう聞いてきた。
 ホテルに着いてから、志津子は風間に電話を掛けなおした。
 携帯に電話を掛けてきたのは風間だった。とりあえず高ア守莉を家に帰し、志津子は今夜、広島に一泊することに決めたのだった。
 すぐに高ア家に引き返したくもあったが、母親の剣幕を考慮すると、一晩開けた方が賢明である。 明日の朝一番で、再度説明に赴くつもりだが、とはいえ、何をどう説明すべきか、まだ、整理しきれないでいる。
『そうですか、……では明日まで、結果のほうはお預けですね』
 どこか重たい声だった。何か言い難いことを言おうかどうか逡巡している、そんな感じだ。
 志津子もまた、高崎守莉がトランス状態に陥って口走った内容を、どう風間に説明していいものか判らないままでいる。
『実は、ですね』
 互いに気まずい沈黙が続いた後、最初に重い口を開いたのは風間だった。
『……賀沢の行方は、依然判らないままでしてね。横浜から大阪に転居したことまではつかめたんですが……そこから先は、もう全く』
「……そうなんですか」
『借金で首が回らなくなって、夜逃げも同然に逃げ出したみたいですね。死んでる可能性のほうが高いんじゃないかって……県警の人にそう言われましたよ』
 風間の落胆がひしひしと伝わってくる。が、口調の重さは、それが理由ではないような気がした。
「何か、ありましたか?」
『……横谷君が……、小田切が二年がかりで口説いた証人の一人を紹介してくれたんです。当時、マリアの取り巻きだった一人で、名前はユキ、現在ではフリーのグラフィックデザイナーをしている変わり種です。ただし、裁判で証言することまでは拒否しています。匿名を条件に、当時の話を色々聞くことができたんですが……』
 躊躇いながらも、志津子は先を促した。いつも漂々としている風間の口調が、いやに重たいのが気になっている。
『判ったんです。門倉雅が、どうして奴らのグループに関わって、第二のマリアになったのか。どうして長山加奈子への暴行を教唆したか。それは……単なるグループ内の権力争いでも、真行琥珀への嫉妬でもなかった。彼女は……門倉雅は』
 そこで言葉を切り、風間は唸るような声をたてた。
『信愛クリニックに、門倉雅と真行琥珀が訪れた理由が、まさにそれだったんですよ、先生。門倉雅は、確かにあの時期暴行を受けていたんです。その相手が……なんと、クロと、ホセ、こと羽根田徹だったというんですよ』
 さすがに、志津子は息を引いていた。
 バラバラだった欠片が、ひとつひとつ、何かの形を目指して繋がっていく。
『それだけじゃない。門倉雅への暴行を、クロらに指示したのが、初代マリア、長山加奈子だったんです。加奈子には、当時つきあっていた男がいて……浮気した男への見せしめのために、男の恋人を襲わせたんだと。もうおわかりだと思いますが、その恋人とは、真行琥珀のことです。だからこそ、門倉雅は狂犬どもの犠牲になったんです』
    ………」
 志津子はこめかみを押さえた。目の前が暗くなるような気がした。
『……しかも、ユキが言うには、門倉雅を、わざわざクロに引き合わせたのが、真行琥珀だったというんですよ。彼は門倉さんを疎ましく思っていて……彼女に嫌がらせをするために、そんな悪辣な真似をしたんだとか。信じられますか、先生?』
「………」
『だから、門倉雅が、いつの間にかクロやホセを掌握して、マリアにとって代わった時、ユキは本当に驚いたんだそうです。ユキ自身は、そろそろ抜け時だと考えて距離を開けていたそうですが、……雅さんは長沼にも随分気に入られて、またたく間に新宿の夜の顔になっていったらしい』
「……じゃあ、長山加奈子を、襲わせたのは」
