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「……そういう、ことだったの」
瀬名志津子は、思わず呟いていた。
指に滲んだ汗で、マウスが上手く操れない。
「これは……」
どこまでが記憶で、どこまでが虚構なのか。
流れる文字を辿りながら、志津子はただ、混乱した。
第四章 前世の記憶
1
私の名前はアリスノミヤクシュリナ、イヌルダの皇女として生まれた。
イヌルダは、南海に面した、実り豊かな黄金の国である。
五国の中心にあり、気候は穏やかで過ごしやすい温帯、雨が少なく、四季の区別がはっきりとしている。
塩と金、油、絹、毛織物の特産地であり、気候に恵まれているため、多彩な農作物が収穫される。
海岸には港が多数整備され、世界中から様々な貿易船が訪れる。つまりイヌルダは、各国を海上ルートで結ぶ、世界で唯一の起点なのである。
民は、創造神シーニュを崇め、信心深く、また勤勉である。
皇族、僧、貴族、平民と、身分は三属、一民に判れ、境は厳しく、貧富の差もまた激しい。
何百年もの間続いた平和は、イヌルダに未曾有の繁栄と平穏をもたらしたが、同時に、搾取する者とされる者、という、不条理な格差をもたらした。
テンゴウの年、三属の栄華と腐敗はもはや浄化しようのない悪政をイヌルダにもたらし、民は貧困と病にあえいでいる。
他国の人は、彼の国を『黄金鳥の国』と呼ぶ。
所以は、この地が、世界屈指の金鉱の採掘地であるからなのだが、もうひとつ大きな理由がある。
それが、内陸に巨大な港を有した都市、皇都。その象徴たる宮殿、『キンパキュウ』の存在である。
二対の鐘楼に囲まれ、黄金の甍を持つ壮麗な城は、左右に双翼にも似た金色の層を持ち、遠方から見ると、羽根を広げた黄金鳥が、天に羽搏くようにみえるのだという。
この城が、あたかも世界の象徴のように、イヌルダにそびえたっているのである。
イヌルダが、この世界の象徴であるのは、そもそも同地が、創造神シーニュの降臨した聖地だからだと言われている。
二千年の昔、空と地と海が混じり合った彼の地に降り立たれたシーニュは、青の月からの干渉をテンセキを持って断ち、魑魅乱れ、魔が支配する世界を浄化させ、ついに、シュミラクール界をお創りになられた。
シーニュには、彼女を護る四神がいた。
闘の神クインティリス。知の神ディアス。義の神アリエス。愛の神ユリウス。
シーニュと四神は子孫を残して月に還り、以来、彼らの血を引く末裔が、シュミラクールをよく治めた。
やがて、その子の子らが五方に散り、五つの国を形成した。
中央にイヌルダ、北にゼウス、西にタイランド、ウラヌス、東にナイリュ。
子の子らは国を統治する王となり、シーニュ神を護るイヌルダを中心に、よく五国を治めた。
が、その子の子らが、再び分割して五国を治め、さらに子の子が分割して治めるようになると、領地を巡って争いが生まれ、幾多の攻防の果てに、たくさんの国と領主が生まれ、そして消えた。
果てぬ争いを憂いたイヌルダ皇家は、四神の末裔を用いて乱れた五国を収め、再び五国に平穏をもたらす。
その戦いで三神家は没し、コンスタンテイノ家が皇家を助けて法王となった。
テンゲイの年、すでに皇家にも、法王家にも、世界を統べる力はない。
五百年の間に、有力領主や僧家によって領土は略取、分割され、イヌルダは今、五つの勢力によって治められるようになっている。
すなわち、セイシュウのタカミヤ家、クンシュウのマツゾノ家、リョウシュウのクゼ家、オウシュウのヤクシジ家、コウシュウのウキョウ家。
今や イヌルダを治める皇家とはすなわち、最大領土を持つ一領主にすぎないのが現状なのである。
私はイヌルダの皇室に生まれた長女であり、第一位の皇位継承権を持っている。
父の名はコウシュウコウハシェミ、母の名はアヤノミヤアデラ、妹はマリノミヤサランナ。
私は、家族につけられた名前が、小さい頃から不思議でならなかった。
何故、母と私たち姉妹はミヤの名称で呼ばれているのに、父だけにはそれがなく、領土を取ってコウシュウコウとしか呼ばれないのか。
それは、イヌルダが、代々直系血族の女皇によって統治される国だからだと、やがて私は聞かされた。
すなわち皇位とは、シーニュの子孫である皇室の女子によって、代々承継されるのである。
皇位を継承できるのは、常に現女皇が産んだ第一皇女と決まっている。
女皇の夫は、法王家の総領である大僧正が選ぶのがしきたりだが、夫は「王」ではない。あくまで「女皇の夫」なのだ。
だから父は、今でも彼の領地であるコウシュウコウと呼ばれている。
不思議なことに、イヌルダの歴史が始まって以来、皇室に男子が誕生したことはないという。
そのせいか、男を産む女皇は、国を滅ぼすと言い伝えられている。
現女皇アデラは、私の本当の母ではない。
私の本当の母親は、アデラの姉で、前女皇だったサガノミヤクシャナ。
私が生まれてすぐに、心臓の病で亡くなった。
赤ん坊の娘に、女皇は継げない。よって、しきたりに従い、アデラがハシェミと結婚し、皇位を継ぐことになったのだという。
即位後、アデラはすぐにサランナを産み、当然のように、実娘に皇位を譲ろうと画策したらしい。有力領主を巻き込み、彼女の企みは半ば成功したも同然だったが、父だけが コウシュウコウハシェミだけが、頑迷に反対の意を崩さなかった。
父は法王家を味方に引き入れ、母と対等の力を持って、この企みに対抗し得た。
だからかもしれない。私の記憶の中の父と母は、いつも、空気が凍えるほどに仲が悪い。
