「うわぁあぁっ」
 跳ね起きた永瀬は、肩で息をしながらそのままシーツを握り締めた。
 まただ、また、あの夢を見た。一体全体どうしたんだ、今夜の俺は。眠たくないのに、気がついたら意識を失い、夢の世界に引きずりこまれている。
 怖い、怖い、誰か俺を助けてくれ。今度意識を失ったら、そのまま二度と、こちらに戻ってこられないような、そんな気がしてしょうがない。
 限界だ、頭がおかしくなりそうだ。助けてくれ、誰でもいいから助けてくれ。
「どうしたの……?」
 女の声。薄闇に、透けて見える影。
「……っ」
 全身が硬直し、痙攣でもしたようにびくっと震える。
 夢のままの女が、ゆっくりと闇から滲み出てくる。
「どうしたの? ……なに? なにかあったの?」
 声は、ひどく怯えている。聞き覚えのある女の声。
「永瀬? ねぇ、返事をしてよ」
     揚羽か。
「………」
 汗が、ゆっくりと引いていく。うつむいて息を吐き、永瀬は汗に濡れた髪をかきあげた。
「お前こそ、どうしたんだよ」
 横目で置時計を見る。マジかよ……午前四時。
「さっきまでカラオケ行ってて、さすがに家に帰れなかったから」
 揚羽は悪びれずにバックを投げだす。手に閃いているのは、勝手に作られた合鍵だ。
「てか、だからってなんで俺んちだよ」
「大学に近いからよ。他に何があるっていうのよ」
 これみよがしの溜息も、自分が絶対だと思う女には通じない。
「ねぇ、もしかして、怖い夢でもみて、うなされてた? 笑えるー、永瀬も案外子供なのね」
 揚羽は面白そうに言うと、断りもなく冷蔵庫を開ける。買い置きのミネラルウォーターを取り出して、ベッドの端に腰かけた。
「とりあえずお風呂沸かしてよ。メイク直したら、適当な時間に帰るから」
「……来いよ」
「………」
「こっちに来い」
   ちょっとやだ、そんなつもりじゃ」
 逃げかけた腕を掴み、身体の下に組み敷いた。ばたばたと足を振って抵抗される。
「やめてよ、そんな一方的なの許さないんだから!」
「うるさい」
「やだっ」
 嫌な女、むかつく女、顔と、身体しか取柄のない女。
「……や……、っ」
「声出すなよ、壁薄いんだから」
「……サイテー」
「お互い様だろ」
 なのに、こうやって肌を合わせると、苦しいくらい興奮する。
「永瀬、……な、がせ……ん、……っ」
「声出すなって」
「い……、じわる」
「いつもされてるからな」
 深い部分で、重なって繋がる。
「あ……」
「揚羽……」
 生意気な女をねじ伏せる時、確かに他では得られない格別な何かを感じる。
 この刹那だけ、離れられないと、いつも思ってしまう。
 ひとときの激情が終わってしまえば、疲れと軽い自己嫌悪だけが残る行為なのに。   

 極上の時間が過ぎても、今夜は不思議と未練のような感情が尾を引いた。
 起き上がろうとした女の腕を、永瀬はふと掴んでいる。
「なによ」
「いや、別に」
 黙っていると、揚羽は訝しく眉を寄せる。
「もういいでしょ。先にシャワー浴びさせてよ」
「顔見せて」
「……え?」
「お前の顔」
「な、何よ、いまさら」
 引き寄せて、上になった女の顔を、まじまじと見つめる。
「うーん」
 まぁ、やっぱり好みじゃない。
「見惚れてるの? まぁ、今だけは許してあげてもいいけど」
「いや、相変わらず性格の悪そーな顔だと思ってさ」
「………………」
 むっとした女を、笑いながら組み敷いた。
「もっかい、しようぜ」
「ちょっと、やだ、冗談じゃないわよっ」
「お前が勝手に押しかけたんだ、責任とれよ、ほら」
 信じさせてくれ、確かな熱で。あれは全て夢なのだと。
 俺が抱いているのは、夢の女ではないのだと。
 今は、何もかも    忘れさせてくれ。
 
     
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 にしても、やべーな、マジで俺。
 いつまでも、こんな状態が続くと、本当に狂ってしまいそうな気がする。……
 天井に向かって煙草の煙を吐き出しながら、永瀬はぼんやりと考えていた。
 アシュラル。
「……アシュラル、か」
 驚くというより、ついに、出てきやがったか、という気がする。
 瀬名が言っていた、夢の中の婚約者の名前。
 その男の名前だけは、不思議なほどはっきり記憶に残っている。そして今朝、同じ名前が、自分の夢の中にも出てきた。
(どうせ、何度もアシュラルに抱かれた身体よ……)
 嫌な夢だった。胸の悪さで言えば、今までで一番ひどい。
 これをただのインスパイアと見るか、それとも、何かの符号と見るか。
 まさに、正気と狂気の境目に立たされている気分だ。
「どうしたのよ今夜は。絶対どうかしてるわよ、永瀬」
 シャワーを浴びて戻ってきた揚羽が、永瀬の手から煙草を取って唇に挟む。大学では、決して見せない裏の顔。
「別に……」
 永瀬は、寝返りを打って背を向けた。
 身体が離れると、途端に何も感じなくなる。いつものことだ。自分でも冷淡な性格だと思う。
「もしかして、まだ、剣道部のお嬢様のこと気にしてるの?」
 からかうような声がした。
「言っておくけど、あんな真面目そうな子、絶対に永瀬には合わないわよ」
 上からのぞきこまれ、煙がふっと顔にかかる。永瀬は眉をしかめて顔をそらした。
「教えてあげようか。永瀬が何で、瀬名って子に固執するのか    私、そういうとこ、意外と鋭いんだから」
 揚羽は、目を細くして微かに笑った。
「あの子が、真行琥珀のこと好きだからでしょ」
「………」
「試合の度にいつも負ける相手が、隣町中学の真行君。中学までは剣道界の神童って言われるくらいすごい人だったんでしょ? 永瀬とはタイプが違うけど、かなりのイケメン君だよね。しかも門倉代議士の実子も同然、一人娘と婚約して、お金も将来も約束されてる    そんな奴に負けてたまるか、永瀬さ、いつも心の中で、そう思ってたでしょ」
「………」
「だったらいっそ、真行君の彼女のさ、門倉雅を奪っちゃえばいいのに。そういうとこが小心なのよ、結局は」
 がっと思わず半身を起こしている。
「なっ、なによ、どうしたのよ、急に」
「…………」
 永瀬は、額を両手で押さえた。
 あれはどういう意味だったんだろう。あれだけは判らないし、受け入れられない。
 
 
 夢の中で、自分が汚そうとした女は    門倉雅の顔をしていた。
 
 
 
 
 

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