『報復、だったんじゃないでしょうか。自分がされたことを、そのままに憎い女に返したのかもしれない。もし……もしですよ。彼女の怒りが、実行犯だったクロとホセにも向けられていたとしたら』
 クロとは、小田切静那を殺害した賀沢修二だという可能性が高い。
 まだ確証は得られていないが、志津子はすでにそう確信している。
 だから人殺しに手を染めさせた? が、それは短絡にすぎる気がする。殺人は軽罪とは違う。下手をすれば待っているのは死刑か無期だ。恐怖でもって命じられた殺人なら、どこかでボロがでる恐れのほうが遥かに強い。
『第二のマリアが、平成十二年の春ごろに姿を消した原因も判りました。娘の非行を知った門倉議員が長沼と取引したらしいんです。いったいいくらの金が積まれたのかは判りませんが、門倉雅を知る当時の仲間たちは、全員街から追い出されたらしい。恐怖をもって緘口令が敷かれ、彼女が街にいた証拠は、跡形もなく抹消されたそうです』
「よく……雅ちゃんがそれで納得しましたね」
 雅というより、彼女の中のマァルちゃんが。
『真行琥珀が、彼女を説得したんじゃないでしょうか。……なにしろ、長沼と門倉議員を引き合わせたのは、彼だというんですから、驚きですよ。まだ十五歳かそこらの少年が、長沼みたいなヤクザと渡りあうなんて、信じられますか、先生』
 彼は、必死だったのだろう。
 必死に    門倉雅を、自分が堕した闇から救い出そうとしていたに違いない。
 確かに、真行琥珀は、許されない罪を犯したのかもしれない。が、その罪から一歩も逃げることなく向き合い続ける彼の姿勢には、いっそ、気高ささえ覚えてしまう。
『もうひとつ重要な話があります。クロとホセが姿をくらました……本当の理由なんですけどね』
 そう言って受話器の向こうで笑った風間の声に、どこかなげやりな響きがあった。
『瀬名先生、僕はもうこの件から降りますよ。無駄だった。小田切は全部知っていたんだ。もう奴に、戻って来いとは僕には言えない』
 何があったのだろう? 志津子は受話器を握り締める。
『小田切は、賀沢修二と会っているんです。事件から半年後、信愛クリニック、あの病院で』
「え?」
 志津子は眉を寄せている。
『先生には後で報告するつもりでしたが、僕は今日、曽根先生を訪ねたんです。ようやく、あの空白の時間、小田切がどこに潜伏していたか、判ったから……、静那さんの審判が終わった後、小田切は曽根先生の所に身を寄せていたに違いないんです』
「………」
『僕は馬鹿だった……院長の名前を聞いた時、すぐに思い出すべきでした。曽根稔彦と小田切は、昔、曽根先生が歌舞伎町の雑居ビルで小さな病院をやっていた時からのつきあいなんです。……珍しく奴が信頼を寄せて、一人暮らしをする際、金まで工面してくれた人でした……』
 苦渋の声で、風間は続けた。
『曽根さんは無愛想な人ですが、小田切の現状はよく知っていて、最後には全部打ち明けてくれました。小田切は確かに、曽根さんの所にいたんです。随分落ち着きも取り戻して、時々は治療の手伝いなどもしていたそうです。曽根さんは……このまま、奴がインターンに戻るだろうと思っていたそうです。それくらい、少しずつでも奴の精神状態はまともになりかけていた。……でも、そこにね、何の因果か賀沢が訪れてるんですよ。仲間内とのケンカで、足かなんかを怪我して』
「……それは、賀沢修二だったんですね、クロではなく」
「病院です。……当然、実名で受診しています」
 繋がった    恐ろしい符号が、間違いなく。
 では小田切は、最初からクロが賀沢修二だと確信し    それどころか、立証する証さえ掴んでいたのだ。
『病院には、遊び仲間が何人かいて……。その時彼らは、事件のことを面白おかしく喋っていたそうなんです』
 