私は、アデラを好きになろうと努力したけれど、アデラはサランナしか愛さなかった。
だが、それは当然の感情なのだ。
だって私は、彼女の本当の娘ではないのだから。
だから、私は何も感じない。哀しくもない。辛くもない。
母には、ついに愛されなかったけれど、父と妹は違った。
サランナは美しかった。そして、天使のように優しい心を持っていた。
私とも、とても仲良くしてくれた。私たちは異母妹だけれど、本当の姉妹のように互いを慈しみあうことができた。
父も、 私をとても可愛がってくれた。
けれど、私をこの国の女皇にするため、時に、とても冷淡な真似をする。
辛かったけれど、私は父の言うとおりに振る舞った。
父にだけは嫌われたくない。嫌われたら、もう誰も、私を必要としないから。私がここにいる意味がなくなるから。
だから、絶対に父を怒らせない、悲しませない。そのために、私はいつも努力している。
だから、父は本当に私に優しくしてくれるし、絶対に殴ったり、ひどいことはしない。
私には、婚約者がいる。
法王、コンスタンティノ・ルーシュの息子で、名前はアシュラル。
私はこの男が大嫌い。初めて会った時から、背筋が凍るほど嫌いだった。
彼は見栄えがよく、狡猾で、人の心を操る術に長けている。
美男だから、女の人によくもてる。いろんな人が、彼の恋人だと噂されては消えていった。彼は、利用価値があるとみれば、どんな女の人とでも、簡単に寝るような男なのだ。
私のことなど、顧みることもない。子供だと思って、馬鹿にして、何をしても許されると思っているに違いない。
いや、それ以前に、彼は、私との婚約が不服なのだ。
私があまりに子供すぎて、つまらない女だったから。
私は彼に、相手にもされていない。それどころか、いつも侮辱されている。
例えば、こんなことがあった。
中略
私は、彼との婚約破棄を父に頼んだ、けれどそれは叶わなかった。
私には、好きな人がいた。
名前は、ラッセル。よく覚えている、シシドウラッセル。素敵な響きだから。
彼とは、アシュラルと同じ日に初めて出会った。騎士見習の彼は、それから私の護衛として、常に私の傍にいてくれようになった。
彼の魅力を、言いあげたらきりがない。
アシュラルには絶対に見られない、澄みきったまっすぐな瞳、やさしい笑顔。
アシュラルとは大違い、正反対の誠実な性格。
だからアシュラルと違って、彼だけは私を裏切らないと、ずっと、そう思っていた。
けれどラッセルは、私の使用人であるダーラと恋仲になってしまった。
私はとても悲しかった。彼に自分の気持ちを告白してしまいたかった。打ち明けてしまえば……彼は必ず、私のものになるような気がしたから。
でも、私は我慢した。そして彼を永久に諦めた。
それが彼のためなのだし、なにより、彼を困らせたくはなかったから。
彼は、どんな時でも私を助けてくれた。それも数えればきりがない。例えば、こんなことがあった、私が発作を起して、
中略
子供時代、私にはとても仲のよいお友達がいた。
名前はユーリ。タカミヤユーリ。本当に綺麗な男の人。
銀の髪と青みを帯びた灰色の眼は、おとぎ話の王子様を思わせる。
私が子供の頃、ゼウスのお城に預けられていて、そこで知り合った男の子。
明るくて、優しくて、いつも私を笑わせてくれて。私はユーリが大好きだった。
成長した彼は、私に、愛を打ち明けてくれたのだけど、私は彼を愛してはいなかった。
中略
結局のところ、私はユーリに謝らなければいけない。
彼は本当にいい人だった。最後まで私の大切なお友達でいてくれた。
彼がその後、本当にモマの王になったのかどうか、私にはわからない。
その前に 私は、多分、死んでしまったのだから。
中略
ラッセルがダーラと結婚してしまった。
後で知ったことだけれど、ダーラはラッセルの子供を宿していたのだ。
私は、内心裏切られた気持ちでいっぱいだった。
けれど、悲嘆にくれる間もなく、私には運命の変転が迫っていた。
アシュラルが帰還し、私は彼と結婚することになったのだが、その式の当日、母が何者かに毒殺されてしまったのだ。
何一つ言い訳をすることが許されないまま、父と私は、女皇殺しの咎で捕縛された。
私は結婚式の朝、花婿の顔を見ることもなく、近衛兵たちに連行された。
中略
私は、ダーラの妊娠のことを知っていた。
知っていて、あえて、彼女の暴挙をとめなかった。多分 内心では、死んでしまえばいいと思っていたのだ。
そして、本当にダーラは死んだ。
私のために彼女は死んだ。私の思い通りに、彼女は死んだ。私が殺したも同然だった。
あの夜、凍りついた眼差しで私を見たラッセルの目が、どうしても忘れられない。
彼は私を憎んだ。
あれほど私の傍で、私を護ると誓った人が、その瞬間、憎しみを剥き出しにして私を見た。
絶望して部屋を飛び出した私を、アシュラルが待っていた。
何年かぶりで会った彼は、ひどく乱暴で下劣な男になりさがっていた。この男は、あろうことか私の妹と愛し合っていたのだ。
それなのに、その時。
彼は、私を。
部屋に引き込んで、自分の手で口を塞いで。
叫んでも、誰も来てくれなかった。
階下には、ラッセルもいた。
なのに。
彼は、助けに来てはくれなかった。
誰も、私を愛してくれない。
愛されたことなど一度もない。
私は その時。
多分、一人で死んでしまった。
それから私は、いつも私を見つめている。
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