 大したことじゃねえよ、人殺しなんてさ。
 
『賀沢は、その時、随分上機嫌だったそうです』
 
 ナイフ? ありゃあ、俺が前の夜に机の中から盗んだんだよ。
 バカじゃね? 返すっつったら、のこのこあんな場所までやってきてやんの。よっぽど自分のミスがバレんの、怖かったんだぜ、あの女。
 
 そうそう、マリアだよ。マリアの指示。
 どういう知り合いかなんて俺が知るかよ。単に嫌いだったんじゃね?
  
『曽根先生も、はっきりと聞いていたそうです。確かに、マリアという名前が賀沢の口から出てきたと』
 
 ホセと二人で、やっちまおうと思ったらさ、なんでもするから許してくれって泣きやがんの。理由聞いて、マジウケるっつーか、一気にドン引き。
 だってあの女先公、妊娠してやがったんだぜ。
 
『小田切は……殴りかかって……、』
 志津子は息を呑んだ。受話器を持つ指が震えた。
『曽根先生が小田切を止めた隙に、奴ら、窓から逃げるように飛び出していったって……』
 深呼吸でもしなければ、すぐに言葉が出てきそうにもなかった。
 もし、そこであげつらわれているのがあさとだったら、自分なら殺してしまったかもしれない。
 小田切も、思いは同じだったろう。曽根が止めなければ、彼自身が加害者になっていたのかもしれない。   

「それで……曽根先生と小田切君は、警察にはいかなかったんですか」
『……行かなかっただろうと……曽根先生はそう言われていました。先生は行くように勧めたそうです。………でも、小田切は行かなかったんでしょう。理由は、僕には察しがつきます』
「………」
 それは多分、曽根稔彦の、不正診療に捜査が及ぶのを恐れたから   
 相手は、与党の大物代議士と官僚だ。証拠を潰すためならどんな真似でもするだろう。
『……小田切は、そういうところがありますから』
 さみしげな声で、風間は続けた。
『ただ、これは推測ですが、当時、すでに新宿のマリアは、長沼と門倉議員の手によって、完全に抹消されていたんです。実質的に……被害者家族の訴えだけでは、捜査は困難だったと思います。小田切にも、それが判ったんじゃないでしょうか。日本の警察は、しょせん正義のみで動いているわけではないことが』
 だから    自らが、警察官になる道を選んだ。
『結局僕は、小田切が辿った後を、同じように歩いただけだったんだ。誰を恨んだらいいんですかね、心を病んでいた門倉雅ですかね? 賀沢なんていう、クズ以下の男ですかね。……誰を憎んだところで、静那さんは帰らない。答えなんてどこにもない。奴の絶望を救うことはできない。……結局はそれを、思い知らされただけだった』
「風間さん……」
 胸の奥が切なく痛んだ。志津子は目を伏せたまま、黙って風間の声を聴いていた。
 今なら、苦しいほどによく判る。
 だからこそ、小田切は自分を責めていたのだ。誰も責めることができないから。    自分自身を責めて、責めて、多分最後まで責め続けていた。……
 気付けば、受話器からは機械音しか聞こえてこない。志津子は嘆息して受話器を置いた。
 答えなんてどこにもない。彼の絶望を救うことはできない。
 いいえ、違う。
 何故か胸の奥で、激しく脈打つものがあった。
 それでも小田切は門倉雅に関わっていた。あさとの言葉を信じれば、真行琥珀に関わり、あさとにも関わり続けてくれていた。
 全てを知りつつ、目を逸らしたいものから逃げようとはしていなかった。そこに、何かのヒントがある。理由は判らないが、そんな気がする。
 どこかに、……きっと、一筋の光がある。それが何かはわからないけれど、きっとある。
 そして、もしそれを見つけられたら。   

 窓の外は闇だった。
 志津子はまっすぐに闇を見据えた。
 
 あの三人は、目覚めることが出来るのかもしれない。
 
 
 
 
 

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